第五章《迷霧》:梔子の声を聞け(2)
「……武藤、駿」
茫然と落とされた声は亜梨沙のものだった。名を呼ばれた駿は少しだけ少女のほうに目をやると眉を寄せる(何で知ってんの? と、その顔には書いてあるかのようだった)。しかし次の瞬間には真っすぐに鹿島を見据え、ガチャリと手に持った銃を鳴らす。
「よォ武藤。良いもん持ってんね?“ピースメーカー”かぁ」
「その呼び方はあんまり好きじゃねーんだけど」
銃口を真直ぐに持ち上げたまま駿は口角を引き上げた。
突然飛び出したわけのわからない単語に、亜梨沙や百瀬は目を白黒させる。
「ピースメーカー? え、何?」
「……あの銃のことです。コルトSAA」
答えたのは絹華だ。彼女は百瀬とロアルを背後に庇うようにしながら、どうにか亜梨沙を鹿島から引き離せないかと考えていた。
原山は目の前の出来事が信じられないのだろう、放心してしまって役にはたたない。……同じ制服を着た友人が刃物やら銃やらを突然持ち出したのだから、無理もないのだろうが。
「装填弾数は六発――今撃ったから残り五だな? シングルアクションってめんどくねェ? 俺はダブルのほうが好き」
「慣れればそうでもねーよ」
まるで携帯電話の新機種を買った友達に、使い心地を聞いているかのような口振りだった。いつ撃たれるかも知れぬ状況で鹿島はにこにこと笑ってみせる。
その様子を見て、場慣れしている、と絹華は思った。
「……さて、と」
戯れのような会話に暫し付き合った後、駿はすっと真顔になる。辺りを取り巻く空気が一気に張りつめた。
「この状況を説明してもらおうか、鹿島」
「……見てわかんねェ?」
問われた少年もまたふっと身に纏う空気を一変させる。膨れ上がったそれが殺気だということは、一度経験のある者ならば誰にでもわかることだった。
「わかるから、聞いてんだよ」
「……ぷっ。あははは、面白いなー武藤は。こう言えば良いのか?」
にたりと人の悪そうな笑みを浮かべて、鹿島充は言い放つ。
「お前等、皆殺し」
駿が二発目の弾丸を放ったのと鹿島が地を蹴ったのは同時だった。再び甲高い悲鳴を上げた亜梨沙の襟首を絹華が掴んで引きずり寄せる。一飛で駿の傍まで近付いた鹿島は手にしたナイフを振り上げたが、下ろすより先にその肘を掴まれ動きを止めた。
鹿島はそれに焦った様子など微塵も見せず、ぺろりと上唇を舐める。
「……ッ!」
刹那、極少量の紅が散った。鹿島がくいと手首を捻った瞬間、今まで三寸程しかなかったナイフの柄が勢い良く伸びたのだ。一瞬の変化を読んで飛び退った駿の、頬を僅かに切っ先が掠めて血が流れる。
「仕込みか、」
「良い動きすんね、さすが武藤。もうちょいで串刺しだったのに」
「……そいつはゾッとしねェな」
軽口を叩き合っているようにも聞こえる、二人の少年の目は本気だった。小振りのナイフから転じて腕よりも長い、剣のような物に変化した鹿島の得物を見て駿は舌打ちする。不意でも突かないかぎり銃弾を当てることは難しいし、駿の持つジャックナイフやスローイングナイフではリーチにかなりの差があった。
「俺は中距離戦が得意でね。これが本来のスタイルなわけ」
笑みを浮かべながら鹿島がにじり寄る。駿は頬の血を手の甲で強く拭うと、意を決したように袖口からナイフを滑り出させて持ちかえた。代わりにコルトSAAは絹華に放り投げる。自分の身は自分で守れと言っているのだ。
「おや、刃物で俺とやり合う気なんだ? まぁ良い判断だな、弾の無駄遣いだし。その短い刀身でどのくらい対抗できるか見物だ」
「鹿島、お前随分とお喋りなんだな。……その軽ーい口で、ついでに答えてもらおうか」
胸の前まで引き上げた腕でナイフを正面に構える。駿はそのまま、真直ぐな視線を鹿島に送った。
「“オリビア”ってのはお前等のことか?」
「……良くご存じで」
くつくつと喉の億を鳴らしながら鹿島は首を竦める。冗談を言うようなその仕草の中でしかし、目だけは鋭利な光を帯びていた。
「“オリビア”は組織名か? それとも、親玉の名前か」
「ご想像にお任せするよ」
「お前達の狙いは?」
「企業秘密につきノーコメント。――こっちからも質問だ」
鹿島は目を細めて周囲を一瞥した。鋭い視線に射ぬかれて亜梨沙と原山が身体を震わせる。百瀬とロアルは息を呑み、絹華だけは正面からそれを受けとめた。
「武藤こそ、どっからの回し者なわけ。もしかして【コンタツ】と【ゴスペル】を殺ってくれたのはお前?」
「……ゴスペル」
その名には聞き覚えがあったが、正確にはそれの始末をしたのは鮎村絹華であった。【コンタツ】なる人物のことはわからないが、間違いなく鹿島の仲間なのだろう。
駿が口に出さずに黙っていると、鹿島は大袈裟に溜め息をはく。
「はぁぁァァ、そっちはだんまりってワケ? ひどいなァ、フェアじゃないぜぇ」
ふざけてめそめそと泣き真似をしてみせる鹿島を駿は睨み付けた。言われる筋合いではない、言い返してやろうとしてふと目を細める。
――涙する鹿島の姿が、駿の記憶の一場面と重なったのだ。
「……そうか」
「なにがー?」
けろっと顔を上げる鹿島に向かって駿は笑みを浮かべた。場の空気が凍り付くような冷たさを孕んだ笑顔に、思わず絹華でさえもぞっとする。
「思い出した――すっかり騙されたぜェ、鹿島。清川の死体を見つけたのは、お前だったな」
清川芽衣子が物言わぬ姿となって見つかったあの日。第一発見者は早朝から部活の為に部屋を出ていた、鹿島充であった。
動揺を顕に播磨亮平の部屋に駆け込んできた、その姿を駿は見ている。残虐さの欠片も見えない、ただの男子生徒のように見えていたのに。
「……ああ、メイコちゃんね。可哀想だったなぁ」
哀れむように呟いて鹿島は笑った。
「俺たちの仕事中に出くわしちゃったばっかりにさァ。ほら、“死人に口無し”って言うじゃん。余計なこと言われてもめんどいから」
「お前が殺ったんだな?」
「直接殺したのは俺じゃねーけど、まァそんな感じ」
あの日発見者を装って亮平を尋ねたのは、駿の反応を見るためだと鹿島は笑った。もとより鹿島らは武藤駿が、ただの生徒でないことに気が付いていたのだ。
“入れ替え”でやってくる生徒のうち、部屋の空きがある三棟ではなく特例で二棟へ入った。その異常なまでの運動神経の良さは目を引いただろう。暫らく見ていれば、時折不自然に姿を消すこともわかってくる。
「ま、結局武藤のバックに何がいるのかはわかんなかったけど」
至極残念そうに呟く少年に、そーかよと駿はいらえを返した。駿とて自分を見張る動きに気付かぬ程愚鈍ではない。相手を見つけようと思わなかったのは、極力余計な動きをせぬよう上から命令されていたためである。
動けばその分隙もできる。駿が耐えた甲斐あって、鹿島もルシファーまでは辿り着かなかったようだった。
「もう一つ聞きてェんだけど」
「なに?」
駿の問いに鹿島が首を傾げた。随分と余裕があるらしく、剣をぶらぶらと揺らしてみせる。
「ウォルディを殺ったのはテメーか?」
「さぁ、知らないな」
「…………そうか」
その声を合図に二人は動いた。ガキィィィン、刃と刃のぶつかり合う高い音が響き渡る。こぜりあう刀身の隙間から火花が爆ぜた。
鹿島がぱっと身体を引いたかと思うと、次の瞬間激しい突きを繰り出した。電光石火の一太刀を躱して駿は相手の胸元に飛び込むが、上から降る刄に邪魔される。長さを利用した攻撃を短い刄で弾きながら駿は唇を噛んだ。
「き、絹華……! 助けてあげられないの!?」
たまらず百瀬が声を上げる。彼女は絹華の指にある輪が、速効性の毒であることを知っていた。
「駄目、悔しいけど――手を出す隙がない」
絹華もまた唇を噛む。得物の長さにあまりにも差がありすぎるのだ、駿が苦戦を強いられていることは明白だった。しかし男二人の拮抗した力によるコンマ数秒の攻防に何をすることも叶わない。
絹華は己の戦闘力を把握していた。もとより専門は劇薬の取り扱いで、肉弾戦には向いていない。足手纏いになりこそすれ、助けになどなりようも無かった。所持しているのは仕掛け指輪と睡眠薬、青酸カリのカプセルと手榴弾二つ、それから駿の銃だけ――役には立たない。
「二人でかかってきても無駄だぜー」
余裕を滲ませた声で言う、鹿島の切っ先が駿の肩を切り裂いた。上手く急所は外したものの出血は押さえられず、駿はまた小さく舌打ちする。
「俺たちはさ、エキスパートなわけ。候補者七千人の中から才能がありそうな奴だけ選び出されて、六歳の時から訓練受けてんの」
「……は、そりゃすげーな。お前ホントに日本人か?」
「四分の一はドイツ人だぜ。いくら武藤がスポーツできてもなァ、武器の扱いに関しちゃ負ける気がしないね………っと!」
言いながらまた振り下ろされる鹿島の刄を避けて駿は息を吐いた。エキスパート、呟いて笑う。それに比べればルシファーの戦闘員、EPPCなど大半が元は素人だ。
入隊してから訓練を受けられるとはいえ、やはり戦闘は殆どを個々の持つセンスに頼ることになる。経験値だけで言えばかなり低いことになるのではないだろうか。
「……でもたまーに、いるんだぜ、うちにも」
「あん?」
「小さい頃から修業積んでるような奴が、さ」
勢い良く剣を振り回す鹿島には聞き取りづらかったらしい。首を傾げる少年に駿は小さく笑いながらその名を呼ぶことにする。
何故だろう、ともに戦い続けるうちに何かが繋がるのだろうか。駿には“それ”の近付いてくる気配が先刻からわかっていたのだ。
「やっぱ中距離戦は日本刀の領分だよな――なぁ、チトセ」
「――そうなの?」
笑うような声に駿以外の全員が驚愕する。
皆が振り返ったその先には、日本刀を携えた黒髪の少女が立っていた。