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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:ラワンデルの香りを(2)

もうあれが何処だったのかは思い出せない、最初で最後の家族旅行。宿泊先は広大な大地を見渡せる、小高い山のコテージだった。

直ぐ傍に輝いていた湖と澄んだ空気と、紫色の絨毯。ラベンダーを摘んで笑った母と、カメラのシャッターを切った父。二人の兄とはどんな会話をしただろうか。駿は、覚えていない。



駿は武藤家の三男としてこの世に生を受けた。年の離れた二人の兄には良い玩具にされつつ、それでも愛情を注がれて育ったように思う。

父は報道局勤務、母はガーデニングが趣味の専業主婦。そのせいだろうか、家の中には常に花の芳香で満ちていた。母が育てた植物を、自らの手でポプリに作り替えていたからかもしれない。

何の変哲もない、一般家庭の見本のような家。長女の誕生でその幸せは最高潮にまで上り詰める。男ばかりの家に生まれた末の娘は母親から、一輪だけ咲いた花を意味する名を与えられた。誰もが彼女を愛し、慈しんだ。けれどそれは、たった二年で終わりを迎える。


両親が死んだのは、ちょうど梅雨の辺りだった。連日続いていた雨が、その日もまだ降っていたと駿は記憶している。

飛行機の墜落事故だった。父の取材に同行した母もろとも、髪の毛一本残らず炎上したらしい。

空っぽの棺を二つ並べての葬儀には、ほんの僅かな知人だけが参列した。駿は知らないことだったが、父も母も理由あって親戚とは疎遠だったのである。

読経の声も線香の匂いも、降りしきる雨に溶けていった。高校三年と中学三年の兄、幼稚園に上がったばかりの駿と、何も知らない妹が取り残された。


施設を拒んだのは二人の兄だ。駿と妹を自分達の手で引き取って、四人きりの生活が始まった。

長男は大学受験を、次男は高校受験を、それぞれ諦めて。



全てが少しずつ狂っていった。

穏やかだった長男が裏社会の、所謂ヤクザのような連中と関わりを持ちはじめたのはいつからだっただろう。自分の望む未来を断たれて投げ出された、兄達は緩やかに崩壊へと向かっていた。

ひょんなことから駿が家族に隠された真実を知ったのは、中学に入ってからのことである。あまりに歳の差のある兄達を疑問に思ったことはあった。予想は、確信に変わった。

兄弟達は半分しか繋がっていないらしい。長男は父の、次男は母の連れ子だった。再婚同士の両親から生まれたのが駿、そしてその妹である。

脆弱な繋がりしか持たない家族への不満もあったのだろう。次第に二人の兄は家へ帰って来なくなった。駿は中学時代教師に恵まれて進学させてもらっていたが、せっかく入った高校も一年を待たずにやめた。

そうこうしているうちに長男の知り合いだという、強面の男が家を出入りするようになる。次男の持ち物からは大量の薬物が出てくるようになり、彼の言動がおかしいと気付いたときには、症状は手遅れの域に到達していた。

そして、とうとうあの日。




「……シュン?」


突如黙り込んだ少年を見て、千瀬が不安げに顔を覗き込んだ。どうやらつい物思いに耽っていたらしい、駿は顔を上げると曖昧な笑みを浮かべた。

部の早朝練習に出た亮平がいつ帰ってくるかはわからない。のんびりしている場合ではないのだった、少年は独りごちる。

今、何を話していたんだっけ。


「大丈夫?」

「何が。……あぁそーだ、俺の兄貴の話な。まぁ経緯は省略するけど色々あって、最終的に下の兄貴はヤク中。俺と妹のことすらわかんなくなって――」


幻覚を、見ていたのかもしれなかった。それでも包丁を振り上げた兄から、妹を守る方法は一つしか思い浮かばなかった。


「殺るしかねーな、って」


やらなければ、やられていた。噛み締めるように少年は言う。


「そう……」

「上の兄貴は危ない連中に目ェ付けられててさ。薬はそれ程やってなかったんだけど、下の兄貴を殺した俺を見て錯乱して――まぁ無理もないか。俺たちと心中図ったんだけど」


お前等を殺して俺も死ぬ。三流ドラマのような台詞を吐いた兄の顔を、駿はまだ思い出すことが出来る。

結局それは未遂に終わり、死にたがっていた長男の生は駿の手で断ち切られた。


「シュンは妹を――カズサさんを、守ったんでしょ」

「どーだかな。結局俺は、あいつの自由を奪っただけだ」


カズサはルシファーを恨んでいる。もう一度駿は呟いた。

二人の兄を殺して、警察の目から逃げ続けた一週間。一度も離さなかった妹の手を、ついに駿は離した。

お兄ちゃんを連れていかないで。一人にしないで。嗚咽に混じった声がまだ、耳の奥で燻っている。

長男の関わっていた組織とルシファーを混同し、混乱した頭でルカとミクを罵った。

あんた達のせいだ。あんた達みたいなのがいるから、お兄ちゃんは。


「俺は、会えない。あいつにあわせる顔が無い」


守りたかった。両親から受け継いだ血を等しくする、たった一人の妹。

兄達の帰らない家で、たった二人で過ごしてきた。母の残したラベンダーのポプリの、匂いが染み付いた古い家。

もう二度と、帰ることはない。




*




同時刻。

がちゃり、開いた扉に少女は身体を震わせた。頑なに耳を塞いでいた両手をずらし、布団の隙間から顔を出す。


「……絹ちゃん?」


ルームメイトの名を呼べば、ただいま、と返事が返った。やっと安心してベッドから這い出した、少女はもう暫くこの部屋から出ていない。

一人目の生徒、清川芽衣子が死んだ日から彼女は塞ぎ込んでばかりいた。一人にされる度にこうして布団を被り、殻に閉じこもる。

絹華はその理由を知っていた。本人に告げたことは、ないけれど。


「気分はどう?」

「別に、風邪引いたとかじゃないから。平気だよ」


ただ、怖いだけ。

呟いた少女を絹華は黙って見つめていた。これから忙しくなるという時に、このルームメイトはだいぶ厄介な状態に陥っている。それでもこの少女を放っておくことは、絹華には出来なかった。


「……大丈夫だよ、一咲」


絹華の声に小さく頷いた、少女の名は、武藤一咲むとう かずさという。

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