第六章《輪廻》:いつかの影法師(1)
『……で、ルカの奴は碌にその場の収拾もせずいなくなったと』
通信機器の向こう側から電波に乗って、苦笑するような声が聞こえる。
『お前んトコだけじゃなかったみたいだぜ。うちはジェミニカとイチハラが“引き抜き”の為に視察に来た』
まぁお前等のトコは担当がルカってあたり運悪いけどな。駿がしみじみ言うのに千瀬は同意を示す。
あのあと――ルカがその正体を明かした後、現場は一時騒然とした。言いたいことだけ伝え終えるとさっさと行方を眩ました彼女に代わり、質問責めにあったのは千瀬達だ。
「ロヴも酷いよね。いきなり本部の移転を発表したかと思えば、日本へ行くのは一部だけだなんて……いつも知らされるのは後からだし。テキトーって感じ」
『違いねえ。いつものことだと思えばそれまでだけどな』
全ての頂点に君臨する男の愚痴を零すという行為に、最近はすっかり慣れてしまった。来たばかりの頃はどんなに周りから言われても、畏れ多くて口にはできなかったのだが――思い返して千瀬はひっそりと笑う。時間の流れを受け感じるのはこういう時だけだ。
『何笑ってんだよ?』
「いや、何も……それにしてもロヴは、日本で何をするのかな」
返ってきたのはわずかな沈黙だった。駿も同じコト考えていたのだろう。ルシファーの中ではかなり高い位置付けである自分達すら知らされていない、今回の移動目的。その先が日本――祖国であるということは尚更、千瀬たちの興味を引いた。
『……これはまだ噂でしかないんだけど』
しばしの沈黙の後、駿が言う。
『ロヴがあの情報屋に――ゾラに依頼してたのは人捜しだって話だ。イチハラもそんな事言ってたからそこに間違いはないんだろうな』
「ひと?」
人捜し、と聞いて千瀬が思い浮かべたのはあの、“悪魔のデータ”を持ち去った朝霞恒彦という男であった。その行方については確かにゾラが探していたし、千瀬自身も仕事を見届けている。
しかしかの男についてはもう、あの孤島の学園で全て片が付いたはずだった。男の血縁に当たる三人の少女とデータの行方、それを狙っていたオリビアという一団のことは記憶に新しい。
「それって“アサカツネヒコ”とはまた別に?」
『ああ。なんでもルシファー設立当初からロヴが個人的に探し続けてきたとか何とか……』
「それが見つかったってこと?」
『そうなんじゃないか、って噂』
なんでも探し人については完全なロヴの独断で、ルカやミク、エヴィルといった初期メンバーですらなぜ“その人物”を彼が探しているのかは知らされていないらしい。
『まぁ噂が本当だとしたら、相当力を入れてるんだろうな。なんつったって本部丸ごと移動だ』
「人数も絞って規模も縮小して……その人を捜すために」
『犯罪シンジケートらしい“仕事”もしばらくは休止みたいだな。これ以上利益上げても意味ないんだろうけど……取引も会社潰しも抗争もナシだ。俺達の出番ないんじゃね?』
不服そうに言う駿に千瀬は笑って、無線機を反対側に持ち替えた。どこからかロザリーが自分を呼ぶ声がする。
「暇になったら久しぶりに日本の街を見て回ればいいじゃない。あたしちょっとやりたいこともあるし、時間が貰えるのは嬉しい」
『ばっか、指名手配されてるんだっつの。……やりたいこと?』
「じゃあロザリーが呼んでるから、またね」
『あ、おいチト……』
プツ、と接続を断った音がして少年の声が聞こえなくなる。無線機の向こうで駿が怒りの声を上げたのが見える気がして、千瀬はくすくすと笑った。
「チトセ、撤収だよー!」
帰ろ、言いながらひょっこり顔を覗かせたロザリーに笑いかけ、千瀬はその場を後にする。
***
それから二週間が経った頃には、世界各国に散り散りになっていたEPPC達が各々の仕事を一通り終えて本部へ帰還した。そこから荷造り、情報供与、人選選抜、その他様々な事柄の最終確認を経てついにルシファー総本部が日本へと移転したのは、一ヶ月と半月後のことである。
総本部の移行に伴い日本へやってきたのは首領ロヴ・ハーキンズとEPPCに所属する全員、《テトラコマンダー》から七見月葉を含む二人と、その直属の部下が十数名。その中にはデューイ・マクスウェルやジャッカ・ロッソを始めとした、先日千瀬が顔を合わせた人間が何人か含まれていた。
実力だけを見ればそうそうたるメンバーが日本に集結したことになる。兵士のいなくなった旧ルシファー本館――今まで千瀬達が暮らしていた建物だ――は、オミ以外の“メシア”がその番をするらしい(“エージェント・メシア”はルカ直属の諜報部隊である。複数の子供たちからなる救世主代理人……その存在を千瀬は先日知った)。
しかし結局、そうまでして本部移転をする理由はロヴ以外誰も知らないままだった。
「チトセ、準備できたか?」
「もうちょっと!」
ばたばたと荷物を詰めながら千瀬は声を上げる。その背後には駿とハル、そして絹華が立っていた。
「刀は置いてけよ。銃刀法違反で捕まる」
「俺のナイフ貸してやろっか?」
ハルから差し出されたナイフをありがたく受け取って鞄に詰める。これから千瀬はこの少し異色な組み合わせで、日本を見て回ることになっていた。
本部移行後すぐさま暇になってしまった子供たちを見て、外に出てはどうだと言ったのはロヴだ。ミクは反対したが、自分の暮らしていた町から出たことがなかった千瀬の希望もあり。
「いいか、目立つことはしない。マジで緊急な時以外は発砲も刀傷沙汰も禁止だからな」
「はーい」
「わかりました」
「お前心配性だな、シュン」
「うるせェよ。じゃあ行くかァ」
日本人ならばすんなり人波に紛れ込むことができるだろう。
行きたいと食い下がったルードやどうしても人目を引くロザリーの変わりにハルと、学園での任務終了後ルシファーに帰還した絹華を連れて。
(………なにか、わかるかな)
一人誰にも悟られぬ決意を胸に秘めた千瀬は、駿の背を追いかけながら日本の地を、“表の世界”を踏みしめたのだった。