第六章《輪廻》:機械仕掛けの神様(5)
おかしい、と思ったのは一体何時だっただろう。
妹と“学園”で再会した時?
妹がその手で一族を殺めた時?
妹に剣の伝承資格が移行した時?
――――違う。違和感はもっと、もっとずっと昔に。あえて言葉にするなら“最初から”だと、百瀬は思う。
(わたしが、生まれた、その時から)
百瀬は剣が嫌いだった。平和な時代に生まれた以上その技術は伝統を嗜む程度にしか使い道はない。そうわかってはいたが、どうしても好きにはなれなかった。
刀を見ると殺しの道具という印象が浮かんで消えない。刃紋を伝う赤い血の幻影が、どういうわけか見えそうになる。
しかし黒沼の家に生を受けた以上、剣技の習得は必須であった。
男女問わず家の嫡子となる子には、刀を扱う術を。男児の名には“剣”の字を、女児ならば“瀬”を。
そんな奇妙な、由来すらわからない風習に取り憑かれた家が百瀬は苦手だった。
「小さな頃から思っていたんです。うちはおかしい、って」
静かに、しかし滔々と語る百瀬の声に皆耳を傾けていた。一言一句聞き漏らすまいとしているのだろう、誰も口を開く者はいない。
「代々変な習わしを忠実に守り続けていく。誰もそれを疑問に思わない。……見えないレールの上を走らされているような、嫌な感じがずっとしてた」
しかし当時の黒沼家では、異質なのは百瀬の方であった。剣を厭う娘に両親は手を焼いたが、やがては諦めたらしい。変わりに矛先が向いたのが、三つ離れて生まれた妹――千瀬である。
「私が六つの時――当時三歳の誕生日を迎えたばかりのチトセに、剣の伝承権が移行しました」
幸か不幸か、千瀬には才能があった。百瀬より――否、一族の誰よりも、だ。
以来両親の関心は全て千瀬へゆき、百瀬は黒沼という檻から僅かではあるが出ることになった。地方の高校を受けて寮に入ったのは、少しでも家から離れたかったからだ。百瀬を放任していた両親は何も言わなかった。
「うげ……三歳ってお前……」
んなチビの時からやってんのかよ。
思わず呟いた駿に千瀬は首を竦めてみせる。確かにそうだったような気はする。気はするがしかし、今の千瀬には思い出せない話だった。
「私は逃げた。けれどそれは、妹が代わりにレールの上を走り始めただけの事だった。……チトセがルシファーに連れて行かれたあの日、私、思ったんです――ああ、この日が来てしまったんだ、って」
これは罰なのかもしれない。ルカとミクが目の前に現れ“チトセを迎えに来た”と告げた時、百瀬はそう感じたのだった。
幼い頃から抱いていた漠然とした不安が形になる日。妹に己の役目を押し付けた罪。その精算をしなければならない瞬間がいつか必ず来ると、知っていた。
「ああいう事がいつか起きるって、わかっていた気がしたんです」
呟いて百瀬は一度目を伏せる。
恭吾がやんわりと話の続きを促した。
「わかっていた、とは?」
「漠然とそう感じてた、というのもあるんですけど……それだけじゃないの。夢を、見ていたから――」
「夢―――」
恭吾の瞳がふと厳しい色を帯びる。それには気付かず百瀬は続けた。
「小さい頃によく見ていた夢があって……女の人が出てくるんです。ある時は彼女を正面から見ていて、ある時は私が彼女自身だったりする」
「………」
「彼女は決まってこう言うんです。『約束を守って』、『忘れるな』と」
ガタン!!
瞬間響いた音に皆揃って臨戦態勢を取った。が、正体に気付いて脱力する。
「……チトセ、大丈夫?」
よろめいた拍子に帯びていた刀を壁にぶつけたらしい。呆然としている千瀬を気遣ってロザリーが声をかけるが、当の本人には聞こえていないようだった。
「……その、夢……どうして……?」
千瀬が今までに見た夢の内容を知っているルードと駿も険しい表情になる。
妹の問いには答えず、一呼吸おいてから百瀬は再び口を開いた。
「――夢を見ると最後に残るのは必ず、強い憎しみの念だった。約束を守れ、忘れるな。そう言われる度に私は、刀を握るのが怖くなったんです。まるであの憎しみに、誰かを殺せと言われている気がして」
「その夢は、今も?」
「いいえ。――夢は、チトセが剣を始めると同時にぱったり見なくなりました。正直言えばそんな夢を見たこと、忘れてしまっていた……思い出したのはついこの前です」
「この前?」
「チトセが……この島へやって来て。私の目の前で刀を抜いて――――“黒縄”を忘れてる、って気付いたとき」
はっと駿が息を飲んだ。
黒縄は千瀬が習得していた居合いの技名である。オリビアと戦闘になったあの時ルシファー勢が生き残ったのは、あれがあったからだと言っても過言ではない。
「“黒縄”は黒沼の剣士であれば必ず習得する奥義です。嫡子じゃなくてもその名ぐらいは知っている。千瀬が忘れているはずなんてなかった。おかしい、って思って、そして――昔見た夢を、思い出して」
『忘れまいぞ、黒沼』
『この怨み、必ず』
『―――忘れまいぞ、黒縄』
時代がかった口調で恨み言を叫ぶ女の、恐ろしいまでの声が百瀬の脳裏に蘇った。
夢の女が呪詛を吐いた相手、それが“黒縄”だ。そしてその黒縄と言う名が付けられた奥義を伝え続ける黒沼の一族。気味の悪い合致に百瀬は戦慄した。
夢を見ていた当時、百瀬はまだ五つかそこらの年齢である。剣の鍛錬から逃げていた彼女はまだ、黒縄という技の存在を知らなかったはずなのに。
「夢の中でその女性は、黒縄という名の相手を呪っていたんです。それを思い出して――」
「偶然にしては出来過ぎているね」
「はい。だから私、あの後――チトセ達がルシファーへ帰った後、自分の記憶を整理してみたんです。うちの一族について、よく思い出してみようと……そしたら、気味の悪いことに気が付いてしまって」
これを見てもらえますか?
事前に用意したらしい、何かが書き付けてあるノートの切れ端を百瀬は取り出した。
準備が良いね、と感心したように恭吾が言う。
「あなた達が来たって聞いて……授業中にこっそり書いたんです」
誰かに見てもらいたくて。
ほんの少しだけ笑う余裕ができたらしい百瀬は、静かにそれを恭吾に手渡す。暫しそれを無言で眺めていた彼は、不意にクッと喉を鳴らした。
「――イチハラ?」
「くく、これは傑作だ……見てごらん」
皆に見えるよう紙を裏返した恭吾の顔は、その笑い声とは裏腹にどこか険しい。
促されるままにそれを覗き込んだ駿も、千瀬も、次の瞬間には言葉を失った。
「これは……」
そこにあったのは黒沼家の簡略な家系図であった。
曾祖父の代から始まり千瀬までで終わっている中央の流れが宗家。そしてそれを取り囲むように数人分、分家の流れが描かれている――そこまでは、傍目にも普通の家系図であると言えた。問題はその後である。
「……ずいぶんと濃い血だな」
言い辛そうに呟いたのは駿であった。まずこの家系図で目に付くのは、配偶者同士の関連だったからだ。
――黒沼家の婚姻は殆どが身内同士で行われていたのである。無論全くの他人を配偶者に選んだ者もいるが、それは決まって分家の人間だった。宗家本流の者――つまり嫡子の配偶者は必ず、同一族の中から選ばれている。
「……私とチトセの両親は従兄弟同士でした。祖父母もそうです」
「黒沼は親族交配を意図的にやってたわけだ?」
「はい。……現に私には、許婚として定められた再従兄弟がいました」
え!?
姉の告白に驚いた千瀬が素っ頓狂な声を上げる。
(はとこ……って、どんな人だっけ……)
思い出すことはできなかった。おそらくはその姉の婚約者も、千瀬はその手に掛けている筈なのに。
「ただ、宗家は家をチトセに継がせることにしましたから……チトセにもそれなりの相手をと、分家の子供から候補を探していたはずです」
……ここで駿が物言いたげな視線を向けてきたが、千瀬は全力をもって気付かないフリをした。
「それから、もう一つ気になるのは……」
「ああ。この数字だね?」
恭吾が指差したのは、家系図の所々に記入された数字であった。たいてい女性の名の下に書かれているそれはしかし、千瀬と百瀬の名の所には存在していない。
「母や祖母、従兄弟達の年齢を逆算して出しました。それは――――黒沼の女性が子を産んだ時の年齢です」
「!?」
その場の空気が凍り付いた。言われてから意識してみると、その異常さに背筋の冷える心地がする。
――書いてある数字は、全て「16」。
黒沼家の女性は十六歳なると婚姻して子を孕み、一様に出産を迎えていたのだった。
十六歳、しかしそれは百瀬と――ルシファーで三年を過ごした千瀬ですら、越えてしまった年齢だ。
「……きもち、わるい」
確かに若い母親だった、気がする。思い返せば祖父母もまだ老いるには早く、曾祖父も健在だった。靄のかかった記憶を辿って、千瀬はその異質さに恐怖する。
(これは、何?)
早いサイクルで次世代を生み出し、呪われた血を受け継がせ、決められたシナリオの通りに生きてゆく一族。
百瀬の書いた家系図には不気味に思えるほど整然と、「剣」そして「瀬」の入った名が並ぶ。そこに何かの意図を感じない方がおかしい。
「……チトセ、」
そっと肩に乗せられたロザリーの手を感じながら千瀬は思考した。
黒沼をこうさせたのは一体何なのか。
このシナリオを書き上げたのは、誰?
(それが、“オミナエシ”――?)
まさか、と思う。こんな事が出来る者が、この世に存在するのだろうか?
混乱の渦に飲み込まれそうになった千瀬の耳に、しかし次の瞬間、澄んだ声が届いた。
「デウス・エクス・マキナ」
それは今まで沈黙していたロアルのもの。皆一様に顔を上げ、その耳慣れぬ言葉の真意を問う。
「何――?」
「ギリシャの古代劇です。機械仕掛けの神、と訳します」
かの劇では、収集のつかなくなった悲劇のシナリオを物語の最後に現れた「神」が無理矢理な解決を見せる。その不自然すぎる結末に、人々は言いようのないわだかまりを心に抱いた。
「劇中では機械仕掛けに乗って突然神様が現れる……だから、そう呼ぶんだそうです」
不自然な結末を強引に与え、シナリオを完成させる絶対の神。ロアルの言わんとしていることは千瀬にも、何となくではあるが理解できた。
「そういう気味の悪さを、感じますね。この家系図の裏にいる絶対的な存在……」
「成る程ね。ただし“オミナエシ”は神ではないし、狂った劇を収拾させるわけじゃなく作り出した“作者”の側だ。ヤツの書くシナリオは完璧で――」
カチリ、と小さな音がした。
はっと言葉を区切った恭吾が袖口から拳銃を滑り出させてドアを向く。内鍵を掛けたはずのそこが、外側から開錠したのだ。
次の瞬間銃口を向けたドアが勢い良く蹴破られ、ブーツに包まれた一本の足が覗いた。
「――誰だ」
「まァ落ち着きなよ“毒針”――あぁ、今はキョーゴって呼ぶべきなのかな」
鋭く訪ねた恭吾は、しかしすぐに乱入者の正体に気付いたらしい。
褐色の肌と黒い瞳を持つその人物は、色素の薄い髪を無造作に掻き上げた。
「キュースシェリング……何でアンタが」
「ぞ、ゾラさん!」
千瀬もその人物に気付いて驚愕する。つくづく神出鬼没の御仁だ。
情報屋・ゾラはどこか固い表情のまま部屋へ入ってくると、ぐるりと辺りを見渡した。その視線が百瀬を見据えてピタリと止まる。
「残念だけど悠長に喋ってる暇はないから、僕は僕の仕事をさせてもらう。――黒沼百瀬、学園を出て僕と一緒に来てほしい」
「「「はぁッ!?」」」
その場にいた全員があまりの展開について行けず、目を白黒させた。いち早く立ち直った恭吾が抗議の声を上げる。
「いきなり何を言い出すんだ!? ルシファーが隔離してる人間をいくらアンタだからって、一介の情報屋が連れ出していいわけ―――」
「黙れ!」
鬼気迫るゾラの様子に千瀬は息を飲んだ。こんなに余裕のない彼女を、未だかつて見たことがあっただろうか?
「キョーゴ。君はそこの彼らを連れて本部に戻れ。今すぐ、だ」
「何言って……」
「僕が言わなくてもじきに強制帰還の命令が出るだろう」
ゾラの瞳がギラついて、それを目の当たりにしてしまった千瀬は思わず足が竦んだ。眉をしかめたまま黙り込む恭吾に代わってルードが問う。
「……ただ事じゃないみたいだけど。何があったわけ? ねぇ、ゾラ」
ゾラは一度だけ固く拳を握りしめた。苛立ちを押し隠し、彼女は告げる。
「――ロヴ・ハーキンズが消えた」