第六章《輪廻》:インソムニア!(2)
「チーフ、七見女史から連絡が」
「あ? わかった」
差し出された電話――といっても通信傍受を避けた特別製だ――を受け取りながら、デューイは声の主に目をやった。噂のルイーズである。
「サンキュ。あぁルイーズ、」
「例の書類ならジャッカさんに」
「そうか。昨日の、」
「頼まれていたものなら手配済みですよ」
言葉を尽く先読みされてデューイは小さく唸る。良く気の回る女だ。仕事も早く、その手腕もかなりのものだと聞く。ルシファーは実力主義なので、この若さでここまで来たのも頷けるだろう。
ルイーズと同じようにその能力の高さから今日の地位にいたったデューイである。その点は身を持って理解しているので、何一つ異論はない。ないのだが。
「……なまじっか顔が良いのがいけねぇな」
「何か?」
「いーや何でも」
小さく呟いた言葉は聞こえなかったようで、ルイーズは首を傾げただけだった。悪いのは彼女ではない。仕事に支障をきたすほど女に飢えた――というのは生々しすぎるが、とにかく薄弱な精神を持った彼の部下たちである。
「はい、電話かわりましたマクスウェルっす。IDはK62の592477……」
「例のEPPCの出迎え準備しときますね、チーフ」
電話を耳に当てた彼の背後からルイーズが声をかけた。それに片手をあげて答えると、デューイはそのまま上司との会話に専念する。
「……楽しみ」
だからそう言ってルイーズが笑ったのを、彼は知らない。
*
スモークガラスに覆われたいかつい護送車から降り立った二人の少女は、ごく少人数によるささやかな出迎えを受けた。
黒いスーツに身を包んだ青年を見つけて、千瀬は顔を綻ばせる。
「デューイ!」
名を呼ばれた彼は少しだけはにかんで、次に恭しく礼をしてみせた。
「またお会いできて光栄です。……久しぶりっすね、チトセちゃん!」
一息にテンションの上がったデューイに千瀬は苦笑する。変わらないものだ。千瀬は彼の気安い人懐っこさが好きだった。以前の単独任務では、その性格にずいぶん救われたことを覚えている。
「ジャッカさんも。お久しぶりです」
「覚えておいでですか。これは嬉しい」
デューイの横に黙って控えていた年配の男もまた、千瀬を見て柔らかく笑った。
ジャッカ・ロッソ――彼もまた以前千瀬と仕事を共にこなした人物である。仕事熱心な芯の強い男で、デューイの軽率な、と言うよりは気安い発言を咎めるのはいつも彼だった。デューイから言わせれば頭の堅いのが玉に瑕、ということになる。
「一年半ぶり……いや、もっとですかな」
「そんなになりますか?」
ジャッカの言葉に千瀬は目を丸くした。時間の流れる感覚を忘れて久しいが、あれからもうそんなに経つらしい。どおりでこの刀も馴染むわけだ、少女はそっと腰のものに手をやる。
「そちらは?」
「あ、紹介が遅れました、今回の私のパートナーです。ローザ、」
思い出に浸っていた千瀬は問われてやっと、ロザリーが彼らと初対面であることを思い出した。
黙って様子を伺っていたロザリーはそこでようやく一歩前に出る。
「ロザリーです。ロザリー・エレクトラ・ウィルヘルム。よろしく」
笑顔で手を差し出せば、ぽかんとしていたデューイが慌てて握手に応じた。ジャッカもまた目を瞬かせている。
「え、えぇと、七見女史直下の《ポート》K代表、デューイ・マクスウェルです。よろしくお願いします」
「同じく代表補佐のジャッカ・ロッソです。お世話になります」
二人と順に握手して、良い人そうね、とロザリーは笑った。デューイは人生で二人目に接触した〈ソルジャー〉を落ち着かなさそうに見つめて呟く。
「いやぁ、驚いた。EPPCってチトセちゃんだけじゃなくて、みんなこんなに若いんスかね?」
今ここに出迎えに来ているのは、ジャッカと自分以外は一般警備員である。部下は未だ来ていない――――考えて、デューイは決意した。
部下に会わせるのやめとこう。本当に、仕事本番の寸前までは。
「じゃあ、宿泊先まで案内しますんで。ウチの空き部屋じゃ狭いんで、別に用意させてもらいました」
「え、わざわざ?」
「七見女史のお達しっスよ、チトセちゃん達には快適な環境を〜って。俺たちにそのお情けの五分の一でもくれりゃあ……って、ナシ。今のナシ!」
聞かなかったことにしてください、とデューイはおどけた仕草で手の平を合わせた。それに少女達はくすくすと笑う。
まるで緊張感のないこの場の空気は心地よく、しかし奇妙でもあった。
「じゃあ、逗留先のホテルまでお送りしますんで。行きながら仕事の詳細も確認しましょう」
超高級ホテルの最上階、その景色と部屋の豪華さにはしゃぐ少女二人を残してデューイとジャッカは仕事場に戻った。二人にはSPを付けてあるが、おそらく必要はないだろう。
仕事は明日。朝になったらまた迎えに行くと伝えてある。
「……チトセちゃん、いくつになりますかね」
帰路に着く車の中、葉巻をふかす横顔にデューイは問い掛けた。ジャッカは薄く窓を開けて煙を追い出し、目でその行方を追う。
「前の仕事の時に十四だっただろう。誕生月は知らないが、十五か……早ければ十六か」
「普通ならまだスクールに通ってますよね。ロザリーちゃんも似たようなもんかなァ」
信じられんな、とジャッカが呟いた。まだ子供だ。デューイも黙って頷く。
「楽しそうでしたけどね、ホテルも気に入ってもらえたみたいだし、夜はトランプやるんだって、はは、」
笑った自分の声が思いの外乾いていて、デューイはぞっとした。隣の席で何もいわないジャッカも気付いただろう。
この一年半、デューイはめざましいスピードで出世した。仕事の功績と人事異動のタイミングとが奇跡のようにうまく重なった結果だ。ジャッカもまたその恩恵を受けた一人であった。
《テトラコマンダー》である七見月葉の直属、しかも本人と直に話をできるような立場にまで足を踏み入れれば、見えなかったものが見えるようになってくる。例えばそれは上層部にしか知らされていない組織の秘密であったり、憧れの存在でしかなかった戦闘部隊の詳細であったりする。
「前までの俺は、何にも知らなかったんスよね。EPPCを無敵のヒーローみたいに思ってた。ガキみたいに」
「……今は違うのか」
「あ、いや、憧れに変わりはねーですよ? 裏で生きていく限り力は絶対だし、EPPCはルシファーの頂点だ。尊敬してるし、一緒に仕事ができて誇りに思う」
でも、一方的に崇拝して祭り上げて……そういうのじゃねーんです。そんな、簡単なものじゃなかったんスよね。
デューイの言葉をジャッカは無言で肯定した。
「EPPCが出動するってことは、ひとを殺すってことだ」
「あんな子供でも、背負うのさ」
裏で生きていく人間が必ず抱えてゆく、憎悪や怨嗟の念を。あんなに綺麗に、無垢に見えるのに。
「末恐ろしいもんです」
「……そうだな」
「どうしてあの子らは、EPPCにいるんですかね」
ジャッカが答える前に車は仕事場近くの路地裏へ滑り込んで停車した。商売敵に尾行されていると面倒なので、建物まではここから徒歩である。
「お帰りなさい。EPPCの戦闘員、ちゃんと着きましたか?」
車を回収するために待ちかえていたルイーズが出迎えて問う。
デューイは車のキーを渡して、細い首を傾げている彼女に笑いかけた。
「おう。……お前と気が合いそうだよ」
若い女同士、集まれば賑やかになりそうだ。そうですかと彼女は笑って車に乗り込む。車庫はまた別の場所なので移動せねばならないのだ。
「じゃあ行ってきます」
「頼むわァ」
去りゆく黒塗りの車にデューイはひらひらと手を振った。喉元まで出かかった言葉は、結局最後まで言えなかった。
お前はどうしてこの仕事を選んだんだ、ルイーズ。