第五章《迷霧》:テンペスト(3)
愛はぐるりと辺りを見渡した。
集合場所になっていた本校舎二階、207号教室の前は他より少し広い廊下が通っている。集まったのはいつもの“七不思議調査班”である七人と、うるき率いる“取材陣”数名であった。
今までの調査方法通り作業は分担される。愛と沙南のペアには渚が、藤野の双子にはマリアとうるきが同行する事になり、邑智亜梨沙はロアルと百瀬の取材にあたるらしい。単独行動を避けるため、絹華もそこに加わることになった。
「ちわ」
「よろしくっス」
アシスタント兼用心棒と称してうるきが連れてきた少年二人が声を上げる。それぞれが後藤、原山と名乗った、彼らもまた映画研究サークルの一員だ。取材側の人数比を考えた結果後藤が渚のサポートへ、原山は亜梨沙のサポートへ付くことになった。
団体になりすぎても行動し辛い。人数は、ここまでが上限だった――準備は完了だ。
(……ぜんぜん、何処にいるのかわかんない)
愛は小さく息を吐く。辺りに目を走らせても自分たち以外は見当たらなかった。けれど、必ず傍にいる。あの黒髪の少女や武藤という少年が、自分達の動きを監視しているはずなのだ。
……見ていてくれなくては困る。愛たちは今からその身を囮として差し出すのだから――渚達には、結局何も告げてはいなかった。
隣に立つ沙南にもまた愛は目をやった。入学以来一日の殆どを共に過ごしてきた相棒は、少し堅い表情で遠くを見つめている。
――思えば沙南は最初から、この件に首を突っ込むことを渋っていた。彼女の勘はよく当たるのだ。愛が無理を押し通し、巻き込んだも当然――そう思うと急に申し訳ないような気持ちになる。
「……沙南、ごめん」
「は?」
突然がばりと頭を下げた愛を見て沙南は目を見開いた。反応を返せずにいると、愛はなおも言葉を紡ぐ。
「こんなことになるって、思わなかったんだ……沙南は、最初から嫌がってたのに」
「あ、ああ! 何よ今更、もう気にしなくていいってば」
漸く合点がいって沙南は声を上げた。愛なりに罪悪感感じたのだろうと思うと申し訳なく思うのが半分、それから――失礼な話だが――少しだけ、おかしかった。
悩んだり謝ったりする、そんなのは東海林愛らしくないと思うのだ。沙南の知っている愛はいつも真直ぐで無鉄砲、正義感は強いが鈍感。全て慣れれば愛しく感じる、そんなルームメイトだからこそ沙南はここまで付いて来た。
「後悔とか、愛のキャラじゃないじゃん。もしかして緊張してんの? 見てみなよ亜梨沙を」
言われて愛は少し笑った。名のあがった亜梨沙といえばつい先刻まで行方不明だった張本人だが、その間何をしていたのかというと、この暇な時間を利用して彼女の想い人の部屋番号を調べていたのだという。
何も知らないとはいえ殺人の連発した校舎内。相当肝が座っているか、果てしなく呑気なのか――おそらくは後者だった。
「武藤くん、ってゆうの。知ってる?」
「あー、寮棟が違うんで喋ったことはねーっスけど。名前は知ってますよ、あいつ目立つし」
興奮した様子で話をする亜梨沙と聞き役に選ばれた原山の声が、愛の耳にも届いた。どうやらついに亜梨沙は、片思いの相手に辿り着いたらしい。
「やっぱり有名人なんだぁー! 播磨くんっているでしょ、彼と同じ部屋だったの!」
「ああ、亮平のやつも有名っちゃ有名っスから」
「部屋に行ったんだけどね、武藤くんいなくて……そしたら播磨くんが、『あいつのコトはほっといてやってくれ』とか言うんだよ!」
「はァ」
「どーしよ、もう武藤くん、追っかけとかファンクラブとかに付き纏われてるって意味かなぁ……」
ころころと表情を変える亜梨沙にどう対応したものか、すっかり原山は困っているらしい。そんな様子を見て沙南と愛は声を忍ばせて笑った。
「ちょっと沙南、“武藤くん”て……」
「あの“武藤くん”に決まってるでしょ」
「ひぇぇ」
捜し求めている“彼”が今どこかから自分を見ていると知ったら、亜梨沙は卒倒するかもしれない。その様が簡単に目に浮かんで、思わず愛は失笑した。
「さァ、皆サンそろそろ行きますヨー」
どこか気の抜けたうるきの一声で、ついに撮影が開始される。皆それぞれ手を振って、各々目的とする場所に向かうこととなった。
「……みんなまた、会えますように」
小さく呟いたのはロアルだ。愛はそれに頷いて、沙南と渚の背中を追う。
*
「東海林さんと五十嵐さんの担当してる“七不思議”って何なの?」
後藤直純は問い掛けた。彼は映画研究サークルに所属してはいるものの対して活動には加わったことのない、幽霊部員予備軍である。そんな後藤が今回の仕事に参加した理由はただ一つ、面白そうだったから、だ。
後藤は幽霊も悪魔も信じていないがしかし、この“学園”の謎には興味があった。きっと、誰もが一度はこの土地の不自然さに気が付く。
「愛が『寮棟の開かずの部屋』で、あたしが『第二図書室の閲覧禁止本棚』の話」
少し思い出すようにしながら沙南が答える。結局双方とも、これといった結果は出せなかったものだ。第二図書室のほうなどは藪を突いて蛇を出したばっかりに、当初の目的を忘れて違う流れに巻き込まれてしまったのだから。
「まーぶっちゃけ、寮棟探せば開かない部屋の一つや二つ見つかるんだよね」
苦笑を浮かべて愛が言う。今回の撮影は調査をした、というドキュメンタリーが撮れれば問題はないのだ。映る側も、それらしく振る舞いさえすれば良い。
「第二図書室にはちゃんと入っても良いけど――見つかるのは秘密じゃなくて、この島の歴史」
「エリニュエス=グロリア……だっけ」
「なにそれ! なにそれ!」
愛と沙南の会話にすっかり興奮した様子で、後藤はあれこれと問いをぶつけた。実は知らぬうちに様々な情報を集めていたらしい。二人とも自覚はなかったが、後藤の驚く様ではじめて気が付いた。
もちろん二人とも、ルシファーについては一言たりとも語らなかったが。
「――志田、どしたの」
愛が渚に声をかけたのは、後藤との話が一段落ついてからだった。四人で歩き続けた先、第二図書室の入り口が見えた頃のことである。
渚は僅かに目を細めどこか、ここではない遠くに耳を澄ませていた。その様子に残る三人は首を傾げる。
「……悪い東海林、あたし用を思い出した」
「え、はい? 何?」
唐突に口を開いたかと思えばそんなことを言う。片手を上げた渚に愛も沙南も、目を白黒させた。
「直ぐ終わるから、先に図書室入ってて」
「ちょっと待っ……」
「後藤、ちゃんとカメラ回せよ」
「りょーかい、志田センパイ」
「おい、志田ッ!!」
くるりと背を向けて駆け足で去ってゆく渚に、後藤だけがのんびりと手を振った。沙南は表情を強ばらせ、愛は唇を噛み締める。
……一人では危ないから行くなと引き止めるには、理由を話さなくてはならない。それが出来ないのだから、見送るしかなかったのだ。
「ちぇ、なんだよー、あいつ……」
焦燥を誤魔化すように愛は呟く。仕方ないから中へ入ろう、と残る二人に合図をした。きっとああ言ったのだ、渚はすぐ帰ってくるだろう。
―――――この時彼女を無理にでも引き止めなかったことを、後に愛は心の底から後悔する。
志田渚が物言わぬ姿で発見されたのは、それから三十分後の事だった。