第六章《輪廻》:Patrinia scabiosaefolia(3)
アンケ設置。詳細はあとがきで^^
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「――誰だ、テメェ……!」
「おや、血の気が多い童子だ」
「黙れ」
駿を取り巻く殺気で場の気温がぐんと低下する。
無人の家に唐突に現れた老婆は、異端以外の何者でもなかった。頭から白い布を被っているため、はっきりとした表情は窺えない。布の下には見えるのは淡緑の着物。尼のような出で立ちに、煙管だけが不釣り合いだった。
「何者だ。三秒以内に答えないとドタマぶち抜くぞ、ババア」
「ほ、ほ、ほ。もう三秒経ったぞ」
言いながら老婆はふわりと舞い上がり、駿を飛び越えて千瀬の前へ降り立った。……どう見ても“老婆”の動きではない。
しかしそれを気にかけるよりも先に別のことに気が付いて、千瀬は驚愕の声を上げた。
「あ、あああ!! この人っ!! 何か見たことあると思ったら……!」
「おや、お前様、今まで気が付いておらなんだか。悲しいの」
「この人だよ! 占い師のお婆さん!」
あぁ? 警戒心丸出しの声で問い返す駿に対し、千瀬は懸命に説明を試みる。
目の前の老婆は先日の日本探索中に、千瀬に何やら不可解なことを言って消えた人物だ。その時は占い師の格好をしていたが、間違いない。
その時共に姿を見たのは絹華だけであったが、駿にも話はしてあったため千瀬の言いたいことは比較的楽に伝わった。ただそれだけでは、気を緩める理由には至らない。
「お前様が来ると思うて、待っていた」
重い空気をものともせず、老婆は朗らかに言って歩み寄ってくる。千瀬と同じく困惑の表情を浮かべている百瀬のほうを見て、ふむ、とそのまま手を伸ばした。
「これはまた……血が濃く出ておる」
「そいつらに触んなッ!」
「そう噛みつくでないよ、坊。そっちに隠れている娘っ子も、出ておいで」
「――っ!」
老婆がくつくつと笑って目をやった先に、憮然とした表情のゾラが立っていた。何時の間に追いついてきたのか、千瀬や駿が気付かなかったそれを容易く老婆は言い当てる。
「随分長い間潜んでおったな。とって喰いやせぬから、安心おし」
「……食えない婆さんだね」
「ほ、ほ。ほぅら、坊もその物騒な物をしまえ」
「……」
「まぁ、撃ちたければ構わんが。わしは、そんなもので死にやせぬ」
――ガゥン! 刹那轟いた発砲音に千瀬は飛び上がった。まさかと思って見てみても、駿は銃を構えたまま微動だにしておらず、銃口から煙が立ち昇る様子もない。
しかし銃声は本物だった。ならば―――。
「じゃ、遠慮なく」
恐る恐る千瀬が振り返った先で、ゾラが抜き身の拳銃をくるくると回していた。くらり、と千瀬は眩暈を覚える。
遠慮なくって……発砲した後に言う言葉じゃないです。
「……ふむ、容赦のない娘っ子だのう。死にやせんが、身体に穴が空くのは好かんのだ」
「――穴なんて空いてないだろうが、化け物」
結論から言おう。千瀬が呑気にゾラの発言云々を気にしていられるのは、老婆がぴんぴんしているからだ――ゾラの放った弾丸が、その眉間を確かに撃ち抜いていたにも関わらず。
「アンタ、人間じゃないな」
「そうさな」
飄々と言い放つ老婆の額はつるりと綺麗なままである。銃弾の触れた瞬間微かに抉れて、ずぶりと鉛玉を飲み込んだそこ。常人ならば今頃夥しい血が溢れ出ているであろう場所は、瞬きをする間だけぽっかりと穴が空いていた。それがみるみる塞がって、今は傷一つ残っていない。
「死ぬことはない。生きているとも言えぬ。わしらはそういうモノだ」
言いながら老婆はもごもごと口を動かす。何事かと見つめる四人の前でしばしその動作を繰り返していたかと思うと、ぺっ、と勢いよく口から銃弾を吐き出した。
「ほれ、弾、返してやろうか?」
「――ッ、ンなもんいるかァッ!!」
「ぞっゾラさん落ち着いて!」
ぷちんと音を立ててキレたゾラにしがみつき、千瀬はなんとか場を沈めようとする。そんな中漸く頭の冷えたらしい駿か、ゆっくりと口を開いた。
「……婆さんアンタ、チトセの“夢”について知ってるふうだったな」
『忘れてはならん』――目の前の相手から、忠告にも似た言葉を与えられたことを千瀬は重い出した。夢は暗示。影法師。探し物。今だからわかる――この老婆があの時語った“占い”は、黒沼家のことを示唆しているように思えてならない。
駿は何かを確認するかのように、老婆の頭からつま先までゆっくりと視線を動かした。そして意を決し、一つの疑問をぶつける。
「―――アンタが、“オミナエシ”か?」
少年がその言葉を口にした瞬間、場の空気が張り詰めた。完全に想定の範囲外であった千瀬はまさか、と思う。オミナエシがこんなに好意的――と言えるかは微妙なラインだが――だろうか?
「ほ、ほ、ほ。坊は面白いことを言うの」
どこかワンテンポ外れた笑い声を上げながら、老婆はゆるりと口を歪めた。
「だが、勘は良いようだね」
「!?」
はっと息をのんだ一同の前で老婆はゆるりと右手を上げる。煙管がふっと揺らいで、美しい木製の扇になった。それをついと口元に当てて微笑む様が一瞬、持ち主を年老いた老婆でなく妖艶な“女”に見せる。
「――限りなく近いモノ、だ。わしは“女郎花”ではなく、“尾花”だからのう」
「……オバナ?」
全員の頭上に疑問符が飛んだ。その中で千瀬は、脳内の辞書をゆっくりと呼び出して検索をかける。
オバナ――“尾花”とは即ち、“薄”のことだ。秋になれば獣の尾のような穂を揺らす、植物の名。それを名乗る老婆とオミナエシが「限りなく近い存在」だと言うならば、オミナエシは“女郎花”と書くのだろう。薄々気付いてはいたが、花の名である。
千瀬は何度も夢に見た、あの光景を思い返した。黄色い小花が揺れる場所。あの花が――女郎花だ。
(……“尾花”と“女郎花”……?)
その言葉の並びが、ちらりと千瀬の脳裏に引っかかった。何かこの二つには……植物の名だということ以外にも、共通点があったような気がする。
(何だっけ……?)
千瀬がぐるぐると悩んでいる横で、駿が小さく舌打ちをした。答えになってねえよ、と老婆をねめつける。
「敵か味方か、どっちだよ」
「どちらでもない、と答えておこう。わしらは傍観者だ。だか、坊たちに危害を加えるつもりは毛頭ないよ」
「……その物言いだと、アンタみたいなのが複数いるようだね?」
探るように言葉を重ねるゾラを一瞥し、老婆は狐のように目を細めた。沈黙は肯定だ。
「もしアンタが自分で言うように傍観者なら、何で僕達と接触した?」
「ゾラさん……?」
「僕は情報屋だ。この世にはその移り変わりをただ観察するだけの、糞みたいな人間がいることは知ってる。アンタは人間じゃないけど――傍観者という存在は否定しない。ただそういう奴らはけして、時代の表面には現れないものだ。そうだろう?」
武器で脅しても無意味なことを悟ったゾラは、弾丸のように言葉を紡ぐことで老婆を囲い込んだ。同時にドアを背で塞ぎ、逃げ道をも断とうとする。その隙の無さはゾラの頭の良さを顕著に示していたが、果たしてこの老婆相手に通用するのかは謎であった。
「……一寸、話をしたかっただけだ。前にも言ったであろう」
ふと遠い目をした後、老婆はその手の扇をはらりと広げて見せた。水平に翳されたその表面には何の模様もなく、真黒に塗りつぶされている。それを見た瞬間――ゾクリ、と千瀬の背に悪寒が走った。
(え―――?)
一瞬、何を感じたのかわからなくなる。それが紛れもない恐怖だと気付いて少女は愕然とした。何か“この世のものではない闇”がそこに塗りこめられているような、そこに堕ちてしまっては何もかもが終わってしまうような――そんな感覚。
千瀬はよく知る長髪の人物を思い浮かべた。ルカの持つ黒はどこか浮世離れした闇色だが、紛れもなくこの世に存在するものだ。だか、この扇の色は。
「わしらはずっと見ていた。同じことが何度も何度も繰り返されるのを。あやつが不毛なことを続け、幾度となくこの世に現れるのを見ていた。終わりはいつも同じだ。あやつが生まれ出でて、アレの血が絶える。何も変わらぬ」
得体のしれない“闇”を扇に宿したまま、老婆は滔々と語る。明確な名詞が出てこないせいで、何の事を話しているのか千瀬にはさっぱりわからない。
「だがの、今度は異なっていた。お前様が道を外れた」
ふとそこで言葉が途切れる。老婆は――“尾花”は真直ぐに百瀬を見ていた。そしてそのまま千瀬に視線を移し、笑う。
「あやつのシナリオが、初めて狂ったのだ。一族を絶やすはずだった嫡子が剣を厭い、次女がその役目を負った。それも完全ではない。黒沼は、死に絶えなかった」
「……、その、“あやつ”って、」
「綻びが生まれておる。あやつの力が、弱まっているのかもしれぬ。のう、黒沼千瀬よ。お前様の周りには今、面白いほど美しく駒が並んでいることに気付いておるか?」
尾花の手が千瀬の頬を撫でる。人ではないはずのその身体から、微かなぬくもりが伝わってくることが不思議だった。
「黒縄が“抜けて”から早数百年――――」
「……こく、じょう? それって、」
「こんなことは起こらないと思っていた。だが、今なら可能性があるからのう――わしは見てみたい。無間があの錆付いた鎖に気付く瞬間を。だから、こうしてお前様の傍に来た」
ムケン。また聞き覚えのない言葉が登場して、思わず千瀬は顔を顰めた。ただでさえ把握できていないというのに、これ以上ややこしくならないでほしい。だいたいこの尾花という人物、話したいことだけを話して先刻から全く質問に答えていないのだ。混乱が混乱を呼んでいく。
「コクジョウってのは、剣の技だと聞いてる」
言いながら、駿が一歩だけ尾花に歩み寄った。そこで漸く他者の言葉に耳を傾ける気になったのか、両手で千瀬の顔を包んでいる老婆は、頭だけを少年のほうへ向ける。
「さっきから言ってる“あやつ”ってのは、オミナエシのことだな? 婆さんの口ぶりだと、それとは別に黒縄って名前の人間がいるのか。いや――人間じゃなくて、アンタみたいな奴だな。そいつと黒沼と、居合いの技名……どう関係してる?」
「ほ、ほ、ほ。坊は、ほんに鋭い」
尾花は楽しげに笑った。だがその表情からは、何を考えているのか読み取れない。
「だが、わしが教えられるのはここまでだ――残念だがの」
「……っ、この……!」
「落ち着け。過度な干渉は禁忌だ、仕方なかろうて……ほうら、わしはお前様達に、これをくれてやるために来た」
瞬間、すっと扇が老婆の掌に吸い込まれた。目を瞠る千瀬の前で尾花はくるりと手首を捩じる。するとまるで手品のように、今度は古ぼけた巻物が現れた。
「それ……!」
百瀬が小さく声を上げる。尾花は満足げに頷くと、巻物を千瀬に握らせた。
「お前様の探していた“黒縄”の指南書だ。術式はちゃんと中に書かれておる」
「どうして、あなたが」
「これはお前様が――黒縄の血をひく者が持たねば意味がないからの。ここが空き家になった後、わしが預かっていてやった」
「は、え、血? ……え?」
黒縄の血???
わけのわからない単語に千瀬は目を白黒させる。しかしその疑問を解決する前に、尾花は追いうちのように言葉を被せた。
「お前様の所の、頂点に立つ男――何度もここに来ておったからの。これを盗られてあやつだけでなく、わしらの事が露見してはかなわん」
「男って――ロヴ!?」
一瞬前の疑問を忘れて千瀬は声を上げた。ロヴがこの家に来ていた、それはもう予想が付いていたことだ。恐らく女郎花を探す手掛かりを求めていたのだろう。なぜ、どうして、という疑問は尽きなかった。しかし千瀬にはそれよりもまず、確認したいことがあった。
「お婆さん、ロヴがどこにいるか知りませんか!?」
勢い込んで尋ねた千瀬に、しかし尾花は曖昧な頬笑みを浮かべるだけ。
「そうさな、それは――直接“女郎花”にお聞き」
「それができれば苦労は……っ!」
「あやつは答えるだろうよ」
ぴしゃりと言い切って老婆は背を向ける。そのまま思わず口を閉ざした千瀬に向かって、もう時間だ、と囁いた。
「わしらは期待しているのさ。皆傍観者だが、てんでばらばらに好き勝手しているものばかり。お前様に協力する者もいるだろう。探してみるといい――――予見のできる知り合いができただろう?」
「!!」
何でそれを知って――!?
声を上げた千瀬は次の瞬間絶句した。ほんの瞬きをする間、それだけだ。たったそれだけの間に――――
尾花を名乗る老婆は、まるで最初からその存在などなかったかのように、忽然と姿を消していた。
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