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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:謎を解いて(6)

栗原 菫は情報収集の能力に特化した少女である。ルシファー本部を離れサポート役に回るのだと、以前本人の口から千瀬は聞いた。組織での階級は千瀬と同じ《ソルジャー》。けして戦闘向きではない彼女はロヴの推薦で、ゾラの助手として活動していたのだという。


「そう、だったんだ……」


菫の案内で何処かへ向かうらしい。院内の廊下を進みながら会話する、千瀬達の十歩後ろをのんびりゾラは歩いていた。


「ゾラさんと一緒にいるのは勉強になるよ。彼女、自分で言う以上に凄い人だから……一流なんて言葉じゃ言い表わせないくらい」

「彼女、って……」


ちらりとゾラを振り返り、十分距離があることを確認する。声をひそめてこそりと千瀬は呟いた。


「ゾラさんて、女の人だったんだ……」

「あはは、判り辛いよねぇ。わざとそうしてるみたいだけど」


私も最初はわからなかった、言いながら菫はころころ笑う。


「コードネームみたいなのもいっぱい持っててね、別人になりきって仕事するの」

「“ゾラ”は?」

「それは一応本名。キュースシェリング・A・ゾラ・ヴィデルバントっていうのよ」

「長い……」


溜息を吐きそうになるのを飲み込んで、代わりに千瀬は肩を落とした。自分の周りには常識を逸した人物が多いとつくづく思う(千瀬自身もその同類にあたるのだが、本人に自覚症状は無かった)。


「――ここです」


菫がふと足を止める。振り返ってゾラに示した部屋の番号は、1832、とあった。入院患者用の病室に見えるが、それにしては随分と番号が大きい。部屋の位置も病院のかなり奥まった、人目に付きにくい場所だった。人気もない。

――隔離病棟、という言葉が千瀬の脳裏に浮かぶ。一般看護士でさえその姿は見当たらず、代わりに初老の女が一人、何やら器具を乗せた台車をゆっくり押して過ぎて行っただけだった。


「……ここは一般病棟と少し違ってね」


おもむろにゾラが口を開く。人種の違いもあるだろうが、女にしてはかなり背の高い彼女を千瀬は仰ぎ見るようにした。


「今から僕らは、この部屋に入院している“患者”と面会しようと思うんだけど――その前に、」


スミレ、と名を呼ばれて少女が頷く。携帯情報端末に形の似た掌サイズの機械を鞄から取り出すと、菫はパチンと画面を持ち上げた。手慣れた様子で十数桁の暗証番号を打ち込むのをあっけにとられた様子で千瀬は見つめていたが、その端末の画面に凄まじい勢いで細かい文字が流れ始めると目を見開いた。


「これはね、この病院にかかったことのある患者のリストとそのカルテだよ」


言いながら画面から目を離さない、菫の瞳に青白く光る文字が映っている。やがて激流の中から何かを見つけ出したらしい、少女の操作によって文字の動きは停止した。


「ありました、朝霞恒彦とその養女のカルテです」

「読んで」

「約十四年前、ですね。朝霞恒彦――交通事故で右手首を骨折、左大腿骨も損傷……本人はこの程度だけど、同乗していた養女が手術を必要とする重傷を負ったみたいです」


――手術、ねェ。

呟いてゾラはにやりと笑った。もし体内に異物を埋め込むのならば、それ相応の設備と時間が必要だった。本人にも知らぬ間に事を済ませるには、手術というイベントは一番自然な理由にできる。


「カモフラージュにはもってこいだな」

「オペを受けた子供は当時三歳になったばかりでした。名は朝霞翠子あさか みどりこ――旧姓は、藤野」


ミドリ、と。

片割れの名を呼んだ少女の声を千瀬は思い出した。翠子という名の娘は確かにあの時、あの場所にいたのだ。“オリビア”はそれを知っていた。データを保有する娘を、藤野という姓を頼りに捜し出したに違いない。双子ならば尚目立つ。


「それじゃあ、予備知識を得たところでご対面といこうか」


コンコンと軽い調子で白い引き戸をノックする。ゾラの示した扉の向こうにどのような人物がいるのか、現状と何の関係があるのか、千瀬には全く想像がつかなかった。

中から返答の無いその部屋には、どうやら鍵が掛かっているらしい。個室とはいえ、病院の中にしては奇妙な話である。ゾラはそれを気にする素振りなど見せずに、心得たように鍵穴へ掌を押し当てた。

数秒後、カチ、と小さな音が響く。鍵が開いたのだ。


「!?」

「まァ……僕は、ルカの“同胞”だから」


人間を超える者。進化を遂げたヒト。驚く千瀬にゾラは、自分もまたそうなのだと告げた。

彼女の持つ超人的な雰囲気に、そこで初めて千瀬は納得する。悪い意味ではなく文字通りの意味で、類は友を呼ぶとは良く言ったものだ。この広い世界の中で奇跡とも呼べる稀少な存在が、これだけ集まるのだから。やはりお互いに、わかるのだろうか。


「さぁ……入って」


ガラリと音を立てながら扉をスライドさせる。無論面会許可など無い他人の部屋に、千瀬は恐々と足を踏み入れた。プライバシーも何もあったものではない。


――病室の中には柔らかな光が降り注いでいた。カーテンの隙間から差し込むヴェールのような淡い白。陽溜りに照らされたベッドには、沈み込むようにした小柄な人影が見えた。

眠っているのだろうか。規則正しく上下する胸の上にかけられた布団もまた白い。呼吸音の合間には心電図の電子音が響いて、それだけが何処か冷たかった。

長く伸びた髪から少女であると判る。布団からはみ出した片腕に繋がる点滴のチューブを見た後はじめて目をやった、その顔に千瀬は息を呑んだ。


「――う、そ」


声が擦れる。

穏やかに眠るその顔は目を閉じていてもわかる、あの“学園”にいた双子とそっくり同じだった。思わず我が目を疑って、しかしそれが真実であると知る。千瀬の脳裏に焼き付いた二人の少女と、何から何まで同じなのだ。


「これ……は、誰なんですか?」

「翠子、だよ。事故で強く頭を打って、手術を受けたけれど今も意識が戻らない」

「嘘、違う……!」


これは翠子じゃない、千瀬はここが病室だということを忘れて大きく声を上げた。響き渡ったそれにはっと口をつぐんだが、眠る少女が目を覚ます様子はない。植物状態に似ているけれど少し違うの、と菫が呟いた。


「一時は危ない状態だったみたいですけど、今は安定してます。脳波も正常だし、自発呼吸もある――深く眠っているような状態、と言うのが医師の見解です。でも時々不思議なことに……夢を、見ているようなんですって」


通常夢をみることなど無い深い眠りの中にいながら、少女に取り付けた脳波測定器は確かな夢の波形を描く。レムとノンレムの境を漂ったまま、彼女は現つに帰ってこないのだ。

病院の中央コンピューターハッキングをかけたらしい。携帯端末に情報を移し取って読み上げながら、菫は千瀬に語り掛けた。

不思議だね、僅かに首を傾げながら呟く。


「十四年間眠り続けたまま、外部から投与される栄養を頼りに生きている。こんな状態だけれどちゃんと成長したのよ、勿論筋力なんかは無いだろうけれど」

「そんな――」

「治療費は恒彦が指定して遺した口座から毎月引き落とされているみたい。まだかなりの額が残ってるよ――翠子を生かしておいて、どうする気だったのかしら」

「翠子は、学園に……!」

「この娘は間違いなく“ミドリコ”だよ、チトセ君。アサカと呼ぶかフジノと呼ぶかは、悩むところだが」


眠る少女の頬にゆっくりと手を当てながらゾラは呟いた。優しい仕草でそのまま手を滑らせて、伸びっぱなしになっている髪を掻き上げる。少女の額横から後頭部のほうまで、大きな古い縫い傷があるのが見えた。


「どこに埋まってんのかなァ……」

「で、でも……! あの島に翠子はいたんです、あたし、見たんです!!」


ここにいるのが翠子ならば、“学園”にいるのは誰だ。眠る少女は顔こそ酷似しているが、あちらにいる双子よりだいぶ髪が長くなっているように思える。

まさか本当に、十四年も? この娘の体内に“データ”が隠されているならば、あちらの女生徒たちが襲われた理由が。ぐるぐると思考が混乱を始めた千瀬の横でゾラが笑う。


「つまり“オリビア”の奴ら、ツネヒコの策ににまんまとやられたのさ」

「策……?」

「そう。――良いかいチトセ君、今から僕の言う話をよーく聞いて、君はあの島に帰るんだ。それで、」


あのくだらない茶番劇を、終わらせるんだよ。



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