◇ 1
待ち合わせの時間は十六時。
駅前に集った演劇部OBはまだ三人だけで、残る二人の到着を待っていた。
「遅いわね、よっしーったら」
「もうすぐ来るだろう」
噂をすれば影、とばかりに、改札口から大荷物の良彦が駆けて来る。
「あっ! よう子さーん、レオさんごめん、お待たせー!」
無視してんじゃねーよと、華恋は軽く蹴りを入れて仲間を迎えてやる。
「なにすんだミメイ!」
「別に? ゴーさんはどうしたの?」
「置いてきた! さー、行こうぜみんな!」
華恋たちが中学を卒業してから五年が経とうとしている二月下旬。
仲間が集った理由は、劇団まどかの公演を見るためだ。なにしろ、主演は武川祐午。入団してから五年、とうとう、堂々の主役に選ばれている。
「なんか緊張しますね」
「私は桐絵がちゃんと役をやれるのかが心配だわ」
華恋の言葉に、三田村よう子が微笑む。三ヶ月前に入籍したばかりの新婚さんは、左手の薬指にシンプルでかつエレガンス、そしてゴージャスな指輪を輝かせている。
「今までも舞台には立っていたじゃないか」
大学生空手家であり、覆面スイーツデコ作家である礼音が微笑む。
「今までにないセリフの量なのよ。なにせ五つだもの。新記録よ!」
それに、もう来月からは社会人になる良彦がケラケラと笑う。
「なんでゴーさん置いてきたの?」
「それを聞くか? 聞いちゃうのか、ミメイは!」
四人で話しながら歩いて、劇場の前へ。
地元からは少し離れた若者の集まる町、深幸町にはいくつか劇場があるが、今日の舞台はその中でも特に収容人数の多い老舗の大型劇場、「シアター・タレイア」で行われる。
まだ開場まで二〇分あるが、劇場前には列を作っている熱心な観客が大勢いた。
「すっげえなあ、結構な人数が並んでるよな、これ」
「ユーゴも有名になってきたもの。当然なんじゃないかしら?」
確かに、行列を作っているのは主に女性で、手に雑誌を持っている者が多い。祐午は半年前からモデルとしての活動も始めていて、「I.K.Magazine」こと「イケメンマガジン」の今月号の表紙は華恋たちの長年の友人の、キメキメに決めたどアップだ。
「で、なんでゴーさんのこと置いてきたの?」
「しつこいぞ、ミメイ!」
「痴話喧嘩?」
ニヤついた顔で言われて、良彦はプンスカしている。
高校卒業後はメイクの専門学校へ進学し、そこで学んだり資格を取ったりしながら、良彦は号田と一緒になってヘアカットのコンテストに参加していた。カットやスタイリングをする号田のアシスタントをしたり、メイクを担当したりして腕を更に磨いている。
二人は昨日も地方で行われたコンテストに参加していて、つい先程遠征先から帰ってきたばかり。つまり、道中でケンカをしたに違いない。
「んもー、しょーがねえなあ。終わった後の飲み会で話してやるよ!」
「まあ、やっぱりなにかがあったのね、大丈夫なの? よっしー、もしかしてゴーちゃんと……」
「なにもないって! やめてよ、よう子さんまで」
こんなやりとりに、礼音は声を殺して笑っている。
この大男は、兄嫁が二人も同居することになったのを機に実家を出て、今では号田家に間借りして秘密のデコデコライフを送っている。元・先生と一つ屋根の下で暮らす礼音がいる限り、号田関連の隠し事はできない。
開場時間がやってきて、イケメン目当てのお客たちの列が動きだす。
華恋たちがこの劇場へやってきたのは三回目で、席の並びもなんとなく覚えている。
ぞろぞろと四人で席に座ると、華恋のカバンがブンブンと震えだした。
電話を取り出してみると、噂の変態理容師からの着信だった。仕方なく立ち上がって、華恋は電話片手にホールへと戻る。
「はい」
『ビューティ、中に入れてくれ!』
耳元で響く大声に、思わず顔をしかめてしまう。
「なんで?」
『俺のチケットは藤田君が持ってるんだ!』
ちょっと待ってな、と電話を切って席まで戻り、華恋は一七〇センチになりそうでならなかった良彦に声をかける。
「藤田、ゴーさんがチケットなくて入れないって」
「いいんだよ、入んなくて。帰ればいいんだ、あんな非常識なオッサンは!」
「……そんなに大変なコトがあったわけ? もしかして藤田、アンタ……」
「バッカ、お前! 変な想像するんじゃねえよ!」
大きな声を出す可愛い少年風の青年に、注目が集まる。たくさんの視線に気がついて頬を赤く染めると、しょうがないなあと呟きながら良彦は扉の方へ歩いていった。
「なにがあったんでしょうね」
「そうねえ、ゴーちゃんのことだから……うーん、寝ているあいだにそっと、添い寝してたとか」
「寝ている間にメイクをされたとか」
変態理容師をよく知っているよう子と礼音は、好き放題予想を並べていく。ただ、犯罪行為が候補に出ないので、最低限の信用はあるのだろう。
「いやー、お待たせお待たせ!」
プリプリした良彦の後ろを、内面さえ知らなければ渋カッコイイ三十二歳で通る号田がやってきた。
「待ってないよ、ゴーさんなんて」
「藤田君、本当に悪かった。でも、二人の力を合わせたら入賞できたじゃないか。これはもう、永遠にコンビを組んでやっていくしかないという啓示だと思うのだが」
「うるっさい! 二度とやんないからな、ゴーさんの手伝いなんて」
冷たい決別宣言に、男前の目には涙が溢れている。
「入賞したって?」
「ん? うん、まあ。三位だった」
「すごいじゃない、ゴーちゃん、よっしー!」
「すごくないよ。三位だぜ?」
普段ならちょっとくらいは自慢したかもしれないが、今日の良彦君は機嫌が悪い。号田のそっと取り出した記念の盾も、心なしか輝きが鈍く見える。
そんなやりとりをしていると、上演前のブザーが鳴り響いた。
とうとう、主役。
大事な友人の晴れ舞台に全員顔を真剣に引き締めて、まっすぐ前を向いて幕が開くのを待った。
上演が終わると、なぜかホールでよう子が人に囲まれ始めてしまった。
「あの、どこの劇団の女優さんですか?」
「うふふ。そう思っていただけるのは光栄だけど、私はただの主婦なので」
キラリンと指輪を輝かせ、くるりとまわるかと思ったらまわらない。
舞台に立っていた女優たちよりも美しかった主婦を囲んだ人たちは首を傾げながら去っていき、五人は駅前の居酒屋へと移動していった。
桐絵と祐午は、初日の舞台の反省会やら着替えやらの諸々を済ませてから合流する予定になっている。
「祐午君、すごかったですね」
「うーん。ホント、すごい人気だったなあ。さすが、イケメンマガジンの表紙になるだけある」
登場した瞬間、キャアッという黄色い歓声があがった。劇団まどかの公演には何回も足を運んできたが、そんな現象が起きたのは今回が初めてだった。
「桐絵もだいぶ上手になったわね」
「確かにな」
五回あるセリフはちゃんと失敗せずに言えていた。祐午恋しさに勢いで入ってこちらも五年。あのモジモジ部長時代を考えると、素晴らしい進化を果たしている。
そのほかにも、今日の舞台についての感想をしばらく話しあう。それが一通り済むと、とうとう話は開演前に生じた例の疑問へと移った。
「で、よっしーはどうしてあんなに怒っていたの?」
よう子に問われて、良彦はちらりと号田に目をやる。号田はなぜか、頬を赤く染めてニヤついている。
「言わなかったらみんな変な想像すんだろ? しょうがないから言うけどさ」
全員の視線が、良彦に集まる。
「ちょっとゴーさん、なにニヤニヤしてんの? 俺マジでムカついてんだからね」
「うん、ごめんね」
反省の色は皆無のようだ。
「ホテルに空きがなくてさ、しょうがなく同じ部屋に泊まったんだよ」
全員の表情がひどく悲しげになって、良彦はまずそれに慌てた。
「ちょっと、そんな顔しないでくれる?」
「いや、だって……ねえ」
「ミメイ、お前の顔今メチャメチャブサイクになってるぞ」
意地の悪い笑顔には辛辣な言葉が飛ぶ。華恋は慌てて表情を元に戻し、神妙な態度で友人の言葉を待った。
「ゴーさんがグーグーし出したから、俺も安心して寝たんだよ。で、なんか変な感じがして起きたら、この変態が勝手に俺のスネ毛剃ってんの! 許せねーだろ! 頭おかしいだろ?」
「いやいや、藤田君の足にスネ毛が生えている方がおかしいだろう! 本来の姿に戻さないと!」
幸い店内は込み合っていて騒がしく、変態発言が隣のテーブルまでは届く心配はないようだ。
「ゴーちゃん、アウトよ」
「気持ち悪い」
「先生、見損ないました」
三人から簡潔に罵られ、号田はゆっくりと顔を伏せていった。
「気がついたら左だけツルツルだったから、仕方なく右も剃る羽目になったんだぜ? ほんと、俺もゴーさんの事見損なったし」
良彦の言葉に、今度は号田の顔がぱっと輝いている。
「今まではそれなりに好きでいてくれたっていう風に解釈してもいいのかな」
「やめなよゴーさん、ホントに嫌われちゃうよ?」
華恋が嗜めると、号田はなにを考えているのかふっと笑いを浮かべた。嫌われていなかったというステータスに、希望を感じているのかもしれない。
全員で中年に厳しい目を向けていたら、とうとう主役がやってきた。
「みんな、お待たせ!」
爽やかなスマイルは、表紙に載っている俳優、武川祐午よりも少し幼く、純朴そうな雰囲気に満ちている。そうそう、こんな顔だった。そんな気分で顔を綻ばせて、全員で劇団員の二人を出迎える。
「ユーゴ、お疲れ!」
「うん、よっしーありがとう! ゴー先生はなんでニヤニヤしてるんですか? なにかいいことがあったんですか」
「このオジサンにはなんにもいいことねえから気にしないで! さ、座って座って」
「桐絵もお疲れ様」
こちらは、あれ、部長ってこんなキャラだったっけ? というイメージチェンジがなされていた。
やけにけだるげな重たい雰囲気。以前から溌剌としたキャラクターではなかったが、髪は赤く染められているし、トレードマークの眼鏡がない。かわりに入っているのはグリーンのカラーコンタクトだ。
「どうだった? 舞台は」
「良かったわよ、桐絵」
「でしょう? 良かったでしょう? なんていったって演出が良かったし!」
受け答えまで以前とはだいぶ違う印象になっている。
よう子以外の全員がなんとなく口を出しづらくなって、曖昧な微笑を浮かべたまま、久しぶりに全員集合した元・光瀬中学演劇部の宴がスタートした。