暗闇のベル
電話が三度鳴った。緊張に強張ったベルの喉が、引き絞られるようにひゅっと鳴る。
いつもの悪戯電話。始めのうちはただ無言の息づかいが聞こえるだけだった。
しかし次第にその内容は不吉さが増し、知らぬ男の声で「子供の様子を見たか」だとか、「バレンタインの翌日に血が流れる」だとか、殺人を仄めかすようなものへと変わっていった。
四度目が鳴る前にベルは恐る恐る受話器を手にとる。警察に相談を持ちかけたら、次の電話で逆探知をしてくれるという手筈だった。
ベルが男による殺人予告を聞かされるよりも先に、今度はスマートフォンへと電話がかかる。警察署からだった。
「今すぐ外に逃げて! 奴はあなたの家の二階からかけています!」
警察官の切迫した叫びを聞いたベルは弾かれたように動き出した。頭は真っ白だったが本能で体が動いていた。
ベビーベッドで眠る三ヵ月の幼い娘を毛布ごと掻き抱き、靴を履く暇も惜しんで玄関を飛び出すと夜の闇へと逃れてゆく。
けたたましいサイレンの音が近づいて、無数の赤色灯が閑静な住宅街を照らし出した。駆けつけた警官たちがすぐに彼女の家へ突入する。
やがて強張った顔の刑事がベルのもとへ歩み寄ると、二階の部屋でベビーシッターの無残な遺体が発見されたと告げるのだった。
室内には犯人のものと思われる遺留品がいくつか散乱しており、警察はすぐさま姿なき凶悪犯の行方を追い始めた。
冷たい夜風の中、ベルは愛する娘をきつく抱きしめて震えていた。
数日後。人気のない駐車場に停められた車の中で、電話が三度鳴った。
彼がウィンドウを降ろすと分厚い茶封筒が差し込まれる。
「お仕事ご苦労さま」
「どうも」
ベルから封筒を受け取った男のくぐもった声は、執拗に殺意を囁き続けた電話の主とまったく同じものだった。
彼は札束の重みを確かめると、無表情のまま助手席に封筒を放り投げる。
裏社会で証拠隠滅や偽装工作を請け負う彼にとって、依頼人の事情など知ったことではない。それでも目の前で優雅に微笑む女の底知れぬ闇には薄ら寒さを覚えてしまう。
亭主を少しばかり誘惑した。ただそれだけの理由で、若い娘を自らの手で惨殺したのだ。そして自分のような裏の人間を雇って狂気的な異常者の犯行に仕立て上げ、まんまと警察の目を欺いてみせた。
女の情念というものは、時としてどんな凶悪犯よりも恐ろしい――。
男は胸中でそう呟きながらも口には出さず、静かにエンジンを吹かしてその場を後にした。




