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薬草園の御子秀

作者: 東尾さとみ

 シュウは、月の女神の神殿に仕える御子みこで、神殿付属の薬草園で働いている。

 女神の神殿の御子たちは、幼年時の基礎訓練を終えたあとで、それぞれの適性に応じて、各部に振り分けられる。秀も、十歳で祈祷部の舞の組に配属になり、二年のあいだ見習い御子をつとめていたが、この春から、薬草園へ移籍となった。今は、駆け出しの薬師くすし見習いとして、まだまだ勉強中の身の上だ。



輝ける月の女神よ

御身の麗しさに

我ら伏して讃えん

人の子らの中に

立ちたもう女神を

我ら喜び迎えん



 月の女神への賛歌を唱えながら、薬草園の薬師全員が、朝一番の水やりを行う。祈祷部なら、それぞれの当番に分かれて、朝の神事の準備をする刻限だ。

 薬草園でも、細かい仕事は役目に応じて割り振られているし、当番もあるので、祈祷部と大きな違いはない。だが、優美、優雅が何より重要視される祈祷部と違って、薬草園の仕事は飾り気がない。能率優先で合理的であり、秀の気質には合っていた。

 広大な薬草園の水やりを済ませたあとも、朝食前に、もうひと働き。新入りの秀は雑用が多い。朝食の食材に使うのだという香草の籠を手に、早足で賄い場へと向かう。返事はきびきびと。行動は素早く。だが、荒っぽくてはいけない。あくまで神殿の御子らしく、お行儀良く。

 近道をしようと中庭へ下りたところで、秀は、後ろから声を掛けられた。

「御子秀!」

 聞き覚えのある声に振り向けば、やはりそれは、同期の友人であるエイだった。

 永は、祈祷部の中でも舞の組とは近しい付き合いの、楽奏の組に所属している。気心の知れた、仲の良い友人である。

 永の傍らには、同じくらいの背格好の少年御子の姿があった。顔立ちに何となく見覚えがあるものの、名前までは分からない。祈祷部の御子は三百人以上いるのだ。

「御子永、久しぶり。どこへ行くところ?」

 永が追いついてくるのを待って、秀は話しかけた。

「秀はどこへ行くの?」

 秀の質問に質問で返した友人は、秀が抱えた籠の中身に目を留めた。

「賄い場に行くんだね。僕ら二人は薬草園へお使いに出されたんだ。賄い場まで一緒に行っていい? それともここで待っていようか?」

「ここで待ってて。すぐに置いてくるよ」

 うなずく永に軽く手を振って、秀は賄い場へと急いだ。当番の係に籠を手渡して受領書を書いてもらい、小走りで引き返す。長いこと会っていないような気がするが、永と話すのはひと月ぶりだった。

(永は、僕に何か相談があるんじゃないのかな)

そんな予感がした。



 秀の予感は当たっていた。

 あのあと、永は連れの少年巫子を「こちらは御子楷みこカイ」と、秀に紹介した。

 三人は連れ立って歩き始めたが、なんとなく妙な具合だった。永の態度が、どこかぎこちないのである。

 楷は無口な少年で、秀と永が話をしていても全く口を挟まない。もともとそういう性格なのか、それとも、何か抱え込んでいるものでもあるのか。どちらとも判断できないが、永の様子から、(何かあるのだな)と秀は思った。

 結局、たわいもない話ばかりして、その日はそれで別れた。

 しかし翌日、永が再び秀をたずねてきたのである。



「じゃあ、薬草園では、噂になってもいないのか。楷とコウのこと」

 永が目を丸くして言う。秀は、ちょっと笑ってしまった。

「何て言ったらいいのかなあ。薬草園では、噂話なんて興味が無いみたいなんだよ。祈祷部のような雰囲気は、あんまりないんだ。えーっと、そのう………」

「『噂好き』ってこと?」

 秀が言いにくそうにしていると、あはは、と笑って、永が言ってのけた。

 批判的なことを言って気を悪くしないか…と心配したのだが、少しのあいだ離れていても、友情の絆に変わりはない。秀は、うれしかった。

「確かにね。薬草園って、祈祷部とは雰囲気が全然違う。昨日も、畑で怒鳴りあったり、ケンカしたりしてるのを見て、本当にびっくりしたよ。心臓が冷たくなった」

「大げさだなあ、永は。あんなの、ここではケンカのうちに入らないよ」

 感じたことをそのままに、あけっぴろげに口にする永に、秀も、まったく遠慮なく事実を告げてやる。

秀に悪気がないことを、永はちゃんと分かっているので、もちろん怒ったりしない。ただただ、素直に驚き、感心するばかりだ。

「雰囲気どころか、根本的に違うんだね、感覚が。ちょっとでなく驚いたけど……だから、僕と楷とで『お使い』に出されたのかなあ」

「そうかもしれないね」

 秀は控え目に同意した。

 繊細な感覚を持つ永は、精神的に弱いところがある。それは、豊かな表現力を持つ楽奏者としては長所でもあるが、同時に、欠点にもなりうることだった。

 昨日に続いて今日も、師長から『お使い』を言い付かるのには、理由があるだろう。『弱虫っ子』の永には、荒療治が必要と判断されたのだ。そして、『噂』の楷には………。 

 謹慎解除直後の楷にとっても、『薬草園見学』の効果は、あったのだろうか。



 永によると、『薬草園には届かない噂』の事件のあらましは、こうである。

 楷は、六絃を担当する見習い御子の中では一番の成績で、担当の師長の推薦で、舞の組で一番と言われる皓と組むことになり、二人は一緒に稽古を始めた。

 それが、ほんの先週のことである。

 組ごとに起居を共にする御子たちは、普段の生活では、他の組と接点がない。それぞれの組で稽古をして、本番で、いきなり合わせるからだ。

 毎日のお勤めは、そのようにして行われるのだが、特別な祭礼に備えて何人かが選ばれ、少人数の組み合わせで、稽古期間を設けることがある。秀も、そのようにして永と組んで稽古をした経験があるから、状況はおおよそ分かるつもりだ。

 さて、楷と皓は、互いに一番の成績であることから、大変に期待された二人組だった。その二人が、ケンカ騒ぎを起したのだ。

 ケンカなど、薬草園なら日常茶飯事だが、祈祷部では前代未聞の大事件である。当然、大変な騒ぎになり、楷も皓も厳しい追求を受けた。

 だが、どちらに問いただしても、理由がはっきりしない。十二師長会の査問にも、頑として口を割らなかったという。

 結局、二人は三日間の謹慎処分となった。そして、処分が解けた今は、それぞれの組で腫れ物に触るような扱いだという。

 事件以来、楷の六絃の響きは冴えず、皓の舞も輝きを失ったままという、実に残念な話であるが――――。



「納得いかないんだよね。絶対にヘンだもの。だから、秀に話してみようと思って」

「なんでさ」

 なぜ、僕に話すのか。

 秀にしてみれば、そういう意味の「なんで」だったのだが、永は「ヘン」と思う理由について話し始めた。

「ケンカなんてするはずないんだよ。ありえない。楷は、皓をすごく買ってた。ほとんど尊敬してたんだ。皓と組んで稽古が出来るって言って、とても喜んでた。僕には、楷の気持ちがすごくよく分かる。奏者にとって、舞い手は特別なんだよ。僕たち奏者は、太古に降臨した女神の舞を心に思い浮かべながら演奏する。優れた舞い手との共演は、まるで女神その人をお迎えしたみたいな気分になるんだ。なのに、崇拝するその人に手をあげるなんて、考えられないよ」

 力説する永である。

(でも、そういうことだって、ないとは言えない……)

 秀は心ではそう思ったが、口には出さなかった。

(崇拝が軽蔑に、あるいは嫌悪に変わる。ありえないとは言い切れない。人の心とは、そうしたものではないのか?)

 秀はそう思う。

 だが、仲間を心配する心優しい友を、不用意に傷つけるようなことは、言いたくなかった。

「永の言うことは、よく分かったよ。もう少し詳しく話してくれる?」

 話すだけ話したら、たぶん、永も気が済むはずだ。秀はそう思った。

 だが、永から詳しく話を聞くうちに、秀も、(確かにこれはヘンな話だぞ)と思うようになった。

 ただしそれは、永のように情緒的な理由からではない。つじつまが合わなくて、納得がいかないのだ。

 疑問が解消されないと、すっきりしない性分の秀は、だから、事件の解決の糸口を探してみることにした。

 秀の協力が得られると知って、永が大喜びしたのは言うまでもない。

 永は、自分なりに少しは調べていたらしく、秀が知りたいと思う情報は、ほとんど持っていた。

 『噂好き』の祈祷部での情報収集だから、信憑性には多少疑問が残る。だが、秀自身が直接動いて調べたところで、たいした変わりはないだろう。真実は楷と皓の二人だけしか知らぬことで、その当人たちが明かさない以上は、どうしたって想像の域を出ないことなのだ。



 秀は、薬学の講義の時間だというのに、うわの空だった。

(どうせ、授業なんて頭に入らない……)

 講話に集中しようとする努力を、秀は早々にあきらめた。講義の要点を書きとめるふりで、『事件』の問題点をまとめ、考えを整理する。



御子楷…祈祷部・楽奏の組に所属。担当楽器は六弦。成績優秀。性格は真面目で温厚。

御子皓…祈祷部・舞の組に所属。見習い御子ながら、独舞を任されるほどに優秀。天才肌で、気分屋で、少々わがまま。



 『わがまま』と、いったん書いて、秀は少し考え、『甘ったれ』と書き直した。

(皓は、多少子供っぽいところはある。でも、人に迷惑をかけたり、意地悪をしたりするような子じゃない。相手を怒らせてケンカになるような、そんなわがままは言わない。けっこう好かれてたよな。誰にでも)

 秀が舞の組にいた頃の皓は、そういう子だった。たった一ヶ月で性格が激変するとは考えにくい。

(楷は、皓の舞に憧れていた。神聖視しすぎて、実際の皓に幻滅したのかな? そうだとしても、ケンカなんてするかな? 楷は真面目な優等生なのに)

 二人の性格を考えあわせると、ケンカが起きる理由が全然分からない。さらにヘンなのは、二人がケンカの理由について、まったく話そうとしないことだ。

(ケンカって、『自分は悪くない、相手が悪い』ってところから始まるものだろう? だったら、『自分は悪くない』という主張や、『相手が悪いのだ』という訴えがあって当然だ)

 なのに、二人とも何も話そうとしない。それはなぜか。

(話さない理由がカギだ。どうして話さないのか……)

 自分の意思で。それとも、自分の意思ではなく、誰かに強いられて。あるいは、誰かをかばって。

(……ケンカなのに?)

 それはないだろう、と秀は思う。どうしたって不自然だ。やっぱり、『自分の意思で話さない』が正解ではないだろうか。

(皓はプライドが高い。話さない理由としては、そのあたりかな。頑固だもんなあ)

 それは充分に考えられる、と秀は思う。皓の子供っぽさを思うと、頑固に口をつぐむ理由なんて、いくらでもありそうな気がする。問題は楷だ。

 目撃証言によると、先になぐりかかったのは楷の方だという。

 秀は、楷のことをあまりよく知らない。永の話と、実際に会った一回きりの印象でしか分からない。でも、自分からケンカをしかけるようには、とても思えなかった。

(皓の方で、きっと何かしたんだ)

 皓が聞いていたら怒り出しそうなことを、秀は思った。

 永も、そう考えているようだった。だから、皓のことをよく知っている秀から何か聞けないかと、そういうつもりもあって、話をしに来たらしい。

 二人のケンカの目撃証言は多いが、証言というのは、どうしても身内びいきになる。楽奏の組の御子は楷の味方、舞の組の御子は皓の味方に傾く証言が多かった。それぞれ違う証言をまとめるのには、審問官も苦労したことだろう。

 そして、二人のケンカが起きたのが《沈黙の行》の期間中だったために、証言は更に曖昧なものになった。

 二人のケンカは、渡り廊下で起こったので、何人もの御子たちが、その時の二人を見ている。その前後の二人の身振りでの会話も見ている。《沈黙の行》の期間中、御子たちは、単純な身振りや指文字で会話をするのである。

 目撃証言をつなぎ合せると、こういうことになる。


 皓が渡り廊下を歩いていると、後ろから楷が追いついてきた。

『君の言い分は分かった。僕は忍耐したが我慢の限界だ。君とはもう組まない。師長に願い出る』

『僕は忍耐も我慢もしない。君は…』

 と、そこで楷が皓に殴りかかった。カッとなった皓が楷を殴り返して取っ組み合いの喧嘩になり、慌てて駆け寄った仲間たちに引き離された。


 という次第だ。

 二人の間には、やはり何かが起こったらしい。

 それは、何だろう? 

(皓のヤツ、何をやらかしたんだ)

 秀は、もうすっかり皓が悪いと決めてかかっていた。

 皓に対する御子仲間の証言も、楷ほどには良くないようだ。楷は人望があったが、皓は自由奔放で、人気はあるものの、批判的な目を向けられがちだ。

(皓は悪い子じゃないけど、誤解を受けやすい。やっぱり『誤解』のセンが濃厚だなあ)

 ならば、その『誤解』を突き止めて、誤解を解いてしまえば事件は解決だ。



 だが、もちろん、そう簡単には、ことは運ばない。

 《証言記録》を極秘入手して、目撃証言の食い違いを洗い出してみたり、こっそり聞き取り調査をしたり、色々と手をつくしてみた。しかし、皓と楷のあいだに起きたと考えられる『誤解』を見つけ出すことは、とうとうできなかったのだ。

(それなら、誤解じゃないってことなのかなあ)

 皓が、悪意で楷を傷付け、怒った楷が、我慢できずに反撃した。ついにはケンカになったものの、時間が経って頭の冷えた二人は、それぞれ反省して、言い訳を一切せずに、口を閉ざした。

(……そういうことなのかなあ)

 秀は、草取りの手を休めて、ため息をついた。納得がいかない。すっきりしない。

「だれだ! こんなところに鎌を置きっぱなしにしたのは!」

 見回りに来た師長が、怒鳴り声をあげた。さすがは薬草園の師長。祈祷部の師長とは比べ物にならないくらいに荒っぽい。

「すみません、師長、わたくしです」

「また君か、御子稜みこリョウ

(叱られてる、叱られてる……)

 秀は、こっそり後ろを振り返って、叱られて神妙にしている御子仲間を盗み見た。だが、見回しても、誰も気にとめた様子もなく、黙々と自分の仕事をしている。みんな、大声など慣れっこなのだ。

(薬草園ならではだよなあ。祈祷部なら、叱るときにも大声なんてありえないし)

 皓も、きちんと片付けをしない子だったから、たびたび叱られていた……。記憶をたどって、秀はハッとした。

 後片付けを人に任せきりにする、甘ったれの皓。出しっぱなし。やりっぱなし。それが当たり前だった。舞の組では、文句を言いながらも、友人たちが皓の分まで片付けをしていた。

 そして、《沈黙の行》での会話方法。身振りと、指文字と。

(それから、もう一つあるじゃないか!)

 秀は、仕度部屋の皓の化粧台を思い出す。稽古では本番のような化粧はしないが、稽古着の他に、ちゃんと装身具一式を身に付ける。

 稽古のあと、皓は、いつも装身具を鏡の前に投げ出していた。



 楽奏の組の合同稽古が終了すると、御子永は、息せき切って薬草園に駆け込んできた。

 近ごろ永は、自由時間になると薬草園に入り浸りで、みんなに顔を覚えられてしまった。「御子秀なら、反対側の畑にいるよ」と、御子の一人が気さくな調子で教えてくれる。「ありがとう!」と、笑顔で返す永に、ちょっと前までの、人見知りで、引っ込み思案だった面影はない。実を言うと、《証言記録》の極秘入手にも一役買っていたが、これは本当に秘密の話だ。

「御子永! どうだった?」

 永に気付いた秀が、自信ありげに問い掛ける。その腕には、収穫済みの香草で一杯の籠が抱えられていた。

「もちろん、ちゃんと伝えたよ。化粧台の前に、借りてきた装身具を置いて、それを、わざわざ並べ直して」

「伝言は?」

「そっちも、ちゃんと伝えた。『御子皓は、いつも無造作に置くんだけど、それがどういうわけか、いつも全く同じように置く。脱ぎ散らかす衣類も、外したままの装身具も、いつでも同じかたちなんだって。だから、《御子皓の無作為の作為》って言って、舞の組では有名な話だそうだよ』ってね」

 有名な話だった。だが、誰も《置き文字》になっていたことに気が付かなかったのだ。



 秀と永は、事件の舞台となった渡り廊下を歩いていた。

「有名だった《御子皓の無作為の作為》を思い出したときに、同時に思い出した話があるんだ」

 それは《御子諒みこリョウ巫女槙みこシンの物語》だ。月の女神の神殿の御子と、弟神おとうとがみの神殿の巫女の禁じられた恋の悲劇。二人は直に会うことさえ難しく、置き文字で互いの思いを伝え合っていたが、行き違いから、駆け落ちが心中に変わってしまう。

「楽奏の組では、置き文字はよく使うよ。舞の組では使わないの?」

「あんまり使わない。指文字の方がよく使う」

「そうなんだ。だから今度のような誤解が生まれたんだね」

 本当に偶然に、文章が形作られていたのだった。首から下げる祈りの護符は「あなた」という意味に置かれ、額飾り付きの冠は、「飽きる」という意味に置かれていた。この二つを合わせると、「君には、うんざりだ」という意味になってしまう。しかも、悪いことに、それが置かれていたのは鏡の前。

「鏡文字にも、なっていたんだね。物語みたいに」

「そういうこと。悲劇が起きなくて良かったけどね」

 鏡の前の置き文字は、二重の意味を伝えることができる。「あなた」なら「私」だし、「飽きる」ならば、「耐える」と、逆の意味に置き換えられる。すなわち、「君には、もう、うんざりだ。僕は、しかたなく忍耐している」という意味になる。

 特別稽古の間は、二人組は二人部屋を与えられて寝起きを共にする。稽古を終えて、楷が楽器を片付けて部屋に戻ると、置き文字が目に入る。最初は、偶然かな? と思うだろう。だが、毎日同じように置かれているのを見て、偶然ではないと確信するに至る。


『君にはうんざりだ。僕は忍耐してるんだよ?』


「あの御子皓に、そんなこと言われたら、僕なら死にたくなるよ」

 楷がかわいそう、と、永は同情する。

「皓に憧れていた楷は、『楽器の腕が悪い』と非難されて、それでも怒りを表には出さずに、『二人組を解消しよう』と話しかけた。皓の方では、そんなこととは思ってもみないから、『君の言ってることは分からない』と答えた」

「それが、身振りの解釈の取り違いで『僕は、忍耐も我慢もしない』になって、ケンカになったんだね」

 楷は、楽器の腕を非難されて暴力をふるった、とは言いたくなかった。御子皓に見くびられたことが、一番言いたくなかったことだったのかもしれない。

 皓は、自分が甘えん坊だという自覚だけはあったから、優等生の楷に「忍耐しない」と言われて、脱ぎ散らかした服や装身具のことを非難されたと思った。楽器の腕も、生活態度も立派な御子楷に、「我慢がならない」と言われた。それを人に言うのは恥ずかしいだろう。

「皓だって、傷付いたと思うなあ。あれで、けっこうプライド高いから」

「あっ……」

 永が立ち止まる。秀がその視線の先を追っていくと、つづら折りになった渡り廊下の先に、御子皓の姿があった。そして、向かい合って立っているのは。

「楷と皓……」

 永の呟きに、秀は、得意げに答える。

「ケンカを収めるなら、ケンカのあった場所で。僕が皓に、そう勧めたんだよ」

 渡り廊下には、今日も大勢の御子たちの姿があった。仲間たちが見守る中で、皓と楷が、身振りで話し始める。

『君の六弦は素晴らしい。僕の舞いと同じくらいに』

『同感だ。これからもよろしく』

 二人が固い握手を交わすと、周りからは拍手が湧き起こった。秀も永も、もちろん、手が痛くなるまで拍手をした。



 秀が、薬学の試験で落第を取って追試になったのは、後日の話になる。



(了)


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