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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:オリーブを見たか(5)


「君も一度不覚をとった経験からわかるだろう。オリーブ=アルファの連中は他の犯罪組織とは違うけれど、かなりハイレベルな技術を持った戦闘員を所有している」

「……はい」

「世界を根底から壊すためには、それ相応の力が必要だからね。連中は、次の神になりたいんだ」


ゾラの話はまだ続いていた。明らかになったオリビアの正体は予想よりずっと厄介なもので、千瀬の表情は無意識に暗くなる。

最初からデータを狙い、求めていたオリビア。悪魔の正体がルカだと知らなかった点から見て、“カーマロカ”のようにルシファーから流出した情報――犯人は裏切り者の元副首領ジェイ・ハインリッヒだった――を知ったわけではないようだが。


「調べた所オリビアの戦闘員は、数多の人間の中から選び抜かれたエキスパートらしい。強かった?」

「……強かった、です」


強かった。歯が立たないというわけではなかった、けれど勝てる気配もなかった。思い出しながら千瀬は言う。


「特殊な訓練を積むという点ではルシファーの戦闘員――君たちより、ずっと本格的なプロセスを積んでるからね」

「それ、は」


確かにそうだ。思って千瀬は唇を噛み締めた。

もう随分と前の事のように思える、始まりの日。ミクから聞かされた、EPPCの一員となる者達の選考基準は【分別ある殺戮者】だ。

迅速かつ冷静にひとを殺める事のできる人間。上からの指示を決して裏切らない、必ず任務を遂行する人材。

スカウトを基本とするEPPCは、言うなれば才能型の集まりだ。偶々戦闘のセンスを持ち、かつ死を恐れない者。血の赤にも硝煙の匂いにも、奪うことも奪われることも千瀬達は慣れている――――けれど、やはりただのひとでしかない。


「踏んできた場数は同じくらいでも、下積みの段階が別だ。普通の人間じゃあ敵わないだろうな」

「……つまり、」

「うん。君ら《ソルジャー》ぐらいじゃやり合っても勝ち目はない。全滅を免れるだけで精一杯だろうね」

「そんな……!!」


薄々理解を始めていたことを突き付けられて、思わず千瀬は手で口元を覆った。

今“学園”にいる《ソルジャー》に、特別な訓練を受けてきた者はいない。忍家業の椿は本部に残っているし、圧倒的な戦闘力を誇っていたサンドラは死んだ。

――この時千瀬は、まだオミの本当の姿を知らない。また自分こそが“訓練を積み場数も踏んだ”唯一であることに、またその力が最早常識の範囲など超えていたことに、気が付いていなかった。


「――ゾラさん、」


声のした方を見れば、一度姿を消していた菫が小さな箱を抱えて立っていた。


「準備はできたかい、スミレ」


問い掛けに静かに頷いてみせた少女を見て、ゾラは満足気な笑みを浮かべる。千瀬が箱の正体を訊ねたが、詳しいことは秘密なのだと答えは返って来なかった。


「今から僕とスミレで、この病院に一時的な停電を起こす。その隙に院内のコンピューター全てをジャックして、アサカミドリコの情報を書き換える」

「え、」

「彼女にはこの病院から、ルシファーの所有する施設に移ってもらうのさ――体内に埋め込まれたデータを摘出するためにね。意識がなかろうと関係ない」

「えっと、」「それを見届けたら屋上にヘリがあるから、チトセ君は島へ帰る。OK?」


困惑する千瀬を突き放してさあ始めようとゾラは高らかに宣言した。


「ち、ちょっと待ってください!」


がたん! 少女の立ち上がった勢いで椅子は悲鳴を上げる。ぱちぱちと瞬きをするゾラを真直ぐ見つめて、千瀬は焦りを隠せないまま口を開いた。


「あの、あたし、今すぐ島に戻ります」

「えー? 最後まで付き合いなよ」

「ゾラさんからの情報は今までの話で全部ですよね?」

「そーだけど……何慌ててんの?」


不思議そうに訊ねられてだって、と千瀬は声を詰まらせた。

早く、帰らなければいけない。オリビアの危険性を伝えて、自分も加勢して、無意味な戦いを終わらせて。

データは学園になどないのだ。戦って勝ち目がないかもしれない敵と刄を交えて、今この瞬間にいくつの命が消えたかわからない。今この瞬間に新たな犠牲が出るやもしれず、駿やロザリーや百瀬に危機が迫っている可能性もある。

千瀬は、残してきた仲間が心配で仕方がなかった。


「………ははっ、バッカだねぇー」


しかし懸命に伝えた千瀬の言葉を、ゾラは鼻で笑い飛ばしたのである。


「良いかい? 僕はオリビアに、普通の人間なら勝てないだろうと言ったんだ」


その言葉は自信に満ちていた。呪文のように繰り返されて、じんわりと千瀬の心に浸透する。


「大丈夫。心配なんて、いらないよ」




*




* *






* * *




『心配なんて、いらないんだよ』




広い廊下を仲間と共に駆け抜けながら、千瀬はゾラの言葉を思い出していた。

心配なんて、いらないよ。繰り返された音が頭の中で波打っている。


『普通の人間に勝ち目は無いだろう。奴らの戦闘力は桁違いだ』



『でもね、チトセ君』



『オリビアの連中もまた、人間なのさ』




酷く楽しそうに笑ったゾラの言葉が頭の中いっぱいに反響したのと、その場所に辿り着いたのは同時だ。

千瀬は信じていた。だから、目の前に広がる光景にも驚かなかった。



『人間なんて、あの子の相手じゃないんだよ』







「…………な、んだ……これ………」


呆然と呟いたのは駿だ。自分の目が信じられなくて、少年はごしごしと目を擦る。ボト、と鈍い音がした。


オミとカイを宥めてやって来たその場所の、端で小さくなっていたのは二人の少女だ。双子はまだ生きていた。そこから少し離れた場所に、よく知った立ち姿がある。長い黒髪のうしろあたま。

しかしそのルカの向かい側に一つ――その空間の中で明らかに異常な物体が存在していた。


「ル、カ……?」


声を掛けても振り返らない、少女の目の前にあるのは奇妙な形をした固まりだ。端の方からぐずぐずと崩れて溶けているそれは、遠目から見ればボーリングのピンのような形をしている。

……ボト、とまた音がした。肉の溶け落ちた音だった。


「…………っ!?」


それが手足の無くなった人間であるということに気が付いてロザリーが声を上げそうになる。寸でのところで押さえ込むと、くつくつと低い笑い声が響いた。

―――その肉塊が、笑ったのだ。


「ハハ……あーあ。悪魔サン、お仲間が来ちゃったよォ」

「そうね」


冷えた声でのかえりごとはルカのものだ。

金の髪は殆ど溶け消え、首と胴だけの状態になった【ミリアム】は驚くべきことにまだ生きていた。


「アンタなら僕のこと、一瞬で始末できたんだろーに。こんな手間のかかるグロいやり方するからだぜェ?」

「色々と話が聞きたかったから」

「ハッ……悪趣味!」


痛覚がないのだろうか【ミリアム】は苦しむ素振りもせず、ただ溶解してゆく自分の身体を傍観していた。口振りからして、ルカと何やら話をした後らしい。

駿が目を凝らせば、双子は失神してしまっているようだった。


『ルカが人間なんかに遅れをとると思ってんの?』


ゾラに言われた言葉を千瀬は反芻する。答えはノーだ。目の当たりにして実感する、ルカは、ひとの定義とは異なる次元で生きているということ。

少女の足元が淡く発光しているのを千瀬は見た。ユリシーズと対峙したあの日と同じだ。【ミリアム】を溶かしてゆくこの現象はやはり、ルカの引き起こしたものなのである。


「ねぇ、最後に一つだけ聞いていーい?」


軽い調子で問い掛ける【ミリアム】にルカは頷いた。彼はもうとっくに自分の負けと、その死を受け入れてしまっている。


「僕さァ、自分で言うのも何だけど、巧く潜伏してたと思うんだよねェ」

「そうね――あなたがあの娘を刺したりしなければ、このまま見送ったかもしれない」

「でしょォ?」


ラムダに抱えられどこかへ運ばれていった、うるきの事をルカは考えた。彼女が生きているかは少女自身にもわからない。ルカの忠実な下僕は命令どおり、全力で救済措置にあたっているだろう。――あとはうるき自身の生命力が、どれほどのものかだ。


「つまり、だ。今日あの瞬間まで、僕はノーマークだったわけだろォ? でも、アンタはここに来た。他の誰でもなくルキフージュ本人が――――どうして?」


少女達を見張るのが目的なのであれば、本来その役割はあのラムダが果たしているはずだった。幹部であるルカは直々に現場へ出る必要などなく、指示に回る立場である。

見透かしたような【ミリアム】の瞳がルカを射抜いた。ぐずぐずと崩れてゆく身体はもう下腹部のあたりまでが無い。溶け落ちた部分からは緩やかな蒸気が立ち上り、生温い風を吹かせていた。


「……――――から」


ぽつりと落とされた言葉が聞き取れず【ミリアム】は首を傾げる。

次の瞬間、ルカの丸い瞳がゆっくりと一つ瞬いた。


「……たまたま、よ。偶々、見ていただけ」

「そんな答えが聞きたいわけじゃ――」

「貴方のことは、一目見た瞬間から追っていたわ――――たぶん、無意識のうちに」

「え? …………あ、ァ」


刹那、少年はくぐもった声を上げた。突然【ミリアム】の身体の溶解するスピードが上がったのだ。ごぼりと沸騰するような音がして、みるみる小さくなってゆく。


「―――だって貴方、サンドラに似てたから」

「………はッ、何、それ、」


意味、わかんないよ。

言った瞬間にはもう、【ミリアム】に残されたのは首だけだった。それすらも侵食されてゆく感覚に少年は嗤う。

完敗だ。呟いて【ミリアム】は、大分見上げる形になってしまった黒髪の少女を見つめた。世界にはまだこんな力が眠っている。これが、欲しかった―――思った瞬間本人と目が合って、少年はふっと口元を弛める。


「ねぇ、アンタ、泣いてるの?」


それが【ミリアム】の最後の言葉だった。口が消え眼球が溶け出してもの言わぬ肉塊になる。次の瞬間それがごぽごぽと激しく泡立って、白い煙が視界を覆い隠した。

蒸発している―――千瀬がそう気付いたときには既にほとんどが終わったあと。開けた視界には肉塊の綺麗に消え去った床と、【ミリアム】の在ったその場所を見つめている黒髪の後ろ姿だけが見えた。

本当に、跡形もなかった。


「―――――いいえ」


最後の問いに答えを返した、ルカの声だけが響いて残る。



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