マーサ in Junior High School
演劇部の部室はざわざわしていた。
なにせ、人数が多い。八割が男子という、演劇部としては異例の比率で集まった入部希望者のおかげで室内の気温は急上昇中だ。
そしてその視線のほとんどが、前方に立つ一人に向けられている。
「なんだなんだ。随分集まっちゃったなあ」
可愛い副部長がそう呟いて、隣に立つ四角い顔の部長に視線を向ける。
「本当だね。こんなに男子ばっかり」
「僕は嬉しいよ! こんなに俳優志望が集まるなんて、奇跡みたいだ!」
「どうせまた減るぜ!」
喜ぶ祐午に良彦が思いっきり水を差す。
そんな三年生の隣で、ニ年生たちは固まってひそひそ話していた。
「あの子だよ」
「ウソでしょ?」
「ホントだって」
そしてとうとう、顧問の先生が現れて生徒の集団の前に立った。ざわめきがようやく収まって、集まった一年生たちが座るように指示される。
「演劇部へようこそ。じゃあ早速、入部届けを出してもらおうかな」
端の方から順番に列を作らせ、名前を書いた紙を受け取り、華恋は部長の欄にサインをしていった。隣の辻出教諭に渡し、その横では良彦が控えてかわりにはんこを次々に押していく。
その作業が終わったら、今度は自己紹介の時間が始まる。
まずは辻出教諭が天使モードで挨拶し、華恋が続いた。良彦の明るい声、祐午のよく通る声が続き、ニ年生たちもようやくできる先輩ぶった挨拶に少し照れくさそうな笑顔を見せていった。
「じゃあ一年生、端から順番に行こうか」
華恋が声をかけ、集まった新入生たちが一人ずつ立ち上がって、名乗っていく。
そしてど真ん中の少女の順番が来た。
彼女だけは立ち上がっただけではなく、全員によく見えるよう勝手に前方に移動して、校則違反丸出しの自慢の縦ロールの髪をふわっと揺らした挙句ついでにくるんとまわってからこう自己紹介をした。
「美女井正子です! あだ名はマーサです。皆さん気軽に、マーサ、って呼んで下さいね」
集まった男子生徒の中からハートがフワフワっと飛び出してくる。
「祐午君とお芝居するために入部しました! 演劇部に入るって、ニ年も前から決めていました! 頑張って主演女優になります! よろしくお願いしますっ!」
最後にてへっと顔を斜めに可愛くかしげて、ようやく正子の挨拶が終わった。
部長の顔は渋く、副部長は必死で笑いをこらえている。
「やる気があって嬉しいわ!」
顧問の先生は優しい笑顔でやる気満々の少女を歓迎し、全体的にちょっとテンションのあがった教室では、アピールをプラスした自己紹介が続いた。
「何か質問がある人はいるかな?」
全員の挨拶が終わり、華恋が立ち上がってこう聞いた。すると一年生の男子がひとり、手を挙げている。
「えーと、大山くんだっけ?」
「はい」
大山君は狭いスペースで縮こまった姿勢のまま、部長にこう質問した。
「すいません。部長さんのお名前、もう一度教えてもらっていいですか?」
「は?」
「美女井華恋だよ! 大山君」
質問の意図を量りかねている華恋にかわって、良彦が明るい声でさっさと答える。
「あの、じゃあ、そこのマーサちゃんと同じ苗字みたいなんですけど」
たとえば、鈴木とか佐藤とか田中とか高橋だったらいちいちこんな確認はなかったはずだ。
久々に父を恨みたい気分になりながら、華恋はぶふぉおっと大きなため息をつき、眉間にしわをよせてしかたなく答えた。
「そうだね。珍しい苗字だから、そう考えて当然。ついでに顔が全然似てないから、疑問に思って当然だね。どう考えてもそのうちわかることだろうから先に言っておくよ。私はそこのマーサちゃんの実の姉です」
演劇部の部室を、絶妙な沈黙が包む。華恋の横では良彦が腹を抱えてぷるぷると震えていて、それをドンと肘で突いて、部長は諦めた顔でこう吐き出した。
「どうぞ。笑って結構。似てない姉妹選手権があったら、いいところまでいく自信があるよ」
そのセリフに良彦はケラケラ笑ったが、さすがに一年生達は無遠慮に笑うことはできなかったようだ。あはは、なんて声がちょこちょこ響いて、それが収まるとさっそく顧問の先生が昨年同様ランニングを始めて新入部員の厳選を行った。
「おねーちゃん……、聞いてないよ、こんな部活だったなんて……」
「言ってないもん」
鍛えられた姉はたくましくなっていて、魔将タイムにもまったく動じない。
その横の祐午も爽やかな笑顔だ。いい汗かいた、くらいの余裕の態度で汗をぬぐっている。
「サーシャちゃん、大丈夫。毎日やってたら、すぐに慣れるよ」
「マーサだよう……」
乱れた縦ロールをよろよろと揺らし、正子は恨めしい顔で良彦を見つめた。
「よっしーはなんで走らないの?」
「俺はメイク担当だもん。舞台には立たないし。普段は後方支援ってやつだから」
「マーサもコウホウシエンがいい!」
「それじゃ祐午君とは舞台に立てないけど、いいわけ?」
「うっ……」
このしごきには耐えられないと逃げ出す生徒が今年は少ないらしく、何人かが届けを取り下げて去っていったものの、部室にはまだニ〇人程度の一年生が残っていた。ほとんどが男子生徒の息を切らせた汗臭い集団は、何の部活なんだかちょっと想像し難い光景になっている。
「大丈夫だよ、マーサちゃん。一緒に頑張ろう」
ニ年生の水島がさっとタオルを出し、笑顔で後輩を元気付けようと声をかけている。
「そうだよ。舞台は楽しいよ」
もう一人のニ年生男子、酒井もデレデレした顔だ。
「わー、モテモテじゃん。やっとアンタの時代が来たみたいだね」
「えっ。これがマーサのモテ期なの? イケメンがいないけど!?」
容赦ない少女の言葉に里芋とガリ勉メガネはショックを受けて固まっている。
「いいじゃんか、モテないより。それに水島君も酒井君も、ナイスガイだよ。根性あるし」
そもそも祐午はもうすぐ引退で、同じ舞台に立つチャンスは一回しかない。その辺をわかってんのかいなという気持ちで華恋はニヤニヤと妹を見つめた。
「その髪、ちょっと切ったほうがいいかな。毎日走らされるから、大変だよ」
「えっ? やだよ、せっかく縦ロールにしたのに!」
「ゴーさんとこにつれてってあげようか」
「うん、じゃあ切る!」
妹にもあの特別優待券は使えるだろうか。ダメだと言われそうな気がして、華恋は隣に立つ良彦に声をかけた。
「藤田も一緒に行こうよ」
「え? なんでだよ。俺はまだいいし」
「藤田が一緒の方が気合入るだろうから。期待の新人、マーサちゃんのために頼むよ」
「うーん。しょうがないなあ。じゃ、メール送っておくよ。日曜でいいかな?」
「うん」
一学期が終わり、姉とよっしーと憧れの祐午君が引退して、正子はあれれ? と思った。
あんまりかっこよくない先輩たちと、あんまりかっこよくない同級生に囲まれ、毎日竹刀に追いかけられているのはどうして?
「こら、マサの字! そのぶりっこのような動きをやめろ!」
「先生ひどい! マサの字って呼ばないでって言ってるのにー!」
「腕をまっすぐ伸ばせ! そしていちいち上目遣いにするんじゃなーい!!」
ぶんっ、とツキカゲ棒が空を切る。
こんなはずじゃなかったのに。当初、少女の胸にはこの言葉があふれていた。
しかし、もう辞めてやるー! という最後の言葉を飲み込ませたのは、魔将のこんな決め台詞があったからだ。
「お前の姉はもっと根性があったぞっ!」
その言葉が飛び出すたびに悔しい気持ちが胸の底から湧いてきて、正子は疲れた体に鞭を打って何度も立ち上がった。
よっしーは言ってた。おねーちゃんはすごいんだって。
私と違って、みんなから信頼されてて、素敵な友達がいっぱいいる。
どんなにコケにされても、鼻でふんって笑ってちっともへこたれない。
やっとわかった。おねーちゃんは、かっこいい。
見た目が可愛くても、中身がダメだったらイケメンは寄ってこないんだ。
実際にはちょっとかっこいい同級生が寄ってきていたが、みんな中身が残念な者ばかりだった。祐午ほどズバ抜けてかっこよくもないし、少々アホでも許せるようなまっすぐさとか爽やかさに欠けていて、いかにも見た目ばっかり気にしている様子が丸わかりで話していてもちっとも楽しくないのだ。
男は中身だってよっしーが言ってた。
女だっておなじなはずだ。
正子は、ちょっとだけ成長した。
次の年の夏、美女井正子は演劇部の部長になり、そのビジュアルの力で男子部員を散々集めた。
そして公立の中学校ではなかなか珍しい男子だらけの演劇部は、その迫力で全国の演劇コンクールの決勝まで進み、辻出教諭にニつ目の大きな賞を送った。
正子はそんなことよりも、素敵なOBの先輩達が見に来てくれたことの方が嬉しかったが。
そしてなによりも、今までに見たことのなかった姉の全開の笑顔とこんな言葉の方が嬉しかった。
「やった! あんたはすごいよ、正子!」
正子は胸を張って、こう答える。
「すごいでしょ、おねーちゃん!」
姉妹はまったく似ていない笑顔でパンとハイタッチを交わし、素敵な仲間たちのもとへ一緒に走った。