第五章《迷霧》:オリーブを見たか(3)
「貴方たちはルカ様の邪魔になる。あの空間を隔絶しておくことが、オミに下された命令です」
「隔絶、って――」
淡々と述べるオミを全員が凝視した。刹那の間だけ言葉に詰まって、駿は次の瞬間声を上げる。
「一般人を巻き込んで何が隔絶だ!」
「――そうよ、オミ」
静かにミクが同意する。首の動きに合わせて金の髪が弧を描いた。
「仮にルカがその刺客の相手をしていたとして、あの子達を巻き込まない方法を取るとは限らないわ――ルカの戦い方には限度ってものが存在しないのよ」
「そ、それにあたし翠子さんに会わないと! ゾラさんに一つ、確認するよう言われてることがあるんです」
「関係ありません」
千瀬の訴えまでもをばっさりと切り捨てる、オミの意志は硬かった。
「理由などいらない。オミにはルカ様の命令が全てです。ルカ様が是といえば是。それが例え、世界の基準とは違っても」
「ルカ様ルカ様ってうるせェよ!」
ついに駿が声を荒げる。少年はつかつかと急速に距離を縮めると、オミに掴み掛かる勢いで口を開いた。
「同じ上司の命令なら《マーダラー》にも従えよ! 《ハングマン》とたいした違いはねェだろうが!」
「いいえ。ルカ様の命令を、ミクが書き替えることはできません。ルカ様の言葉はルカ様だけのもの。例え同じ《ハングマン》であっても、オミはエヴィルには従わない」
「ふざ、けんな! 時間、がないってのに意味わかんねーことばっか、――っ!?」
駿の言葉尻が突然消えた。とうとうオミの襟元に手を伸ばした彼の、腕を突然掴んだ者がいたのだ。
その正体を知った瞬間、駿はきっと眉を釣り上げる。
「手、離せよ」
「……てめェ、カイとか言ったな」
どこから現れやがった。噛み付くように言う駿の事など全く気にせず、カイと呼ばれた少年は駿とオミを引き離した。
「シュン、知ってる人?」
「……一回会っただけだ。知らねぇ」
上からの命令を伝えると言う名目で、カイは一度だけ駿と接触している。ルシファー側の人間であることは確かだが、仲間と呼べるかはわからない相手だった。
ロザリーの問いに苦い顔を浮かべてから駿はカイを睨み付ける。当の本人は気にする素振りもなく、飄々と挨拶を述べてみせた。
「俺も、仕事。内容はこいつと同じ」
「オミと? ……って事は何だ。お前も行くなとか言うわけ――はッ、ナメてんじゃねーよ!」
「こちらは実力行使も厭わないが」
言ってカイが駿に拳銃を向けた瞬間、場の空気が凍り付いた。オミまでもがナイフを取り出したので、千瀬もロザリーも目を見開く。
「お前等……ッ!」
「やめましょうシュン、仲間内でなんて馬鹿みたいだわ――その二人は本当に、ルカの命令にしか従わない」
ミクの声に反応して駿が視線を反らせば、それにつられるように場の空気が緩和された。臨戦態勢を解いたオミとカイが、事の成り行きを黙って見つめている。
「二人はルカの直属なのよ。正確には、ルシファーとは違う機関の人間だけれど」
「はぁっ? このヤローはともかくオミが!?」
「……こいつの正しい名前はオミなんかじゃない」
ヤロー呼ばわりされて不本意そうな表情を浮かべながら、カイが小さく呟いた。
――どういう、意味だよ。説明を求めて駿の目がミクを見、カイを見、最後にオミを映して停止する。
「お前、なんなの」
瞬間残る全員の視線もオミに集中した。
「……答えて、オミ」
千瀬の声にオミはまた、一つゆっくりと瞬きをした。
ほんの僅かな沈黙が流れる。
「……わたしは、正確にはオミではありません」
黙秘義務はありませんから。そう呟いて、少女は静かに口を開く。感情の起伏を一切感じさせない声が響き渡った。
「諜報部隊『救世主代理人』登録ナンバー15、識別名称“オミクロン《ο》”―――オミ、はただの略称です」
ざわり、さざ波の立つように空気が揺れた。驚きを顕にする者達を一瞥し、続いてカイが言葉を発する。
「“救世主”はルカ様に全権限の存在するルシファーのサポート部隊だ。過去にサンドラ・ジョーンズが収容されていた悪魔主義という通称の研究開発施設をハーキンズが買い取って、諜報部員――要はスパイの育成を行っている」
「サンドラ、の」
超人類の開発を目的とした非道の施設。今は亡きサンドラの、その過去は千瀬も耳にしたことがあった。一度組織は潰して、立派だった建物は再利用する。ロヴがそうしたと言う話も聞いている。
――けれどここで、その先が繋がるなんて。
「あそこで訓練を積んだ者のうち成績優秀者、上位二十四人が『アルファ』から『オメガ』までの記号を与えられて、実働部隊としてルカ様の配下につく」
これでも俺たちは優秀なんだ、とカイは小さく笑った。
「活動内容は諜報活動が殆どだが、時には暗殺やルシファー本部の仕事も請け負う。ちなみに俺はナンバー22の《χ》――カイ、は名前じゃなくて記号だ。今ここにはもう一人、識別名称『ラムダ』が来ている」
「ラムダ――あの人も、」
千瀬は一度だけ見た少女を思い出した。色白で短髪。ルカ様、そう言った声が耳に残っている。どこかで聞いたと思っていたが、オミと同じ呼び方だったのだ。
過去の研究施設では、AからZまでの名を与えられた子供たちがいたと聞く。サンドラは“S”の子だった。
けして美しい物語ではない。けれど彼女の生きていた軌跡は今、ルシファーに近い所で存在し続けているのだ――考えて一つ、千瀬はぎゅっと目を閉じた。
「……わかったよオミ。でも、あなたの一番優先するものがルカなら――あなたはあたしを、ルカの所へ案内するべきだと思う」
静かに言って千瀬は、真っすぐにオミを見つめた。明るい特徴的な浅葱の髪が今は黒く染められている、オミクロンの娘。真剣さが通じたのだろう、真摯な視線が返ってくる。
「ミクは、言ったけれど。あたしはね、ルカは優しいと思うよ――余計な犠牲を出すのは、彼女の本意じゃない。だから早く教えてあげないと。この無駄な戦いを、終わらせないといけない」
「――“無駄”?」
「あたしは、ルカの“捜し物”の本当の在処を知ってるよ」
本当は最初から、この島になんて無い。言えばオミは僅かに瞳を大きくした。
なんだって? 駿の驚愕に染まった声が聞こえる。ミクも目を見開いて、話の続きに耳を傾けていた。
「オリビア――ううん、“オリーブ山”の話も聞いてきた。あたしはルカの代わり、ゾラさんから受け取ったもの全て、彼女の耳に届けるの。それが一番、ルカの為になると思わない?」
お願い、オミ。
ゆっくりと近づいて少女の手を取った。千瀬の行動に驚いてカイが目を見開く横、オミも困ったように視線を震わせる。
「……でも、邪魔に、なったら」
「そうだ。ルカ様といえど、オリビアは未知の相手――俺たちが行って足を引っ張るようなことがあってはならない」
なおも拒もうとするオミとカイに、千瀬はやんわりと笑ってみせた。それに関しては最初から心配などしていない。千瀬は、ゾラから言われた言葉を信じている。
「だいじょうぶ」
「――え?」
「ルカなら、大丈夫なの。あのひとの力はオミ達のほうがわかってるんじゃない?」
「…………」
「何も心配はいらないよ。信じて、見たことを受け入れれば良い。あたし達は上官と部下、それ以前に仲間だから。……ゾラさんが言ってた」
――だから、行こう。