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おやき ~ひとつを二人で 二人は二つのままで

作者: 裃 左右
掲載日:2026/10/01

 並ぶ人々は、天然の暖房だ。

 ふわりぼんやり。僕、森 暖月(もり あつき)はそんなことを思い浮かべた。


 デパ地下とは、不思議な空間。


 地上から流れ込む、晩秋冷気もなんのその。

 渦巻く熱気。人波、人目が、絶えず流れて引いていく。


 僕と彼女は、そんな流れをかき分けて。

 ようやく目当ての行列、辿り着くのは最後尾。


「うわぁ、森くん。やっぱりすごい列やねぇ」


「仕方ないよ。ここのおやき、ほとんど値上げしてないんだから」


 彼女――美織(みおり)さんが、僕のコート裾をきゅっと掴んだ。


 目線先、デパ地下の一角。

 ガラスの張り向こう、職人は銅板窪みに“白”を流し込む。

 閉じ込められるは、艶やか黒餡、滑らか白餡。薫る芳ばしさ、甘さ。


 菓子を作る一連の動作というのは、いつ見ても見飽きないものだ。


 商品名は、御座候(ござそうろう)。

 道民がいうところの、おやき。

 東京民がいうところの、今川焼き。


 この万事値上がりのご時世にあって、驚くほど値段の変わらぬ名店。

 おかげで行列が立ち並ぶ。


 経営元が兵庫県らしくて、この呼び方なのだが――まあ、詳しくは語るまい。

 重要なのは、ふっくら美味しいということ。

 変わらぬ味と、僕らの期待している安心感をくれること。


「すごいよねぇ。ほんまに美味しいもんなあ、ここのあんこ」


「うん。生地も、ほかほかだ。……綺麗な和菓子もいいけど。結局、ここの〝おやき〟が食べたくなっちゃうねえ」


「〝おやき〟かあ~」


 小麦色の円盤、その味に想いを馳せる。

 だけれど、上がる不満そうな声。


「……私の地元やと、これ、〝回転焼き〟やねんけどなあ」


 美織さんは唇を尖らせた。


 彼女も札幌に来てもう三年。

 でも時々こうして、自分の根っこを確かめるように零す。

 何気ない、ことのは。


「回転焼き、か。同じものなのに不思議だよね。でも、美味しければ名前なんて何でもいいじゃない」


「そやけど、気になるやん。……なんだか、本当の名前はどれなんかな、って」


「嘘も、本当もあるのかなあ……」


「あれやん。一応、どこかに発祥の地があるはずちゃう? 元祖的な」


「じゃ、発祥の地で、呼ばれてる名前が本物ってこと?」


「うーん、たぶんな? 知らんけど」


 出た。気が抜ける、魔法の付け足し。

 お得意の“知らんけど”だ。


 列は少しずつ、進む。

 僕らはゆったりと流れる。


「そんなに嫌なの? 〝おやき〟って呼び方」

「嫌……とは、ちゃうんよなぁ。なんていうか――」


 ほんのり。美織さんは遠くを見る。

 睫毛、頬、横顔――艶ある口紅。


 彼女が言葉を見つけるまでの、ちょっとした時間は。

 お茶の葉が開き、香りが立つのを待つような。そんな心持ちだった。


「私、な。もうすっかり〝おやき〟で馴染んだんやけど……でも、たまに、ふと思うんよ」


「……なんて?」


「いつから〝回転焼き〟って、言わなくなったんかな、って」


 ひたり、と。

 心の雫が、耳の傍まで落ちてきた気がした。


 美織さんの、こういう感性が。

 自分自身へのささやかな気付き、浮かび立つ言葉というものが。


 ――なんだか、いつも愛おしくてたまらなかった。


 声には郷愁と。

 失われたものを慈しむ、ほろ苦い味わい。


 それから、注文したのは。

 黒餡、白餡を一つずつ。ふたつの〝おやき〟。


 紙袋に入れてもらえば指先から伝わる、ぬくもりはじんわり。

 向かう地上へ続く階段。風が吹き抜ける。


「さむ」


 美織さんは呟くと、僕の腕へと身を寄せて。

 冷たい手を、コートのポケットへ。


 地上。

 テレビ塔が見上げる空は、にびいろ。

 枯れ葉の絨毯は、カサカサと。


 しばらく踏みしめ歩いてから、適当なベンチに腰下ろす。


「お茶、いる?」


 尋ねれば、こくり。頷かれた。

 持参のポットと紙コップ。ほうじ茶の湯気が、白くけむゆく。


 注いで渡せば。

 美織さんは両手で包み込み、ほおを緩ませた。


「ぬくいわ~。森くん、いつもありがと~な」

「いえいえ、お安い御用ですとも」


 おどけて返す。

 暫し、お茶だけで一服。


 冷えた指先を十分に温めてから。

 いよいよ美織さんはホカホカの〝おやき〟を取り出していく。


「まあ、冷める前に食べよか」


 これを彼女は、こともなげに半分こ。

 ぱっくり割った。


 中身は黒餡。

 手渡された円盤。まだほんのり残る、幸せなあったかさ。


「んー、おいしい」


 ぱくっ。美織さんは、口周りにあんこをつけながら、目を細めていた。

 早業だ。あっという間に食べてしまう。


 思わず、笑顔がおすそ分け。僕も口を付けた。

 もっちり生地、粒あんは上品な甘さ。

 この、ずしんほろっと素朴な味が、僕は昔から好きだった。


「にしても。おやき、回転焼き、今川焼き、大判焼き、御座候……。何度考えても、不思議な菓子だよね。こんなに呼び名があるのに、誰も怒らない」


「はあん? なに言うとんの? 怒ってる人、ここにおるやんか」


 美織さんは、そう自分を指さす。


「え、本当に?」


 くすり。

 聞き返せば、笑われた。どこまで本気か、わからない。


「あー。でもさ、これ。たい焼きとは、何が違うんだろうね? 形が違うだけかな」


「うーん、たい焼きと来たか~。それはだいぶ、ちゃうんやないの? ほら、たい焼きの方が、生地が薄くて、皮がパリッとしてるやん? 〝おやき〟は、この生地の、ふっくらした感じが魅力やんか」


「あー。なるほど、ね?」


「それにたい焼きには、頭から行くか、尻尾から行くか、っちゅう、人生の選択を迫られる楽しみもあるし!」


「……僕、それは意識したことないなあ」


 でも、言われてみればそうかもしれない。

 ふっくら生地とたっぷりの餡。口の中での一体感。


 うん、違うと言えば違うか。


 たい焼き、と、おやき。なにが違うか。

 頭と尻尾の有無。……そこで、ふと思い出す。


「そういえばね。昔のドラマでね、〝今川焼き〟が出てくるのがあったな」


「はあ、ドラマに? ……なんでまた、そんな地味なもんが」


「ミステリーだったんだ、毒殺トリックに使われてて――」


「え、こわっ。森くん、唐突に怖いこというやん!? どういうこと? それ、これから食べる時に言うやつとちゃうで!?」


 流石、百点満点のリアクションだ。感心することしきり。


「そうそう。しかも、犯人が〝今川焼き〟に毒を入れて、それを二人で分け合うってやつなんだ」


「って、話続けるんか~い!」


 ちなみにこの場合、話を続けないと「なんで続き話さんの!」「だって気になるやん!」と、結局ツッコまれることを僕は知っている。理不尽。


「でも、そんなの無理ちゃう? 半分にかち割る時に、だいぶ上手いことやらなあかんよね」


「だから、それがミソなんだって。それもね、相手に割らせるんだ」


「えっ!? 相手に割らせんのっ? ……はぁ~、なんとも難しそうな話やねえ。で、味は黒餡だったん?」


「え? まあ、そうだね。黒餡だったと思うよ」


 「ふうん」と相槌を打たれて、ひと段落。


 ――ドラマのトリックなんだから、味はなんでもいいのでは?


 疑問に思ったけれど、口にはしなかった。


 すると、美織さんは新たに、紙袋から残る白餡の〝おやき〟を取り出す。

 細い指で、また半分に。


 ホクホクした上品な白餡。

 詰まった片方は、僕に手渡された。触れ合った指先が、少しだけ冷たかった。


「じゃあ、私らは大丈夫やね」


 悪戯っぽく、僕を見上げて。

 クリーム詰まった断面と、一緒にニコッと微笑んだ。


「だって、これは〝今川焼き〟やない。〝おやき〟やもん」


 自信満々。

 言いきられるのは、よくわからない彼女らしさ。


「……厳密には御座候じゃないの? 店ではその名前で売られてたんだし」


「いいや、ここは札幌なんやから、おやきでええやろ! それに黒餡と白餡。一個ずつ、ちゃんとふたつ買ってるし!」


 その、あまりにも有無を言わせない勢い。

 思わず言葉を失って。

 やがて、こみ上げてくる愛おしさに吹き出してしまう。


 ――ああ。本当に、敵わない。


「そうだね。……きっと、大丈夫だ」


 白餡の〝おやき〟も、とてもおいしい。

 隣で頬張る美織さんが、「んー、しあわせ」とまたたび嗅いだ猫みたいにゴロゴロゴロ。僕にすり寄った。

 行列に並んで、待った価値は……こんな何気ない時間。


「なあ、森くん」


「なんだい、美織さん」


「この後、何食べよっか。次は、しょっぱいもんがええなぁ。ザンギとか」


「……え、まだ食べるの?」


 呆れたように見せた。

 でも、声は嘘をつけない。どこか弾んでしまっているのを、自分でもわかっている。


 まだ、この時間が続く。

 それがどうして――こんなにも、胸奥をむず痒くさせるのかな。


 色づいたモミジの葉が、一枚、また一枚と、僕らの足元に舞い落ちて。


「だって、食欲の秋やもん!」


 そんな言い訳を、僕らに許してくれた。

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