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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第六章《輪廻》
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第六章《輪廻》:Patrinia scabiosaefolia(5)

ピンポーン。

鳴り響くチャイムの音は平和そのもので、それが逆に気持ち悪い。黒沼家は無人になって三年以上が経過しているし、廃墟と化した理由が理由なので、興味本位で訪ねる者も(一部のオカルト好きを除けば)まずいないはずなのだから。


「お客さん……かな? あだっ」

「馬鹿、んなわけねーだろ」


呑気に千瀬が呟いた可能性の一つを、素早い駿の突っ込みが千瀬の頭ごと叩き潰した。


「無人の家に入るのに、チャイム鳴らすやつなんているかよ」

「あはは……だよね、」

「……僕らが中にいることを知ってて、鳴らしてるんだろう」


剣呑な目つきを浮かべてゾラが呟く。尾花の時と同様に拳銃を取り出し、あっさり発砲しそうな彼女の様子を注意深く伺いながら千瀬は質問を口にした。


「玄関、行きますか?」

「その必要はないよ。――入ってきた」

「!」


侵入者は返事がないのを良いことに、無断で屋敷内へ踏み入ったらしい。その気配を追いながらゾラは、駿と千瀬に武器の準備を促した。百瀬を一歩後方へ下がらせ、完全に迎え撃つ姿勢をとる。

相手がただの一般人である可能性は、この段階で完全に棄てていた。


「さん、に、」


この屋敷最奥の書斎まで到達するには暫し時間がかかる。四人は数分の間、息を潜めてそれを待っていた。

ゾラが小声でカウントを始めると同時に、駿は部屋の入り口へ真っ直ぐ銃の照準を合わせた。千瀬も静かに腰の刀へ手を這わせ、鯉口を切る。


「いち」


ぜろ。

そうゾラが数え終わると同時に扉の向こうから、ふらりと人影が現れた。瞬間的に場の空気が張りつめるが、襲いかかってくる気配はない。

駿は引き金に指をかけたまま目を凝らして相手を見分する。銃口が微かに揺らいだのは、躊躇ったからだ。現れた人間は、銃を突き付けるには違和感を拭えない風体をしていた。


「なんだ、お前――?」


戸惑ったような声を出したのはゾラである。見据える先の人物は、若い女の形をしていた。華奢な輪郭に、華美ではない黒のワンピース――どこか喪服のようにも見える――を身に付ける彼女の目は真っ直ぐ前を見ていた。その視線はゾラを、駿を、千瀬すらをも通り越してただ一点を見つめる。


「…………百瀬、」


ぽつり。

その女の唇の隙間から、絞り出すような声が漏れた。名を呼ばれた百瀬はその瞳を限界まで見開く。


「恵子……?」


一つ名を呼んだ百瀬は信じられないと言うような面持ちを浮かべたまま、ふらりと前に歩み出た。

ケイコ。姉の言う名に聞き覚えがあった千瀬は、脳をフル稼働させてその正体を探り当てる。一人、いたはずだ。


(……ケイコ。ホンジョウ、ケイコ)


じわりと脳が思い出した人物――「本庄恵子」は百瀬の友人だ。顔は初めて見るがまず間違いないだろう。全寮制高校に通っていた百瀬の、同級生。実家の場所も近かったはずだ。長期休みに入ると帰ってくる彼女から、千瀬は何度かその名を聞いていた。


(高校って……)


何か重要なことを忘れている気がして千瀬は思考を巡らせる。

百瀬の通っていた高校。千瀬の知らなかった外の世界。けれど百瀬は、そこから――社会から存在を抹消された。他ならぬ千瀬のせいだ。

ルシファーの保護下、“学園”で生活するために偽の焼死体まで用意して――そう、百瀬は死んだのだ。高校の寮ごと、燃えたのだ。表向きには。


(……! まずい、)


“死んだはず”の黒沼百瀬が、同級生の前に現れている。三流ホラー映画のような状況が今目の前に繰り広げられていることに気付き、千瀬の顔からさっと血の気が引いた。姉を隠そうにも時既に遅し。

本庄恵子は百瀬の姿を見て、叫び声を上げていた。


「やっぱり生きてたのね、百瀬……!」


驚愕と怒りと喜び。恵子の声にはその全てが均等に入り交じっていた。何も答えられずに口を噤む百瀬に駆け寄った彼女は、手を伸ばしてその身体を抱きしめる。


「私、ずっと探してたのよ。ずっとずっと――だってあの日、百瀬は家に帰ったんだもの。妹の誕生日プレゼントを、私と一緒に選んだのよ」

「……恵子、」

「放火にあった寮の焼け跡から、あなたの遺体が出るはずがなった。あなたのはずがなかった! 誰も信じてくれなかったけど――」


百瀬を腕の中に閉じこめたまま一気にまくし立てる恵子の、声が微かに震える。涙を堪えるその様子に、百瀬はくしゃりと顔を歪めた。


「ごめん、恵子。ごめんね……」


百瀬の腕が遠慮がちに恵子の背へ回された。その瞬間、悲しげな表情を浮かべた姉を見つめて千瀬は思う。

あの日、表の世界から突然消えた百瀬。彼女を失った世界はきっと、何事もなかったかのように回っただろう。けれど百瀬には千瀬と違い、他者との繋がりが存在していた。恵子のように、百瀬が欠けたことに傷つく人間がいたのだ――そんな当たり前のことに、今更気付く。


「百瀬……っ、」

「―――感動の再会を邪魔して悪いけど」


カチャ。無機質な音と、一切の感情を感じさせない声が割って入った。はっと千瀬が目をやれば、ゾラが恵子の後頭部に拳銃を突きつけている。


「………!! ゾラさんッ」


尾花の時とは訳が違う。しかし慌てて制止の声をあげた千瀬を、ゾラはちらりとも見なかった。


「……ゾラ。こいつは人間だろ? 知り合いみたいだし」

「ああ、そうだ」


駿が冷静に問いかける。それには肯定の返答があった。


「あの婆さんとは違って、気配もちゃんと人間のものだ。だからこそ解せない――あんた、名前は?」


ぐり、と後頭部に鉄の感触を感じたらしい恵子が震えた。ただならぬ空気から、その銃がモデルガンなどではないことには気付いたのだろう。恐怖の色を浮かべたまま、しかしはっきりと返答する。


「本庄、恵子」

「間違いない?」

「ほ、本当です」

「じゃあ“恵子”。君はどうしてこの家に来た」

「……どうして、って――? ……たまたま、」


ふと恵子は悩むように眉を寄せる。


「たまたま通りかかって、中に――」

「君はいつも、通りすがりに他人の家に入るのかい。しかも無人の、殺人現場に?」

「そんなことは……やだ、何でかしら」


恵子の返答が一気に不明瞭になる。ゾラはその様子にすっと目を細めた。まるで何かを暴き出そうとするような、瞳。


「答えられない?」

「………、」

「じゃあもう一つ質問だ。君は家に入ってから、真っ直ぐこの書斎を目指したね。僕らのいるこの場所に、迷わず。どうしてかな」

「……それは、」

「おい、ゾラ……」


流石におかしいと気付いた駿が名を呼ぶのを片手で制し、ゾラは辛抱強く問いかける。


「どうして?」

「それは、ここに」

「うん」

「ここに来なきゃ駄目だって、思って――」

「何のために」

「なん――違―――――、あ、」

「………答えて」

「……あ、あああ」

「ゾラ、止めろ!」


そいつおかしいぞ! 駿が鋭く声を上げる。同時に千瀬は百瀬の後ろに回り込み、恵子からその身体を引き剥がした。

がくんと脱力して膝をついた恵子をゾラは冷たい目で一瞥する。


「答えろ。何のために、ここに来た」

「―――に、」

「……何だって?」


俯いたまま恵子が何かを呟く。聞き取れずに聞き返した瞬間、その顔が勢いよく上を向いた。露わになった表情を見て千瀬の背筋に悪寒が走る。

恵子は、美しく笑ったのだ。


『逢うために』

「!」


瞬間、ゾラは己の勘に従って勢い良く飛び退った。ドッと鈍い連続音が聞こえたかと思うと、一瞬前までゾラの立っていた場所が歪に変形する。床から植物の根のような物が突き出ていた。少しでも反応が遅ければ、ゾラの身体を串刺しにしていたに違いない。


『――お前に、逢うために。逢うてやってもいいと、言ったであろう?』


にこりと笑って立ち上がった恵子の瞳は日本人離れした、沼地のような緑色に輝いていた。その唇から聞こえる声音は先刻までの彼女のものとは違い、口調も変化している。――そして、千瀬にとっては最早馴染みのある音をしていた。目の前にいるのは最早恵子では、ない。しかし「誰か」などと問うまでもなかった。


「………“女郎花(おみなえし)”」


信じられない思いで千瀬はその名を呼ばう。すると恵子の顔をした“それ”は、最早隠そうともせずにいらえを返した。


『ふ、ふふ……左様。おかしな子。わかっておるのに、何故問うのじゃ』

「……マジで出やがった、」


呟いた駿は真っ直ぐに銃を恵子――否、女郎花へと向ける。しかし意外なことに、それを今度はゾラが制した。


「シュン、安易に撃つなよ」

「でも、」

「問題は目の前の“身体が”、誰かって事だよ」

『ふふ……おや。情報屋は頭の回転も速いと見える』


口元に手を当て、女郎花は愉しげに笑った。その仕草は若い女のそれよりもどこか雅やかで、妖艶さを感じさせる。古風な口調は尾花のそれに似ているが、あの老婆よりずっと柔く、色香に富んでいる。


『察しの通りじゃ。この身体は“本庄恵子”という人間のもの。撃たれれば、死ぬだろうなぁ』

「……っ、糞が、」


罵る言葉をぶつけても、目の前の存在は涼しい顔をしている。女郎花は恵子が死んだところで痛くも痒くもないのだろう。飄々したその様子を見て、駿の背に言い知れぬ悪寒が走った。


(なんだ、これ。本当に化け物じゃねーか……っ)


駿には異能がない。だか長年ルシファーでその存在に触れてきたため、ある程度の知識はある。

だから駿は、異能は万能でないことを知っていた。誰にでも得手不得手があり、何でもできるわけではない。能力は体力と同じで消耗もする。


(こんな奴が、本当にいるなんて――)


本体がどこにいるのかは知らないが、他人の身体を乗っ取ったまま床を破壊し、あまつさえ黒沼家の根幹を操り続けている女郎花の力は、どう見ても別格だった。


『心に隙間が出来ている人間を操るのは容易いこと。撃ちたければ撃つが良い――話は出来ぬようになってしまうがのう』

「その身体から出て行く気はないってわけ? ……アンタがこちらと話をするつもりがあるなんて、驚きだね」


ゾラは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべると、諦めて銃をおろした。駿も渋々それに倣う。

それを見て満足げに笑った女郎花は、くるりと向きを変えた。立ち尽くす黒沼姉妹に白い腕を伸ばし。最初に百瀬の頬を撫でる。


『……ようやっと、まみえたなぁ。黒沼の子。可愛くて、愛しくて、憎くて仕方ない子。(わらわ)のことはもう、知っておろう?』


女郎花の指がするりと顎を伝い、その感触に百瀬は震えた。


「あなた、は」

『女郎花、じゃ。お前達の命運を掌で転がす存在。嗚呼、本当はこうして口をきくこともなかっただろうに。お前が道から外れなければ――』

「!」

『わかっているのだろう? 黒沼の娘は皆十六で子を孕む。嫡子は刀で一族を切り刻む――お前が狂わせたのじゃ、百瀬。だが……』


女郎花は百瀬の側を離れると、千瀬にゆっくりと歩み寄った。距離が近付くにつれキィィン、と腰に帯びた刀が鍔鳴りを起こす。まるで何かに共鳴するかのようだ。


『……だが、許そう。長い時を経てしまったから、少々の歪みは仕方ない。代わりにお前がよく動いたから――多少余計なものを呼び込むことになったが、妾は甘んじて受け入れることにした。』


女郎花の手が頭を撫でた瞬間、千瀬は言い知れぬ恐怖を感じて叫びそうになった。

ずっとずっと探していた存在が今、信じられないほどあっさりと目の前に立っている。どうやら本人そのものではなく、他者の身体を借りているようだが――それでも、ようやく手の届く場所まで来ている。しかし千瀬は動くことができなかった。千瀬には刀があるしこの場には仲間もいるのに、怖いのだ。魂を握り潰されるような感覚にただ、怖いとだけ思う。しかし溢れ出す感情は何故か、全く声にならなかった。


「どうして――」


代わりに、積もり積もった疑問がするりと唇から吐き出される。


「どうして、黒沼を恨むんですか。あなたは何者で、何がしたくて、なんで……繰り返すんですか。あの夢は、何ですか。約束って、黒縄って、」

『ふむ……面倒じゃ。どうせ時が経てば何もわからなくなるのに』

「……っ、それってまた、忘れるってこと? どうして……!」


刹那、女郎花の指がすっと千瀬の唇に押し当てられた。何故かそれだけで、高ぶった感情が急速に静まってゆく。


『今日妾が此処へ来たのは、尾花の奴が余計なことをせぬように牽制するためじゃ。それからほんの気紛れで、ぬしらの顔を見ようと思うた。しかし、そうさな……せっかくじゃ。一つだけなら、質問に答えてやっても良い』


深緑の瞳を細めて笑う女郎花は、千瀬を試しているかのように見えた。

冷静さを取り戻した頭でその顔を見据えながら千瀬は考える。女郎花が恵子の身体を使っている以上、攻撃は出来ない。今この場で出来るのは、出来うる限りの情報を引き出すことだけだ。

ならば、何を問うべきか? そう考えた時にはもう、千瀬の答えは決まっていた。


『何を知りたい。妾の正体か? 夢の真相か? それとも、己の運命から逃れる方法か――?』

「……いいえ」


千瀬は真っ直ぐに女郎花を見据え、そして問う。


「ロヴ・ハーキンズの居場所を。彼を……私達のボスを、どうしたんですか」


その時の千瀬は無力な少女ではなく、犯罪シンジケート・ルシファーの構成員の顔をしていた。



恵子=2話目でちょろっと出てきた人、です(笑)

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