第五章《迷霧》:Unknown‐Unknown(1)
色褪せた写真の中で初老の男が笑っている。白い歯を惜し気もなく見せて、目尻には柔らかな皺を刻んで。
その彼を取り巻くように並ぶ、幼さを残した子供たち。たった一度きりの瞬間に微笑みを浮かべていた、この子は誰?
*
胸をかき乱す生温い風が吹いた、孤島の檻の深夜二時。
三人目の遺体が発見された時、沙南は仲間たちと共に談話室の一角を陣取っていた。各棟に一室ずつ存在する憩いの場には彼女たち以外誰もいない。時間が時間なので当たり前だろうが、今はそれが有り難くもあった。
集まっていたのは“七不思議”調査班である七人と、映画研究サークルを代表して山口うるき。
本来ならばここにいるのはリーダー格の渚であるべきだが、生憎彼女は明日の早朝練習――勿論バスケ部の――に備えて既に就寝してしまったらしい(ちなみに同じ部の愛は少ない睡眠時間でも十分活動できる、恵まれた身体の持ち主だ)。よって相談の結果一番頭の切れるであろう、うるきを呼んだのである。
「何があったの……?」
誰もが迂闊には口をきけないような空気のなか、口火を切ったのは鮎村絹華だった。彼女が集まりに顔を出したのは久しぶりだ。召集がかかった時のただならぬ様子を察し、不安がるルームメイトを部屋に残してやってきたのである。
「皆に、話があるの。うるきも聞いて」
切り出した沙南の横にはロアルと百瀬が並ぶ。
その珍しい組み合わせに誰も疑問を抱かなかったのは、今日(時間的にはもう“昨日”になってしまっているが)彼女達三人が第二図書室の、あの閲覧禁止書庫に踏み入ったことを知っているからだ。そして集まった全員がその場所で三人に“何か”があったことと、今から語られる内容がその“何か”についてであることを悟っていた。
沙南は一つ息を吸い込むと、自分の経験した全ての出来事を語り始める。
――本を開いて写真を見つけた後、三人はあのオミという少女から事の詳細を聞いていた。オミは生徒として“学園”に編入したが、実はある組織に所属している。その組織はこの島で“ある物”を探していて、その協力者として“学園”の謎を追っていた沙南たちの班が選ばれたこと。
「――ちょっと待って、」
ゆっくりと説明を続ける、沙南の言葉を遮ったのは翠子だった。とりあえず、あんまり信じられないけど、話の筋はわかった。言いながら少女はふと、不安げに眉をひそめた。
「清川さんと警備員のことは、その……“組織”の人と関係があるの?」
「それなんだけど……」
沙南は眉をひそめる。オミにそれを問うてはみたのだ。しかし返ってきたのは、間接的にはそうかもしれない、という何とも曖昧ないらえで。
そのままの言葉を伝えれば、翠子は小さく唸って腕を組んだ。
「間接的……? じゃあ“組織”の人が直接――その、殺したり、したわけじゃないんだ?」
「“捜し物”とやらに関連する理由で、その“組織”以外の何者かが清川サン達を手に掛けた――って意味ですヨ」
口を開いたのはうるきで、全員がはっと顔を上げた。この少女は頭の回転が速い。確認する術はないが、この場にいる誰よりも先のことが見えているのかもしれなかった。
「アララ、皆さんそんな怖い顔しないでくださいヨ。可能性のお話なのに」
うるきはおどけたように首を竦めたが、誰も表情を緩めることはなかった。
小さく息を吐いてロアルが一歩、前に出る。
「……私とモモセは、ある事情があってその“組織”の幹部と面識があるの」
ここにいる皆だけの秘密にしてほしい。
その真剣な声色に、誰かが息をのむ音がした。銀灰色を湛えた瞳が真直ぐ少女達を見つめている。
「詳しいことなんて知らないけれど、かなり危険な集団よ。こちらが協力すれば、私たちの命くらいは考慮してくれるでしょう――でも、危ないことに変わりはない」
保証ではなく考慮なのだと、呟かれた言葉の重みに少女たちは戦慄した。目の前に、非日常がぽっかりと口を開けて待っている。
「……だから皆、良く考えて」
百瀬が台詞を繋いだ。彼女の過去を知るものはこの中にいないのだと思っていたが、ロアルは違うのだろうか。
頭の隅で考えながら、沙南は途切れた言葉の続きを口にする。
「今ならまだ、私たち三人以外は逃げられる。班を抜けて、一切の関わりを断つの」
それが、何も知らない少女達を危険から遠ざける唯一の方法だった。
“組織”への協力は確実に、潜み続ける殺人犯へ辿り着いてしまう可能性を秘めていた。正体の判らない相手への恐怖。自らの友に危害が及ぶ危険性。
それに思い至ったとき、沙南はようやく百瀬とロアルの言葉の意味を悟ったのだった。本を開くなと言った二人は、自分を危険から守るために。そして沙南もまた、怖くなったのである。大切な友達を危険に曝せるだろうか。
つくづくあたしは勝手だ、と内心沙南は苦笑する。自分は二人の気持ちを無駄にして飛び込んだというのに。
「勝手なこと言ってんな!」
「!」
心を読まれたかのようなタイミングで声が上がった。驚いた沙南の視線の先、愛が仁王立ちになっている。
「友達見捨てて逃げろっての? このあたしに!」
「でも愛、」
「馬鹿沙南!」
二の句が次げなくなって、口をぱくぱくさせる沙南に愛はずいと詰め寄った。胸ぐらを掴む勢いで顔を寄せ、正面から睨み付ける。
「何の為の友達? だいたいアンタ、あたしのルームメイトだろ。いちれんたくしょーってヤツでしょう」
「……愛の言うとおりだよ、沙南」
私はやめないよ。言い切ったのは意外にも絹華で、沙南は目を見開いた。ここまできたら一蓮托生だよね、と少女は柔らかく笑う。その様子はあまりにも落ち着いていた。
「じゃあ、あたし達も」
「逃げるわけにはいかないわね」
交互に口にして双子が笑う。ちょっと怖いけど、みんなが一緒だもん。
「あ、なた達……」
ロアルがぽかんと口を開けた。その気抜けた様子に全員が笑って、最後にうるきが悪戯っぽい表情を浮かべる。
「こんな面白そうなコト、逃がす手はありませんねェ」
満場一致での可決だった。遊びではないのだと真剣に説くロアルを愛が一蹴し、沙南までもが肯定させられてしまう。止めるべきだと最後まで粘っていた、百瀬も結局は押し負けた。
話し合いにより、“組織”への接触の際はロアルと百瀬どちらかが必ず立ち合う形をとることを決めた。二人の他はここにいる誰もが、相手の容姿を知らないのだから(沙南はオミのみ見ているが)。それから、この話は他言無用とすること。つまりはうるき以外の映研部員には、当面の間伏せることにしたのだった。話は大きくしないほうがいい、という考えからである。
「それじゃあ……皆にも、これ見てもらおうかな」
言って沙南は机の中に隠していた、一枚の茶封筒を取り出した。