表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
172/215

第五章《迷霧》:忘れない空を(2)

山口うるきは一命をとりとめたらしい。

その知らせを運んできたラムダ――選び抜かれたルカをの為に存在するエージェントの一人だ――は一礼すると、素早く踵を返して奥へ消えてゆく。千瀬はそれを見送りながら、そっと安堵の息を吐いた。

こちらが巻き込んでしまった命だ。失われなくて本当に良かった、と少女は思う。


船の上である。ルシファーから派遣された黒塗りのそれは潜水艇で、今は隠れることもなく島の横に浮いていた。

ルシファーへの帰還はこの船で。島に滞在していた全ての構成員を乗せて出発するまでは、あと一時間ばかりある。


「……挨拶は良いのか、チトセ」


背後から控えめに掛けられた声は駿のものだ。伺うような声色に千瀬は小さく笑う。

ここで言う挨拶、は別れの言葉である。この島へ再び残していく肉親。次に会うのはいつになるかわからない。――もう二度と、会えないかもしれない。


「駿こそ。カズサさんには?」


自分は良いのだ、と言外に滲ませて千瀬は答える。なぜなら、姉百瀬とは近いうちに必ずまた会うことになるからだ。

……この時すでに、千瀬にはそれがわかっていた。


「俺は……」

「ちゃんと会って来なよ」

「あわせる顔が無いっていったろ……無理だ」

「ばあぁぁぁか」


言い放てば駿がぎょっと目を見開いた。

この男はまだそんな馬鹿な事を言っているのか。呆れ半分、怒り半分で千瀬は駿をねめつける。


「もう顔なんて見せちゃってるじゃない」

「アレは不可抗力だ!」

「あのごたごたの中でカズサさんは、シュンのことだけ考えてたんだよ。離れててもずっとあの子は、シュンを想ってた」


恨まれているはずがないのだ。確かに駿は彼女の手を離したけれど、それまで繋がれていた事に嘘はない。


「ルシファーの構成員としてじゃない。カズサさんの兄として会って来なよ」

「………、」

「大事な、ただ一人のお兄ちゃんなのよ。あたしなら、きっと会いたい」


姉という唯一の肉親をこの島に残す、“妹”としての千瀬の言葉には説得力があった。

しばらく押し黙った後、渋々駿が頷く。次の瞬間少年はぱっと踵を返すと、千瀬に背を向けて走り去った。おそらくは寮棟へ向かったのだろう。


「素直じゃないなぁ…」


いるだけで良い。生まれたときから一緒。離れて初めて、その存在のあたたかさを知るのだ。

きょーだいってそうなんだよね、誰に言うでもなく千瀬は呟く。


まだ姉には会えない、そう言って船室へ籠もってしまったロザリーを思った。

話を聞いたことはない。だがきっと、あの姉妹にも深く淀んだ過去の物語がまとわりついているのだろう。


人が前を向くのは難しい。向いているふりをするのすら、たいへんな努力が必要なこともある。

……時間が解決するものもあるのだろうか。

ぼんやりと、千瀬は考えた。




*






「……貴方達に、お礼を」



頭を下げる動きに合わせてさらりと肩から滑り落ちる、美しい黒髪に目が奪われる。

出発まで20分を切っていた。そんな船内にルカは件の“協力者”である少女達を集め、静かに首を垂れている。急に頭を下げられて、当の少女達は目を白黒させていた。


「な……んですか、急に」


五十嵐沙南が困惑の声を上げる。隣の愛は眉を寄せて難しい顔をしていた。

今この場にいるのは二人の他に邑智亜梨沙だけだ。

藤野の双子――実際は三つ子だったわけだが――は“三人目”に会うため、ルシファーから派遣されたヘリに乗って一足先に島を出た。山口うるきは日本の病院に搬送されてここにはいない。“オリビア”からの刺客であった志田渚とマリア・ウィンチェスターは死んだ。鮎村絹華はもともとルシファーの人間である。


……あんなに沢山いたのに、これだけになってしまった。同じ班員として行動した仲間たちを想って沙南は息を吐く。

どういうわけか百瀬とロアルの姿はなかったので、よけい寂寥感に苛まれた。


「貴方たちには沢山迷惑をかけた。命を危険に晒してしまった。言い訳がましいけれど、本当は巻き込みたくなかったの」


貴方たちのような“一般人”は。


「え?」


小さく付け足された言葉を聞き取れず、沙南が首を傾げる。

ルカは何事もなかったかのように言葉を続けた。


「私たちに出来る事なら叶えるわ。何かある?」


“お礼”のつもりなのだろう。ルカが小首を傾げて尋ねた。

金銭を要求すればルシファーは簡単に言い値を出すだろうし、学園から出たいと望めばそれも叶えられる――元はと言えば学園はロヴの持ち物なのだから。その後の生活の保証だって、ルシファーなら容易にやってのけるだろう。


……しかし少女たちは一様に首を横に振った。


「い、良いです……! その……」

「私たちも、結果的には助けてもらったわけですから」


おあいこで、と言いづらそうに沙南は笑った。亜梨沙も曖昧な笑みとともに頷く。

友人だと信じていた、否、確かに一度は友人であった渚やマリアと行動を共にしていた以上、必ず命を狙われる瞬間はあったのだろう。口に出して認めたくはないが、それは真実だった。ルシファーの協力者として保護下に入ったことは行幸だったとさえ言える。

三人とも、それをわかっていたのだ。


「だから、良いんです」

「そう……?」


はい、と少女たちは頷いた。


「そう。なら、そろそろお別れの時間ね」


そう言ってすっと立ち上がったのは、これまで黙って様子を見ていたミクであった。瞳を瞬かせる少女達に真直ぐ近づいてゆく、彼女のヒールの音が響く。


「……ありがとう。ごめんなさいね」


首を傾げた亜梨沙の額に、ミクの腕が伸ばされた。その白い人差し指の腹が亜梨沙に触れようとした――――その瞬間。


「……!」


パシン、と乾いた音が響き渡った。

部屋の隅から黙ってなりゆきを見ていた千瀬は目を見開く。

ぎょっとしたのは千瀬だけではない。ふらりと現れたロザリーも、一咲に(ついでにルームメイトであった播磨少年にも)別れを述べて戻ってきた駿も、その瞬間を目撃してしまったのだ。二人の口があんぐりと開く。


「――なに、しようとしたの」


ミクの手を亜梨沙の額前から叩き落として、東海林愛は言い放った。

あいつ殺られんじゃねえの、小さく駿が呟く。


「失礼ね。殺したりしないわよ」

「地獄耳め!」

「こ、殺されてたまるもんですか! そうじゃなくって……」


勢いを削がれて愛は息を吐く。ずっと何かを警戒していた彼女の肩がふっと軽くなった。


「……後藤が、志田が死んだことを忘れてた。アイツは親が迎えに来たから転校したんだろって、そう言うんだ」


吐き出すように愛は言う。

後藤とは映画研究サークルのメンバーで、山口うるきが“七不思議”撮影のサポートに選んだ例の男子生徒だ。もう一人の原山と同様、ショッキングな場面に出くわす羽目に陥った後は自室に引っ込んでいたはずなのだが。


「マリアのことは知らないって。最初からいなかったって。それどころか、あの連続殺人の犯人は捕まったって言うの。他の人に聞いてもそうだって……犯人はクラリス。うちの、バスケ部の顧問。そして」


一気に言い切ってまた息を吸い込む。愛は、逃がしはしないというようにミクを真っ正面から見据えた。


「クラリスは森で自殺したんだって」

「どう、いうこと、」


問い掛けた沙南の声は動揺を隠し切れていなかった。あたしだってわかんないんだ。言って愛は、でも、と言葉を繋げる。


「アンタ達に常識が通用しないのはもう知ってる。だから何言われたってあたしは受け入れる――――消したんでしょ、皆の記憶」

「そんなことが……!」

「……正確には、書き換えたってとこかしら」


突然、ミクのものではない声が答えを降らせた。

驚いて顔を上げた先、少女たちの目によく見知った顔がある。ミクのような金髪と、彼女とは違う翠色の瞳。

ジェミニカ、と小さくミクが呼んだ。少女たちの知ってる彼女は、違う名前だった。


「サラ……先生……」


サラ・ハリソン。少し前に学園に赴任した女教師で、生徒からの支持は高い。クラリスとも仲が良かった。


「アイ、サナ、それにアリサね。改めて自己紹介をしておくと、私はジェミニカ・アルファーナ。簡単に言えばこのルカ達の仲間」

「本当に……?」

「ええ。学園にサラと言う仮の姿で潜入し、不穏分子を叩くのが私の仕事。――そして、クラリスは……ジュリアナ・クラリセージは私が殺した」


はっと息を飲んだ少女たちに、ジェミニカは人好きのする笑みを向ける。そしてクラリスが敵の司令塔であったこと、後処理としてミクが記憶の改竄に回ったことを語った。


「改竄……?」

「そんなこと、」

「私は出来るの」


さすがにあの人数はきつかったけど、とミクが呟く。

それに目を細めながら、愛がじゃあ、と声を上げた。


「今ミクは……あたし達の記憶も換えようとしたわけね」

「え」

「嘘……ッ」

「あらら……バレてるのね」


そうよ、と。ちぎって投げるような素っ気なさで暴露されて、沙南と亜梨沙は悲鳴を上げた。


「今回のことは不幸な事件として学園の歴史に名を残す。私たちのこと、オリビアのこと、全て忘れてもらうわ。面倒だからアイジャの件もなかったことにしておいた」


沙南は唐突に、この場に百瀬とロアルがいない理由がわかった気がした。彼女達は忘れる必要が無いのだ。全てを抱えてまた、学園生活に戻ってゆく。

沙南はきっと今日までの出来事を忘れて、何事もなかったかのように二人に話し掛けて、そんな風に、そんなのは。


「嫌……っ!」


叫んだのは亜梨沙だった。てのひらに爪が食い込むほど拳を握り締めて少女は声を上げる。


「嫌、嫌です。あたしは忘れない。マリアは友達だったの。真実は違っても、楽しい思い出が沢山あるの。辛いことを乗り越えて今の自分になるんです。皆さんのことは、絶対他の人に喋ったりしないから……!」

「……全部を忘れるんじゃないわ。都合の悪いところだけ少し修正するの。貴方は貴方のままだし、また幸せな生活が帰ってくるだけよ」


諭すように言うミクに、亜梨沙は大きく首を横に振った。


「それでも、あなたたちを忘れたくない! だ、だってあたし……あたし、武藤くんに恋をしていた、幸せな思い出も持っていたいから!!」


…………一瞬、身を切るような沈黙が流れた。しかし次の瞬間、 


「え、ええぇえぇえええ!?!?」


というミクと千瀬とロザリーの見事な声の三重奏が部屋いっぱいに響き渡る。

駿は一人話の流れに置いていかれて目を白黒させていたが、じわじわ何かを感じ取ったのだろう、次の瞬間には何やら口をぱくぱくさせていた。声は出なかったらしい。


「……ぷッ。あはははっ!」


亜梨沙の告白に腹を押さえて笑い転げながら愛が立ち上がる。そのままミクに向かって、びしりと指を突き付けた。


「つまりだ。あたし達は忘れるとか改竄とか、断固拒否!」

「あたしからも、お願いします」


沙南も同時に頭を下げる。

ミクは困ったように眉を寄せた。ルカと視線が合うが、淡い笑みが帰ってくるだけ。


「……後悔するわよ。貴方たちの歳で殺人現場の記憶とか、普通はトラウマものなんじゃないの?」

「平気です。だって、独りじゃないもの」

「嫌な過去を見ないで済むようにしてあげるのに……」

「“過去を振り返らない”って言葉はさ、本当は振り返るのが怖いだけなんだよ。生きてれば時間は流れる。自然と前に進むの。過去も一緒に連れていったって、未来が隠れることなんて無いよ」


これ、ワタクシ論。そう言った愛の笑顔は柔らかかった。未来に向かう若い輝き。自分も一緒に行こう、そう沙南は思う。


「うーん……シュンどうする?」


やっぱ消しとかない?

含んだ笑いと共に問われて、駿は思いきり顔をしかめた。祈るようにこちらを見ている亜梨沙が目に入って、少年はハァと息を吐く。


「……好きにさせれば」


きゃあと言う歓声と、負けたわ、と呟くミクの声が重なった。



















穏やかな波が揺れていた。夕焼けに染まる水平線。澄んだ空気を吸い込めば何処か懐かしい夕暮れの匂いと、潮騒が混じり合って溶けた。

ハッチを開いて潜水艇の中へ入る。千瀬が最後に見た景色の隅で、少女たちが懸命に手を振っていた。



忘れないよ。 


少女たちの声が響く。


忘れてなんかあげないから。

だからまた、いつかどこかで。



日が沈むと同時に潜水艇もその姿を海中に沈めた。与えられた毛布にくるまってロザリーの隣、千瀬は静かに目を閉じる。

久々の休息で、ようやく身体は疲れを思い出したようだった。目蓋が重い。もう、眠たい。


――過去を振り返らないんじゃない。それは、怖くて振り返れないだけ。


千瀬は愛の言葉を反芻した。

自分の通ってきた道には数多の屍が積もっているのだと思う。とっくに受け入れてしまったことだ。

振り返れば怨嗟の念に追い掛けられそうで、怖い。怖いけれど千瀬はそれを乗り越えてなお前を向く。そうしないと始まりに――――最初に手を掛けてしまった肉親たちに、何と言えば。


父は修行の結果が招いた事故だったのかもしれない。でも。


(どうして、母さんを切ろうと思ったんだっけ)



思い出さなくちゃ。

呟いて千瀬の意識は眠りに飲まれていった。胸に抱いた黒い刀が、かちゃりと鳴く。



大変お待たせしました……。学園編、最終話です。次回からは第六章に突入します。最後の章になるかと思いますので、お付き合いいただければ幸いです^^

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ