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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:播磨少年の青春(2)

お前んとこの主将がこいつに勝ったら、俺剣道部に入るわ。

少年の発言はその場にぽかんと間を空けた。あたし? と目を瞬いた千瀬の横で、未だ話の飲み込めない亮平が口元を硬直させたままつっ立っている。


「……えーと、武藤クン? 誰が誰と、試合するって?」

「剣道部主将とコイツ」


びし、と千瀬を指差して駿は言い放つ。そこで漸くこの突飛な提案を理解したらしい、亮平は目を剥いて声を上げた。


「いや、ムリムリムリ! それは無理だって!!」


播磨少年が初めて突っ込みを入れる側に回った、記念すべき瞬間である。

こう見えて亮平は常識人なので、素人の試合がどれだけ危険かを理解していた。しかも目の前にいる“コイツ”とやらは細くて背も低い、いかにもか弱そうな女子生徒である。加えて剣道部主将は何事にも厳格なことで有名な――手加減を知らない人物なのだった。


「マジで無理だってば、やめたほうが良いよ! 素人じゃなくても簡単にやり合える人じゃないんだからッ」

「へぇ、お前はそんなヤツと素人の俺を当てる気だったわけね」

「いやその、そうだけど武藤とはワケが違うじゃん!?」

「……まー良いから見てろや」


亮平言うことは正論で、勿論駿もそれを理解していた。全て理解した上での発言である。

だって駿は知っているのだ。黒沼千瀬は、ただの女子生徒ではない。




*




千瀬が剣道部の主将に勝てば、駿の入部は白紙になる。部のトップが無名の、それも少女に負けたとなればそれを外に漏らすことも無いだろう。部の沽券とやらをせいぜい守ってくれれば良い。

そもそも入部を承諾した覚えなどない駿である。執拗に追い掛け回されるのもそろそろ勘弁してほしかったし、亮平を諦めさせるにはきっちりとした誓約の元で白黒付ける必要があった。


「うまくやれよチトセ。相手は良い感じにイラついてるし」

「えー」


涼やかな道場の隅に寄り、駿は少女に耳打ちする。それの反対側で竹刀を片手に正座する、剣道部主将はかなり体格が良い。

鴨田慎太郎というその男子生徒は亮平から話を聞くと、暫しの逡巡の後に試合を承諾した。持ちかけられた勝負から逃げるなど、彼にとっては有り得ないことなのである。表面上こそ主将らしく平静を装ってはいるが、内心は穏やかでないに違いない。剣道の実績があるわけでもない初対面の新入生とその連れの少女になめられたとあっては、冷静でいられほうがおかしな話だった。


(……それに)


白のカッターシャツに紺のベスト、リボン、プリーツスカートという軽装のままである千瀬を見て駿はそっと息を吐く。貸し出された防具をこの少女は、重そうという理由で身につけることを拒んだのだった。危険だからと説得されても聞く耳など持たず、以外と頑固者であることを今更駿は実感した。挙げ句、


「主将さんの竹刀に当たらなければ問題ないでしょ?」


という本日最大の爆弾発言を千瀬は落としていた。あの瞬間凍り付いた空気を、駿は忘れられそうにない。本人は至って本気、悪気など一ミリたりともない上での一言である。けれどそれは、鴨田主将を煽り闘争心に火を点けるには十分だった。


「……相手は女のお前に対しても本気で来そうな堅物だ。油断はすんな、でも本気は出すなよ」

「てゆーか、シュン。あたし剣道のルール知らないんだけど」

「…………はッ!?」


マジで? 問いながら少女を見下ろしてみれば、冗談を言っている様子はない。駿は思わず頭を抱えた。ルールを知らないなんて論外だ。


「それに、竹刀使うのも初めて」

「嘘だろ、だってお前家で……」

「稽古は全部、木刀か真剣だったんだもん。うちに竹刀なんて無かったよ」


竹刀って意外と重さ有るんだねー、もっと軽いのかと思ってた。

へにゃりと笑う少女はおそらく、自分の置かれた状況など気付いていないのだろう。コイツに任せた俺が馬鹿だった。思いながら駿は取りあえず亮平に向かって声をかける。

千瀬がルールを知らないことを告げた瞬間、亮平は思い切り吹き出した。彼も漸く駿と千瀬というコンビの突飛さに耐性が付いてきたらしい。


「そういうことならちょうど良いよ、お前らにハンデやるべきだって鴨田さん言ってるし」


ハンデなどきっと必要ない。けれど駿はそれを言わず、亮平の言葉に頷いてみせる。


「細かいルールは一切なし。そっちの子は鴨田さんにどっか一撃でも入れられれば勝ちだ。鴨田さんのほうは絶対、面は狙わない……ほら、女の子だし」

「悪ィな」


本当は胴も危ないんだけど、と言い淀む亮平に気にするなと駿は笑う。普通の人間が防具も着けず、直に竹刀の衝撃を受ければ一溜まりもないだろう。それは千瀬とて同じだが、こちらから着用を拒んだのだ。何があっても自業自得である。


(それに、普通の人間の攻撃じゃあ)


心配はいらないな。

物珍しそうに竹刀を指で弾く少女を見やって、駿は小さく笑う。


「聞いたな?」

「うん、大丈夫」

「――チトセ、」


殺すなよ。

声を出さずに伝えれば、千瀬はほんの僅かに目を細めた。













「……それじゃ、互いに礼!」


ぺた、と剥き出しの足が木の床を踏みしめる。千瀬のほうは靴下のままで行儀良く礼をした。

審判を務めることになった亮平の隣、駿は腰を下ろして胡坐をかく。人払いした道場の中には、彼らと中央で向かい合う二人を除いて誰もいない。しんと静まった空間で呼吸を整えている、鴨田はやはり本気のようだった。

痛いほどの静寂が心地良くすらある。駿は腕を組んだまま、視線を少女の方へとやった。彼女の腕をじっくり拝むのは初めてだ。いつも共に戦うときは、そんな余裕などないから。


「――はじめ!」


亮平が高らかに宣言した瞬間、ぐっと鴨田が一歩を踏み出した。しかし様子見だったのだろう、それ以上距離が詰まることはない。千瀬はといえば、竹刀を正眼に構えたままぴくりとも動かなかった。


「……武藤、あの子」

「ん?」

「いくら何でも、全くの初心者ってわけじゃあ無いだろう?」

「……さァな」


“剣道に関しては”初心者だと、口を開きかけてやめた。余計なことは言わないほうが良い。勿体ぶんなよと頬を膨らませる亮平を無視して試合に目を戻せば、駿の視界の中でまた鴨田が一歩前に出た。

瞬間、千瀬も動く。相手の動作に合わせるように、きっちり一歩分後退したのだ。二人の距離は変わらない。


(……引いた?)

「武藤! まさかあの子、」

「ンだよ」

「鴨田さんとの間合いを読んでんのか!?」


――間合い?

じっと駿は二人を見据える。刀の扱いに関して詳しくなどなかったが、それでもその重要性は知っていた。間合いを計るとは即ち、相手の攻撃範囲を見定めることに繋がる。腕の長さと竹刀の軌道、踏み込みの強さと跳躍力。全ての条件を統合してそれを読むことなど、一朝一夕に出来ることではない。


「あの子がいる位置さ、鴨田さんの初太刀が届くギリギリ外なんだ。あの人は間合いが広い――俺はアレ見極めんのに、一ヵ月かかったんだぜ」

「……偶然だろ」


口ではそういいながら、駿は偶然などと思っていなかった。他人との間合いを読み取る、あれは千瀬の身につけている技なのだろう。努力の末得たものか、天性のものかは不明だが。

駿はごくり、と息を呑んだ。


(――“静”の状態を見てはじめてわかる)


千瀬は相手の間合いを読めるのだ。読み取れている上で、普段の仕事ではそれを無視して飛び込んでいく。


(敵より速く、相手の懐に入れる自信があるんだ)


刹那、鴨田が動いた。

力強い音と共に二足分踏み込んだ彼の身体が前のめりになる。流れるような動作で一撃、振り下ろした先でパァンと高い音がした。瞬間に一歩を踏み出していた千瀬は初撃を竹刀の根元で受け止めた後、それを斜めにずらしてするりと抜け出る。


「止めた、」


亮平が擦れた声で呟いた。目を閉じる間もなく激しい打ち合いが始まる。間合いを計られたことに気付いたのだろう、鴨田はもう距離を取ることなく竹刀を振るった。

袈裟懸けに振り下ろされたのをひょいと横跳びに避ける少女を見て、遊んでやがるな、と駿は思う。千瀬は先刻から守りに入ってばかりで、一度たりとも攻撃を仕掛けていなかった。


「む、武藤〜っ! あの子何モンだよ!?」

「黙ってろって」

「だって身のこなしが半端じゃねーよ!」


打ち込みには行ってないけど、と。亮平が呟いたのとそれは同時だった。

一瞬身体を低くした鴨田が、足のバネに物を言わせて続け様に鋭い突きを繰り出したのである。あの人の十八番だ、と亮平が声を上げた(大人気ない! とも)。上体を捻る事でそれを躱した千瀬は、そのままぽーんと後ろに跳躍して距離を取る。


「今の何!? 宙返りみたいなことやった!?」

「……目の錯覚だ」


目を白黒させる亮平を無理矢理誤魔化し黙らせれば、辺りはまた静寂に包まれていた。気付いて駿は目を細める。防戦に撤していた千瀬が、着地を決めた位置ですっと竹刀を構え直していた。

少女が立つのは先程彼女が計った鴨田の攻撃範囲より、かなり離れた位置になる。少女が何をする気なのか、亮平も、おそらく鴨田本人も気付いていなかっただろう。

駿だけはそれに気が付いた。気が付いた瞬間、マズイなと思う。黒沼千瀬の攻撃範囲は、その小柄な体躯からは想像できないほどに広い――無論、鴨田慎太郎よりも。


「チトセ、……!」


駿が注意を呼び掛けようとしたときにはもう遅かった。ぐ、と身体を沈めたかと思うと、瞬間凄まじいスピードで少女は標的に向かって飛び出してゆく。

軽やかに床を蹴った音が耳に届く頃には、千瀬の竹刀は鴨田の肩の辺りに振り下ろされていた。咄嗟に自らの竹刀を縦にした彼の反応は流石だろう。

ただし、少女のその一撃はフェイントに過ぎなかったのだ。


「――鴨田さん!」


亮平の声に、ゴッ! という大きな濁音が重なった。相手の正面に飛び込むやいなや、今さっき見たばかりの鴨田の突きを今度は千瀬自信が打ち込んでいたのである。

びりびりと空気が切り裂かれて振動する。見様見真似で行ったそれは、少女の天賦の才と呼応して恐るべき威力を生み出していた。分厚く頑丈な防具で覆われた、胴に繰り出された一撃で鴨田の身体が宙に浮く。ぴしり、その場所に亀裂が入ったのを駿は見た。


「う、げ」


やりやがった……!

駿はひくりと口元を引きつらせた。身体ごと道場の端に吹っ飛んで投げ出された、鴨田を見て亮平は放心している。その頭を叩いて正気付かせると、駿は慌てて鴨田の安否の確認に向かった。

……どうやら目を回しているらしい。命に別状はなさそうでほっと息を吐きだした。目立った外傷が無いのは防具のお陰だろう。腹だけは、後で痣になるかもしれないが。


「……ってなわけで、」


あと、よろしくー。

苦い笑みを浮かべて言いながら亮平の肩を叩く。その場を彼に任せると、きょとんとした様子の千瀬を肩に担ぎ上げて駿はその場から逃走した。……脱兎の如く。

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