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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第六章《輪廻》
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第六章《輪廻》:鼎の軽重(1)

ぽつり、と声が落ちる。


「……ああ、ロヴ、本当にいないんだ」


予定より人数を増やしての帰還。どうやら“学園”が絡むと、事が大きくなる傾向があるらしい。これ以上何もなければ良いのだが――ぼんやりとそんな事を考えていた駿は、隣から聞こえた声にふと意識を浮上させた。


「……なんだ、いきなり」

「いや、ただの感想……なんか、今やっと実感したから」


マジでロヴ、いなくなっちゃったんだな。しみじみとルードが呟くので、どう反応を返すべきか悩んでしまう。

ルシファー本部――というよりは、未だに“日本支部”という感覚だが――に到着後、ゾラは百瀬を連れてどこかへ行ってしまった。それに習うかのように皆が思い思いの行動をとったため、今ここにいるのはルードと駿だけだ。団体行動とは何か、ここの構成員は学ぶべきである。


「急にどうした。まさかゾラが嘘を吐いたと思ってたのか」

「まさか。でも、信じきれなかったのはホント」

「……まぁ何だかんだ言ってアイツ、ひょっこり帰って来そうだもんな」


はは、と二人の少年は声を上げて笑う。首領の破天荒な行動には誰もが慣れっこで、数週間消えることなど日常茶飯事だったからだ。


「……でもさ、この建物に戻ってきてやっとわかった。全然違うんだもん。本当に今回は、マジなんだって。コレは流石に戻ってこないかもって思っちゃうよな、ゾラが慌てるのもわかる」

「建物……? 何か違うか?」


駿はくるりと周囲を見渡した。移転後、ようやく見慣れてきた日本の高級ビル。あくまでも外見のみだが、洋館風だった以前の本部とは違い都心のオフィス街に溶け込んでいる。


「え、全然違うじゃん」

「何が?」

「だから……あー、そっか」


言葉を途切れさせたルードはまじまじと駿を見つめ、それから一人納得した様子を見せた。


「ロヴは何もしてないように見えて……前の本部も此処も、いつもちゃんと“護って”た。建物中にロヴの“気配”があるっていうか……言葉にし辛いんだけど」

「……は?」

「ロヴは本部にいないときも、それだけはやってた。ルカ姉とはまた少し違うけど、外敵を探知するレーダーみたいな力を働かせてた。だからアイツは帰ってくるって、みんな……幹部連中はみんな、わかってたと思う」

「それってロヴの“能力”か? “翻訳”と同じような……」

「たぶん。今はね、それが全く無い。ロヴの力で包まれてたはずのこの建物が、剥き出しになってる」

「……俺には、わかんねーけどな」


ルードは駿を馬鹿にすることも、非難することもなかった。そうみたいだね、と感慨深げに呟く。


「俺にとっては当たり前のことだったんだけど。みんながわかってたわけじゃ無いのかァ」

「少なくとも〈ソルジャー〉はわかってないと思うぜ。……どんな気分だ?」


興味を抱いて駿が尋ねれば、ルードは微かにその表情を歪めた。年上であろうと上司であろうと変わらず、いつも生意気な態度をとる彼らしからぬ顔。驚く駿の前で、少年の口が動く。


「……こわい、よ」

「怖い?」

「うん」


ルードは天井を仰ぎ見た。つられて見上げた駿の目には、規則正しく敷き詰められた天板だけが見える。もしかしたらルードやその他の異能者の目には、何か他のものが映っているのかもしれなかった。


「ロヴの加護にあった本部が生身になってる。まるで身包み剥がされたみたいに寒くて、心許ない。アイツは馬鹿だし、ちゃらんぽらんだし、いつもどっか抜けてるけど……俺達の、ボスなんだ」

「……、」

「ルシファーは、ロヴがいないと駄目なんだ。きっとみんな気付くよ。今は、まだわからなくても」


駿はルードの言葉を反芻しながら窓のほうに目をやった。外ではスーツに身を包んだ構成員が、通常業務を続けている。そこには何の変化も見受けられなかった。


(……下の奴らは、ロヴの不在を知らないのか)


ルシファーは滞りなく機能していた。常からフラフラと出かけることの多い首領であるから、それを欠いた状態でも問題はないのだ。


――だがそれはあくまでも、表面上の話だった。ルードの言う通りだと駿が気付くのは、もう少し後のことになる。








***







――――バンッ!

けたたましい音を立てて壁が悲鳴を上げる。百瀬を見るなり勢い良く伸ばされた手は、彼女の頬をギリギリ掠めて壁を叩いた。遅れてはらりと何本か、切れてしまった黒髪が舞い落ちる。

攻撃を受けたらしい。ルシファー本部に通されて早々の出来事に、百瀬は唖然とした。


「―――誰だ、」


低く低く問う相手の髪はロアルに似た銀色をしているが、どちらかと言えば白にも近い。緩やかなうねりを持つ頭髪の合間から、猛禽類のような金の瞳が覗いていた。


「離れろ、エヴィル」

「………ゾラ?」


エヴィルと呼ばれた青年と壁の間に挟まれ、百瀬は完全に動けなくなっている。青年は見慣れぬ人間を侵入者だと認識し、今にも“排除”しようとしていた。僅かに慌てたゾラが声をかけて初めてその存在に気付いたように、緩慢な動作で顔を上げる。


「この女は……」

「黒沼百瀬だよ、千瀬の姉の。」

「チトセの……?」


百瀬を睨みつけていた三白眼がゆるりと瞬きをくり返して、ふとその鋭さを和らげた。ああ、とエヴィルが細く息を漏らす。


「……似ている、な」

「気付いていなかったのか? 君らしくもない」


返事をしないエヴィルに小さく舌打ちして、ゾラは独りごちる。相当キてるな、と。


「オミナエシを――それからハーキンズの馬鹿野郎を捕まえるために連れて来たんだ。面通ししようと思ったんだけど……やめた方が良さそうだな」


今の君は仲間さえ殺してしまいそうだ。ゾラがそう呟くと同時に、ドアを叩く小さな音が聞こえた。

ゾラさーん、と己を呼ばう声に返事をすれば、遅れていた千瀬が入ってくる。その姿が完全に見える頃には、エヴィルは百瀬から身体を離していた。


「車、ちゃんと頼んできましたよ。デューイ・マクスウェルの直属から好きなだけ使って良いって許可が……何台貰いますか?」


ゾラは少しだけ休んだ後、千瀬と百瀬を連れて黒沼本家に向かうつもりだった。オミナエシかロヴ、どちらと接触するにしろ、相手がこちらに興味を持ってくれるのを待つほかない。黒沼家はキースポットだ。可能性は、僅かながらあった。


「乗用車と護送専用車、どっちが良いって聞かれたんですけど、………?」


ゾラから命じられたお使いをこなした千瀬は、場に流れる妙な空気を察して口を噤んだ。疑問に思って当たりを見回せば、追い詰められたように壁際に立つ姉の姿。その背後、頑丈な壁が僅かに凹んでいるような気がする。


「あの……?」


やれやれ、と首を竦めたゾラに対し、不自然に視線を反らしたのはエヴィルだ。彼がそんな仕草をすることは珍しい――と思うと同時に、千瀬は気付いた。実はとてつもなく危なかったのだ、と。


(姉さんが!)


殺されなくて良かった。エヴィルならやりかねない……笑えないことを考える千瀬は、すっかり感覚が麻痺している。

それと同時に、エヴィルの様子にも違和感を感じた。彼が本気なら百瀬の命など、(たとえゾラがいても)とうに散っていたに違いない。


「……悪かった」


見つめられることに耐えられなかったのか、エヴィルが謝罪を口にしたので千瀬はもっと驚いた。どうやらそれは百瀬にではなく、千瀬宛ての言葉らしいが。

エヴィルは目を伏せて長く息を吐き、背を向ける。そうして部屋に備え付けられたソファーに無言で腰を下ろした。その動作がやけに緩やかで――彼にしては、鈍い。


「エヴィル……寝てないの?」


思ったままを口にすると、エヴィルは驚いたように目を瞬いた。


「俺の身体は……保つんだ、寝なくても」

「ってことは、寝てないんですよね」

「…………。」


返答に困ったように眉を寄せるエヴィルは、いつもより遥かに人間味が増していた――というと妙な心地がするが、実際彼に、いつもの人形めいた冷静さは残っていない。

たとえ眠りを必要としない身体でも(そんなものがあるとは俄かに信じがたいが)、起き続けていれば精神は疲弊し、摩耗する。

学園まではクルーザーで丸一昼夜かかる。実際百瀬とロアルを連れて帰るまでには往復二日、学園内で一日を消費した。ロヴが正確にはいついなくなったのか千瀬はしらないが――エヴィルは三日以上、満足に休みを取っていないのだろう。


「他の幹部連中はどうした」


ゾラに問われ、エヴィルは微かに目を細めた。


「お前からロヴを見失ったという連絡が来て――ミクはずっと外を探している。アイツの気配が残ってないか見てるんだ」

「……僕が見つけられないのに、」

「本人もわかってる。……ジェミニカは下の連中にロヴの不在を気取られないよう、《テトラコマンダー》への指示にあたっている。キョーゴとルードは……、ああ、お前達と一緒だったな」


それじゃあ、と。一向に挙がらない一人の名に、じれたようにゾラは口を開く。


「ルカはどうしてる」

「………ルカ、は」


くしゃり、額に手を当てたエヴィルが己の髪を掴む、その仕草は何かに耐えているようだった。ぐっと力を込めて閉じられた瞳が再び見えた時、千瀬の胸に過ぎったのは、紛れもない“不安”。

あのエヴィルが何故か、寄る辺をなくした子供のように見えたのだ。


「あいつは、冷静だ。怖いくらいに」

「……冗談だろ、」


ひくりとゾラは口角をひきつらせた。それこそ悪夢みたいだと嘲う彼女の意図が、千瀬にはわからない。


「ロヴが消えてすぐに日本を出た。何をしに行ったと思う――?」

「?」

「――“オメガ”に会いに行ったんだ」


聞いた途端、さっとゾラの顔色が変わった。彼女を取り巻く飄々とした雰囲気が一気に収束し、代わりに膨れ上がったのは殺気。


「何だって……?」

「………、」

「エヴィル・ブルータス……お前、止めなかったのか。何も言わずにルカを見送ったのか!?」


ふざけるな!!

激昂したゾラが凄まじい勢いでエヴィルの胸ぐらに手をかける。ぽかんとそれを眺めていた黒沼姉妹は――二人揃ってどこか抜けている――やっと事態の深刻さに気付いて慌てた。


「ち、チトセ……っ、これってまずいんじゃないの? オメガって何?」

「わかんない、ああぁ、待って待ってゾラさん!!」


千瀬が割って入ろうとするも、その圧倒的な空気に近寄ることすら躊躇われる。

エヴィルは己の襟を掴みあげるゾラの掌に視線を落とすと、次の瞬間その手首を鷲掴みにした。ミシミシと骨が音を立て、その痛みにゾラが顔をしかめる。


「このまま腕を潰してやろうか」

「……その前に……っ、僕がその首、吹っ飛ばしてやる!」


不穏きわまりないやり取りに千瀬は眩暈を覚えた。二人とも本気だ。


「俺が――俺が何も思わずにルカを行かせたと、何も感じなかったと、」

「……っ」

「本気でそう思うのか……!」

「エヴィル、駄目!」


ゾラの手首が今にも折られてしまいそうで思わず千瀬は声を上げた。こういう時はどうすれば良いんだっけ? 考えてみても無駄だと言うことはすぐにわかった。エヴィルを止められるのはこの世でロヴかルカぐらいのものだ。

刹那、バン! と激しい音を立てて外から部屋の戸が開かれる。


「……そこまでだ、エヴィー」



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