Be My Baby 前編
「よーし、今日の稽古はこれで終了だ!」
座長の声が響き、劇団員たちが散っていく。
「武川! ちょい、こっち来て」
皆が水を飲んだり、夕食をどうするか話し合ってざわざわとする中、祐午は一人座長の前へ進んだ。
「はい。なんでしょう?」
劇団まどか。テレビよりも、舞台を中心に活躍する俳優を数多く育てている。世間的にはマイナーだが歴史は古いこの劇団に祐午が入ったのは、今から四年前。
高校に入ってすぐに梅原昭三にあてて「俳優を目指して頑張ります」と送った手紙への返事に、この劇団の名前が挙がっていた。よければ紹介しようと、筆でかかれた返信に祐午は飛び上がって喜び、入団を決めた。
毎日、学校が終わったら稽古場へ走り、汗を流す日々。
単位ぎりぎりでなんとか卒業してからは、アルバイトをしながら演劇に打ち込んでいた。
前向きに頑張る姿は先輩受けもよく、公演のたびに役を与えられてきた。最初こそ後ろに集まる群衆役だったが、次回の公演ではとうとう物語のキーマンである、主人公の友人役。
毎日情熱的に練習に励む祐午へ、座長は問いかける。
「お前に質問がある」
「はい」
座長はおほんと咳払いをすると、声をひそめた。
「お前、彼女はいるのか?」
間髪いれずに青年は答える。
「いえ、いません」
「本当か? モテそうなのに」
「そんなことありませんよ、全然」
爽やかすぎる返事がイヤミに思えたのか、座長はムカつきを隠さず、顔をしかめた。
「……まあいい。現実がどうかと、お前がどう感じているかは別だからな。で、彼女は今までに何人いた?」
「今までに、一人もいないです」
「なに? 誰かに恋したことは?」
「うーん。そういえばないですね」
あっさりと答える様子に、座長はムカつきを飛び越えて呆れた様子だ。
「武川、十九だったよな、確か」
「まだ十八です。早生まれなので」
「そういう細かいところはいいんだよ。とにかく、年頃の男が女子を意識しないっていうのは問題だな。あ、もしかして男が好きとかなのか?」
「男が好き?」
「恋愛対象が同性なのかってことだよ」
「それはないです」
これまでの付き合いから、祐午が隠し事をするとは思えない。では、本当に恋愛経験はないのだろう。
こんな美青年を何故、周囲の連中は放っておくのか。世の中は不思議なものだと座長はしみじみ考えたが、今はそんなのはどうでもいい。
「とにかくだ。お前にもうちょっと色気のある演技をしてもらいたいんだ」
「色気……」
「待て。まあ、待て。お前の想像しているお色気とは違うぞ。恋愛の経験があるものだけが醸し出せるオーラがあるんだ。それをゲットしてくれ。そうすれば武川祐午は無敵になれるはずだからな」
「無敵ですか。無敵って、すごいですね!」
祐午の脳内にどんなイメージが浮かんでいるのか、座長にはまったく想像がつかない。点滅しながらヒャッハーしているんじゃなかろうかと不安に思いつつ、目の前の若者の肩をパシパシと叩く。
「とにかくだ。今までに誰か、この子はかわいいなあとか、一緒にいて楽しいなあとか、そういう相手はいなかったか? いただろう?」
「今までに……」
祐午は頭の中で記憶を辿っていった。
可愛い子といえば、よう子さんだ。
よう子さんはきれいだった。
だけど、少し怖い。あと、すごく年上の彼氏がいて、なんだか遠い世界の人だった。
「どうだ?」
「いましたけど、彼氏がいるんです」
「そういうのは別にいいんだよ。彼氏がいようがいまいが、恋するのは自由だろう?」
「えっ。そうなんですか?」
「バカかお前は!」
座長に突然怒鳴られ、祐午は体をすくめてまた考えた。
一緒にいて楽しかったのは、ビューティだ。
四角い顔のビューティ。怒りっぽいけど、優しくて、頼もしかった。
でも僕よりもよっしーの方が仲良しだ。
だけど自由……。自由か。そうか。自由だ。
「あの、いました! 一緒にいて楽しかった人!」
「そうか。それは良かった。じゃあお前、その子とちょっとデートしてこい」
「デート?」
「そうだ。誘って出かけていちゃついて、捨てられるもんは全部捨てて来るんだ!」
「捨てられるものは全部捨てる……?」
真剣な顔でわかりませんオーラを全開にしてくる祐午に、座長は衝撃を覚えながら、しかし前途ある若者のためだと近くにあった紙にメモをし始めた。
「ここにデートのプランをかいてやる」
コピーをミスった紙の裏に、猛烈な勢いでデートプランが書き出されていく。
「いいか。このデートの目的は、恋人気分を学ぶことだ。その子をどう思っているのかしらないが、とにかくお前の一番愛しい恋人だと思ってデートしてこい! ドキドキワクワクウキウキハラハラキュンキュンしてくるんだ。わかったな!」
「ハラハラキュンキュン……」
座長からの命令を受けて、祐午は電車を降りると家とは逆方面の出口へ向い、懐かしい母校へ続く道を歩いた。
中学校の演劇部、懐かしいなあ。思いを巡らせながら、長い足でスタスタと歩く。
あの頃よりもずっと背が伸びて、顔も大人っぽくなり、イケメンぶりに磨きがかかっている祐午は、歩いているだけで女性が何人も振り返る。
ただし、本人は気づかないし、気にしない。
目的の友人の家の前には、人影があった。
「マサーシャちゃん!」
人影はニ人。そのうちの一人が声に反応して、勢いよく振り返った。
「祐午君! うわっ、久しぶり!」
高校ニ年生になった美女井正子は嬉しそうに声をあげると、隣にいた男子にもういいから帰れと命令をした。せっかくお目当ての彼女を家まで送った男子高校生は抗議をしようとしたが、突然現れた王子様のようなイケメンに勝てる気がしなかったのか、肩を落として去っていく。
「マーサに会いにきてくれたの?」
「違うよ。ビューティはいるかな?」
あっさり否定され、正子はうぐぐ、と声を漏らした。しかし祐午の人となりは承知しているので、すぐに気を取り直して先輩を家へと招きいれた。
「わあ」
それから三〇分ほどして帰宅した華恋は、リビングに入るなり驚きの声をあげた。
「ビューティ、おかえり!」
「いらっしゃい祐午君……。どうかしたの?」
よいしょとカバンを降ろし、相変わらずの地味な四角い顔で友人に質問をする。
「うん。あのね、来週ヒマな日があるかな? 僕とデートしてほしいんだよね!」
この言葉に、並んでコーヒーを飲んでいた美女井家の父と次女がブーっと噴き出す。
「デートって、どういう意味?」
「え? 普通のデートだよ。僕と二人で出かけて、一緒に過ごして欲しいんだ」
あまりこの青年を知らない父・修はこのまま自分がここにいていいのか判断がつかずそわそわと足を震わせている。
正子はこのまさかの用件に悔しいやら面白いやらで、やっぱり足を震わせている。
そして長女の分のコーヒーを入れて運ぼうとしていた母・美奈子は目をまんまるにしたまま微動だにしない。
そして人生初のデートを申し込まれた当の本人、美女井華恋は冷静だった。
「なんか理由があるんでしょ」
「うん。実はね、座長がデートしてこいって言ったんだ」
そのまま祐午の口からは今日受けた命令についての説明がなされた。
それを聞いて、美女井家の面々もすっかり落ち着きを取り戻したが、同時にかなりガッカリの状態だ。
「なんで私を選ぶかね?」
「ダメかな? 僕はビューティが一番いいと思ったんだ」
この言葉にはさすがの華恋も照れた。かなり照れて、顔を真っ赤にしてしまった。
そういう意味じゃないはずだ、という思考がギュンギュンと脳内で飛び交うが、祐午スマイルの破壊力は半端ない。
「ダメじゃない……よ」
「ああ、良かった! やっぱりビューティに頼んで正解だね! じゃあ、日程を決めよう」
人の良いまっすぐな青年の頼みを断ることができず、華恋はカバンから手帳を取り出すとスケジュールを確認した。そして、金曜日の午後にデートをすると決まる。
「楽しみだなあ。僕、デートって初めてだよ」
「嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ。僕は嘘はつかないんだから」
そういえばそんなこと言ってたな、と華恋は中学時代を思い出していた。俳優が芝居以外で嘘をついたらダメなんだとかなんとか。
そんな思い出に浸る四角い顔に笑顔を向けると、祐午は手を振って美女井家を去って行った。
「じゃあまた来週にね!」
駅前に立つ祐午は目立つ。
オシャレをしてキメている友人をまだ遠い電信柱の陰から見つめて、華恋は小さくため息をついている。
ちらほらといる通行人、特に女性はみんな背の高い美形男子を見る。チラ見する。老いも若きも、とにかく見ずにはいられないようだ。
そこにこのスクウェアフェイスが行っていいものかという悩みは払拭できないが、そんな理由でドタキャンをするわけにもいかない。
「お待たせ」
「あ、ビューティ! 良かった。待ってたよ」
笑顔とともに、ドでかい花束が差し出される。
「わああ」
オレンジと黄色のニ色で構成された、薔薇の花束。受け取ってみると、はっきりいってかなり重い。
「黄色の薔薇の花言葉は、可憐、なんだって! ビューティにピッタリだよね」
華恋自身は可憐とは程遠い印象なので、ただのダジャレになってしまっている。しかし明るい笑顔の祐午に、そんな悪意はない。だがそこにさらなる追撃が。
「オレンジはね、愛嬌だよ」
「ははは」
ロマン成分ゼロの正直すぎる花のチョイスに乾いた笑いが漏れる。そしてなにより、やっぱり重量がある。
「祐午君、これ、嬉しいんだけど持って出かけるには重いかも。どこか、コインロッカーとかに預けてもいいかな?」
「じゃあ僕が持つよ」
「いやいや。これ、大きいでしょ。せっかく出かけるんだから、持っていくのはどうかと思うよ」
「わかった。じゃあ、預けてくるね!」
せっかくの立派な花束が、暗いロッカーの中にしまわれる。デートの最初に出す花束は小さくないと邪魔。そんな豆知識を今日、ニ人は学んだ。