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『これが私の世界だから』  作者: カオリ
第五章《迷霧》
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第五章《迷霧》:接触(1)

扉の前に佇む少女が一人。

学園指定の制服に身を包んだ彼女の、艶かな黒髪は肩より少し長い。俯いたせいで切り揃えた前髪が、同じ色の瞳を僅かに覆い隠していた。

少女はちらりと自分の衣服に視線を送る。いつも腰から下がっている黒鞘の姿はない。当たり前だが、刀など持ってくるわけにはいかなかったのだ。

ブーツに慣れた足を包むローファーも、ふくらはぎを隠している濃紺のソックスも、スカートのプリーツも。何だか落ち着かなくて、思わず少女は溜め息を吐いた。


(……624号室)


第六棟寮二階、廊下の奥に位置する部屋だった。この扉の前に立ってからもう数分が経とうとしている。

少女は今、一つの命にしたがってここへやってきた。624号室の住人と接触し、先日殺害された清川芽衣子についてリサーチすること。少女の所属する組織にとって重要な点は、清川芽衣子が一般の生徒か否か、だった。一般の生徒でない場合とはつまり、“学園”に潜入している“ルシファー”以外の組織の構成員である時のことを示す。

時刻はまだ昼過ぎ、このままでは他の生徒に見つかってしまう恐れもあるだろう。暫しの逡巡の後、ようやく少女は決意を固めた。

恐る恐る伸ばした拳で扉を叩く。コン、コン、響き渡る乾いたノックの音。


「――、」


部屋の中から微かないらえが返る。何と言ったのかはわからなかったがしかし、少女――千瀬はその声を合図にドアノブを握った。

軽やかな音を立てて開いた扉の向こうに一つ、小さな人影。お邪魔しますと言い掛けた、その瞬間だった。


「――やっと入ってきたね」


開口一番、部屋の主の放った言葉に千瀬は目を見開いた。彼女が入室を躊躇っていたことを知っているようなその口振り。気配の断ち方には多少自信があっただけに、千瀬は酷く驚いた。そのまま硬直した少女の何を勘違いしたのか、相手は首を傾げてから小さく笑う。


「ニーハオ? ニングイシン?」

「……へ、え? ニン? え?」


何、何!?

わけの解らないこと(それが中国語であるということさえ知らない)を突然口にされた千瀬は慌てふためく。それを見て気付いたらしい、なぁんだ、と部屋の主である少女は微笑んだ。


「やっぱり日本人なのね。喋らないから、日本語がわからないのかと思っちゃった」

「……すみません……」


出会って一分も経過していない相手にいきなり謝罪することになり、千瀬は心中で溜め息を吐いた。黙りこくって喋らない彼女を見て親切にも相手は、話し掛ける言語を変えてくれたらしい。

落ち着きを取り戻した千瀬はそこで漸く、相手の容姿を観察することができた。今はたった一人となってしまったこの部屋の主。清川芽衣子のルームメイト、アイジャを。


「何かご用?」


美しい、少女だった。

淡い金の巻き毛はかなりの長さがあるのだろう、今は伸ばした前髪ごと耳の上で二つに束ねられている。その滑らかな光沢はどこか、スパニエル犬の毛並みを想像させた。

長い睫毛に縁取られた瞳の色は深い海の色だ。瑠璃にも似た輝きが瞬きの度に、宝石のように煌めきを帯びる。

ドレスを着せたらさぞ似合うだろうと、目を離せぬまま千瀬は思った。アイジャの細い体躯は他の生徒と同じ、多種多様なものから選ばれた制服の一つに包まれている。


「わたし、アイジャ。あなたのお名前は?」

「え、っと……」


本名を名乗るべきか否か、ほんの少し逡巡する。しかしそう気のきいた偽名を直ぐ様思いつくこともできず、結局千瀬はその名を口にした。


「……ちとせ、です」


ちとせ、ちとせ、ね。

嬉しそうに何度か口の中で呟いて、アイジャはにこりと笑ってみせた。おそらく千瀬と同年代であるはずの彼女だが、仕草が何処か幼い。


「それで、チトセはどうしたの?」

「清川芽衣子さんについて、聞きたいことがあるんです」

「メイコのこと?」

「芽衣子さんって、どんな子だった?」


世間話にしては、明らかに不自然な質問だった。千瀬は冷や汗をかきそうになりながら、何とか表面上は平静を装う。初対面の相手にこんなことを聞かれて不思議に思わないはずがないだろうに、思いの外アイジャは協力的だった。少女は小首を傾げ、ゆっくりと思いを巡らせるような素振りを見せる。


「メイコはとっても優しい子だったわ。アイジャに“学園ここ”のこと、たくさん教えてくれたもの。いつも一緒にいてくれた」


清川芽衣子は部活やサークル等には無所属だったと言う。進んで自分の面倒を見てくれたのだと、アイジャは自身の唇で語った。


「死ん……亡くなった日は、何かあった?」

「いいえ。メイコ、教室に忘れ物したって……それだけ」


ふとアイジャの表情が曇る。それを見て、千瀬もそっと眉を寄せた。

アイジャの話が本当ならば、清川芽衣子が何者かと関わりを持っていたという線は薄い。入学したてのアイジャは確かに、誰かの手を借りなければ日常生活にさえ不便が生じる状態だったのだろう。“千瀬たち”のように所属する先のある人間ならば、四六時中アイジャと行動を共にするのは不可能なのだ。

(……やっぱり)


清川芽衣子はただの一般人。千瀬はそれを確信する。芽衣子はおそらく犠牲者なのだ――第一、そうでなければ無抵抗で銃殺などされはしない。

少女はそっと息を吐いた。清川芽衣子が万が一、一般の生徒でなかった場合。千瀬に下されていた命令は、そのルームメイトであるアイジャまでもを調べることだった。そして“ルシファー”に敵なす組織の一員であった場合は、始末せよ、と。


「どうして皆、メイコのことを聞きたがるの?」

「……“みんな”?」


ぽつりと落とされた呟きを千瀬の耳が拾い上げた。その発言に僅かな違和感を感じて見やった先で、アイジャは小さく頷く。


「うん。昨日、話を聞きたいってゆう子が来たのよ。ナナフシギ、がなんとかって……」

「七不思議――?」

「その子、今日も確か来るって言――……」


アイジャの言葉が不自然に途切れた。瞬間、部屋の中にノックの音が響き渡る。

誰かが来た――それに気付いて千瀬は咄嗟に身を翻した。開きかけた扉の方へ、真直ぐに駆ける。


「アイジャ? 昨日話した東海林ですけ――うわッ!?」


来訪者と入れ替わるようにして身体を扉の隙間に滑り込ませる。そのまま千瀬は振り返ることなく寮を後にした。まだ日が沈んでいないから“地下牢”には帰れない。けれど何としてでも、仲間と連絡をとる必要があった。

しょうじ、そう名乗っていた声が頭に反響する。


(――清川芽衣子について調べてる人が、いる)




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