第六章《輪廻》:機械仕掛けの神様(6)
「ロヴが――なんだって?」
放たれた言の葉の意味を飲み込めず、ぽかんと問い返した駿をゾラが睨みつける。
「君の頭は振れば音がするのか? 簡単な情報伝達すらできなくなったのか」
「……っ、だァー! ちげーよ!」
そう言う意味じゃなくて。珍しく苛立っている情報屋を宥めるように、駿は慎重に言葉を選んだ。
「消えた、って。ロヴが行方を眩ませるのはそう珍しい話でもないだろ?」
「……それは君達の中の常識で 、」
くしゃ。もどかしげに額に当てられた手のひらが前髪を握り潰した。ゾラは一つ息を吐いて、それから漸く頭が冷えたらしい。その場にいる全員に理解できるよう解説を始めた。
「いいかい? 僕は一度出会った人間からはけして目を離さない。僕の持つ能力と情報網を駆使して、対象がどこで何をしているか、二十四時間監視している」
そういえばそんな話を聞いたことがある。皆が訝しむ中で千瀬だけは一人頷いた。これはゾラ最大の特徴でもあり、情報屋家業を続ける上で彼女の一番の強みになる部分だ。現に朝霞恒彦の持ち去ったデータを探した際、決め手となったのはゾラの張る網であった。
「どこにいても、何をしてても、僕にはわかるようになってるんだ。今までヤツが行方を眩ました時だって、僕だけは知ってた。僕から逃げられるはずはないんだ、なのに……っ」
「……つまりそれは、」
僅かに逡巡してから口を開いた恭吾の、瞳に剣呑な色が宿る。
「ロヴが君の――ゾラの力が及ばない場所にいるってことかい?」
「……ああ。問題はそんなこと、ハーキンズにはできないって事だよ」
「どういう意味だよ」
駿が口を挟めば、はぁぁぁ、と長い溜息が洩らされた。ゾラと恭吾双方からである。
頭が悪いと言われているようでむっとしつつも、駿はおとなしく続きを請うた。実際のところ、まったく現状を把握できていなかったからだ。それは千瀬やロザリーも同じである。
「……まぁ君達には感覚的にわからない話なのかもしれないね。良いかい、僕は体内にレーダーを持ってるんだ。高性能で、標的の動きを自動追尾する……そういう感じだと思ってもらえれば良い。わかる?」
「……ああ……まぁ、何となく」
「僕が追うのは標的の形や気配じゃない。生命そのものの、エネルギーみたいな……とにかく、生きていれば必ず存在するものがあるんだ。だから標的本人が意図的に消すことはできない。消えたとしたらそれは――」
「ち、ちょっと待ってください!」
悲鳴じみた声を上げたのは千瀬だ。同時に駿もその事に気がついて目を見開く。
「おいおい、そりゃないだろ……ロヴが、し――」
「……死んで、ないよ」
放たれる寸前の言葉をロザリーが遮った。
「ロヴは生きてる。その確証もある。だからキョーゴは、ロヴが“ゾラの力が及ばない範囲”に行ったって思うんでしょう?」
「……確証なんてどこにあるんだ、ローザ」
「馬鹿シュン」
「てめ……っ」
ロザリーはくすりと笑う。どこか自嘲めいたその顔は、かつての幼さを失っているように見えた。
「前に自分で言ったこと忘れたの? あたし達は“シナルの地”にいるの。塔が崩れたら、ただの人間に戻るんだよ」
「――あ、」
バベルの塔。小さく千瀬は呟く。もうずっとずっと昔、その話を自分にしてくれたのは確かに駿だった。
「言葉が、通じなくなる――」
「そう。あたし達が喋れてるって事は、ロヴの“翻訳”が続いてるって事だよね」
「正解だよ、ロザリー」
ゾラが組んだ足を解いて立ち上がる。
「だからハーキンズの野郎は死んでない。僕の能力が届かない場所に行ったと考えるのが妥当だ」
「そんな場所――」
「ない、とは言い切れない。例えば僕のキャパを上回る能力者が、意図的に作った結界の中とか……ね」
恭吾の顔がよりいっそう険しくなる。ねぇ、ゾラ。問いかける声はいつもの彼とは異なり、淡々としていた。
「それが“オミナエシ”の仕業だって言いたいんだね?」
「ああ。僕の力が奴に、邪魔されてるんだ」
ロヴはオミナエシに会いに行ったんだよ。悔しそうに唇を噛んだゾラの発言に、その場にいた全員が、目を見開いた。
「会いに、って……オミナエシの居所を見つけたのか!?」
乗り出すように問いかける駿を一瞥したゾラは、吐き捨てるように答えをよこす。
「僕は、知らない」
「え、」
「ハーキンズから依頼を受けて調べていたのは事実だ。それが日本だと突き止めたのも僕」
「………、」
「でも肝心な所は見つからないままだった。“オミナエシ”は裏社会の伝説なんだ、簡単に見つかってたまるか――――それが、いつの間にかアイツが単独で調べ上げてたみたいだ。僕にも、ルカにさえ教えなかった。そうやってアイツはいつも……!」
ぎしり、と骨の軋む音がした。強く握りしめられたゾラの拳が小刻みに震える。
千瀬はそっと彼女の顔を覗き込んだ。目を伏せ何かに耐えるような表情をしたゾラの、それでも堪えきれなかったものが言葉に乗って零れ落ちてゆく。
「いつだってアイツはそうだ、全部一人で片付けようとする! 同朋に何も語らないで……抱え込んで、隠して、無理をする……だから、僕はアイツが嫌いなんだ……っ」
「……それが、君が長年ルシファーからの勧誘を蹴っている本当の理由かい? ゾラ」
毒気を抜かれたように一瞬だけ、問いかける恭吾の声音が柔らかなものになる。それに我に返ったゾラは逆に険しく眉を寄せた。
「うるさいよ毒針。詮索する余裕があるなら蠍の飼育でもすれば?」
「……その話を蒸し返すのやめてくれマス? 劇薬からは引退して技術は後輩に譲ったの。もういいの。これだから情報屋はねちっこくて嫌だね」
「何――」
「だァァァ! お前らもうやめろ!」
一触即発の空気をどうにか破壊すべく声をあげた駿に、ゾラと恭吾両者の厳しい視線が降りかかった。刹那緊張が走ったが、その空気はやがて和らぐ。
「……っ、とにかく、僕は黒沼百瀬を連れて行くよ。何かしでかす前にハーキンズをとっつかまえる」
「でもオミナエシの居場所はわからないんでしょ?」
「――毒針、いや、キョーゴ。もう君は気付いてるんだろう?」
ゾラの瞳がすっと移動し、百瀬を、次いで千瀬を見据えた。それだけで千瀬の身体は金縛りにあったように動かなくなる。
「“オミナエシ”は“黒沼”を滅ぼすためだけにこの世に現れる。理由なんて知ったことか。その事実があれば十分だ」
「……囮に、する気?」
「ああ。生き延びたその娘を餌にして“オミナエシ”を誘き出す。奴は黒沼百瀬を殺したいだろうからね」
そんな!
小さく叫んだのは横に控えたロアルであった。何も言わない百瀬の手を握り、そんなの酷い、と耐えきれないように声を漏らす。
ロアルと百瀬が並ぶ様は、大きくなったロザリーと千瀬を見ているようで駿は奇妙な気持ちになった。何となく居心地が悪くなって視線を逸らしつつ、駿はゆっくり口を開く。
「……モモセじゃなくて、チトセじゃだめなのか? チトセは戦う術だって持ってるし、囮にするとしてもモモセよりはリスクが少な――」
「ダメだね。“オミナエシ”はチトセへの興味を失っている。……というよりは、放って置いて構わないと思っている」
提案をにべもなく切り捨ててゾラは続けた。
「だってチトセは、放って置いても忘れるだけだから」
「!?」
「チトセ、君、記憶の消去が進んでるだろう?」
どうしてそれを?
千瀬の問いかけは声にならなかったが、ゾラは心得たように笑う。やっぱりね、と呟いたその声は、どこか憐れむような音を孕んでいた。
「これこそが“オミナエシ”の描いた黒沼滅亡のシナリオだ。一族を手に掛けた本人は、最後の一人を殺した瞬間に忘却のスイッチが入る。自分が何をしたか、何者であったのかも忘れて終幕だ」
「…………そんな、ことって」
「消去が始まっているなら、それは君のせいじゃない。黒沼の遺伝子内に“オミナエシ”が組み込んだ仕掛けが、正しく働いたんだよ」
「待ってよゾラ。だったらチトセはもう、家のことも自分のやったことも全部忘れてるはずじゃん」
口を挟んだルードを見て、ふっとゾラは口元を緩めた。
「はは、頭を使えるようになったんだな、ルード」
「………。」
「スイッチは押された。ただし、チトセの場合はまだ不完全なんだ」
「……どういう意味?」
近くに寄ったルードの頭をぽん、と叩くゾラの仕草はどこか優しい。憮然としつつつもそれを受け入れ、ルードが続きを促した。
「これは僕の憶測だけど――チトセは全員を殺したわけじゃない。姉という唯一の生き残りを拠り所に、まだ保っている部分がある。それに、今回は“オミナエシ”のシナリオが根本から狂った箇所があるだろう」
「……剣の伝承権が、移行した……?」
「ああ。本来正しいスイッチは、黒沼百瀬――君に、組み込まれていただろうね」
ゾラが百瀬を見つめる。百瀬も見つめ返す。
「――君が死ねば完璧だ。チトセの忘却も正しく働くだろう。物語は奴にとって理想通りの結末を迎え、リセットされる。“オミナエシ”の存在もまた消えるだろう……次の黒沼が、生まれるまで」
それは黒沼という一族の、完全なる終焉だった。オミナエシという存在が繰り返してきた破壊と再構築。
百瀬と千瀬が生み出した小さな綻びが、魔女のシナリオに狂いを生んだ。
「……行きます」
暫しの沈黙の後、小さく、しかしはっきりと百瀬は告げた。
「私が役に立つのなら、行きます。……私のせいで、色んな人を巻き込んでしまった」
「君のせいってわけじゃない。……ま、協力してくれると助かるよ」
「モモセ……っ」
縋るような目で自分を見つめるロアルに、大丈夫だと百瀬は笑いかける。
ロアルは諦めたように握っていた手を離し、俯いた。しかし次の瞬間彼女の口から吐き出された言葉に、その場にいた全員が度肝を抜かれることになる。
「私も、連れて行ってください」
「ロア!?」
驚愕した百瀬がロアルを凝視する。ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳に、決意の色が浮かんでいた。
「私も行きたいんです。大切な友人が危険な目に遭うのに、ただ見送るなんてできない。それに――」
「ハァ?」
露骨に嫌そうな顔をして、恭吾は冷淡に言い放つ。
「仲良しごっこなら余所でやってくれない? ローザの姉といっても君みたいな凡人、連れて行ったって足手まといなんだよ」
あっけなく切り捨てられて、しかしそれでもロアルは食い下がった。
「違うんです! 戦えないけれど私だって役に立てます、だって―――」
「ダメっ、お姉ちゃん!!」
瞬間ロザリーが飛び出した。姉の身体に抱きついて、何かから守るように腕を回す。
今までロアルに対してよそよそしかったはずの彼女の行動に、どこか引っかかりを覚えたのだろう。微かに眉を寄せ、ゾラがロアルを検分した。
「ロアル・E・ウィルヘルム――“E”は“エレクトラ”。妹にも同じミドルネームがついてるね。君たち姉妹は確か……」
そこで不意にゾラは言葉を詰まらせた。何かに気付いたようにはっと目を見張ると、次の瞬間腕を伸ばしてロアルの頭を鷲掴みにする。
「やめて、ゾラ! お願い!」
妹の懇願も無視して姉の方に意識を集中させる。次にロアルの頭から手を離した時には、ゾラの中に言いようのない可笑しさがこみ上げていた。
――あえて言葉にするなら、“してやられた”だろうか。
「これは――制御装置がついてるのか。……ははッ、うまく隠したもんだね。ロザリー。“鍵”は君か?」
「やめて……」
弱々しい願いは聞こえないふりをする。仕事に情は必要ない。
ゾラはよく似た姉妹を一瞥し、クッと口角を挙げて笑った。
「良いだろう。君も連れて行く」
「お、おい!」
どういう事だと声を荒げる駿を片手で制しながらゾラは思う。
本当に難儀な姉妹だ。二組とも。
「使いどころはあるかもしれない――――ロアルは能力者だ。戦闘ではなく“予見”に特化したタイプの、ね」
やっとここまできました……。
恭吾から技術を譲り受けた後輩=絹華です。一度ゾラに「“毒針”の娘」と呼ばれています。二人の過去については本編ではたぶんやりません……番外とか作れたらいいんですが……。以上、どうでもいい補足でした(笑)