◇ 5
朝からいつもの面々が、ヘアサロンGOD・Aに集っていた。
といっても、そのうち二人はこの家の住人で、開店前の店内でコーヒーを飲んで待っていただけなのだが。
「よし! じゃー、まずは着替えからだな。ヒモパ」
腹部に入ったパンチで、しつこい下着ネタは封印される。
「ビューティ、下着もちゃんとこだわったほうがいいわよ。朝帰りの予定なんだから」
「そんなことしませんから」
プンプンしながらよう子と一緒に奥に移動して、華恋は着替えを始めた。
仕上がったワンピースはそれはそれは見事な出来栄えで、柔らかい素材の布の手触りのよさにうっとりさせられている。
「どう? いいでしょう」
「見事ですね、よう子さん」
「気合入れたもの。久しぶりにね! 魂に火がついた気分よ」
袖を通せば体にぴったりとフィットし、普段着ている安い服との差がハッキリとわかった。
セピア色のストッキングを渡されると、それもレースの柄が美しくて、久しぶりにいつもの自分のファッションについて反省させられてしまう。
「似合うわよ。やっぱり、スタイルがいいってうらやましいわ」
そういうよう子の微笑みは驚く程美しい。中学生の頃から美人ではあったが、今はそれに幸せそうなオーラが加わって、あの頃よりも優しい印象になっている。
「ありがとうございます」
着替えを終えて店内へ戻ると、笑顔の良彦が待っていた。
「いいじゃんか、ミメイ! お前そういうのよく似合うなー。顔はアレだけど」
「じゃあアレな部分をなんとかしていただきましょうか」
「おう。まかせとけっ!」
椅子の前には、大量のメイク道具が置かれていた。これをバッグに詰め込んで、学校に通ったり、号田の出場するコンテストについて行ったり、成人式の行事の時などにはお隣のGOD・Sでメイクのアルバイトをして、良彦は随分腕を上げている。
「前回は成人式の時だよな。あの時はスーツだったしちょっと地味に仕上げたけど、今日は華やかにいくぞ」
「よろしくおねがいしまーす」
「気合を入れろよ、ミメイ。こんな豪華な美容チームがついてる素人なんて、お前以外に多分いないぜ? この贅沢者!」
君達が勝手にやってるんでしょーが、と、ツンツンつついてくる良彦の手を払う。
メイクが始まればいつもの悪いお口はすっかり閉じて、良彦の顔はプロのものに変わった。パフでぽんぽんと肌を叩き、ちょっと伸びた眉毛はキレイにカットされ、四角い顔が丸くなるように色が少しずつ重ねられていく。
「お前の肌のキレイさって、やっぱおばさんの料理のおかげだよな」
動くと怒られるので華恋は返事ができない。じっと黙る顔に、良彦が笑う。
「ノリがいいんだよなあ。ミメイにメイクするの、楽しいぜ。思った通りに仕上がるから」
そうですかい、と心で呟く。
横では、礼音がアクセサリを何種類も並べて、よう子と一緒にどれがいいかの検討をしている。
号田はぽやーっと、メイク担当の顔を見つめて幸せそうに微笑んでいた。
「こんな風にまたみんなでミメイの改造ができるなんて、ホント楽しいな」
ご機嫌そうな良彦の手は、リズミカルに動いていく。
「お前も今日、楽しんで来いよ。朝帰りはまあおいといたとして、ユーゴの不思議ワールドって結構面白いんじゃない? 俺は二人っきりで過ごしたことないからわかんないけど、新しい世界が発見できそう」
「無責任なこと言ってんじゃないよ」
さすがに好き放題言われすぎじゃないかと、華恋は鼻息を荒くしている。
「さすがにおじさんの前で朝帰り発言は俺も悪かったかなって思ってるけど、浮いた噂がひとつもないっていうのも年頃のレディーとしてはどうかと思うぜ」
「その言葉、そっくりそのまま返しておくわ」
「お、俺のこと侮ってるだろ。良彦様の武勇伝を聞かせてやろうか?」
「なんだって? 武勇伝があるのか! 藤田君に!?」
号田の悲鳴が店内を包む。
「うるさいわよ、ゴーちゃん。よっしーはあなたのものじゃないのよ? いい加減、卒業なさいな」
「そうですよ先生。大体、よっしーとどうなりたいんですか?」
よう子のつっこみはともかく、礼音の冷静な言葉には号田よりもむしろ良彦の方が反応した。
「レオさん、やめてよ、変な質問するのは。どんな答えでも聞きたくないからゴーさんも黙ってて」
「うむむ」
命令通り変態理容師が黙る。そういえばこの男は、一体なにをどうしたいのか。
誰もが恐ろしくて聞けなかった質問に答える声はない。
「よっし、完成! ゴーさん後は頼んだ」
「うむ」
号田の顔は妙に赤くなっていて、気持ち悪い。
「ビューティ、今日は『春の訪れ・女優スタイル』で行くぞ」
「へえ?」
「うむ」
上の空の態度に、不安が募る。しかし髪に触れればプロのヘアメイクに戻れるらしい。華恋の髪はどういう魔法を使ったのか、ふんわりエアリーに、弾むように、妖精に祝福されたかのように軽く広がって華やかにメイクされた顔を彩っていた。
「いい感じ! ゴーさんはヘアメイクだけやって生きていきなよ、世界の平和のためにさ」
「そうね、ゴーちゃん、それがいいと思うわ」
せっかくいい仕事をしたというのに、号田はズーンと落ち込んでいる。その肩を、ポンポンと居候の男子大学生が優しく叩いた。
「どうだミメイ! パーフェクトだろ。これならユーゴと並んでも大丈夫だ。むしろ、お似合いだと思うぜ」
「そうかな……」
「俺達の仕事にケチつけんのか?」
良彦の言葉に、華恋は顔をあげてまっすぐに鏡を見た。
自分に自信がないこと、祐午とうんたらかんたらは脇に置いて、公平な目で自分の姿を見つめる。
顔はいつもの自分ではない。まるで、本当に別人だった。
自己流のメイクが生み出す効果に意味がないと、思い知らされてしまう。
目はキラキラと輝き、ガンコそうな四角い顔は優しいカーブを描いている。
上品なグリーンのワンピースはスタイルの良さを引き立て、もしかしたら雑誌に載っててもいいかもしれないと思えるほどだ。
鏡の向こうにいる美しい誰かの姿に、華恋の口元が綻ぶ。
魔法使い軍団はそれを見て、微笑む。
「ビューティ、これでいこう」
礼音から、長いネックレスが差し出され、それをつければ完成。イケメンとデートするのにふさわしい、謎の美女が召喚された。
「どう? ビューティ、行く気になった?」
「……ええ。ここまでしてもらったら、行くしかないですね」
「帰ってこない時には、俺にメール送れよ。おじさんとおばさんにはうまいこと伝えてやるから」
「それはしないって言ってるでしょ?」
「ユーゴだって男なんだからな。あいつが狼になる可能性はゼロじゃねえぞ」
「むしろそうなって欲しいわ。こんなに魅力的な美女が生まれたんだから。ねえ、レオちゃん」
「え? う、……うーん、いや、まあ、どうだろうか」
まごまごする礼音に、三人が笑う。華恋は、まったくもうと呟く。
時間はGOD・Aの開店二〇分前になっていた。
もうそろそろ、出かけないといけない。
「今日の靴はオッケーね。じゃあいってらっしゃいな、ビューティ」
よう子の手が、背中を押す。押されるままに、華恋は歩き出した。
今日の待ち合わせも去年のデートと同じく、地元の駅だ。
待ち合わせ場所に五分前にたどり着くと、祐午がもう待っていた。
他にも待ち合わせをしている人がちらほらといるが、祐午の周りだけぽっかりと空間があいている。
意を決し、そのぽっかりスペースへと近づき、華恋は祐午の前に立った。
「?」
「お待たせ、祐午君」
「……もしかしてビューティ?」
「そうだけど」
きょとんとした顔の友人に苦笑してしまう。
どうやら、変身が過ぎて正体がわからなくなったらしい。
「いつもと全然違うからわからなかった! そうか、本当によっしーにメイクしてもらったんだね」
「うん、なんか……。ゴーさんとかよう子さんも張り切っちゃってさ」
「レオ先輩もだね。このネックレス、先輩が作ったんでしょう? そんな感じがする」
そうだよ、と華恋が微笑むと祐午もにっこりと笑った。
「嬉しいな。みんなも応援してくれてるんだね」
面白がってるだけでしょ、という華恋の感想は、喉の奥にひっかかって出てこない。そう答える以前に、今の祐午のセリフがひっかかったからだ。
応援してほしいの? なんて、質問できない。
悶々とする華恋の赤い顔の前に、小さなブーケが差し出された。
「今度は邪魔にならないように、小さいのにしたよ」
可愛らしい二輪の白いバラの、小さな花束だった。
「前回はちょっと、ロマンがなかったよね。今回は白にしたんだ。花言葉はね、『私はあなたにふさわしい』だって」
「あははは……」
華恋の口からちょっとだけ、乾いた笑いが漏れていく。
またまた、冗談言っちゃって、というセリフに繋がる予定だったが、出なかった。
照れたからだ。
「じゃあ行こうか、ビュー……じゃなかった、華恋」
「ほい」
下の名前で呼ぶルールは、デートのたびに適用されることになっているのだろうか。不意打ちに情けない返事をして、歩き出しはしたものの、顔を上げられないままカッカしすぎて華恋は自動改札に激突してしまった。
「大丈夫?」
「うん! 大丈夫大丈夫全然平気!」
心の中で思いっきり、ホイッスルを吹く。
落ち着け落ち着けといつもの冷静な自分に集合をかける。
祐午に差し出された手は見なかったことにして、華恋は自力で立ち上がるとフラフラと歩いた。