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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:間話‐ある屋敷にて‐

重低音を響かせて恰幅の良い男が退室する。すれ違いざまに恭しく礼をされ、思わずサブナックは眉を寄せた。


「……おい、ユリシーズ」


今の奴は何だ?

問い掛ければ室内の少年は不機嫌な面持ちのまま、ゴミさ、とぶっきらぼうないらえを返した。

そんなことを聞いているのではない、言ってもユリシーズはぷいと視線をそらしてしまう。どうにも苛々している、サブナックはそっと息を吐いた。


「……ダウマン子爵だな。三つも下の階級の者が何を?」

「ただおべっかを使いに来ただけだよ――サブは、気にしなくていいから」


柔らかく言い切ってみせた少年の口元はしかし、不自然に歪んでしまっていた。笑うことができていない。

実のことを言うのならば、少年とあの男の会話はほんの少しだけサブナックの耳にも入っていた。けして盗み聞きをしたかったわけじゃない、と声には出さず言い訳する。


「ウォルディ閣下が最近、姿を見せないらしいな――関係があるのか」

「――サブナック」


ぴしり、と空気が張り詰めた。硝子玉のような少年の瞳が、奥に確かな怒りを滲ませて青年を見つめている。

機嫌を損ねることなど承知して話を進めた、サブナックは動じなかった。正面から向き合って、ユリシーズの呼吸を読むことに集中する。


「……僕も、君も、ただの一公爵に過ぎないんだから。僕がそんな上層部の話、知るわけ無いじゃないか」

「俺とお前の位は確かに等しくなったが……ユリシーズ、お前は特別だろう。“ファンダルス”の一族に関わることを許されているな、他でもない首領ドン直々の命によって――」

「……黙れ!!」


唇を噛んだ少年の周りを刹那灼熱が吹き荒れる。それは一瞬でその白い手に収束し、たなごころに紅蓮の炎が現れた。ちらちらと燃えるそれは、ユリシーズのなけなしの理性のお陰でぐっと握り潰される。


「それ以上口にしたらサブナック、君でも容赦しない。消し炭に変えてやる……」

「冷静さを欠くな、お前らしくもない。そんなに、気に食わないことがあったか」


ユリシーズ・ルインというこの少年が“カーマロカ”を作り上げる一族、ファンダルスに贔屓される要因。それこそが今彼が見せた“人ならざる力”にあるのだと、サブナックは知っていた。

戦闘能力は高くとも只の人間である自分と、能力者である少年では基盤からして違う。それ以上に注目すべきは、あのエネルギー密度の高い炎だ。

噂でしかないが、ファンダルスの一族に代々受け継がれる力は火炎放射能力パイロキネシスであるらしい。世の悪を焼き尽くす煉獄の焔。一族以外の能力者が組織に存在しない中ユリシーズだけがそれを許されているのは、少年の中に一族の片鱗を見いだしたからなのだろうか。


(ユリシーズの中にファンダルスの血が……?)


まさかそれは無いだろう、考えて早々に止めてしまう。ファンダルスは代々然るべき相手を定めて世継を絶やさなかった名家だ。うっかり外にその能力を含む遺伝子が流れることなどあり得ない。

毛を逆立てた猫のように身体を強ばらせる、少年にサブナックはゆっくりと近づいた。頭に手を伸ばせば一度驚いたように震える。

その柔らかな髪をくしゃくしゃと掻き回してやれば、だんだんと力を抜くのがわかった。黙ってそれを眺めながら、まだまだ子供だとサブナックは思う。


「……俺が信用できないか、ユリシーズ」

「え……?」


何を言っているのかわからない、といった様子で少年が目を瞬いた。歯痒い思いでそれを見つめた後、青年は腰を落としてユリシーズと目線をあわせる。まだまだサブナックに比べれば背が低いのだ。


「お前が話したくないことを聞き出すつもりはない――だが最初に言ったはずだ。俺は俺の正義にしか従わないが、お前にならついて行っても構わない」


ユリシーズと出会ってこの組織へやってきた。当初はサブナックも、爵位に準えた五つの階級のうち最下位からの始まりだったのだ。その頃既に公爵のポジションを務めていたこの少年に追い付いた、サブナック出世スピードは異例であったと言える。

とはいえサブナックは先日侯爵位(公爵の一つ下)から上がったばかりだったので、ついこの前までは事実上ユリシーズは彼の上官だったのだが。


「階級が同じになっても、いつまでもお前は俺の上にいるんだよ。好きなように使えば良い――何なら、さっきの男も俺が消してやる」


今やサブナックが立つのは部下の一人や二人、どうにでもできる地位だった。半ば本気で告げれば帰ってきたのは、場違いに気の抜けた笑い声。


「……ふ、あはは」

「……何だ」

「あはははは! う、うくく」


何が可笑しい。不機嫌な声で告げれば、ユリシーズの目にうっすらと涙が浮かんでいるのが見えた。泣くほど笑うか。げんなりと息を吐くサブナックの肩に、ぽんと手が置かれる。


「君には敵わないなぁ、サブ」

「お前、人の話を……」

「ふふ、下手くそな慰め方」

「悪かったな」

「違うんだ――ごめん」

「……ユリシーズ?」


顔を伏せてしまった少年が珍しく謝るものだから、柄にもなくサブナックは動揺した。

いつも飄々としているくせに、何なんだ一体?


「ごめん、詳しいことは君にも言えないんだ」

「……そうか」

「カーマロカは、もうすぐ波を迎える」


真剣な声が落とされた。それに敵かと問い返せば、単なる内輪揉めなのだという。おそらくダウマン子爵はそれ絡みの用件で少年の元を訪れたのだ、わかってもサブナックは口に出さなかった。微かに聞こえた、何かを渡せとユリシーズに詰め寄っていた、男の声ばかりを思い出す。


「ちなみに我らがウォルディ継嗣殿下は、現在ある組織を追って潜入捜査中だよ」

「な、んだと!?」


けろりと言い放たれた言葉にサブナックは目を見開いた。“継嗣けいし”とは即ち“お世継ぎ”を指す。カーマロカの次期当主にあたるのが現在の総帥ドン=ファンダルスの息子、ダンカの第一子であるウォルディ(つまりは首領の孫)だ。本来正当継承者であるはずのダンカはある事故が原因で前線を退いたと聞いていた。

過保護なまでの体制でここまで育てられてきた、その継嗣殿下が任務?


「ちなみにこれ、ドンには内緒なんだ。サブも黙っててねー」

「馬鹿か!“世継ぎ”を外に出したってのか!? ……まさか護衛は、」

「アイジャが付いてる」


アイジャ?

首を捻りかけて思い出す、ドン=ファンダルスの寵愛を受けている一人の少女。滅多に屋敷の奥から出てこないが、確かそんな名前だったような気がする。ユリシーズがよくその少女の遊び相手を務めているらしいことを、サブナックは知っていたがしかし。


「それのどこが護衛だッ!!」


あんまりだ。思わず眩暈を感じてサブナックは額に手を当てる。

たかが少女一人、護衛どころか足手纏いにしかならないだろう。首領がアイジャに目を掛けている、それなりの理由はあるのかも知れないが。


「お前、自分が何をしているのかわかって――」

「こうするしか、なかった」

「……!」


ふと目を伏せた少年の、哀しげな顔に言葉を詰まらせる。サブナックはぐっと拳を握り締めた。

一体、何が起ころうとしている?


「……ウォルディ閣下は、何を相手に?」


問い掛けにユリシーズはゆっくりと顔を上げる。悪戯っぽく目を細め、にやりと笑ってみせた。それが何故かサブナックには、無理にそうしたように見えてしまう。


「――オリビア、だよ」




* * *




「――先生」


呼び掛けられてぎょっと身体を強ばらせた。振り返れば小柄で、華奢な印象の女生徒が立っている。


「ど、どうしたのかな?」


この“学園”での自分の役割を思い出し、慌てて男は表情を作り替えた。手から滲む汗を白衣で拭う。

授業の質問だろうか? 考えて、違うなと首を傾げた。仮初めの自分が受け持つ物理の授業に、こんな子供はいなかった気がする。


「聞きたいことがあるの、先生」

「言ってごらん」


早く自室に帰ってシャワーを浴びたかったが、悟られないように笑みを浮かべる。今は優しい教師を演じるべき場面だった。

さっさと話を聞いて、この娘を部屋に戻らせなければいけない。それに今“あれ”が誰かに見つかれば面倒だ。


「先生、いままでどこにいってたの」

「……………え」


少女の唇から零された質問は、男の予想だにしないものだった。後ろめたいものを抱えていた彼は思わず動揺を顕にしてしまう。

落ち着け。自分に言い聞かせ、にっこりと笑顔を浮かべた。


「職員室に、いましたよ」

「嘘。アイジャ、見てたもん」

「……何を」


生徒の名はアイジャ、と言うらしい。頼んでもいないのに情報を与えてくれた、相手を男は見据えた。見られていた、何を、どこから? 頭の中で警報が鳴り響く。


「ねぇ、先生。北の倉庫にいたでしょう」

「……」

「何をしてたの?」

「……」

「何を運んでいたの?」

「……お前、」

「先生が殺したの?」

「何者だ」

「 先生が オリビア なの? 」


少女が言い切ったのと同時、男は袖口に隠していたナイフを思い切り振り上げた。

目撃者は消さなければならない。ここで失敗すればまた、


(【ミリアム】の奴に馬鹿にされる)


しかし男の凶器が少女を貫くことはなかった。切っ先を振り下ろすその前に、彼は自分の身に起こった異変に気が付いたのである。


「…………あ、ア、うあぁあぁあぁあ!!」


叫びは言葉にならなかった。男はただ、自分の身体を呆然と眺めることしかできない。


(……畜生、)


朧気な意識の中で甲高い悲鳴を聞いた気がした。誰かが“あれ”を見つけたのだろう――彼が骨を折って移動した、あの死体だ。


最後にどうにか視界に入ったのは、自分を殺した少女の瞳。

丸い丸いその奧に、男を包む炎が揺らめき映っていた。


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