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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:テンペスト(4)

運命は絶えることのない川の流れに似ている。

時に緩やかに、時に急流となり、澄んだり濁ったりを繰り返す。雨によって水嵩を増し、日照りによって細くなり、その他の様々な要因に翻弄され形を変えながらもけして逆流することはない。そうして流れるままに辿り着いた先で、誰もが空へと還ってゆくのだ。そうしていつかまた雲から雫となって降り注ぎ、新たな流れの一部となる。

今自分達の上空には、分厚い灰色の雲が広がっているのだろう。いつからそこにあったのかはわからないけれど、それによって激しく掻き乱される――やがて嵐を呼ぶ暴風雨。


「テンペスト」


そう、ロアルは言った。

薄暗い廊下の壁にもたれて、彼女と百瀬は所在なく立っている。大切な撮影機材のうち一つを忘れたというどこか間抜けな亜梨沙と、それを取りに戻るため同行した絹華を待っているのだった。原山は二人から少し離れたところに居心地悪そうに腰を下ろしている。


「……私ね、妹に会ったの」


その待ち時間を利用して、ロアルが自らの身の上話を語り始めたのは突然のことだった。今まで自分の事となると頑なに口を閉ざしていたはずの彼女に、どういった心境の変化があったのかはわからない。百瀬は何も言わず、黙ってそれに耳を傾けた。


「会って直ぐ、逃げられちゃった」

「逃げられた?」

「そう――私あの子に、ひどい事をした。憎まれて当然なの」


そんな、と言い掛けて百瀬は口をつぐむ。

過去に何があったのかなど、他人には計り知れないことだとわかっていたからだ。かわりにあの“会議”の場で出会った、プラチナブロンドの少女を思い浮べた。目の前のロアルに似た、愛らしい娘であったと思う。素直で無邪気そうな――あのような組織に所属しているとは、到底思えない少女。ロザリーと名乗った彼女は、銀色の拳銃を携帯していた。


「私たちの生れ故郷には古くからの忌まわしい風習が残っていて――詳しくは、言えないんだけれど。決められた特定の人物を、この手で殺さなければいけなかった」

「殺す――」

「生け贄とか、そういうのに近い考えだったんだと思うわ」


くだらないけれど、絶対のルールだった。言いながらロアルは力無く笑う。


「私と妹の生まれた家はね、代々黒魔術を生業にしていたの」

「魔、術?」

「信じられないでしょ? 現代に生きる魔女よ――私もあの子も幼い頃から、鴉や髑髏や怪しいタロットやら……そういうのをオモチャ代わりに育って来たわけ」


魔法陣の中で鬼ごっこをしたり、水晶玉でサッカーしたり。

言いながら、きょとんとする百瀬を見てロアルは苦笑した。純和風の環境で生活してきた百瀬にとっては馴染みの無い単語ばかりで、現実味もかなり薄いのだろう。例えばそれは、ロアルが忍者という職種の人間を知った時の感覚に似ていた。文化の差異は仕方の無いことである。


「とにかく……人を、殺める必要があって」

「うん」

「本当はその“役”は、長女である私がやらなくてはいけなかった――」

「……!」


その告白に百瀬は酷く驚いた。見開いた目が映すロアルは俯いて、きゅっと唇を噛み締めている。


「本当なら、あの組織に行くのは私だったの。あの子は罪を背負う必要なんて無かった、ロザリーは……」

「あたし、も」


やっとの思いで絞り出した百瀬の声に、ロアルも驚いて顔を上げる。見れば百瀬はその真っ黒な瞳を微かに揺らがせて、ロアルでは無い誰かを見つめていた。


「あたし、も。あたしも、自分の役目を妹に押しつけた……」


呟いて、自分で認めて、胸が押し潰されそうになる。

百瀬は逃げ出したのだ。自分に課せられた使命を全うしていればあの日、妹が罪を犯すことなどなかったのに。優しくて臆病な千瀬にあの時何が起こったのか、百瀬にはわからなかった。可哀相な妹。剣の才ばかりに恵まれて、精神の追い付かぬうちにあの道へ追い込まれた。退路を断ったのは他でもない、百瀬だ。


「……私達は、同じ過ちを犯して出会ったんだね」


静かに落とされたロアルの言葉に、百瀬は強く目を閉じた。これは必然の出会いだったのだろう。誰に決められたわけでもなく、贖罪を必要としていた自分達が望んだ。


『あなたも、“そう”なのね?』


はじめてロアルに出会った日のことを思い出す。身一つでこの島に投げ出された雨の日。世話役だと名乗って百瀬に手を差し伸べた、彼女の瞳は哀しみに満ちていた。

ロアルは知っていたのだろうか?


「ねぇ、モモセ。私の妹とあなたの妹は、良い友達になってると思わない?」

「ロア……」


暫しの沈黙の後、それを破ったロアルの声は場違いに明るく一瞬百瀬は瞠目した。けれど直ぐ口元を綻ばせる。ロアルの気遣いが、素直に暖かいと思った。


「うん、そうね――そうだと良い」

「そうだ、あなたの妹の名前を教えて?」


問われたそれに、百瀬は柔らかな笑顔を浮かべてみせた。噛み締めるように、その響きを。


「―――ちとせ」







「百瀬、ロア!」


パタパタと音をさせて駆け込んで来た少女二人の声に、がばりと原山が顔を上げた。頬に爪の食い込んだ跡がついている――どうやら、百瀬とロアルが話し込んでいる間に居眠りをしていたらしい。会話の内容を聞かれていなくて良かったと、百瀬は胸を撫で下ろした。もとより、ロアルはそれを知った上で話を切り出したのかもしれないが。


「そんな急がなくて良かったのに――」


息を切らした亜梨沙に言い掛けてふと、百瀬は違和感に気が付いた。二人の顔色が悪い。


「……どうしたの? 忘れ物は、」

「それはありました! そうじゃなくて、」

「一咲がいないの」


亜梨沙の言葉を絹華が引き継いだ。この少女が“彼ら”の一員であるなどと、その目で見なければ百瀬は信じられなかったに違いない。絹華の指には内藤紀一の命を奪った、あのアンティーク調の指輪が今も輝いていた。


「かずさ?」

「絹華ちゃんのルームメイトなの。あたしもたまに喋ったりしてたんだけど」

「あの、最近部屋に閉じこもってた――」

「そう。今、亜梨沙の忘れ物を取りに行くついでに私の部屋にも寄ったの。様子が気になったから……そしたらもう、もぬけの殻で」


絹華の顔には焦燥が浮かんでいた。この学園内を一人出歩いているのだとしたら――その危険性は言うまでもない。

それに、何よりも。


「一咲を放って置くことはできない」

「絹華?」

「……一咲は、武藤 駿の妹です」

「――――ッ!!」


その一言で百瀬とロアルは、絹華の言わんとしている事を全て悟った。亜梨沙のいる手前“オリビア”という単語は口にしないが、ルシファーの関係者ならば厄介事に巻き込まれる確率が格段に跳ね上がる。命の危険も、言わずもがな。


(……これは、大変なことになったわね)


ロアルは心中で独りごちた。最近の混乱ですっかり一咲の存在を失念していたが、彼女のことは知っていた。原因はわからないが、武藤一咲はルシファーのことを快く思っていないのだ。何かあったとしても、彼らに助けを求めることはまずない。

彼女がここ数日引き籠もっていたのは、ルシファー組織員の来訪を耳にした為かもしれなかった。ならば何故今、わざわざ外に出たのだろうか――――ロアルの疑問は、次の亜梨沙の一言で解決されることとなる。


「妹……? う、そ」

「亜梨沙?」

「どうしよう、あたし――あたしのせいだ」


一咲は駿に会いに行ったのだ。亜梨沙の言葉に一同は愕然とした。


「どういうこと……?」

「最近、一咲ちゃんが部屋から出てこないって聞いて。あたし、あの子に元気になってほしくて――話を、あたしの好きな人の話をしてたの……!」


ロアルは目を見開いた。武藤一咲はこの学園に、兄が来ていることを知ってしまったのだ。

亜梨沙が駿の名に辿り着いたのはつい最近のことだ。逐一それを一咲に報告していたのなら、今更になって彼女が行動を起こしたのにも納得がいく。


「一咲ちゃんきっと、家の事情で先に独りで入学してたんです――駿くんが来たのはつい最近だし、あたしが言うまで知らなかったんだと思う。学園がこんな状況になっちゃって……一咲ちゃん、怖かったんだ。お兄さんに会いたかったんだ」

(それは少し、違う)


ロアルはそっと呟いた。亜梨沙の考察は半分正解だ。おそらく一咲は自分の抱えた恐怖の為ではない――組織の一員として危険に身を投じている兄の身を案じたのだろう。その安否を知りたくて、いてもたってもいられなくなったのだ。


「捜しましょう」


手分けして――そうロアルが続けようとした、その瞬間だった。ピピピピピピピ、高い電子音が響き渡って皆ぎくりと身体を強ばらせる。

最初に動いたのは百瀬だった。着ていたブレザーの胸ポケットから小さな機械を取出して息を吐く。


「着信だわ」


それはミクから渡されたもので、携帯電話に良く似た形の無線機だった。電波の届かないこの島で使用できる特注品なのだという。緊急時用に三台与えられていて、各グループに一つずつ配ってあった。


「沙南だ……はい、百瀬だけど」


言いながら受話器を耳に当てた百瀬の、表情が次の瞬間硬直した。みるみる青ざめてゆく顔色を皆が不審に思っていると、次の瞬間その手から無線機が滑り落ちる。


「百瀬!?」


床に当たって砕け散る寸前、それを受けとめた絹華が代わりに受話器を耳に押しつける。無機質な冷たさとそこから聞こえた震える声に、絹華は全身の血の気が引いてゆくような錯覚にとらわれた。



『……ぇ、ねぇ、聞こえてる?』



『なぎ、さ……が。渚が、死んじゃった』




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