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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第六章《輪廻》
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第六章《輪廻》:Patrinia scabiosaefolia(2)

慣れた様子で家の中へと足を進める百瀬の後ろを、駿と千瀬が着いて歩く。古びた木造家屋は三人の体重を受けとめながら、ぎしぎしと床を鳴らした。

千瀬は落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回し、視界に少しでも見覚えのあるものはないか確認する。しかしいっそ清々しいまでの忘却の中では、記憶に残っているものは何一つ存在しなかった。


(……変なの。本当にあたし、ここに住んでたのかな?)


道場へ続いているらしい広い渡り廊下も、立派な床の間のある和室も、何一つわからない。


「……見覚え、ないのか」

「うん」


千瀬の様子に気付いていたらしい。小さく駿に問われたので、素直に肯定した。


「広い家だな」

「そうだね」

「お前、やっぱお嬢様? みたいな感じだったのかな」

「違うと思うけど……箱入り、といえばそうだったのかも?」

「……あらゆる意味で、な」


一方駿は気軽な風を装って会話しながら、周囲に神経を張り巡らせている。何も言わずに先導を続ける百瀬の様子も気掛かりだったが、何よりこの家は何だか“よくない”。

無人になってから丸三年以上が経過しているはずの黒沼家からは、微かな腐臭と鉄錆の匂いがしていた。原因は分かっている。業者の手が入ってはいるのだろうが、床や壁のあちこちに黒い染みができていた。何か、なんて聞くまでもないだろう――血の跡だ。恐らくは千瀬が、その手で家族を手に掛けた時のもの。

すっかり忘れている本人は良いとして、百瀬には辛いものであるに違いない。しかし目の前の少女は凛と背筋を伸ばし、ただどこかへと足を進めていた。


(……そういえば、俺とこの女、同い年なのか)


以前千瀬やロザリーから聞いた情報を思い出し、駿は少しだけ複雑な気分になる。自分もこの姉妹も、ほんの少しの狂いがあれば、今とは違った人生を送っていただろうに。

そこまで考えて、いや、と駿は首を横に振った。この姉妹は“別格”だ。黒沼と、オミナエシ。その繋がりが本当なら、二人はこの運命を生まれながらに背負っていることになる。どう足掻いたところで同じ道を歩むことになっていた――絶対の、事象だ。

駿は脳裏に、オミナエシとやらの存在を思い描く。姉妹に重たい枷を嵌め続ける者。東洋の魔女。何故黒沼を滅ぼすのか、それほどまでに黒沼に固執する理由が知りたかった。


「で、今はどこに向かってるんだ?」


もう結構歩いてるぜ、と先頭に向かって声をかければ、百瀬は歩みを止めぬまま、軽く首だけで振り返った。


「父の書斎に行こうと思ってるの。この家の一番奥」

「何かあるのか?」

「……探し物を、したくて」


探し物? 鸚鵡返しに問いかける駿と千瀬は息がぴったりである。それに少しだけ笑ってから、百瀬は小さく頷いた。


「家に……黒沼に、代々伝わってる物を探したくて。伝達の歴史が長ければ長いほど、何かわかるんじゃないかって思うの。……ゾラさんも、きっとそれが欲しいんだわ」

「ああ――なるほどな」


黒沼がもし本当にオミナエシの支配下にあるのならば、そこに脈々と受け継がれるものは「黒沼」でなく「オミナエシ」の意思だ。古い歴史を持つものほど、根幹の部分に触れている可能性はある。

隠したければそうしても良いとゾラは言った。もし百瀬が実際にそうしても、彼女は責めたりしないだろう。しかし百瀬はもう意思を固めていた。ここまで多くの人を巻き込んで、自分だけ逃げるわけにはいけない。逃げてもきっと、逃げ切れない。ならば、せめて――――。


「その“物”に何か、心当たりでも?」

「――【黒縄】の術書なら、もしかして、と思って」


黒縄こくじょう。その名を聞いて、駿は僅かに眉を寄せる。それは千瀬の持つ居合の技名だ。黒沼家に代々伝わり、正当な継承者だけに習得が許される奥義であるという。

その威力は駿自身の目でも確認していた。モーションが速過ぎて、型の美しさを見せるものなどではないことが容易に知れる――人を殺すためだけに存在するような技。


「そういえばお前ら何か……変な呪文みたいなの唱えてたよな」

「あれは【黒縄】の術式なんです。居合いの前に“言わなければならない”とされている――意味なんて、ないと思ってた。精神統一の一環程度なのかと……でも」

「オミナエシに、“言わされていた”のかもしれない?」


百瀬は無言で肯定の意を示す。その術式が無意味な言葉の羅列でないとしたら、見てみる価値は十分にあった。黒沼家に受け継がれる呪文。まるで、「忘れるな」と言っているかのような。

そのまましばし歩を進め、漸く百瀬はある部屋の前で立ち止まった。目的の書斎に辿り着いたらしい。


「ここか」

「そう。……子供が入るのは禁じられてたから、緊張するわ」


襖付きの和室ばかりだった家の中で、そこだけは木の引き戸が着いていた。鍵がかかっていないことを確認し、百瀬がゆっくりと戸をスライドさせる。

しかし部屋の中が見えた瞬間、三人はぎょっと身体を強張らせた。


「――っ、な、」


長い間手入れされていないと一目でわかる、埃を被った本棚。塵の積もった沢山の書物。そして、古いどっしりとした机が部屋の中央に据えられている。その上に行儀悪く腰かけた、人――――ひと、だ。


「誰だ、テメェ……」


低く唸った駿は既に拳銃を構えている。今にも発砲しそうな殺気を向けられたにも関らず、人影はのんびりとこちらを向いた。片手で煙管を支えており、ぷか、と唇から紫煙を吐き出す。


「――ああ、お前様。来たんだね」


その声を聞いて千瀬は瞠目した。どこかで聞き覚えのある――老婆の、声だった。






***






「キョーゴ」


名を呼ばれて振り返れば、腕を組んだ巨漢がこちらを見下ろしている。……近い。ここまで接近されていたことに気付かなかった自分を嗤うように首を竦めてから、青年は片手を上げた。


「何だい、レックス。――エヴィルはどうだった」


数刻前に対面した銀髪の男は、鉄仮面のような平常時とは随分異なる顔をしていた。ピリピリと殺気立って、触れた相手をそれだけで切り裂いてしまいそうなくらい。珍しいものを見たものだと、のんびり恭吾は回想する。


「ゾラが片腕をやられたが、黒髪の嬢ちゃんは無事だった。……あれが、チィの姉ちゃんか」

「うん、良く似てるよね。……そうか、情報屋は怪我したわけ。ざまぁ見ろ」

「もう治ってたがな」


チッと小さく舌打ちした恭吾をレックスが窘めた。


「お前、ゾラのことが嫌いなのか?」

「別に。気に食わないだけだよ」

「そうかい……」

「ま、モモセが無事なら君を送った甲斐があったよ。せっかく連れてきたのに、使う前に殺されちゃ話にならないからね」

「そのことだが、」


くすりと笑う青年の顔を、レックスはずいと覗きこんだ。突然の急接近に恭吾が微かにたじろぐ。


「な、何……近いんだけど」

「キョーゴ。お前、あんまり“アレ”はやるな。俺ァ、お前達みたいな奴のことはわかんねーが……負荷がかかってるんだろう」

「アレって……ああ、アンタを“飛ばした”こと?」


心配げなレックスを余所に、「何だそんなことか」と恭吾は呟いた。

ちょうどエヴィルに会った後の話だ。自分にはやらなければならないことがあったので、エヴィルの暴走を止める余裕はない。そこで、一番効果的な相手を送り込んだ。恭吾がやったのはそれだけである。


「確かに疲れるよ、ちょっとだけね。俺の場合、自分が移動するより別のものを“飛ばす”ほうが大変に感じる。でも、そんなに差はないよ」


恭吾は異能の持ち主である。彼を知るものなら無論そのことも知っているだろう。そして市原恭吾という人間が、“突然現れたり消えたり”することも。

恭吾は空間の転移に秀でていた。謂わば、瞬間移動のようなものだ。一概にそうとは言い切れない様々な制約があるようだが、レックスは知らない。わかっているのは恭吾の場合、己のみでなく、他者の空間転移も可能だということくらいだ。


「だがお前さん……顔色が悪いぞ」

「気のせいだよ」


エヴィルがゾラと一触即発の空気を迎えていた時、恭吾は文字通りレックスを“ぶっ飛ばした”。本来彼がいた場所からエヴィルの部屋まで、無理やりレックスを移動させたのだ。


「ねぇ、アレキサンダー」

「……その呼び方はやめろ」

「何でも良いだろう、呼び名なんて。ねぇ、何を怖がってるんだい?」


今度はレックスがたじろぐ番だった。鋭く細められた青年の目に射抜かれるような心地がして、思わず一歩退きそうになる。

見透かされて、いるのか。悟ってレックスは息を吐く。恭吾は頭の回転が速いし、本当は誰より敏い。空気を読まない言動ばかりするのは単なるポーズだと、男は知っていた。


能力者おまえたちは……、身を削っているように、見える。力を使う度に」

「ま、そうだろうね。能力は無尽蔵じゃない。俺たちだって一応、生物学上はホモ・サピエンスだよ。体力にも限界があるし、寿命だってある」

「そんな壮大な話じゃねーんだが……とにかく最近お前らを見てると、早死にするんじゃないかって気がしてな。命をどんどん使ってるような、そんな気がして」


不安になる。その言葉を何とかレックスは飲み込んだが、相手には伝わったのだろう。はあ、と恭吾は深く息を吐いた。しかしそれはけして、呆れた様な音ではない。


「そんなにすぐ死んだりしないよ。少なくとも世の能力者ってのはさ、自分の力を呼吸に等しいものだと思ってるから」

「……」

「自分の力に耐えきれない奴は、生まれてきてもすぐ死ぬよ。ここまで生き残ってたら普通、平気」

「そういうもんなのか」

「力を使う度に消耗したら、ロヴなんて即死だよ? ルカだってあんなに馬鹿でかいモノを飼ってるけど―――ああ、でも」


ルカの場合は常に、綱渡りだよね。言ってから恭吾はようやく合点がいったらしい。なるほどね、と独りごちた。


「アンタは、ルカがタイトロープから落っこちることを心配してるのか。綱を支えていたロヴがいないから」

「……ルカは、自分から落ちるようなやつじゃねぇ」

「そうだね。でも、自分から綱を切る可能性はあるかもね。他ならぬロヴのためなら――そうだろう?」

「――ああ」


それっきり互いに口を噤んでしまったため、不自然な沈黙が流れる。

レックスの懸念は恭吾にも良くわかっていた。エヴィルが荒れていた理由も大方同様のことなのだろう。彼らには、ルカを放っておけない理由がある。

ルシファー上層の人間は首領に依存している。恭吾ですら、不本意ながらその自覚がある。設立時のメンバーは特にそうだ。彼がいないと、切れてしまう糸がある――それはルシファーにとって唯一の死活問題だった。けれど誰もそれについて触れてこなかったのは、ロヴという男の強さによるところが大きい。

ロヴの持つ“力”は群を抜いていた。誰よりも“型破り”だった。常識を覆す為に存在していた、それ。だから恭吾はオミナエシが何をしようと、ロヴは無事に違いないと――心の中のどこかで、未だに信じている。


「……俺が疲れてるように見えるのなら、それはちょっと調べ物をしてたせいだよ」


沈黙を破ったのは恭吾が先だった。


「調べ物? 何をだ」

「ルカが最近頻繁に会っている、“白い子供”について」

「――っ!?」


さっとレックスの顔色が変わった。それを見て恭吾は一瞬、罠に引っ掛けた獲物を見るように狡猾な笑みを浮かべる。


「どうして、お前さんがそれを」

「はは、って事はレックスは知ってたわけだ」

「!」

「酷いよなぁ、隠しごとなんて。しかもアンタが知ってるのに、俺が知らないなんて。俺、一応上官なのにー」


初期メンバーの贔屓っぷりはやっぱりいただけないよね、と恭吾は笑う。レックスの反応を見てわかった。あの子供について知っているのはロヴと〈ハングマン〉の二人、そして〈マーダラー〉内ではミクのみ。そしてレックスと――――サンドラ、だけだったのだろう。


「……あの研究所に、あんなのがいたなんて。本当にロヴはめちゃくちゃだよ」

「どこまで、知った」

「八割ってとこかな。……言っとくけど、俺一人で辿り着いたわけじゃない」


言いながら恭吾はポケットに手を差し入れ、中から小さく折りたたまれたメモを取り出した。広げて見せれば、レックスの目に見慣れた筆記体で書きつけられた言葉が映る。――ロヴの、字だ。


「暗号化された所在地は、研究所の場所と一致。これはデータバンクの暗証番号。こっちが……」

「ロヴが――? あいつ、何を考えて、」

「消える前に、ヒントだけ俺のところに残していった。好奇心旺盛でいつかアイツを出し抜いてやろうと思ってる俺が、“白い子供”に辿り着くように仕組んで……ま、俺もまんまとロヴの策に乗せられたわけだよ」


トントンとメモを叩いて見せる恭吾は、苦々しげな笑みを浮かべた。


「ロヴはたぶん、俺にこの子の存在を知らせておきたかったんだ。いざとなったら、躊躇なくこの“最終兵器”を使いそうな俺に――」

「……なんで、」

「君たちじゃ、踏み切れないからだろうね。ルカが綱から落ちた時に、さ」


言葉に詰まったレックスは、唇を血が滲むほど強く噛みしめた。そんな大男の様子を見つめる恭吾の表情は読めない。


「アンタ達は誰よりも強くて、冷徹で、優しいよね」

「俺ァ――俺はもう、厭なんだ……!」

「だから、ロヴは俺を選んだんだよ。ねぇこの白い子さ、何て名前なの?」


幼子をあやすような恭吾の声音にいたたまれなくなって、レックスはぎゅっと目を瞑る。もう何も考えたくなかった。ロヴが早く帰ってくれば良い。そうすればきっとまだ、ルカは大丈夫だ。あの子供を研究所から出す必要もないのに、なのに。


「――――オメガ、だ」


その終焉の名前を呟いて、叶わない願いなのだと思い知った。












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