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Project Beauty Plus  作者: 澤群キョウ
番外編 
4/13

Sweet Season

 卒業まであと三ヶ月と少し。

 クリスマスを目前に控えた落ち着かない町を、優季はゆっくりと歩いていた。


 学校の授業は午前で終わり、来週開催される弟のバースデーパーティの打ち合わせのために、美女井家へ向かう。主役の弟は受験対策の家庭教師役を頼まれ、世にもカッコイイ友人の家に行っていて不在だ。お昼ごはんの準備を考えなくていいのは気が楽で、冷たい空気の中でも足取りは弾む。


 優季は冬が好きだった。夏はどうしても、体が重たいから。


 今のところ治す方法のない持病の影響だ。症状自体は収まっているのに、体が温まると過去に出ていた症状が一時的に蘇るという不思議な後遺症があって、暑い時期はどうしようもなくダルい。

 それでも、時々休みながらも学校へ通い続け、あと少しで卒業できる。一年休学したおかげで周囲はみんな年下だったが、仲良くしてくれた。困っている時には手を貸してくれる友人がたくさんできていたし、勉強にもなんとかついていけた。成績はよくないが、留年の心配はしなくてよさそうだ。


 一応インターホンを押し、でも応答を待たずに扉に手をかける。

「こんにちはー」

「あ、いらっしゃーい!」

 奥から美女井家の母が笑顔でやってくる。

「お疲れ様。寒かったでしょう?」

「いやー、歩いたら結構、ポカポカしちゃいました」


 リビングへ移動して、コートを脱ぐ。ソファにはこの家の姉妹が揃って座っていて、優季の来訪をちっとも似ていない笑顔で出迎えてくれた。制服の上のブレザーも脱ぐと、すぐにお茶が運ばれてくる。


「ありがとうございます」

「もうすぐパパが帰ってくるから、そうしたらみんなでお昼にしましょう」

「おじさんが? なんだか珍しいですね」


 美女井家の父が経営している不動産屋は確かに近くの商店街の中にあったが、昼食をわざわざ家に食べに戻るというのは今までにないパターンだ。


「なにかイベント? 昇進した……、とかはないもんねえ」

「ないね」


 四角い姉の方の美女井が真顔で頷く。隣ではショートカットも良く似合う美少女丸出しの妹がうーんと首をかしげている。


「社長の上って会長とか?」

「グループ会社でもあればそんな役職も出てくるのかな?」

 そんな展開があるわけない、と三人の女学生はケラケラと笑った。そこに、噂の男が帰宅してくる。

「ただいまー!」

 長女そっくりの四角い地味顔がリビングに現れる。手洗い、うがいと風邪予防ニ点セットを済ませた一家の主が戻ってくると、ランチが始まった。


「優季ちゃん」

 全員の皿が空になり、母と娘たちが片づけを始めたところで声がかかった。

「なんですか?」

「優季ちゃんは大学には進学しないって言ってたそうだけど、就職先とかはもう決まったのかな」


 成績がどうにもあがらないし、どうしても行きたい進路がないことは、美女井家の母にぽろりと漏らしたことがあった。なので進学はしないつもりだったが、就職はもっと大変だ。一年休学しているので病気についてはどうしても話さなければならないし、再発のリスクもある。体は思う存分動かないものの、かといって「障碍者」という枠には入れない。中途半端な状態の女子高生は、面接に行くたびにこっそりと落ち込んでいた。

 それが見た目にわかるようになっていて、心配されてしまったのだろうか。そんな考えが頭をよぎって、優季は情けない笑顔を浮かべた。


「いやあ、それが連戦連敗で」


 何十社も受けたわけではない。同じように就業を目指す同級生に比べればちっとも頑張っていない就職活動だったが、どこからも「こいつは困ったな」みたいな扱いをされていると気がついて、今は少しリフレッシュをと休んでいるところだ。学校側も複雑な事情を気遣ってか、ここのところなにも言ってこない。


 そんなちょっぴり意気消沈な優季に、美女井修は眩しいくらいの笑顔を見せて答えた。


「それは良かった」

「……良かった?」

「実はね、うちの会社の事務の子が一人、三月で退職することになったんだよ。結婚して引越しちゃうからって。良かったら優季ちゃんに来てもらいたいと思ってるんだけど、どうだろう」

 突然降って湧いた幸運に、優季は目をまあるくしてしばらく黙ってしまった。

「えーと……」


 胸のうちで絡み合う複雑な気持ちは、目の前のあしながおじさんにはすぐにバレてしまう。


「やりたい仕事があるとか、興味のあることが他にあるんだったら、遠慮しなくていいんだよ。もし良かったらって話だから」

「いや、お話はすごく嬉しいんですけど、でもなんていうか、ちょっと図々しいかなっていう気持ちがこう、出てきちゃってですね」

「ははは」


 今までだって信じられない程お世話になってきている美女井家の面々。退院したばかりの不自由な暮らしをあらゆる面から支えてもらった。情けない親子関係を改善できたのも、この家の人たちの世話になっていたからだ。自分だけではなく、弟も一緒に。


「図々しくはないよ。……優季ちゃんはなんといっても可愛いから事務所にいてくれたらみんな張り切る。それに、明るいから。よっしー君もそうだけど、声を聞いてると元気が出るんだよね。その力をわけてもらえたら嬉しいんだけどな」

「でも、仕事がちゃんとできるかどうか」

「そんなの、最初はみんな同じだよ」


 ここで美女井家父の顔は、社長・美女井修のものになった。腕組みをして、妙にまじめくさった顔でうんうんと頷く。


「あのね、優季ちゃん。人を採用するっていうのは結構大変なんだよ。履歴書を見ればどういう歴史を辿ってきた人物かはわかるけど、真剣に働いてくれるのか、信頼に足る人物なのかまでは雇って一緒に働いてみるまではわからない。もちろん、わかりやすい人材もいるけどね。期待して入れてみたらとんでもないヤツだった、なんてこともあるんだよ」


 キッチンの奥では、美女井家女子一同が揃って聞き耳を立てて、様子を窺っている。


「だから、どういう人物かよくわかっている人が来てくれるっていうのは、会社としては助かることなんだ。仕事はちょっとずつ覚えていけばいいから問題ないし」

「でもなんていうか、これってコネ入社ですよね」

「はははは」


 なんとなくズルな気がして優季はこう言ったのだが、思いっきり笑われてしまった。


「ヘッドハンティング……じゃあないか。これは、スカウトだな。私は優季ちゃんのことを買ってるから、正社員で採用したいんだけど。どうかな?」


 もちろん、こんなに喜ばしい話はない。職場が近ければ通うのも楽だし、なによりもよく知った人の会社だ。きっと低賃金で酷使されるような心配はないだろうし、病気のことにだって理解がある。

 だけどそれよりも、自分を評価してもらっていることが嬉しい。


 もしかしたら「同情」も少しはあるかもしれない。けれどそれなら、もらったチャンスに努力で報いるまでだ。病気になった時、もしかしたら自分は社会のお荷物なんじゃないかと悩んだことがあった。そうではないと、自信を持てるかもしれない。

 優季はポジティブな気持ちで一晩かけてそう考え、次の日、お世話になりますと美女井社長に挨拶をした。



 こうして就職を決めてから、一年。

「いらっしゃいませー」

 来客を報せるチャイムがなり、いつものとおり声をあげ立ち上がる。

 目の前に立つ青年が誰かに気がついて、優季は少し驚いて足を止めた。

「あれ」

「優季、久しぶり」


 北島暁彦。小・中学校の同級生であり、友人。よう子の兄で、弟の良彦のボウリングの師匠でもあるアキ君だ。

 少し明るすぎる金髪に、細くそった眉はあまり上品とはいえない。美形の妹に似て整った顔立ちだが、顔色は冴えなくて、かつて仲良く時を共有していた頃の健康そうな印象はなくなっている。


「こちらへどうぞ」

 知り合いとはいえ、お客様だ。相談カウンターの椅子を勧め、優季も向かいに座った。

「どういった物件をお探しでしょうか?」

「ははは」

 改まった態度の元同級生がおかしかったのか、暁彦は軽く笑う。

「良かった。元気そうで安心したよ」

「……おかげさまで」


 暁彦と最後に会ったのはいつだっただろう。

 はっきりと病気の診断がされる前、優季は一ケ月以上「調子が悪い」日々を過ごしていた。それでも家の事をしなくてはならない。掃除に、洗濯、食事を作って、弟の面倒だって見なくてはいけない。だるい体に鞭を打って家事をこなしていた。

 とうとう体が動かなくなってしまった姉を見て、良彦が連絡をしたのは暁彦だった。父は仕事中で捕まらず、頼れる親類もいない。慌てて自転車でやってきた同級生に付き添われて、救急車に初めて乗ったのだ。


「一人暮らしをしようと思ってさ。この辺にいい部屋ないかな。できたら、保証人がいらないところがいいんだけど」

「保証人がいないっていうのはちょっと……」

「最近そういうの、あるんだろ?」

「二十歳以上じゃないと親権者が契約をすることになりますけど」

「二十歳だよ」

「まだでしょ?」

 優季はもう成人しているが、誕生日が少し遅い暁彦はまだ十九歳のはずだ。

「じゃあ優季が保証人になってくれよ。ここの社員だったら、なんとかできるだろ?」

 

 やってきた客に色々と書き込んでもらう為のカードの束から視線をうつして、暁彦を見つめる。

 何故突然、ここに来たのだろう。

 真剣に部屋を借りたいのかどうかはわからないが、おそらく自分に会いに来ることが目的の一つだろうと優季は思った。


「それはちょっとできません。公私混同になっちゃうから」

「そりゃそうか。でも、他に頼れるヤツがいないんだよ。なんとか頼めないかな?」

「……私がここで働いてるの、誰に聞いたの?」

 優季の質問に、暁彦はふっと笑う。

「よしのヤツにだよ。昨日バッタリ会ったんだ。背が伸びたよな。あんなにチビだったのに」


 そんなこと、言ってなかったのにな。

 昨日の夜一緒に食事をした時に、暁彦の話題は出なかった。弟がなにを思って黙っていたのか考えると、なぜかすこし、腹が立つ。


「保証人はともかく、予算とか部屋の間取りの希望にあうものがあるか探しますので」

「はいはい」

 笑いながら、差し出された紙を暁彦が受け取る。お世辞にもきれいとはいえない字で、お客様カードが埋められていく。


 北島暁彦

 

 優季が入院してしばらく、よう子と暁彦には随分と世話になった。

 姉の前では泣くのを必死にこらえていた良彦を慰め、不安に落ち込む優季のそばに寄り添ってくれた大切な友人兄妹。


 会わなくなったのは、自分のせいだ。

 優季の心に蘇るあの日の景色。よく晴れた気持ちのいい日だった。秋が深まり、冬が近づく。自分の人生にも凍えてしまいそうな、見通しの立たない不安に震える日々がやってきていた。自分の体なのに思うように動かない、薬のせいでひどく気分が悪い、顔はパンパンに膨れて別人のよう。どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか、不条理でやるせなかった。こんな人生を歩み続けるくらいなら、消えてなくなった方がマシだとすら思えて、そんな自分がひどく哀しかった。


 弟が毎日やってきては笑顔でただ隣に座る。

 言いたいことがあるのをこらえている。言えばいいのに、という気持ちを自分もこらえる。こらえる姉に、弟もこらえる。泣けば弟もこらえ切れなくなる。だから、自分もこらえる。

 そうやって、ニ人で涙を出さないように必死だった。

 そんな日々に限界が来て、とうとう迎えたあの日。

 良彦と一緒にやってきた暁彦は、大切な友人のためにこう、声をかけた。

「大丈夫、すぐに良くなるよ」


 今ならわかる。たかだが中学生の男の子が、原因も治療法もよくわからない病気にかかってしまった友人を励ますために言える言葉なんかこのくらいしかないと。そこに悪意はなくて、ただ、元気になってほしいという祈りだけがあったはずだ。

 しかし、この言葉で堤防はあっさりと決壊してしまった。


 そんな気休めを、言わないで


 溜め込んでいた分、出てきた涙は随分多かった。体中から水分を搾り出してもまだ足りないと思えるくらい、何時間もずっと泣いた。良彦も一緒になって、だけど声はあげずに涙だけボロボロと流していて、暁彦がそっと病室から連れ出してくれた。

 それ以来、彼がもう来ることはなかった。退院後に学校で見かけることはあっても、話しかけることも、話しかけられることもなかった。


「これでお願いしますよっと」

 テーブルの上に希望の条件がかかれた紙がすいっと出される。それをチラっと見ただけで優季は呆れた、と呟いた。

「こんな物件あるわけないよ」

「わからないでしょ? ちゃんと調べてよ」

「こんないい家があったら私が借りてるね」

 ものすごく広いくせに安い、風呂トイレ別、駅近、コンビニがすぐ隣。そんな都合のいい部屋はない。調べるまでもない。

「お客様に失礼だな」

 暁彦が憮然とした表情で放った言葉に、思わず顔をあげる。

「……それは失礼いたしました」

「相変わらずだな、優季」

 優季も思った。アキ君も、相変わらずの優しい笑顔だね、と。


 たったこれだけなのに、六年分の空白が埋まっていく気がする。


「俺もさすがに家を出ようと思ってるんだ」

「そうなんだ」

「変な連中とは縁を切ったし、ちゃんと仕事もする。来月から働くところも決まったんだ」


 高校に入った頃くらいから家にはちっとも寄り付かず、ガラの悪い連中とつるむようになったことはよう子からなんとなく聞いていた。

 それで、あの時のお詫びができないままここまできてしまったのだ。また会えたら、あの時はごめんねと一言告げたかったと、ずっとずっと思っていた。


「アキ君」

「なにその呼び方。公私混同じゃねえ?」

 カッコイイ笑顔に、思わず口をとがらせてしまう。

「働くんだったらその髪、マズイんじゃないの」

「ちゃんと黒くするよ」

「よくそんな傷んだ髪で採用されたよね」

 イヤミを言いつつ、カウンターの下に入っているおすすめヘアサロンの優待券を取って差し出す。

「号田さんのお店に行けば一発で直るんじゃないかな?」

「あの親父さんじゃ無理だろ」

「今は親子でやってるんだよ」

「ゴーさん理容師になったの?」

 優季が頷くと、暁彦は優待券を手に取ってしげしげと眺めた。

「あんなにイヤがってたのにな」

「全然会ってないの? アキ君が行ったら喜ぶんじゃないかな」

 その言葉にまたふっと笑顔を浮かべると、暁彦は立ち上がった。

「二十歳になったらまた来るよ」

「物件は?」

「また今度来るから、いいの抑えといて。清潔感のある髪型の勤労青年になっておくから、よかったら保証人になってくれよな」

 かっこよく身を翻し、右手をさっと挙げた暁彦の背中に、優季はこう声をかけた。

「それは無理!」


 ガクっと膝を折る後姿にケラケラ笑うと、暁彦も照れくさそうな笑顔で振り返って、改めて手を振ると店を出て行った。


 外は冬。クリスマスに浮かれる町並みに、何色ものイルミネーションが輝いている。

 来月二十歳になる彼はいつ、再び目の前に現れるだろう?



 再会とともにやってくる新しい一年のスタートへの期待に顔を綻ばせると、優季は新しいお客様情報カードを「か行」のファイルに収め、自分の席へと戻った。

 

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