第六章《輪廻》:いつかの影法師(3)
「……何なんだ?」
隠れ家へ帰還するなり与えられた部屋に籠もってしまった千瀬を見て、駿はただ首を傾げる。疲れただけかとも思ったが、どうにも様子がおかしい気がした。
原因は少女の出会ったという、謎の老婆。駿自身はその姿を見ていないが、何やら意味深なことを言われてそれを気にしているのでは、というのが絹華談である。
(いや、それよりもっと前か――、)
しかし駿は千瀬の様子が、今日より以前から僅かな異変を見せていることに気が付いていた。何か悩みがあるのだろうか。本人が話したくないならばそれで良いと、思っていたのだけれど。
(そういや、したい事があるとか言ってたな……関係あんのか?)
今現在のEPPCは、所謂待機という名の休暇状態である。ロヴからの指令が来るまではとくにやることもない。
当のロヴは個人的な行動を続けていて、しばらく姿を見ていなかった。噂によれば頻繁にゾラの元を訪ねているらしい。
うーん、と駿が唸ったところで、その気持ちを代弁するかのような声が聞こえた。
「暇だね〜」
「……ローザ、」
「ルカもミクも遊んでくんないし、仕事はないし……」
ルカ達幹部勢は、前の仕事の後始末をするために交代で本部を空けていた。例の“悪魔のデータ”は無事保管場所となっていた少女の体内から摘出され、今度はそれを破棄するために動いているらしい。
「チトセは?」
「引きこもってる」
「……具合でも悪いの?」
「いや……」
銀色の睫毛に縁取られた丸い瞳が真っ直ぐ駿を見つめ、何があったのかと問いかける。
駿は首を竦め、自分にもよくわからないのだと言うことをアピールした。
「チトセー? 開けるよー?」
そのまま二人は千瀬の籠城する部屋の前に立つ。この新しい本部ではEPPCは全員で一つの大部屋を使うのではなく数名ずつの個室になっていて、千瀬はロザリーと同室だ。本来ならば相手を閉め出すことなどあってはならないのだが、
「……あいつ、鍵かけやがった」
僅かにドアノブが回ったきり、ぴくりともしない扉に駿は溜息を吐いた。銃やナイフで鍵を壊すこともできるが、移住早々で新居を傷つけることは本意ではない。
「どーすっかな……」
「合い鍵って誰が持ってるんだっけ」
「ロヴだろ。つーかそこまでして無理矢理開けるよりは出てくるのを待った方がいいんじゃね?」
それは確かにそうなんだけど。渋々ロザリーが頷いたその時、不意に第三者の声が響いた。
「俺が開けてやろっか?」
「――――ルード」
いつの間に現れたのだろうか。背後に立つ少年の名を呼んだ駿は、なるほどコイツならば、と考える。
このルード・エンデバーは駿ら〈ソルジャー〉より一つ上の階級に位置する〈マーダラー〉に所属している、すなわち“人ならざる能力”の持ち主だ。言うなれば超能力、のようなもの。
「ほら」
二人の返答も聞かずルードは一歩前に出ると、堅く閉ざされた扉の鍵に手をかざす。次の瞬間、カチリ、と解錠を知らせる音が聞こえた。
――瞬間、ドアが内側から勢いよく開く。
「うわッ」
「あ、ごめん」
「馬鹿、急に開けんな!」
ルードが鍵を開けると同時にドアに手をかけていたらしい千瀬が、半ば転がるように部屋の外に現れた。どうやら出てくる気ではいたらしい。
「ちょうど今開けるつもりだったのに……」
「ばーか、遅ェんだよ。……で?」
悩みは解決したのか?
瞳に強い意志を宿している少女に、駿はゆっくりと問いかけた。どうやら千瀬は僅かな時間で調子を取り戻したらしい。
「解決するために、色々やろうと思うの。……話、聞いてくれる?」
そうこなくっちゃ。答えた声は三つ、綺麗に重なった。
* * *
四人はひとまず部屋の中に入ることにした。二人部屋故に二つしかないベッドに、千瀬とロザリー、駿とルードにそれぞれ分かれて座る。
何か飲むかと問われて、駿は首を横に振った。これから始まるのは悠長にお茶していられるほど気楽な話題ではないと、どこかでわかっていたからだ。
「……じゃあ、話すけど。笑わないでね」
「笑うような話なの?」
可笑しそうにロザリーが言う。千瀬は曖昧な返事をしてから一つ息を吸い込み、ゆっくりと口を開いた。
「……まずみんなに、聞きたいことがあって」
「うん」
「えっと……その……みんなは、自分がどうしてルシファーにいるのかちゃんとわかってる?」
どうしてって?
問われた三人は首を傾げる。肝心なところで口べたな千瀬の話は、要点がいまいちわかり辛かった。
「……ルシファーから迎えがきたからだろ?」
「ルカが“スカウト”して」
「なんだって、“分別ある殺人者”……だっけ?」
「あぁそれ。それに、俺たちが選ばれたからだろ」
口々に語る三人を、千瀬は瞬きもせず見つめている。
「じゃあ、みんなは“スカウト”される前のことは覚えてる?」
「は?」
「自分がどうして……なにをやって、ルシファーに来ることになったか。そのきっかけの行動を覚えてる?」
そりゃあ……答えようとして駿は口ごもる。あまり言いたくはなかった。
しかし少年は、自分の犯した罪を確かに覚えてる。というより、ずっとそれを背負ってきたのだから当たり前だ。
兄を殺して妹の手を引き、逃げ回った東京の街。良い思い出はない。
「もちろん、覚えてるよ。あたしの場合はそれでお姉ちゃんも学園に行くことになったわけだし」
「俺はきっかけってゆーか……前はなしたと思うけど、スラムで毎日悪さばっかしてたから」
ロザリーとルードが口々に答えるのに、千瀬は小さく頷いた。少女が何を思ったのかはこの時誰もわからなかったが、彼女の次の言葉に三者同時に顔を曇らせる。
「じゃあ、わざと忘れるようにしたりとか……ミクが、入隊した〈ソルジャー〉の記憶をいじることってあるのかな?」
「え?」
「――――おい、ちょっと待て」
どういうことだ?
雲行きが怪しくなってきたのを誰しもが感じ取っていた。問い詰められて千瀬は、真剣な顔を浮かべる。
「――あのね。あたしは、覚えてない」
薄く開いた唇から零れた言葉に、駿は目を見開いた。どういうことだ、と馬鹿のようにまた繰り返してしまう。
「あたし、どうしてルシファーに来たのかわからない。ずっと変だって思ってたけど、気にしないようにしてた」
「待てよ確かお前は、両親一族みんな……」
「うん、そうなんだけど。そのはずなんだけど……」
もともと、肉親を手に掛けたその瞬間の記憶がなかったのだと千瀬はいう。どうして殺してしまったのか、わからないのだと。
「それが最近、気付いたら他のことも良くわからなくなってて。ルカが迎えにきた時のことも、断片的にしか覚えてない。昔住んでいたあの家でどんな暮らしをしてたのか、殆ど思い出せなくて……それどころか、」
両親の顔が全く思い出せなくなっていた。それに気づいてぞっとした、と千瀬は呟いた。
「はっきり思い出せる、一番古い記憶は?」
「……初めて駿と会って、自己紹介したあたりかな。あとは昔、月葉さんと一緒に過ごした思い出が少し」
(………おいおい、)
笑い事じゃない、と駿は独りごちた。ロザリーとルードもすっかり深刻な顔をしている。
その中で本人だけが――悩み、そして開き直ったのであろう千瀬だけが、真っ直ぐな目をしていた。
「ミクを疑う気なんて最初からないよ。あたしの頭をいじるメリットなんてないもん――だからあたしは、変なのはあたし自信なんだと思う」
だから確かめたいと、笑って少女は。