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Project Beauty Plus  作者: 澤群キョウ
番外編 
7/13

真夜中のガールズトーク

 インターホンがなった。

 冬の日の夜、時刻はもう二十ニ時を過ぎている。


 両親も姉もいない紺野家をこんな時間に平気で訪ねてくる誰か。心当たりは一人しかいない。桐絵は立ち上がって玄関の扉を開いた。


「いらっしゃい、よう子」

「お邪魔します」


 親友を家の中で唯一灯りと暖房をつけている自分の部屋に通し、ニ人分のコーヒーを用意して椅子に座る。


「どうしたの? 今日は来ないと思ってたのに」

 よう子は今日、彼女の「ステディ」である三田村忠に会いに行くと話していた。そんな予定の日に、自分のところを訪ねてくるなんて、今までには一度だってなかったのに。


 よう子とは小学校ニ年生の時、お互い七歳の頃から親しく付き合ってきていて、一番の親友だという意識を持っていた。出会いからもう十三年もの年月が過ぎていて、いつの間にか、人生の三分の二を知っている間柄になっている。


「あのね……」


 そのよう子が言いよどむ様子に、桐絵は細い眉をひそめ、下から顔を覗き込むようにして質問をした。


「なにかあったの? 三田村さんと」

 

 よう子が三田村忠と出会ったのは彼女の兄の友人経由で参加したパーティで、美しくキリリとした容姿の中学生の少女に大学生の男がうっかり一目ぼれしてしてしまったのが始まりだった。


 リッチなボンボンである忠はおっとりとしていて優しく、かつ常識を持ち合わせていた。中学生相手にがっついたりはせず、よう子にとってこれ以上に都合のいい相手はいなかった。いいようにたかってやろうなんていう不純な動機のもと、とんでもない年齢設定の付き合いが始まったのだ。


 そんな親友の言葉を聞いて内心、桐絵は心配で仕方なかった。が、いつの間にかニ人の交際はもう七年も続いている。よう子の口から忠に関する文句や苦情が出てこないままで、当初もくろんでいた「たくさんの男を同時進行でいいようにたぶらかす」計画も、いつの間にか潰えてしまったようだった。


「あったのよ」


 ぐっと胸のうちを掴まれたような感覚に、桐絵は体をこわばらせている。

 よう子に付き合い、イベント毎に三田村家で催されるパーティに参加して、忠とは今までに何回も会っていたし、話す機会があった。頼りないところもあるし、抜けたところを見せられたりもしたが、よう子を大切にしてくれている彼を、今では桐絵も信頼している。


 よう子は美しく、逞しい少女だった。しかし、家庭という本来であれば一番の拠り所であるべき場所が脆く、内心はナイーブでとても打たれ弱い。桐絵はそのことをよく知っていて、できれば誰かが責任を持って護ってくれたらと思っていた。自分ではできそうにないその大仕事を、忠に託せたら、とずっと願ってきた。


 だから、今のこの目の前にある親友の不安げな表情に、心がどうしようもなく震えてしまう。


 よう子は一言発したきり、黙り込んでいる。

 伏せられた長いまつげのせいで、瞳に浮かぶ感情の色は見えなかった。


 震える心を必死に抑えて、桐絵はなんとか声を出したていく。


「よう子、なにがあったの? 教えて」


 小さいが真剣な桐絵の声に、よう子はようやく顔をあげる。

 ひとつ息を吐くと、ぎゅっと閉じていた唇を開いて、こう返事をした。


「プロポーズされたの」


 過去に書き上げた脚本の中に、何度も使っていた、よく知った単語。しかし、親友の口から突然飛び出した場合、その意味合いがわからなくなってしまうという怪現象がこの世にはあるらしい。


「……プロポーズって?」

「もう来月には学校を卒業するでしょう? そうしたら、結婚してほしいって言われたの」


 高校を卒業した後、よう子は服飾の専門学校に通っていた。卒業まではあと少しなのに、その先の身の振り方は決まっていない。オリジナルの服のブランドを立ち上げるのよと言っていたけれど、その裏にはこんな事情が潜んでいたのだろうか。


「どうするの?」


 よう子ははあっと息を吐き出し、ふっと微笑むとまっすぐ桐絵を見つめた。


「迷ってる」


 そうだろうと、不思議と納得がいく。よう子が単純に喜び、いつものようにくるりとまわって、あっさりと差し出された指輪を受け取るとは思えない。


 桐絵としては、素直に笑顔で受け取って、幸せにしてくれるであろう人の胸に飛び込んでもらいたいという気持ちが強かった。


 なにせ、その方がドラマティックだ。


 YESの先はきっと、幸せな未来に繋がっているから。


「私はいいと思う。三田村さんならよう子のこと、大事にしてくれるでしょう?」

「私もそう思うわ。……付き合い始めた理由は不純なものだったけど、彼はそんなこと気が付きもせず、私を受け入れてくれた。あんないい人、きっと他にはいないわ。たいした技術があるわけでもないのに口ばっかり大きくて、性格だってとてもいいとはいえない気取った小娘に真剣に向き合ってくれたし、家族だって説得してくれた。最初は煙たがっていたお母様も、今ではよくしてくれるもの」


 まっすぐ長く伸ばした髪を右手でかきあげ、よう子はふうとまたひとつため息をついて、床に転がっている台本をじっと見つめた。


「これ、今度の舞台の?」

「そんなの、今はいいでしょう?」

「良くないわよ。ユーゴは今度はどんな役をもらえたのかしら」


 その名前を出されるとどうにも弱い。あのカッコイイ後輩にうっかり一目ぼれしてから、もう六年も経っていた。彼以上に美しい男性はいまだに現れず、一方的な好意を胸にしまい続けてつい、同じ劇団に入るなんてことまでしている。


「準主役よ」

「桐絵は?」


 よう子がふふんと笑う。劇団に入ったものの、いきなり入ってきた女子高校生に脚本を書かせるなんて奇跡的な展開があるわけもなく、あれほど人前に出るのが苦手だというのに桐絵も芝居に参加していた。うしろで騒ぐ群衆だったり、たいしたセリフもない役を与えられることがほとんどだったが。


「今回は裏方よ」

「早く脚本が書けるといいわね」

「そんなことより、今はよう子の話でしょ。迷ってるから私のところに来たんじゃないの?」


 悩みができるたびに、ニ人でこうして部屋で向かい合って話してきた。

 答えが出ることも、出ないこともあった。たとえ解決しなかったとしても、お互いがいつでもそばにいる、一人ではないと確認しあっては勇気を持って進んできた。


 今日もそうだ。よう子が持ってきた、人生できっと最大の問題をどうすべきか。いつものようにわかちあい、少しでも前に進めるよう手を貸したい。

 桐絵はそう考えて親友の瞳をじっと見つめた。見つめられたよう子は、いつもより力なく呟く。


「ねえ桐絵。……私、思っていたよりもずっと、サンダーのことが好きだったみたい」

「知らなかったの? ずっと、大好きだったじゃない」

 この言葉によう子はがっくりと頭を下げた。そして、笑い始めた。

「そうなの。好きだった。だからこそ、簡単に決められなかった。あんな素敵なお家に私がお嫁に行ったら、意地汚いうちの両親が何をしでかすかわらかないわ。それこそ、私なんか目じゃないくらいたかりまくるに決まってる。なんの疑問も感じずに、一目散にお金を無心しにくるに決まっている!」

「よう子……」

「そんなの、耐えられないわ。大切な人だからこそ、そんなことになったら許せない。彼はきっと優しいから、私の両親を受け入れてしまう」


 大きな瞳から涙がこぼれおちて、よう子の着ている自作のスカートに次々としみを作っていく。通り雨が降り出した時の地面のようだとか、大きな瞳だから涙の粒も大きいのだろうかとか、そんな些細な疑問が頭の裏側を通り過ぎていって、桐絵は頭をブンブンと振った。


「よう子、ダメよ。その理論でいったら、よう子は一生結婚なんかできないじゃない。あなたみたいな素敵な子が、ずっと幸せになれないなんておかしいわ。そんなの、間違ってる」


 長い付き合いの間で、親友の涙を見たことは何回もあった。それはどれも家族が絡んでいて、解決することがどうしてもできずにいた。

 どうしようもない、逃れられない「血縁」という人類にとっても史上最大の難問。しかし。


「私たちはもう大人よ。いつまでも、親の世話になっている子供のままじゃない。よう子、もう選択しましょう。三田村さんか、家族か」

「選択……?」

「そうよ。あなたはこの二択を必ずしなくちゃならない。もし今回のプロポーズを断っても、その次もまた必ず選択を迫られるわ。愛する人をとるのか、諦めて家族とのしがらみに捕らわれたままでいるのか、絶対に決めなくてはいけないの」


 かつてない桐絵の迫力に、よう子は思わず背筋をピンと伸ばした。

 少しの沈黙があり、コーラルピンクの唇がゆっくりと開く。


「でも、うちよりもずっと貧乏な人を選べばこんな選択はしなくていいわよね」

「なに言ってるの。そんな人を選ぶ気なんかないくせに」


 おかしな返答に少し笑い、しかし桐絵はすぐに真顔に戻ってよう子をまたまっすぐに見つめた。


「いえ、違うわね。三田村さんのような人はもう現れないわ。もし今回の申し出を断ったら、きっとあなたは一生ひとり。いえ、両親の老後の世話に追われて、それが終わるまで見ていた夢は全部叶わない」

「ひどいわね、桐絵」

「そうよ。ひどいわ。今回はそのくらい、まさに人生がかかった選択なのよ」

 よう子の白い手を取り、強く、握る。

「あなたはもう充分悩んだ。もういいわよ」

「でも……」

「もしあの両親が来たらって心配なら、あなたが体を張って三田村家を守ればいいじゃない」


 ここで桐絵は言葉を止めた。少し、熱くなりすぎている。

 ふうっと大きく息をつき、よう子の反応をそっとうかがう。美しい顔は少し視線をそらして、どこか遠くを見つめているようだった。


「そうよね。ありがとう、桐絵」


 とても悩みが解決したとは思えない沈んだ表情で言われては、お礼の言葉に意味など感じられない。


「でも、私が結婚したら寂しいんじゃない? これからは一人で夜寝ることになるわよ」

「逆にありがたいわ。うちはホテルじゃないんだから」


 たとえば一泊が百円だったとしても、今までの宿泊料金を過去にさかのぼって全額回収できれば、欲しかった高価な本だって何冊か買えるはずだ。


 そのくらい、よう子はこの部屋で長い時間を過ごしている。

 あんまりしょっちゅうくるおかげで、桐絵の部屋にはいつだってニ人分の寝床が用意されていた。自分はベッドで、よう子は床に布団をしいて。


 そうやって毎日のように、一緒に夜を過ごしてきた。


 将来について、夢について、恋について、男の子について、たくさんの話をした。


 私達ニ人の、かけがえのない時間。

 だけど、そんな少女達の時間はもう、終わってもいい。



 新しい場所へ旅立って幸せになれるのなら、その方がいい。


「今夜も泊まっていくんでしょ?」

「……桐絵がいいなら」

「いいに決まってる」


 冷めてしまったコーヒーの入ったカップを置いて立ち上がり、桐絵はよう子専用の布団の準備を始めた。


「化粧を落としてきなさいよ」

「ええ。シャワー借りるわね」


 そしてこの夜も、ニ人で並んで眠った。



 朝を迎えると、よう子がなぜか布団の上に正座をして部屋の主の起床を待っていた。


「おはよう」

「おはよう。どうしたの、かしこまっちゃって」

 マジメな顔をした友人の前に、桐絵も愛用のめがねを装着して正座をする。

「ねえ、桐絵。結婚してもこんな風に泊まりに来てもいい?」

「……たまにならね」

「寂しくない?」

「寂しくなんかないわ。昨日も言ったと思うけど」

 よう子がふふっと笑う。その笑顔に、問いかける。

「決めたの? よう子」

「わからないわ。まだ、悩んでる」

 わからないと答えたものの、どこか清々しい表情。昨日とは違う、スッキリとした顔だった。


 ニ人で家を出て、駅前のカフェで朝食をとる。

「桐絵、今日の予定は?」

「大学に行って、その後はバイト。帰りは八時過ぎ」

「了解」


 よう子は美しい顔に微笑を浮かべると立ち上がり、店の出口へと向かった。

 ゆれる長い髪に、周囲でモーニングセットを食べているサラリーマンたちの視線が一気に集まる。


 その後姿を見送り、桐絵はカバンからハンカチを取り出すと、なぜか出てきた涙をそっと拭いて、しばらく澄んだ冬の空を見つめた。

 

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