第五章《迷霧》:テンペスト(1)
一度目はクルーザーを使用した。夜の海を渡り水面の月を割って、あの島に到達した。
二度目となる今回は、情報屋の手配したヘリに乗せられている。ミリタリータイプの巨大な機体には、主要プロペラが二ヶ所に付いていた。
こんなものがあの島に着陸できるのだろうか、という千瀬の心配は杞憂に終わったらしい。そもそもエリニュエス=グロリアは軍事施設だったのだ。隠されているだけで、ヘリポートは存在する。
(また会おう、チトセ君)
仕事があるからと別れを告げた、ゾラと菫は同乗していない。時計の針は午後を回った真昼の空を飛びながら、千瀬は刀をぎゅっと握り締めた。
(心配はいらないよ)
ヘリに乗り込む寸前、千瀬の頭を軽く叩いてゾラは笑った。心配はいらない。先のことなど見えているかのように、そう彼女は繰り返した。
(君は何にも考えないで、やりたいことだけやればいい)
かちゃり、鍔鳴りがする。例えるならばこの刀は千瀬の半身だ。千瀬は生きるために、殺すために、この刄を振るう。
「非合法の改造型ですから、2時間もかからずに着きますよ。それまで休んでいてくださいね黒沼さん」
千瀬の他に唯一ヘリコプターに乗っている、パイロットの声がした。サン・ハッタと名乗る、そのインド人の男はルシファーから派遣されたらしい。話によれば七見月葉の直属で、デューイ・マクスウェルとも知り合いなのだという。
ロヴの能力が働いているのだろう、彼とも滞りなく会話ができた。
「……はい」
頷いて千瀬は目を閉じる。眠るわけではない。刀を抱き込むようにしながら、まだ遠いあの島を想った。
少女は今から敵を斬りに行く。
数多の命を奪った己の刄で今度は、仲間を、姉を、護るために。
*
「……本当にここなの?」
「ああ――」
ミクとルカを引きつれて瓦礫の山に再度降り立った、駿は茫然と呟いた。この場所で起こった爆発と、命を落とした少年について。報告を兼ねて、二人の判断を仰ぐつもりだったのだ。
駿がこの場所を離れてから、そこまで時間は経過していない。“地下牢”でのミーティングは時間に換算すれば、一時間にも満たなかっただろう。
現に今この場所には、まだ爆発の名残が色濃く残っていた。火薬の香と、折り重なった死体の血生臭さ。一般生徒はやはり自室に閉じ籠もったままなのだろう。誰かがこの現場を発見して騒ぎ立てた様子もなかった。なのに。
「どうして――――ッ」
見つからないのだ。ウォルディの遺体だけが、どこにもない。
播磨亮平が彼の身体を担いで移動したということはありえなかった。亮平自身はあの後すぐに柳原冬吾――ウォルディのルームメイトだ――の所に向かっているのだから。
では、誰が?
「本当に死んでたのね?」
「……ああ、」
死んだ。ミクの問い掛けに低く返しながら駿は目を瞑る。目蓋の裏に焼き付いたあの少年の死に際を、消えてゆく体温を思い浮べた。
確かにあれは、目の前で起こった事実だったのに。まるでウォルディの死など無かったことのように、幻であるかのように感じてしまう。
(……いや、違うか)
駿は自嘲の笑みを浮かべた。幻であってほしかったと、思っているのは自分自身だ。
「……わかった。この様子を見る限り、その“ウォルディ”も放っておいて良い相手ではなさそうね」
「だから、ウォルディは……」
「本人が死んだのだとしてもまだ、“アイジャ”が残ってるわ」
静かに告げるルカの声にミクもまた同意を示した。“アイジャ”と“ウォルディ”の関連性はわからないが、無関係でないことは確かだ。
「彼女は私達の敵じゃなくて“オリビア”を標的としてる――って考えが良いセン行ってそうだけど。現にこっちに被害はないし……ルカ、どう思う」
「そうね――でも、邪魔をされては困る」
ゆらりと一瞬ぬばたまの瞳の中の、闇が揺れ動いたのを駿は見た。いつも柔らかな笑みを浮かべているルカの様子は今日も変わらない。しかし日本から帰還して以来、どこか近寄り難い空気を纏っているのを駿は感じ取っていた。
“オリビア”はそれほど警戒するに値する相手なのだろうか、それともこの少女の“能力調査データ”はそれほどまでに奪還を急がなければならない物なのか。おそらくは、後者。
「ウォルディって子は、“オリビア”に殺されたんだと思う? 駿の話を聞く限りじゃ相討ちって感じだけど」
「……待てよ、じゃあこの辺の死体全部それの仲間ってことに」
今日は気温が低いお陰だろうか、まだ特有の臭いはしない屍を少年は渋い顔で見つめた。
ここにいる人間が全て“オリビア”だと言い切るには些か疑問が残った。死体の身につけている服は黒いスーツが殆どだが、数人奇妙な出で立ちの者がいる。華美に着飾った貴族のようなそれは、仮装パーティーにでも行くような格好に思えた。転がっている武器も大きな槍で、駿の見た【ゴスペル】の様子とはだいぶかけ離れている。
そして、何よりも。
「“オリビア”は俺達三人がかりで仕留め損なうような相手だぜ。ウォルディ一人で、これだけ相手にしたってのか」
「さぁ……アンタ達が間抜けだったのかもよ」
碧い瞳にばっさりと切り捨てられて、駿はぐっと言葉を詰まらせた。確かにあの時は色んなことが重なって、かなり馬鹿なことをしたと思う。駿たちの逃がした【ゴスペル】は後に絹華が始末を付けたのだから尚更だ。
――ただ千瀬は、単身【ゴスペル】を追いかけた先で別の相手から攻撃を受けた。“オリビア”は数人以上から成るグループで、一対一ならば千瀬や駿達と同等かそれ以上の戦闘能力を持っている。それは、確かだった。
「とにかく、アイジャのことは念頭に置いて行動しましょう。向こうはもう動いてしまったんだもの、今日中に決着をつけてくる――配置はわかってるわね、シュン」
「――わかってるよ」
一つ息を吐いてから駿は頷いた。これからルシファーの一団は、決着を付けるべくある作戦に出る。
中途半端な情報を得ただけで進展のない彼らにできることなど多くはない。わかっているのは“協力者”として集めた中に“朝霞恒彦”の持ち去ったデータの所有者がいる可能性がある事と、彼女達が“オリビア”から狙われている、その二点のみである。
作戦といっても大したことができるわけでもなかった。駿たちはこれからあえて“協力者”達を学園内に点在させ、相手から向かってくるのを待つのだ。
無論、女生徒たちはルシファーの監視下にある。ルカが全員の居場所を把握していて、さらに駿やロザリーといった構成員がそれを影から追う形にした(絹華は“生徒”の役を続けることにしたらしい)。
「――勝負は今日中ね。これを逃したら次はいつ仕掛けてくるのか、予想ができない」
「今日中に決まるわ、きっと」
言いながら踵を返したルカの黒髪がふわりと綺麗な弧を描く。彼女はこれから先に一仕事、済ませなければならないのだ。
――“映研”側の人間も集めよう、そう提案したのはうるきだった。少女達がこの危険極まりない学園内をうろつく最も自然な理由は、“七不思議”に関する調査をする、というものである(もはや忘れられがちた、当初の目的はそれだったのだ)。
理由を作っておけば後始末が付けやすい。教師やその他の一般生徒に問われたとき、言い訳として使えるのはそれだけだった。
“調査”と言い切るならばこれまで通り“取材”陣が付き従うのが自然の流れというもの。つまりフルキャストで最後に一芝居、うってみようというわけだ。
(……まァ、それだけじゃないんだろうけど)
駿はうるきの顔を思い浮べた。眼鏡の奥に隠されていたのは二重、三重にも色を重ねた聡明な瞳だ。
わざわざ映画研究サークルの面々を危険な舞台に引きずり出した彼女の本心を、何となく駿は読み取っていた。ルシファーの“協力者”に接触していた者達と知られれば、映研の人間が狙われる可能性はかなり高かった。口封じ、証拠隠滅、理由ならいくらでもある。
東海林愛と志田渚が協力の約束を取り付けた段階で、もう“危険”に足を踏み入れたも同然だったのだ――ならば。
同じ“危険”の中にいるのならば、ルシファーの監視下にに置いてしまったほうが安全性はぐっと高まる。少なくとも戦力が、こちらにはあるのだから。
(友達を守りたかった、ってとこか)
聡い奴だ、と駿は舌を巻く。
こうして急遽“作戦”に参加することになった少女達に、これからルカは会いに行くのだ。勿論正面から顔を会わせるわけではない。志田渚、邑智亜梨沙、マリア・ウィンチェスター、その他部員といった面々の姿形、それから気配を陰から眺めるだけだが。
……一度覚えてしまえばルカは、その気配を辿る事ができる。
「あたしも行くわ」
言ってミクが跡を追い駆けた。取り残されて仕方なく、駿は自分の持ち場を目指すことにする。
足場はかなり不安定。でも、やるしかないのだ。
(早く帰ってこい、馬鹿チトセ)
情報もその戦力も、全てが終わってからでは意味がない。