第五章《迷霧》:優幻挽歌(1)
何も見ていない、
聞いていない、
知らない、ふり。
でもたった一つ、
覚えていることがあるよ。
あれは子守唄じゃなくて、
柩を挽きながら謡う歌。
「でも、アイジャは好きよ」
この歌が好き。
ねぇ、おにいさま。
―――――ドォォォォォン、
低い大きな地響き。弾かれたように顔を上げた駿は咄嗟に辺りを見回すが、閉鎖された狭い校舎内ではどこが音源かもわからない。
かなり大きい、と駿は思う。空気がびりびりと揺れる、地面も揺れる。地震が発生した時のようにカタカタと共鳴する壁に手をついて、焦る気持ちを落ち着かせた。
(……畜生、)
どこかで爆発でもあったのだろうか。駿が耳にしたそれはよくマフィア間抗争で使用される、手榴弾やバズーカ砲の爆音に良く似ていた。
悩んだ末、少年は音が聞こえた方向へと足を向ける。千瀬を見失ってからもう随分な時間が経っていたが、未だその姿は確認できないままだ。
――あの【ゴスペル】なる人間が爆弾を所持していたのかはわからない。けれど万が一そうなら。千瀬が爆発に巻き込まれていたとしたら。
「……ヤバイな」
独りごちて駿は駆け出した。
時刻はもうじき正午を迎える。今日は時間が経つのが、やけに遅い。
*
凄まじい轟音と共に地面が揺れて、ロアルは前につんのめった。一体何が起こったのかわからぬまま顔を上げれば、前方では同じ髪色の妹が派手に転んでいる。受け身をとってうまく床を転がったロザリーは目を丸くすると、ぱっと東に目を向けた。衝撃と混乱の中一瞬で音源を突き止めたのだろう、こういう感覚は昔から鋭いのだ。
「……お姉ちゃん、」
あたし、行かなきゃ。
逃げ続けていた妹がようやくロアルに向けた言葉はそれだった。銀色の瞳が見つめ合いお互いの姿を映す。
口を開けば飛び出しそうになる言葉が、ロアルには山ほどあった。思い止まることが出来たのは今の状況と、目の前の少女の意志を知っていたからだ。
ぎゅっと目を閉じてから、ロアルはゆっくりと唇を開いた。母国の言葉を話すのは久しぶりだ。声が震えなければ良いと、思いながら。
「……行っておいで」
「――――うん」
お姉ちゃんは部屋に、帰ってね。
指差されてはじめてロアルは、自分が寮棟のすぐ近くまで来ていたのだと知る。妹は逃げるふりをして結局、姉を安全な場所まで誘導していたのだ。
……いつも、そうだった。ロザリーは必ず、ロアルのことを第一に考える。
(……あの子、まだ“あれ”を持ってた)
身を翻して駆けてゆく、どんどん小さくなる背中を見つめながらロアルは思う。
――可哀想な妹。
まだあの忌まわしい儀式の呪縛から、解き放たれていないのだろうか。
*
その場所には存外早く辿り着いた。――が、そこから先へはそう簡単に進むことはできないらしい。
駿は思わず眉を寄せた。目の前に広がる瓦礫の山は、きっと教室の壁だったものだ。立ち昇る煙は未だおさまっておらず、かなり視界が悪い。
(派手に壊しやがって)
威力調整済みの爆弾だったのだろうか、その部屋以外に損傷が見られないことだけが救いだった。下手すれば校舎ごと崩れ去っている所だ。
――考えながら目を凝らしていた駿は、刹那息を呑んだ。
「……チトセ!?」
土埃で霞むその先に、黒い人影が見えたのである。手足を地面に投げ出して俯せになる人間の形。
まさか。
額に汗が伝ったのを感じながら少年はそれの元へと近付いた。瓦礫を退かしながら進む作業に時間を食って舌打ちする。
「……違う、」
ようやく倒れている人間の傍まで寄って、駿は思わず安堵の息を吐いた。千瀬ではない。気付いて同時に顔をしかめたのは、それが死んでいることに気が付いたからだ。
なんだこれ。呟いた駿の声が響く。
「……マジで、なに」
死んでいたのは細身の女で、黒いスーツを身に纏っていた。色合いがルシファーの仕事着に酷似していて紛らわしい。落とそうとした溜め息を次の瞬間、少年は引っ込めることになる。ぎょっと目を見開いた。よくよく辺りを見回せば、その場に倒れているのは女一人だけではなかったのだ。
……屍累々。女と同じような出で立ちをした人間たちが、崩れて石塊となった物の合間に折り重なるように倒れている。若者から初老の男まで、その年齢は様々だった。爆風の為か腕がもげている者もある。
「……わけ、わかんね」
駿は呆然と声を落とした。何処からどう見ても生徒ではない、彼らは一体何者なのだろうか。
全ての人間が爆発の被害者なのかと思いきや、それも違うらしい。異なる死に方をしている一体を見つけ、駿はうぇ、と潰れたような音を洩らした。
完全に首が飛んでいる。すっぱりと切断されたそこは赤黒く変色していたが、刃物の切り口とは少し違う気がした。千瀬がやったわけではないのだろう。
――その死体を避けてまた一つ瓦礫を動かした、駿の身体が瞬間硬直した。
「……な、っ」
教室だったその場所の、一番奥。駿の目に映ったのは良く知った、探していたはずの少年だった。唯一形を留めていた奥の壁に背を預けて座り込む、その服がおびただしい真紅に染まっている。
「ウォルディ……ッ!!」
まるで身体から生えて来たかのように。
少年の腹部には、純白の槍が一本突き刺さっていた。