第五章《迷霧》:間話‐真実と少年達の物語(2)‐
裏合法的平和維持組織、煉獄を統括するファンダルスの血族。もし彼らの家系図を見ることができたならば、そこにある法則が存在することに気が付くだろう。ファンダルスはそれに則って、これまで変わらぬ繁栄を続けてきたのだ。
――彼らの持つ人知を超えた力を次世代に受け継がせる為には、ある特異な条件下でその子を成すことが必要であった。一つに、ファンダルスの血を引くものが男であった場合その妻も能力者でなければならない――即ち、異能者同士の婚姻のみを認める、というものがある。
ファンダルスの能力は強大で、それを持って生まれてくる次世代の子はやはり特別だった。人並み以上の力を有する能力者の女以外では、出産に耐え切れず皆死んでしまうのである。
また、一族は原則として一組の親につき一人ずつしか子をもうけない。これは、何人兄弟姉妹がいようともその能力が第一子にしか受け継がれなかった為である。特異さ故なのだろうが、詳しい理由はわかっていなかった。
例えば現総帥・ラディーニの父――つまり先代のドン=ファンダルスだ――には弟がいたが、彼にはファンダルスの血族のような特殊能力は一切備わっておらず、ただびとより僅かに聡い程度の男であったという。その段階で一族の分家と認定された彼は、普通の人間の女を娶って家を出た。以来、死ぬまで一切組織とは関わりを持たなかったらしい。
不思議と一家に生まれる嫡子が尽く男児であったことは、この二つの決まりごとが異論無く守られ続ける要因となった。
そしてウォルディ・レノ・ファンダルスも、ルールに則ってこの世に生を受けたのだ。
「――ウォルディ・レノ・ファンダルスだな?」
突き付けられた銃口と低い声に少年はくすりと笑みを零した。見つかってしまった諦めと、よくもまぁこんな所まで来たものだ、という呆れにも似た感嘆。後ろ頭に当たる硬い無機物の感触がごりごりと擦り付けられて、返答を催促されていることを知る。
「そうだと言ったら?」
「そのお命、頂戴する」
だろうね。
呟いてウォルディは相手の死角で小指をくいと動かした。
途端、ぱちんと何かが弾ける音が響き渡る。
部屋にぴんと張り巡らされていた光を反射しないワイヤーが勢いを付けて飛び出した、瞬間ごとんと少年の背後で鈍く響いたものがあった。研ぎ澄まされた鋼鉄の糸で首を落とされたらしい、命を失った男の掌から拳銃が滑り落ちて床に身を投げ出す。カランと高らかに響いた時には、残る首から下もまた地に崩折れていた。
(こんなトラップでも役立つのか)
切断面から紅い液体を吐き出し続ける死体を一瞥する。そのままウォルディは部屋の外へと声をかけた。出ておいでよ。
暫しの沈黙の後、それに応えるかのように扉の向こうから人影が現れた。先頭の男は僅かに逡巡してから(おそらく第二トラップの発現を恐れたのだろう)部屋に踏み込んでくると、死体の傍に佇むウォルディを見て低い声を上げた。
「なんとも手厳しいご挨拶だ、ウォルディ閣下」
「知ってるかい? こういうの、正当防衛って言うんだよ」
軽い調子で言い返してみせる、少年の目は感情を感じさせない。仲間が目の前で死んだというのに、男の方も仮面のような表情を浮かべたままである。
その彼の後ろには揃いも揃って黒いスーツに身を包んだ人間がぞろぞろと並列していた。男もいれば女もいる。黒ずくめの見た目はまるで、悪の秘密結社のそれのようだ。順々に眺めているうちにウォルディは笑いだしたいような気持ちになる。こんな連中が、
(こんな馬鹿な連中が、玉座を狙っているなんて!)
いつかこんな日が来ることはわかっていた。自分のこと、一族のこと、仕事のこと。何も知らなかった幼い頃。アイジャが屋敷に連れてこられた日と、ユリシーズの存在。
ウォルディの頭の中を様々な彩りと共に、目まぐるしく渦巻き駆け抜ける記憶。それにそっと意識を乗せて、少年は僅かに目を伏せた。
――はじまりはきっと。
ウォルディは考える。全ての綻びは、自分がこの世に生を受けた瞬間にはじまったのだ。
ウォルディ・レノ・ファンダルスはダンカの一人息子として一族の純血をその身に受け継いだ。母親は念動力を得意とする、強い力の持ち主――つまりは能力者である。ファンダルスのまごうことなき後継者となる少年の誕生を、一族は皆祝福した。祝いの席には組織の人間も参列した。
……一体その日、誰が想像しただろうか。嫡男となるその赤子が、重大な欠陥と共に生まれてくるなんて。
「……ウォルディ閣下。貴殿にこの組織を、任せるわけにはいかない」
男の声に現実に引き戻される。顔を上げれば立ち並ぶ人間たちが、皆一様に何かを手にしていることにウォルディは気が付いた。その殆どはピラムと呼ばれる投躑用の槍で、中にはどうやって持ち込んだのか、七メートル以上にもなる長槍を持っている者もいる。
最もらしい理由を付けて立ちはだかる、この男は謀反を起こそうとしているのだった。革命という名の下剋上。組織の世継ぎを殺すためにわざわざここまでやって来たこの刺客こそが、ウォルディの真の敵だった。
男にとってはこの程度の重装備、当たり前のことなのだろう。彼は今から神を殺すのだ。ファンダルスと言う名の不文律を、ついにその手で壊そうとしている。
「――ダウマン子爵。俺を殺して、どうする」
自分の部下と仲間を引きつれて孤島くんだりまでやってきた、それに敬意を込めて呼んでやる。男はぱっと上げた顔を引き締めて、凛と声を張った。
「ファンダルス亡き後は我らの正義で、カーマロカを導くのみ。ウォルディ継嗣殿下には舞台を降りていただこう」
「…………くっ」
「――?」
「……ふ、あは、はははっ」
限界だった。ついに我慢できなくなってウォルディは、片手で顔を覆いながら笑い声を立てる。目尻に涙が浮かぶほど笑って笑って、ようやく治まった頃にはダウマンが気味悪げに少年を見つめていた。
こんなに笑うのは初めてだ、とウォルディは思う。どうやら自分の一世一代の大仕事は、無事その役目を果たしていたらしい。
――自分こそが一族の継嗣だと思わせる、その芝居は。
「可哀想に。そうかお前、アイジャを知らないんだ」
「……何です、それは」
訝しげに問い掛けるダウマンの、瞳は動揺を隠し切れていなかった。ウォルディは少しだけ良い気分になって口元を綻ばせる。
説明してやっても良いかもしれない、と思った。どうせ彼らはアイジャの所に辿り着く事など出来やしないのだ。わざわざ罠を張った部屋で待っていたウォルディが、その命に代えても始末するつもりだったから。
「……ドン=ファンダルスが寵愛している娘を知っている?」
言いながら少年はその脳裏に、もう何百と見た光景を思い描いた。
煉獄が本陣を置いている古い洋館、ファンダルスの屋敷の奥。人目には触れない一族だけの秘密が、ある日その部屋にしまわれた。
アイジャ・ラ・ファンダルスは、ダンカとその愛人フローラとの間に生まれた子供だ。彼女が生まれると同時にフローラは死んだらしい。アイジャはダンカに引き取られ、祖父ラディーニの下で育てられることになった――ウォルディが、四つの時だ。
当時、一族は一つの問題を抱えていた。嫡子ウォルディが生まれ持ったはずの能力を、全く発現することができなかったのである。
影で欠陥と囁かれる毎日が続いた。アイジャの能力が判明したのは、そんなある日。
(ファンダルスにとっては、嬉しい誤算だったのだろう)
アイジャは一族が代々受け継いできた煉獄の炎をその身に宿していたのである。母フローラはただの人間で、力を持った赤子の出産に耐えきれなかったのだ。
――なんてことだ、と一族の人間は言った。
ヒトと能力者のハーフであるアイジャが能力を持ち、身体に純血を巡らせるウォルディが“できそこない”なんて。
アイジャはウォルディに代わって世継ぎの役を言い渡された。余りにも幼かった本人は、ことの重大さに気付いてなどいないだろう。
反逆者の手を恐れた一族は、来たるべき時まで代役を立てることにした。ウォルディに偽者の継嗣を演じさせ、アイジャの存在を下の者に隠したのである。
同時にアイジャには、強力な“守護者”が与えられた。
「まさかその娘は――ルイン公爵の妹君か」
「そう、義妹さ」
ウォルディは軽やかに笑う。そう、アイジャの存在は極秘だった。例え知ったとしても、あの少年の妹という話で口裏を合わせてあったのだ。
――アイジャに与えられた“守護者”。それこそが、ユリシーズ・ルインである。まがい物の兄として、それから教育者として。総帥に命じられて以来ユリシーズはずっと、その役をこなして来た。……少年がカーマロカに従事している、唯一の理由だ。
「ユリシーズも可哀想な身の上でね。あれはアイジャの義兄だが、兄ではない」
「……は?」
困惑するダウマンに、そこまで説明してやる気は起きなかった。男から視線をそらし、そのままウォルディはどこか遠くを見つめる。
ユリシーズもまた、哀れなファンダルスの異分子だった。彼の身体に流れるその血はたった八分の一。
前述したように現総帥の父には弟がいたが、彼もまた一族から分離した先で家庭を築いたのである。その家に生まれた一人息子ウィーノは、言うなれば総帥ラディーニの従兄弟だ。
そのウィーノが成長し妻を娶って子を成す。ダンカの“はとこ”にあたるその子はサロマと名付けられ、やがて美しい一人の娘になった。
――ユリシーズはそのサロマと、フレデリック・ルインという男との子である。
ファンダルスの直系から遠く離れたこの少年の誕生は、再び一族にとって予期せぬ事態を巻き起こした。
隔世遺伝、先祖返り、呼び名は様々だ。原因は一切不明だがユリシーズには、人間には無い能力が備わっていたのである。――それは、全てを焼き尽くす業火だった。
(可哀想なユリシーズ)
ユリシーズとウォルディの関係は、はとこの子同士、ということになる。親戚と呼ぶにはもう、余りにも遠い。
母サロマはユリシーズの出産と共に死んだ。母親だけではなくその父も、特殊能力の片鱗すら見られないただびとだった。
仕事で家を空けてばかりの父親に育児などできるはずもない。生まれた子は名前すら与えられずに施設へと預けられた――少年がそこを根こそぎ燃やしてしまう、その日まで。
その後彼がカーマロカに出会うまでの経緯を、ウォルディは知らない。知っているのはファンダルスの力を認められ、アイジャを護ることを命じられたという事実だけ。
現カーマロカ首領・ラディーニは自分の父の名――ウリクセス、といった――をとって、少年にユリシーズと言う名を与えた。どちらもギリシアの英雄、オデュッセウスの意だ。
「アイツが本当の兄なら、良かったのにね」
類い稀なる力を持って生まれたユリシーズ。彼が本当にアイジャの兄ならば、カーマロカの後継者ならば、万事上手くいっただろうに。
「……先程から仰る意味がわかりませんが」
イライラと指先を擦るダウマンに、いっそ哀れみの感情すら抱くことが出来た。ウォルディは優しく諭すように唇を開く。
「“欠陥品”の俺が本当に、一族の継嗣だと思ってるのかい?」
「…………、まさか」
目の前に立ち尽くす男の、みるみる色を失ってゆく顔を見ていた。ウォルディの片眼鏡がきらりと光を反射する。
極度に偏った視力。これも自分が“欠陥品”だからなのだろうかと、ウォルディは自嘲した。
「そのまさか、さ。ファンダルスの継嗣は俺じゃない」
「な……」
「アイジャなんだよ……っ、アイジャ・ラ・ファンダルス……!」
貴様!!
ダウマンが叫び声を上げた。騙していたのか、口汚く罵る男にウォルディは冷ややかな視線を向ける。
騙されていたことに気付きもしない間抜けな連中。ファンダルスに歯向かえば骨一つ残らないだろうに、その圧倒的な力量差を越えられると思っているのだ。
「もう貴様なんぞに用はない……!」
「俺のことは、殺していいよ」
本物の継嗣を探せ! ダウマンが部下に命を飛ばすタイミングに被せてウォルディは声を上げた。全員が弾かれたように少年を見つめ返す。
「でも、お前たちも道連れだ」
がちゃり、鈍い音を立てて数多の槍が切っ先を少年に向けた。ウォルディはそれを穏やかな心地で見やる。
予想よりも人数が多かった。けれど、失敗ることは出来ない。
――こんな時に、あの力があれば。何度も考えてきたことを、最後にもう一度だけウォルディは想う。ユリシーズのように、アイジャのように、全てを焼き尽くす炎があれば。こんな連中、相手になどならないだろうに。
何の力も受け継いではくれなかった己の身体が疎ましかった。純血を身に流すにも関わらずウォルディは、普通の人間と何ら変わらないのだから。
「――――殺せ!」
男の声が響く。煌めく刄の先が向かってくるのを感じながら、ウォルディは静かに目を閉じた。
くだらない争いに終止符を打とう。一族の行く末になど興味は無いが、これをきっかけに誰か気付けば良い。
正義も悪も表裏一体なのだ。紙一重の上に成り立つ関係を定義するのは難しい――正義を振りかざす組織でこんなことが起こるのだから。
(あとは頼むよ、ユリシーズ)
籠の鳥を、逃がしてあげて。
――――少年達のいる部屋から、轟音と共に火柱が上がった。