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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:洗礼と福音(3)



「……ロザリーっ!!」


脱兎の如く踵を返しその場から逃走する、その後ろ姿に叫んだのは少女の姉だった。予期せぬ再会から怯えるように逃げ出した、妹をロアルは追い掛ける。

それに驚いたのは駿で、突然疾走を始めた少女二人をぽかんと見つめていた。はっと我に返ったときには銀色は二つとも、遠くに煌めくだけになってしまっている。


「……な、何なんだよッ!」


声を上げても応えるものはいない。舌打ちを一つ零して駿は、千瀬を追い掛けることにした。


(介入なんて、できない)


今は仕事中で、甘いことを言っている場合ではない。そんなことはわかっていた、けれど駿は。

二人きりで話をさせてやれたら良い、と思う。他人が触れることなどできない領域を、あの少女達は持っているから。




*




人気の無い廊下を物音一つ立てずに疾走してゆく、その様に千瀬は舌を巻いた。相手はかなりの手練だ。追跡するのが精一杯の有様である。

【ゴスペル】と少年が名乗ったのを千瀬は聞いた。あの場に辿り着いた時ちょうど、そう彼が口にしたのだ。

聞き慣れぬ言葉である。その意味などわからないが、コードネームであることぐらいは想像できた。何らかの組織に所属している、千瀬達の敵。それが“ルキフージュのデータ”を欲している者と同一かは、定かではないけれど。


「……あ、れ?」


廊下の角を曲がって走り込んだ先、あるはずの姿が無くて千瀬は目を見開いた。次いでさっと血の気が引く。【ゴスペル】を見失ったのだ。

どうしようかと頭を抱えそうになったその瞬間、少女ははたと顔を上げた。耳が拾い上げた音に全神経を集中させる。か細く弱い、けれどあれは。


(――悲鳴、だ)


気付いた瞬間その方向目がけて走りだす。耳に微かに残る声を頼りに気配を探る、千瀬の第六感は確実に相手の居場所を突き止めていた。以前見せられて頭に叩き込んだ、建物の見取り図を思い浮べる。入り組んだ造りの最短ルートを弾き出したその時には、再び鯉口を切っていた。




千瀬の飛び込んだ教室の、壁にぴたりと背を合わせて二人の少女達が立っていた。寄り添うようにして固く手を結んだ彼女達の顔は瓜二つである。その完璧な造形に驚く間もなく、千瀬はもう一人を視界に入れた。そうして、目を見開く。


「……あなたは?」


部屋の隅に双子を追い詰めていたその人間が、千瀬に気付いてゆっくりと振り返る。捜し求めていたのと同じ、男物の制服姿。しかしこちらに向けられたその顔に、少女は表情を曇らせた。

――【ゴスペル】では、ない。

てっきりあの少年がこの場所に逃げ込んだと思っていた、千瀬は刹那嫌な予感に身を震わせた。

一体、何人が動いているのか。現状の把握が出来ないまま、少女は刀を下段に構えた。チャキ、と鍔鳴りのするそれを向けられた相手は喉の奥で嗤う。この二人目の少年を、千瀬は“敵”として認識した。間一髪のところでこの世に生を繋いでいる双子の少女も、おそらくは例の“協力者”なのだろう。誰もが恐怖を感じて自室から出てこようとしない、こんな日に出歩いていたのだから。


「――“俺”が“何”かって?」


云いながら双子に向けられていた短剣の切っ先が、ゆるりと千瀬のほうに移動した。常日頃から運動をしているのだろう腕に付いた逞しい筋肉が見える。【ゴスペル】とは違ったタイプの少年だ。

さっさと殺れば良かった、邪魔が入る前に。双子を一瞥し吐き捨てた後、彼は猟奇的な笑みを浮かべてみせる。


「俺のことはどーでもいーよ。ねぇそれより、アンタは何?」


アンタはあれの価値を知ってる人間か?

少年の紡いだ言葉に千瀬は目を見開いた。あれ、とは何を指すのか。たった一つだけ、心当たりがある。


「何で俺の邪魔すんの? もしかしてアンタが、【ジーザス】の言っていた“アンノウン”?」

「ジーザス……?」


答えをよこそうとしない千瀬に矢継ぎ早に質問を浴びせかける、少年はどこか焦っているようだった。時折ちらりと時間を気にしては壁の掛け時計に目をやっている。千瀬のことを侮ってはいないのだろう、構えた白刄だけは微動だにしなかった。


「“目”の情報は確かだったってわけか。――アンタが“悪魔”そのものだったりして? にしてはどうも可愛らしい……ねッ!」

「……っ!」


言葉を切ると同時、飛び掛かってきた相手の一撃を千瀬は紙一重で躱した。続け様に切り結ぶ甲高い音が教室に反響する。

速い、思って千瀬は強く柄を握り締めた。得物を捌く少年の動きはかなりのスピードで、気を抜けば腕ごと持っていかれてしまう。

幾度かの斬撃の隙を見て、千瀬は一度だけ壁ぎわに寄った。身体を強ばらせている少女達に逃げろと囁く。彼女達を庇いながら戦えるほど、千瀬に余裕は残されていなかった。


「……ミドリ、」


片方の少女が自分の半身を呼ぶ。二人手を繋いだまま真直ぐ教室の出口へと駆けていく、双子の足音を千瀬は聞いた。それを追おうとする少年との間に割り込んで一閃、打ち込んだ太刀の力で食い止める。チッと短い舌打ちの音か少年から零された。


「あーあーあー! 逃げられちゃったじゃん、アンタ何してくれてんの!」


大切な獲物ターゲットだったのに!

叫んで少年は千瀬を睨み付ける。短剣をぽいと投げ捨てて懐から拳銃を取出した、彼の瞳には明らかな殺意が滲み出ていた。


「手ぶらでなんて帰れないじゃん。ウルサイ奴が来る前にアンタだけでも死んどいてよ」

「――――もう来ているがな」


突然の出来事だった。

第三者の声が聞こえた瞬間、千瀬は首筋に鋭い痛みを感じる。刹那、少年がこちらに向けていた銃口がぐんにゃりと歪んだ。……歪んだのは、千瀬の視界だ。


(………なに、?)


後ろから何者かに攻撃されたのだと気付いたときには、少女の身体は冷たい床に崩れ落ちていた。打ち付けられた頭が鈍い音を立てたが無痛で、代わりに首の一点が妙な熱を持っている。

ドク、ドク、心臓の鼓動がやけに耳に響いていた。指先が震えて冷たくなってゆく。力は、入らない。


「……げぇ、【ペルソナ】ったらもう来ちゃったの」

「貴様が愚鈍なのだろう。【バプテスマ】、ターゲットはどうした」

「……逃げられた」


愚図め、吐き捨てるような声を千瀬の耳は拾い上げた。それ以外の感覚器官は職務を放棄してしまったらしい。目を凝らしても霞む世界の中で、なんとか人影が二つ見えた。


「“どっち”が“それ”なのかわかんなくってさ、名前を聞こうとしてたら邪魔が入ったんだ」


唸るような声が聞こえた。千瀬の耳は徐々にその昨日を失いつつあるらしい。小さくぼんやりと、遠くの人間の会話のように感じる。どこか呼吸も苦しかった。


「……追うぞ。時間がない」

「そいつ、どうすんの」

「そのまま転がしておけ。――じきに死ぬ」


二人分の足音が遠くなる。聞き届けたのを最後に、とうとう千瀬は意識を手放した。



後には深い暗闇ばかりが、ぽっかりと口を開ける。




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