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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第六章《輪廻》
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第六章《輪廻》:ある姉妹の咎(2)

エレクトラ・コンプレックスを知っているだろうか。まだ幼い女児が自我を持つ過程で、父に強い情を抱き、母に対して嫉妬や憎しみといった感情を向ける――その念はファザー・コンプレックスを遙かに上回るとされている。

この現象は、古代ギリシャの悲劇『エレクトラ』から名付けられた。父を殺した母に対し、その娘と息子が復讐をする物語。


そしてウィルヘルム家は、この『エレクトラ女王』の血を引く一族として語り継がれていた。




 (……ね……ちゃん)




(お姉ちゃん……)





 (………あたしが、……て、あげる)




  ( ころして、あげる )





*


*


*





「お姉ちゃん!」

「!」


うたた寝していたらしい。ぼんやりする頭を一度振ってから身体を起こせば、銀色の瞳と視線がかち合った。

自分に良く似た、水銀を湛えたような眼。そこだけではない、最愛の妹はその容姿全てがロアルに似ている。


「ロザリー……」

「お姉ちゃんが居眠りなんて珍しい……じゃなくて、ママが呼んでるよ」

「そう……何だろう。また村から要請があったのかしら」


憂鬱な面持ちでロアルは呟く。

彼女の家には代々、受け継がれている“役目”があった。その身体に眠る異能を用いて未来を読み、村を正しい方向へ導いてゆく。人々を統括し、村の象徴となるのが一家の仕事だ。

小さな村であるが、ロアルが生活に困ったことはない。村人はロアル達を敬い、頼みもしないのに供物を寄越す。代わりに、頼まれればいつだって村の為に働く――それが暗黙のルールだったからだ。


「“先読み”をするなら鍵を忘れちゃ駄目だよ、お姉ちゃん」

「うん――」

「あーあ、せっかくチェスの相手してもらおうと思ったのに……」

「ふふ、後でね、ローザ」


ぷぅと頬を膨らませた妹は、小脇に黒いチェス盤を抱えている。従来のものより大きなそれは、細部にまで装飾を施された特別品だ。広げれば盤上に魔法陣が彫り込まれているのがわかるし、駒は人骨からできている。端から見れば不気味なことこの上ないだろうが――ウィルヘルム家にとっては馴染みの深いものだった。


「行ってくるわね」


―――ウィルヘルムの娘は魔女、と呼ばれる。

予見の力を強く受け継ぐのが女ばかりだということもあるが、その大半は家そのものに理由があるだろう。

ウィルヘルム家は……否、この村全体が、黒魔術を深く信仰しているのだ。


ロアルも妹も、妖しいタロットやら呪術やらを当たり前のように思って育った。髑髏の飾りもカラスの羽もイモリの死骸も、遊び道具の一つだと思っていた。周りの大人たちが拷問器具に吸わせる血の量と悪魔召喚の関連について熱心に話していたときも、狂かれているとは思わなかった。

後に世界のことを勉強するようになって初めて、ロアルは自分達こそが異端なのだと気付く。


「……嫌だなぁ」


独りごちたロアルは母親の元へ向かいつつ、そっと手首を握りしめた。そこには銀のブレスレットがかかっている。

細い鎖の先についた髑髏の飾りがまるで、世を嘲っているかのよう。


(もし、これが無ければ……)


――このブレスレットは“鍵”だ。特殊な呪術がかけられていて、身につけることによって初めてウィルヘルムの女は予見ができるようになる。ロアルは十六歳の時、正式に予見役を母から引き継ぐ形になった。同時に“鍵”もロアルのものになり、こうして手元に置いている。


(……馬鹿みたい。予言者が居なくなれば、この村は駄目になる)


力が受け継がれるのは家の嫡子だと昔から決まっていた。だからロアルのミドルネームは“エレクトラ”だ。力を持つ子の証。

――かのエレクトラ女王は、父親を失った悲劇を二度と繰り返さぬように異能を身に付けたのだという。“鍵”はその時、弟オレステスの手によって生み出されたのだと聞いたが、審議の確かめようがない。


「……はぁ、」


溜め息を吐く。

自分の身体に流れているらしいエレクトラの血を、ロアルは疎んでいた。未来を見る力なんていらない。


――だって絶望が見えてしまったら、どうすればいい?


ロアルは自分が予見役になって以来、必要最低限の先読みしかしてこなかった。村人に請われるまま、幸せな未来だけを読んだ。

いくつかの道標と、幸せな結末さえ用意されれば人は満足する。不幸せな将来が見えそうになれば、ロアルはそれを拒絶した。

もとより、ウィルヘルムの予見はそこまで精度の高いものではない。見えるのは近い未来で、数年先を見通すことはできないのだ。全ての未来を把握するには、連続的な予見が必要になる――ロアルはそれを、しなかった。


(このままで、いい)


それがこんな結末を呼ぶなんて、


(嫌なものは、見ないの)


その時のロアルは考えもしなかったのだ。










「―――――え?」


今、何て。

捻り出した声は掠れていた。深く皺を刻む、年老いた顔がロアルの目の前に並ぶ。

村の重役達は一歩にじり寄ると、先刻と同じ言葉を放ってよこした。


「儀式を行うのです」

「儀式って……」

「お母様を殺すのです、エレクトラ」


重役の老婆はウィルヘルム家の人間をミドルネームで呼ぶ。

耳慣れたエレクトラという響きが、ぞっとするような冷たさを孕んでいた。


「そんな、儀式は――ずいぶん前に廃れてしまったって、そうなんでしょう?」

「仰る通りです、エレクトラ――だから今宵、再び」


理解できなかった。ロアルをここへ呼んだはずの母親は席を外している。重役との会合はエレクトラ本人だけが参加するしきたりだ。

己の命を刈り取るための談合だなんて、母は思いもしないだろう。


「エレクトラ。あなたの予見は正確だ」

「だが甘いのです、エレクトラ」

「あなたに見えるのは幸福ばかり」

「回避すべき絶望を読む力は、貴女にはない」


四人の重役達が交互にロアルを責める。それは違うのだと叫ぶことは、できなかった。

ロアルが嘘の未来を伝えたことは一度もない。だが、意図的に見なかったものは多くある。それは村に対する裏切りで、大罪だった。


「エレクトラ、貴女の力が弱いのは」

「純血ではないからだ」

「余所者の血が混じったからだ」

「……っ、関係ないわ!」


そこでロアルは漸く反論する。

ロアルとロザリーは、ギリシャの村に生まれながらロシア人の父を持つハーフだ。外から流れ着いた父と母は恋に落ち、結ばれた。

女児が生まれれば異能は受け継がれる。ロアルも問題なく予見の力を身につけていたが、閉鎖的な村の重役にとっては由々しき事態だったのだろう。

ロアルの能力が不足している要因が父の血にあると、老人達は信じて疑わない。


「儀式なんていらないわ……! ママを――先代のエレクトラを殺すなんて、あなた達何を考えてるの」

「構いませぬ。先代は先代、今は貴女がエレクトラだ」

「そんな――」


狂っている。重役達に恐怖を感じ、ロアルは一歩後ろへ後退った。しかしその程度では、老婆の狂気に満ちた目から逃れることは叶わない。


「村のためです、エレクトラ」

「かのエレクトラ女王のように、その手で母親を殺めるのです」

「そして力を完全なものにするのです」

「村を救うのです、エレクトラ」


自分の名ではない、けれど自分の名でもある言葉が次々に空中に吐き出されて弾ける。

エレクトラ、エレクトラ、エレクトラ、エレクトラ、エレクトラ。


「やめて!!!!!」


ロアルは両手で耳を塞いだ。頭がおかしくなりそうだ。

やはりこの村はおかしい。異能に依存して、在るべき姿を見失っているのだ――。


「何を恐れるのですか、エレクトラ」


問い掛ける声のトーンがすっと下がる。同時に空気すらひんやりと凍り始めた気がして、ロアルは(こうべ)を上げた。


「お母様を殺めることが恐ろしいか。では、事前に練習なさい。儀式は成功しなければ困るのです」

「れん、しゅう……?」

「しかし、守りの象徴であるエレクトラが村人を手に掛けたとあっては事だ。ですから――」


何を馬鹿なことを言っているのか。口を開きかけたロアルは、次の瞬間絶句する。


「エルダを殺めなさい」


エルダ。それはロアルの、可愛い妹のミドルネームだ。ロザリー・エルダ・ウィルヘルムを殺せと、目の前の人間は言っている。


ぷつん。

その時ロアルの中で何かが千切れた。激しい音を立てて椅子から立ち上がると、目の前の相手に掴みかかる。


「いい加減にして!」

「エレクトラ!!」

「ふざけないで! 私は、私達は、アンタ達のための道具じゃない!!」

「小娘めが、」


取り押さえろ!

老人が短く叫ぶと同時に扉が開き、会合に使用していた部屋の外から村人達が飛び込んでくる。最初から見張られていたのだと気付いた時には、ロアルの身体は床に組み伏せられていた。

ガチャリ、と嫌な音が聞こえる。頭に銃口が押し当てられていた。


「村の意に逆らう“エレクトラ”はいらぬ。これが死ねば、エルダの能力が開花するだろう」

「……妹に……近寄らないで……っ!」


精一杯睨みつけても、老人達の歪な笑みを崩すことは叶わなかった。

ここで私は死ぬんだ、とロアルは思う。そして今度はロザリーが生贄になる。そんなことは耐えられなかった。


でも、もうどうにもならない。





―――――――――――パァン。









乾いた銃声が響いた時、ロアルの命は失われたはずだった。少なくともロアル自身はそう思っていた。

続けざまに数回の発砲音が聞こえて初めて、何かがおかしいとロアルは思う。


(生きて、る……?)


堅く閉じていた目をゆっくり開けたとき、初めにロアルが見たものは、今にも泣きそうな顔をしたロザリーだった。

小さな手は銀色の拳銃を堅く握りしめ、微かに震えている。


「ロザ、リー……?」

「お姉ちゃん、あたしが、あたしが……っ」


ぽろりと大粒の涙が妹の目から零れ落ちて、滑らかな肌を転がってゆく。

たった一滴の煌めき。ロザリーの涙を見たのは、それが最後だった。


「あたしが、守るから。あたしが代わりに、殺してあげるから」

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