第五章《迷霧》:合流(1)
腰が抜けてしまったのだろうか、へたりと床に座り込んでいる少女を立ち上がらせる。小刻みに震える彼女の肩を抱いて一先ず、藤野の双子が部屋へと連れていくことにした。
この時間に起きている者は他にいないのか、それとも皆恐れおののいて部屋に籠もっているのか。どちらかはわからないが、駆け付けた少女達以外現場には誰もいない。
不運な第一発見者が見つめていた先には一つ、小柄な人影が横たわっていた。そっと近付いて確認した、死んでいると、ロアルの唇が告げる。
――その女性は第二図書室の、司書だった。
「こんな……どうして、」
ほんの数時間前に生きている彼女を見た、沙南は口元に手を当てる。閲覧禁止の書室に入るため司書が帰るのを待っていた。生徒の中で彼女の姿を最後に確認したのは、おそらく沙南達三人だ。
俯せている外傷の見えない身体を丁寧に仰向けた、うるきが小さく呻いた。季肋部の僅かに左寄り、ちょうど心臓の辺りに小さな弾痕を見つけたからである。服にはほんの僅かに血が滲んでいた。おそらくは、たった一発で。
「撃たれてる……」
すっと屈み込んだロアルが胸の前で十字を切った。流れるような動作は余りにも自然で、逆に幻想めいて見える。
ロアルはさして動揺した様子など見せず、百瀬も、絹華までもが淡々と現状を見下ろしていた。まったく考えの読めないうるきを除けば、今この場で平静を欠いている――つまり一般的な反応を見せていたのは愛と沙南だけである。早鐘のように打ち続けている心臓を宥め、沙南はそっと愛に目をやった。騒いだりパニックに陥ったりはしていないが、顔が真っ青だ。
沙南は他三人を見つめて思う。どうして、こんな状況の中普通でいられるのだろうか?
「誰か人を呼んできましょうかネ? 警備員でも先生でも……」
「待って」
冷静なまま立ち上がる、うるきを呼び止めたのは絹華だった。ほぼ時を同じくしてこの場所へ戻ってきた、双子もその声に立ち止まる。
「誰か、いるよ」
「!?」
言われた全員がぎょっと身体を強ばらせた。双子ちゃんが戻ってきたからじゃないですか、うるきが問い掛ければ首を横に振る。違うと言い切った絹華の言葉に寒気を覚え、少女達は一ヶ所に固まった。
誰がいるの、何処にいるの。気配に気付きもしなかった沙南は、瞳ばかりを闇の中へと彷徨わせる。司書の遺体は、ぽつりと寂しげに置かれたまま。
――コツ。
音が聞こえたのはその時だった。靴底が床を叩く響きだ。コツ、コツ、こちらへと近付いてくるのがわかる。薫子が叫びだしそうになるのを抱き締める、翠子は震えていた。冷えきった沙南の手は隣にいた愛に絡め取られている。
コツ、コツ、コツ。
(――――来る)
「――そんなに、怖がらなくて良いのに」
誰かが息を呑む音が聞こえた。
無意識に閉じてしまっていた目を、沙南はおそるおそる開けてみる。知らないうちに涙が出たのだろうか。薄ら滲んでぼやけた視界の中に、すらりとした人影が見えた。
「はじめまして」
金色だ、と思った。流れるような直毛と碧い目が一瞬、非常灯の光に照らされて煌めく。無機質さを感じるほどに整った、人形のような顔立ちの少女だった。瞬きを繰り返しながら沙南はそれを見つめる。どこかで、見たような気が。
「あなた……!」
声を上げたのは百瀬だった。耐えかねたように一歩前に出る彼女を見て、金髪の来訪者はすっと目を細める。そのまま視線を移動させれば、髪と同じ色の睫毛が頬に影を落とした。見つめる先には、横たわる司書の女。
「その人を殺したのは、アナタですかネ?」
朗々とした声を出すうるきの、物騒な問い掛けに少女は笑った。声を上げずに微笑む様はこの場の空気と融け合って、いっそ不気味にすら感じる。
暫しの沈黙の後、いいえ、と少女はいらえを返した。
「それじゃあ、アナタの仲間が殺した?」
「いいえ」
「……ワタシ達の事を、殺す気は?」
「ないわ。……オミから話を聞いていると思ったのだけれど?」
挙げられた名に沙南は目を見開いた。慌ててロアルと百瀬を見れば、二人は小さく頷いてみせる。うるきもそれに気が付いたのだろう、軽く目を見開いていた。こんなに、早く対面することになるとは。
「あたしはミクっていうの。それから、そこにいるのが――」
「!?」
誰一人言葉を発することができなかった。驚愕だけが少女達を取り巻いて離さない。
もう一人の存在なんて、誰が予想できただろうか。
「――ルカ、よ」
噛み合った歯車が回りだす。