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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:盲目のララバイ(5)

降り積もった憎しみも膨れあがった愛も、見えなかった盲目の僕等。


盲なら耳に唇よせて、聾ならやわく肌に触れて。


やっと伝えられる、優しい子守歌を君に。




『 ねぇ、うたを、うたって 』









日の落ちた海、水面を撫でる風が波を立てる。ぷかぷかと揺れるクルーザーは少年が単独で使用し乗り捨てていたものだ。岩陰に隠してあったそれは、数日前にそうしたのと変わらない姿をしている。

ユリシーズはそっと安堵の息を吐いた。ウォルディやアイジャ、そして自分を追ってこの島にやってきた刺客はこの船に気付かなかったらしい。


「お前にしては随分と不用心だな、ユリシーズ」

「……!?」


船に乗り込もうとしたところに声をかけられて、ユリシーズは身体を飛び上がらせた。背中におぶったアイジャがずり落ちるのを慌てて支える。

声の方を見れば、船首の辺りにすらりとした人影があった。


「さ、」


――――サブナック。

カーマロカの屋敷に置き去りにしたはずの青年の名を、おそるおそるユリシーズは呼ぶ。

どうやってこの島を捜し当てたのか。従者にさえ追跡されぬよう、細心の注意を払って来たはずだったのに。


「どうしてここに」

「……馬鹿め」


問い掛ければ吐き捨てるような返答がある。どうやらサブナックはかなり虫の居所が悪いようだった。

――――長い時間を共にした人間が、何一つ告げず姿を消したのだ。青年の怒りは当然のことである。


「………」

「……………殿下は」

「……え、?」

「眠っているのか」

「あぁ、……うん」


ユリシーズの背で目を閉じたままの少女をサブナックは見つめた。死んだように眠る小さな背中が微かに、呼吸とともに上下する。


「――――ウォルディ殿下の御遺体は俺が引き取った」


一度揺すりあげてしっかりアイジャを支えなおしたユリシーズに、淡々とした声がかかる。サブナックの、通常と何ら変わらないそれに少年は安堵した。


「そう……」

「今は船室に」


カーマロカの世継争い。ファンダルスの一族の血を引く二人に差し向けられた刺客の残党を狩り、ユリシーズがこの島に着いたときには既にウォルディはこと切れた後だった。――それは、始めから予想されていた結末だ。

ユリシーズは自分の知る全ての情報と引き替えに、ウォルディの遺体を移動し隠すように命じた。その相手が武藤一咲だったのは偶然だ。キヨカワメイコの死後から、一咲はアイジャの行動を気に掛け共にいることが多かったから。


「……あんな小娘がひと一人の身体を遠くまで運べるわけがないだろう」

「そうだね……時間がなかったものだから」


サブナックがこの島にやって来たのは、実はユリシーズの到着とそう差の無い時間であった。布に包んだウォルディの身体をどうにか現場から動かした一咲を見つけたサブナックは、彼女から事情を聞き遺体を受け取ったのである。

ユリシーズの乗ってきたらしいクルーザーに遺体を運び込んで、そのままサブナックは動かなかった。少年の帰りを、待つことを選んだ。


「……お前、これからどうするつもりだ」


ユリシーズは甲板にひらりと飛び移ると、背の少女を静かにおろして壁に凭れさせる。震動を感じても目を覚ます気配の無いアイジャはすやすやと寝息を立てていた。


「君こそどうするつもり? サブナック―――どうして僕なんかについて来た」


僕はもうカーマロカには帰れない。

言い切ったユリシーズの瞳は真っすぐに澄み切っていた。少年は世継を無断でそとの世界に連れ出し、カーマロカの存続を危ぶませている現行犯である。継嗣を巡る争いの最中で、大勢の元同僚を殺した。


「見逃してくれないか。……君は、帰れ」


真摯な視線を受けとめて、しかしサブナックは次の瞬間不敵な笑みを浮かべる。


「俺はお前について行く」

「な……ッ!?」


少年の瞳が際限まで見開かれだ。叫びだしそうになるのを堪えて、ユリシーズはぎゅっと拳を握り締めた。


「なんで、」

「俺とてもうあの屋敷には帰れない。……このクルーザーを追ってきたお前への刺客、殺してしまったからな。俺も立派な謀反人だ」

「なんでそんな馬鹿なこと!」

「馬鹿はお前だ、ユリシーズ」


低く言い放ったサブナックの表情が、刹那ふっと和らぐ。

彼はユリシーズについて何一つ知らない。けれどその存在は、かけがえのないものだった。


(いつ何時、何が起ころうとも)


サブナックにはただ一つ、決めたことがある。


「俺は俺の正義に従う。ただしそれは」

「………っ」

「必ず、お前の傍らで」


ユリシーズがいなければ今、サブナックは此処にいなかっただろう。絶望の淵にいな彼に気紛れな手を差し伸べた少年の、柔らかい笑みを忘れない。良いものを見つけたと喜んだ、機嫌の良い猫の瞳。存在を歓迎された瞬間の、名まで与えられたあの日の気持ちを、どうやって忘れればいい。


「お前あっての俺なんだ、ユリシーズ」

「……サブ、君は、」


本当に馬鹿だ。

呟いた言葉は聞こえなかったことにした。泣きそうに歪んだ子供のような顔は見ないふりをしてやるから、それでおあいこだと青年は思う。


「船を出すぞ」


柔らかな巻き毛をくしゃりと掻き混ぜてサブナックもまたクルーザーに乗り込んだ。低く唸る機械音と共に船体が海面を滑り、遠くなる島をぼんやりとユリシーズが見つめている。


「……ねぇ、」


生ぬるい風に潮の匂いが混じる。満ち欠けを繰り返す月は薄い雲に覆われて朧気に光っていた。――明日は雨だ。遠い昔誰かに聞いた、天気の読み方をサブナックは思い出す。

船は滞りなく進み、邪魔する者はもういない。歪な形に盛り上がった島が目ではわからないくらい遠ざかったところで、ぽつりとユリシーズが呟いた。

ねぇ、サブナック。


「――昔話を、聞いてくれる?」













* * * 









ユリシーズの父、フレデリック・ルインは一部の界隈で名の知れた科学者であった。彼には妻があったが、フレデリックは一日の全てを研究室に捧げていた。

家庭を顧みず仕事と夢ばかり追う人間の典型。しかし現実は、そのような可愛らしいものではなかった。

――フレデリック・ルインの専門分野は生物兵器開発。それもウイルスを使用した通常の兵器ではなく、生きた人間の開発を行っていた。

フレデリックは、世界を脅かす力を持った人間をその手で作り出したかったのである。トリクオーテと呼ばれていた、小さな街の地下で。



ユリシーズが生まれたその日、母親は死んだ。産まれてくる子供の強大な力に身体が耐えきれなかったのだ――――ただびとに、能力者は産み落とせない。


二人の間に愛があったのか、今となってはわからない。フレデリックは妻の死後も研究に没頭し、一度たりとも家へは帰ってこなかった。生まれた子供は名前さえ与えられぬまま施設に預けられ、幼少期の全てをそこで過ごした。




(いらない)


(こんな力いらない)


(どうして、)


(どうして僕が―――)









「施設の中である日、父が死んだと聞いた。結局顔もわからないままだった。天涯孤独の僕を施設の人間は哀れんでくれたけれど、僕は自分一人で生きていくことを選んだ」


その頃既にユリシーズは、自分の力の片鱗に気付いていたのだという。誰にも教えられていないのに知っていた。母を殺したのは、自分の身体に流れるこの血だと。

小さく息を吐いてユリシーズは、淋しそうに笑う。


「あのね、サブナック。僕の身体にはほんの少しだけれど、ファンダルスの血が混じっているんだよ。母方の血を辿ると――遠いんだけど確かに、ドンの血縁に当たるらしい。とうに薄まってしまったはずのカーマロカの炎が、僕には宿っていた」


だからなのか。少年の告白を聞いてサブナックは一人納得する。ユリシーズの持つ煉獄の炎は、ファンダルスの一族にのみ許された力なのだ。


「施設を出てしばらくは放浪生活をしてた。けど、ほんの些細なきっかけで僕の血筋を人から教えられて――」


少年はしずかに目を閉じる。あの日感じた憎しみはふつふつと沸き立って、胸の内を焦がしていった。

平和維持組織カーマロカ。組織を統括する、ある一族の話。


(憎い)

(炎の力が憎い)

(力の元凶になる一族が憎い)

(当たり前のように、今生きている奴らが憎い)


僕は、何も持っていないのに。最初からないから、奪われることすらしなかったのに。



「……本当は僕、アイジャを殺すつもりだった」


サブナックが僅かに目を見開いた。

長子ウォルディが欠陥と判明した当時のカーマロカは戦力を必要としていた。復讐のつもりで屋敷の扉を叩いたユリシーズを受け入れたファンダルスの一族。正統な血のもとに能力を有していることがわかったユリシーズを公爵の位に置き、まだあまりにも幼かったアイジャの教育係を命じたのはドン=ファンダルス自身だ。


「本当は大嫌いだ、ひけらかす正義なんて。組織ごとめちゃめちゃにしてやろうと思ってた。でもアイジャは、」


少年の顔つきが穏やかなものになる。サブナックはアイジャが良く、ユリシーズに歌をねだっていたのを思い出した。

ユリシーズは歌など一つも知らない。ならば一緒に覚えようと、アイジャは笑った。


「一緒に過ごすうちにわかった。アイジャは何も知らない籠の鳥だ。僕がしたことは毎日顔を見せて、名前呼ばれて、返事して、そんだけ。……それだけなのにアイツ、笑うからさぁ」


細く、細くユリシーズは息を吐く。

少年の目的はいつしか、カーマロカ滅亡からアイジャを自由にすることに変わっていった。


「……嬉しそうに、笑うからさぁ」


大切なものができた。妹のようだった。けれどそれは少し、淡い恋にも似ていた。愛しいと思ったのは、認めてしまったのは、もうずっと前の話。

ユリシーズという名を与えてくれたドンを討つ気にはならなかった。代わりに、同じくアイジャの自由を望んでいたウォルディと手を組んだ。

――そう、これはウォルディの願った通りの結果だ。彼は死に、代わりにアイジャは自由になる。ユリシーズにはそれを見届ける義務がある。


「それからもう一つ……ずっと、僕が追いかけてたものがあるんだけど」


言えばサブナックは、心得たように一つ頷いた。


「……ルキフージュ=ロフォカレ、か」



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