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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:洗礼と福音(4)

待ち合わせの時刻を過ぎても相手はやってこなかった。嫌な胸騒ぎに襲われて、百瀬は元来た道を戻りはじめる。

こんなことならば、別行動などとるべきではなかった。ロアルの行方など心当たりがあるはずもない。ただ闇雲に探すよりは寮から見るべきだと考えて、とりあえずそちらの方向へと足を向ける。

学園の中は閑散としていた。本日の授業は全て休講なので、わざわざ出歩く物好きもいないのだろう。

――だからこそ“何か”が起こるのならば、人目に付きにくい今日だと少女は踏んでいた。


「――ッ!?」


寮棟への入り口を潜ろうとした瞬間だった。角から突然現れた白い手に掴まれて百瀬は小さく声を上げる。

ぐい、と引っ張り込まれて転がるように床に膝を付いた、態勢はそのままに少女は顔を上げた。自分を掴んでいた相手を認識して目を見開く。


「絹華……?」


鮎村絹華は唇の前に人差し指を立てて沈黙を求めた後、百瀬の肩を支えて立ち上がらせる。一体何なのだと問われる前に、絹華は小声で囁いた。


「……来た」

「何が、?」


小首を傾げた百瀬の目が、滑り込むように現れた少年を映したのはその瞬間だった。

どこでだって見かけそうな、眼鏡をかけた男子生徒である。一見すれば只の通行人ともとれる彼が、しかし確かな違和感を孕んでいることに百瀬は気が付いた。

きっちり着込まれていたのだろう、学園指定の制服が僅かにだが崩されている。弛んだシャツの隙間から覗く腰の辺り、妙な膨らみに気付いて目をやればその正体を知った。

――刃物、だ。


「――絹華ッ!」


危ない、そう叫んだ時にはもう動き始めた後だった。少年が短剣を抜いて真直ぐ絹華に向かってゆく。踏み込んだ彼の手元から一筋白い光が煌めいた、次の瞬間に崩折れる小さな身体。


「き、ぬ……っ」


ざわり。百瀬は己の体内の血が一瞬にして沸き立つのを感じた。戦わなければならないと本能が告げる。

少年の剣筋は見えていた。黒沼の剣術を受け継いだのは百瀬ではなく妹だが、その才が彼女に皆無であったわけではない。力を奮う事を厭うていただけで、本来の能力は百瀬も有していたのだ。ただし鍛練を積んだ妹――黒沼の神童と比べれば無力に等しいが。


(でも、やらなきゃ――)


百瀬は身体を強ばらせたまま、絹華のほうに視線をやった。横倒しになった体躯はぴくりとも動かない。百瀬の位置からはその細い背しか見えず、出血の度合いを確認することも叶わなかった。

今はまだ生きている。けれど、このままでは。


「……先刻、貴女にそっくりなお嬢さんに邪魔されました」


何か武器になるものを。探して視線を彷徨わせていた百瀬に、冷ややかな声が降り注いだ。口を開いたのは目の前の少年で、眼鏡の奥から温度の無い瞳がこちらを見据えている。


「何者だったのだろうね。まぁ、もう死んでいると思いますが」


ふ、と笑った少年に何を言われたのかわからなかった。首を傾げかけて刹那、少女の身体に戦慄が走る。


(誰、が?)


誰に似ていたと、言った?


「あの子が、」


あの子が来ているの?

自分にそっくりの容姿をした、最愛の妹を百瀬は思い出す。彼女が今、この地に来ているというのだろうか。ルシファーという組織が活動をしているのだから可能性は高かった。百瀬は妹の役目を何一つ、知らないけれど。


「それで、」


――百瀬の身体が小刻みに震える。理解してはいけないと、何処かで警報が鳴っていた。


死んだって、誰が?


「…………っ、ぐ」


思考を停止した百瀬の目の前で刹那、異変が起こった。

少年が小さく唸ったかと思うと、ぼとりと短剣を床に落とす。カラカラと音を立てて回転するそれには目もくれず、彼はその場に肩膝を付いた。


「……ッ、げほ、」

「やっと効いたんですか」


鈴のように軽やかに響いた声に少年が目を見開いた。地に伏せていた少女がゆっくりと起き上がるのを、信じられない心地で百瀬も見つめる。

何事も無かったかのように立ち上がって絹華は、ことりとその場で首を傾げてみせた。


「肉弾戦じゃ勝ち目はなかったもので……ちょっと卑怯でしたか? 関係ないよね」


うん、と自己完結してみせた絹華の右手、その人差し指にはアンティーク調のシルバーリングがはめられていた。日本人形のような容姿をしている絹華とでは、それだけ何処か違う世界の物のようだ。そのリングの淵から良く見なければわからない、細い細い針が突き出ている。


「毒、か……ッ」

「こんな初歩的な仕込みに引っ掛かってくれるなんて思いませんでした」


笑って、絹華はすっと目を細める。刄に貫かれたはずの身体には、僅かに服を切り裂いた後があるだけだった。衝撃を吸収した何かを、その下に隠していたのだろう。

ごぽり、肺の奥からせり上がってきた血を吐き出して少年はそのまま床に倒れ込んだ。


「ついさっき報告を受けたばかりですよ、内藤紀一さん……いえ、“福音ゴスペル”」


言いながら少年の傍らに屈み込んで、絹華はその黒い目を向ける。


「あなた、“オリビア”?」


問われたその言葉に少年――【ゴスペル】はくつりと喉を鳴らした。唇を歪めた次の瞬間、大量の紅がそこから零れ落ちる。

それは辺りの床をみるみる染め上げていった。次いで彼は喉の辺りを掻き毟る。大きく痙攣した後、ついにぱたりと動かなくなった。


「……あれ。死んじゃった」


事もなげに落とされた、少女の声は何の感情も孕んでいなかった。そのまま絹華はくるりと振り返って百瀬に目を向ける。怪我はないかと問い掛けた、その様子は普段と何ら変わらない。


「……絹華、あなた一体……?」


瞠目したままの百瀬に向かって困ったように笑う。それから絹華は笑顔を引っ込めて、小さく一礼した。

その意味を百瀬が悟ったのは直後のことである。


「――キヌカ、来なさい」


突如現れた金髪碧目の少女は、百瀬やロアルが探していたうちの一人だった。少女達の苦労を無にするかのように簡単に現れてミクは、その両眼で屍となった少年を一瞥する。


「……アナタも来たほうが良いわ、モモセ・クロヌマ」


わけもわからず手を引かれる。逆らうことなどできないまま、百瀬は絹華と共に深紅に染まったその場所を後にした。



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