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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第六章《輪廻》
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第六章《輪廻》:鼎の軽重(2)

そこまでだ。

低く、しかし柔らかな声が聞こえた。開かれた扉――蝶番が外れている――を背を屈めながら潜り、入室を果たしたのは巨大な男。

――言いかえれば、エヴィルを止められる可能性のある最後の一人だった。


「レックス……」

「アレキサンダー・ウォール? どうしてここに」


乱入者に毒気を抜かれたエヴィルがゆっくりとゾラの腕を解放した。腫れ上がった手首に舌打ちして、ゾラはそれをポケットに突っ込んで隠す。


「キョーゴに頼まれたんだ。厄介なことになりそうな予感がするから、止めろってな」

「キョーゴ?」


恭吾はルシファーに戻ってすぐ、現状把握をしたいと言って別行動となった。それ以来彼の姿を見ていない千瀬がきょとんとして訪ねれば、ああ、とレックスは笑う。


「酷い顔してる奴がいたって、恭吾にぶっ飛ばされた」

「ぶっ……? なに、殴られたの??」

「“飛ばされた”のさ」

「???」


疑問符をいっぱいに浮かべた千瀬の頭をポンポンと叩いて、レックスはエヴィルに目を向ける。


「どうしたよ、エヴィル。お前らしくないな。キョーゴに心配されるくらいお前さんは、余裕のない顔をしてるぞ」

「……わかって、る」


エヴィルを纏う空気が漸く和らいだのを感じ、千瀬はほっと息を吐いた。幼少期から付き合っているだけあって、流石にレックスは手慣れている。恭吾が彼をここに寄越したことにも納得だ(飛ぶ云々の話は結局はぐらかされたままだった)。


「お前さんがしっかりせにゃ、いざという時に困る。ルカは――」


ふとレックスは遠くに目をやって、そこで言葉を切った。言いあぐねているように何度か口を開きかけ、そこから息だけを吐く。


「――ルカはもう、時間の問題かもしれねぇからなぁ」


漸くレックスの口から落とされた言葉に千瀬は眉を寄せる。どう解釈しても、良い意味には聞こえなかった。


「でもまだロヴは無事だ。お前自身がそれを一番良くわかってるだろ、なぁ、エヴィー」

「……ああ、」


宥めるようにレックスが手を伸ばす。エヴィルは微かに眉根を寄せただけで、後はされるがままになっていた。

レックスと並べば誰もが常よりずっと小さく見える。大きな手で背を撫でられているエヴィルを見て、千瀬はゆるゆると思考を働かせた。


(……ロヴが、いない)


個性的を通り越した、危険物の集まりであるこの一団を統括できる唯一の人物がいない。それがどんなに大きなことかは、空っぽに等しい千瀬の頭にだってわかることだ。

ルシファーの幹部たちはロヴに忠誠を誓い、彼の意志だけに従う。表面上、今のルシファーは裏社会に置いて無敵だ。けれど本当は彼がいないだけで、こんなに脆い。


(あたしたちのボスが。みんなの“絶対”が)


それは崩されることのない不文律だ。ロヴという存在は絶対で、それは千瀬にとっても同じこと。

だがエヴィルやルカ、ミク、そしてレックス――ルシファー創設より前から彼と共に生きた者にとっては、それを越える意味を持っている。依存という名の、絶対。ロヴの存在は、彼らの全てなのだから。


「……ロヴは生きてるし、少なくともまだぴんぴんしている。“あれ”が作動していないから、確かだ」

「そうだな。……エヴィル、お前のせいじゃない」


あいつが居なくなるのはいつものことだろう、レックスが笑って漸くエヴィルは頭が冷えてきたらしい。彼らしい無表情に戻り――戻る前の方が人間味に溢れていて良いのに、とこっそり千瀬は思った――ゆっくりと息を吐く。

そうして思い出したようにゾラを見た。


「……お前、手首は」

「はっ、余計なお世話だよ」


もう治った、言いながらゾラは手をひらひらと振ってみせる。不思議なことに、あれだけ酷かった腫れはもうひいていた。


「そうか――お前に何かあると、ルカがうるさい」

「自分でやったくせによく言うよ。僕は謝らないからな!」

「ああ」

「……でも、」


珍しく弱っている君の面白い顔免じて、ルカには黙っていてあげるよ。

ゾラがくすくすと笑うと、エヴィルの機嫌は一気に急降下したらしい。


「……それこそ余計なお世話、だ」

「はは、」

「ところで、」


レックスがのんびりと、しかし絶妙のタイミングで口をひらいたのは、おそらくエヴィルの気を逸らすためだろう。見事にそれは成功し、二人が大男を仰ぎ見る


「あいつは本当に“オミナエシ”の所に行ったんだろうな?」


これで単にいつもの“放浪”だったら笑えるんだけどな。冗談のように呟くレックスのそれは最後の確認で、同時に願望を孕んでいた。


「……そうなら、どんなに良かったか」


エヴィルがゆっくりと息を吐く。縋りたい気持ちを一緒に吐き出して、青年はすっと表情を引き締めた。


「前後の状況から見ても間違いない」

「そうか。ま、これでひょっこりロヴが帰ってきたら、俺達ァ心配損だもんなぁ。俺、殴っちまうかも」


首領に対しての発言とは到底思えないが、その場にいた誰もがレックスに同意した。

そうであってほしかった。


「……その時は、俺にやらせてくれ」


微かに笑ったエヴィルの頭をレックスは二度、軽く叩く。

ロヴに万が一の事があった場合、最初に影響が出るのはエヴィルだ。そしてルカは、緩やかに破滅へと向かってゆく。

二人の〈ハングマン〉。ロヴに寄り添う二本の柱は、彼無しでは存在意義を失ってしまう。きっともう、事態は転がり始めているのだ。


(俺は、どうすればいい)


けれどレックスには、それを止める術がなかった。

ずっと側で見てきたのに、共に歩んできたのに、いつも絶対的に力が足りなかった。己がたたびとであることを、これほど歯痒く思ったことはない。


(お前なら、どうしただろうなァ……サンドラ、)


今はもういない同朋に問いかけて、レックスはその手のひらを握り締めた。











* * *









ぱちり。

真っ暗闇の中で少女は目を開けた。この場所は恒常的に光を失っているが、辺りを見回すことくらい慣れた瞳には造作もないことだ。


ぎしり。

寝台から身体を起こした少女はひとつ伸びをすると、迷わず扉から外に出た。続く廊下も同じように暗いが、この闇は少女の為のものである。


「……そうか、ロヴが消えたのか」


少女は己の白い髪に指を通し、悪戯に絡めながら独りごちる。

寝汚い自分が自然と目覚めたのだから、何かおかしいと思ったのだ。きっと、近付いてくる“彼女”の気配を眠りの淵で感じ取った為だろう。


「……良いよ、ルカ」


少女はゆっくりと足を進めた。裸足の踵が廊下を微かに擦れば、こぽ、と水音が響く。

こぽ、こぽ………ぽちゃん。少女を取り巻く水音は彼女を追いかけているようであり、或いは少女自身から聞こえるのかもしれなかった。


「その時は、ちゃんと私が働いてやろう……」


それが私の役目だから、と自身は呟く。


「私の母であり、私自身でもあるお前の為に――そうだろう、ルカ」


貴女だけの為に。

そう言って笑う白い少女の瞳は血を湛えたかのような赤だった。

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