3.疑心暗鬼のアヴァロン 〜初心者はマーリンの夢を見るか?〜 その2
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【登場ゲーム紹介】
『レジスタンス・アヴァロン(正体隠匿ゲーム)』
プレイヤーは「アーサー王に忠実な騎士(善良な市民)」と「モードレッドの手先」の陣営に分かれ、正体を隠したまま議論し、クエストの成否を競うゲーム。
リーダーがクエストに参加させたいメンバーを決め、クエストの成否を決めていきます。
一枚でも「失敗」のカードが出れば、そのクエストは失敗となり、次のクエストへ移ります。
これを繰り返し、クエストを3回「成功」させるか、「失敗」させるかで勝敗が決まります。
人狼ゲームとは違い、脱落者が出ないのがこのゲームの特徴です。
気になる人は調べてみてね。
地獄のテーブル。俺の目の前には、これから始まる宴の主役が鎮座していた。
漆黒の箱に金色の文字で刻まれた名は、『レジスタンス:アヴァロン』。
「さて、今宵の演目を決めましょうか」
口火を切ったのは、やはり冴子さんだった。彼女は優雅に指を組み、まるでディナーのメニューを選ぶ貴婦人のように言う。
「わたくしは、この『アヴァロン』を提案いたしますわ。皆様、いかが?」
「けっ、またそういう小難しいやつかよ」
権田さんが、あからさまに顔をしかめる。
「俺はもっとこう、ダイスを振って、力と力でぶつかり合うようなゲームがしてぇんだ! 文明を築くとか、モンスターをぶちのめすとか、そういうやつをよ!」
「あらあら。筋肉で解決できないゲームがお嫌いですものね」
冴子さんのカウンターが、光の速さで権田さんの眉間に突き刺さる。
「大丈夫ですわ、権田さん。このゲームには、あなたにぴったりの役職もございますのよ。『モードレッドの手先』という、ただそこにいるだけで味方の足を引っ張れる、素晴らしいお役目が」
「んだとテメェ!」
火花が散る。が、権田さんは結局「上等だ! やってやろうじゃねえか!」とその挑発に乗ってしまった。
チョロい。この人、見た目はラスボスなのに中身は序盤のザコモンスター並みに単純だ。
こうして、俺の意思とは無関係に、今宵の演目は決定した。
ゲームマスターを務める店長が、楽しそうに箱を開け、コンポーネントを並べ始める。
「じゃあ、簡単にルールを説明するね、潤くん」
店長は俺にだけウィンクして見せた。
「このゲームは、アーサー王に仕える『善良な騎士』チームと、王国を転覆させようとする『モードレッドの手先』チームに分かれて戦う正体隠匿ゲームだよ」
「は、はあ……」
「プレイヤーは順番にリーダーになって、『クエスト』に行くメンバーを提案するんだ。その提案に、全員が賛成か反対か投票する。可決されたら、選ばれたメンバーはクエストが『成功』するか『失敗』するかのカードを秘密裏に出す。善良な騎士は『成功』しか出せないけど、スパイは『失敗』を混ぜることができる。失敗カードが1枚でも出たら、そのクエストは失敗さ」
店長の説明は分かりやすい。だが、俺の頭には全く入ってこなかった。スパイ? クエスト? なんだか物騒な単語ばかりだ。俺はただ、時給のためにここに座っているだけなのに。
「そして、このゲームの華が『特殊役職』だ。善良な騎士側には、ゲーム開始時にスパイが誰だか分かる伝説の魔法使い【マーリン】がいる。ただし、マーリンは自分の正体がスパイにバレてはいけない。ゲーム終了時、たとえ騎士側が勝利しても、スパイ側の【暗殺者】がマーリンを暗殺したら、スパイチームの逆転勝利になるんだ」
「え、何それ……」
「つまりマーリンは、正体を隠しながら、遠回しなヒントで味方を勝利に導く必要があるんだ。スリリングだろう?」
スリリングなわけがあるか! そんな重責、絶対に負いたくない!
俺は心の中で全力で首を横に振った。頼む、俺はただの善良な騎士Aでいさせてくれ。いや、善良な村人Aでいい。なんなら背景の木でもいい。
店長が、役職カードをシャッフルし、一人一人に配っていく。俺の前に、一枚のカードが裏向きに置かれた。心臓がドクンと跳ねる。頼む、頼むから「善良な騎士」であってくれ……!
震える指で、そっとカードをめくる。
そこに描かれていたのは、水晶玉を覗き込む、怪しげなローブの老人。
そして、その下には、無慈悲な文字列が刻まれていた。
【マーリン】
「…………」
思考が、停止した。
時が、止まった。
俺の脳は、目の前にある情報を理解することを完全に拒否した。
(ま、マーリン? なんだこれ……え、説明書は……『あなたは邪悪なるモードレッドの手先を知っている』……は?)
「はい、皆さん、役職は確認したかな?」
店長の声が、遠い世界から聞こえてくる。
「では、全員、目を閉じてください。そして、『モードレッドの手先』の方々だけ、そっと親指を立ててください」
言われるがままに、俺は固く目を閉じた。心臓の音が、ドラムのように耳元で鳴り響いている。
「よろしいですか。では……マーリンだけ、静かに目を開けて、スパイを確認してください」
終わった。
俺の平穏なバイトライフは、今、この瞬間に終わりを告げた。
俺はギギギ、と錆びついたブリキ人形のように瞼をこじ開けた。そして、目の前の光景に絶望した。
テーブルの向こう側で、二人の男が、親指を高々と突き立てていた。
一人は、権田さん。
「俺は力が全てだ!」みたいな顔をしておきながら、こそこそと裏切る準備万端じゃないか。あの筋肉はハッタリか。
そして、もう一人は――いつもニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている、インテリ風メガネの常連・影山さん。この人もか。やっぱり、こういう奴が一番信用ならないんだ。
(うそだろおおおおお! 権田さんと影山さんがスパイ!? 見ちゃった! 俺、この世界の禁忌を見ちゃったよ!)
「はい、ありがとう。スパイの皆さんは親指を下ろして。……全員、目を開けてください」
目を開けた瞬間、俺は必死にポーカーフェイスを装った。だが、ダム決壊寸前の水圧のように、内心の動揺が顔に出そうになるのを止められない。
権田さんの顔が見れない。影山さんのメガネがやけにキラリと光って見える。怖い。
「それでは、ゲームを開始します。最初のリーダーは、冴子さん。どうぞ」
店長が、涼しい顔で開始を宣言した。
地獄の幕が、今、切って落とされた。
最初のリーダーである冴子さんは、冷静に指を顎に当てた。
「最初のクエストですもの。まずは様子を見ましょう。……では、わたくしと、そこの田中さん、佐藤さん。この3名でクエストへ向かうことを提案します」
無難な人選だ。俺は含まれていない。とりあえずホッとする。
全員が、その提案に賛成か反対かの投票カードを伏せていく。俺も、周りに合わせて「賛成」のカードを出した。
「ふむ。全員賛成、ですね。では、クエストへどうぞ」
選ばれた3人が、成功か失敗かのカードを出す。もちろん、この3人は全員善良な騎士なので、クエストは「成功」した。
平和な滑り出しだ。このままいけば、あるいは……。
そんな俺の甘い期待を打ち砕いたのは、やはり冴子さんだった。彼女はテーブルの全員をゆっくりと見渡すと、俺のところでピタリと視線を止めた。
「あら、潤くん」
「は、はいっ!?」
俺は、カエルのように潰れた声を出した。
「さっきの投票の時、やけに目が泳いでいたわね。そんなに緊張なさって? それとも……何か、私たちに言えないことでもあるのかしら?」
きた。
きたきたきたきた! 女王様からの尋問タイムだ!
俺の額から、滝のような汗が噴き出す。
「(ぎくぅううううっ!)い、いえ! べ、別に! 初めてなんで、緊張してるだけです、はい!」
声が、無様に裏返った。終わった。完全に終わった。
案の定、俺の狼狽ぶりは、さらなる憶測を呼んだ。
「フン、怪しいやつめ」
スパイである権田さんが、ここぞとばかりに俺を指差す。
「俺にはわかる! そいつの目は嘘つきの目だ! 最初から泳ぎっぱなしじゃねえか!」
(お前が言うな! 大嘘つきの筋肉ダルマが!)
心の声で絶叫するが、もちろん口には出せない。俺がここで「権田さんがスパイです!」と言った瞬間、ゲーム終了時に俺は暗殺されてしまうのだ。
「違う、違うんです! 俺は、味方で……」
俺がしどろもどろに弁解すればするほど、場の空気は疑心暗鬼に染まっていく。助けてくれ。時給1500円じゃ割に合わない。せめて3000円は欲しい。
議論は紛糾し、やがて次のリーダーへと順番が移る。
そして、いくつかのクエストと議論が繰り返された後、最悪の事態が訪れた。
クエストのリーダーになった常連の一人が、腕を組んでこう言ったのだ。
「やはり、潤くんの動きが気になるな。一度、彼をクエストに入れてみないか? 彼が清廉潔白だというなら、それを証明するいい機会だろう」
テーブルの全員の視線が、俺に突き刺さる。
(俺を!? やめてくれ! 俺がクエストに入ったら、スパイの権田さんか影山さんが絶対に失敗カードを出す! そしたら俺が疑われるじゃないか!)
俺はブンブンと、ちぎれんばかりに首を横に振った。全力の拒否。
だが、その行動が、さらなる疑念を招くことになった。
「……そんなに嫌がるなんて」
冴子さんが、氷のような瞳で俺を見つめる。
「ますます怪しいですわ。まるで『私はスパイです、クエストになんて行けません』と、全身で白状しているようですわよ」
違う! 違うんだ!
俺は、ただ……!
俺が反論の言葉を探していると、別の常連客が「いや、待て」と議論に割って入った。
「初心者が、ここまであからさまな態度を取るか? これは逆に、我々を試しているのかもしれない。『俺を信じられるか?』と……。だとしたら、彼は何か重要な役職……まさか、パーシヴァルか!?」
(ぱーしヴぁる? 何それ、北欧神話の武器?)
もはや俺の思考回路はショート寸前だ。
議論は加熱し、結局、俺を含んだメンバーでクエストに行くことが、僅差で可決されてしまった。
そして、選ばれたメンバーは、俺、冴子さん、そして――スパイの権田さん。
地獄だ。
これは、紛れもなく地獄だ。
カードを伏せる瞬間、俺は祈るような気持ちで権田さんをチラリと見た。どうにかして、アイコンタクトで「頼む! 今回だけは成功カードを出してくれ!」と伝えたかった。
その俺の必死の視線に気づいた権田さんは、ニヤリ、と悪役レスラーのように口角を上げた。
その目は、はっきりとこう語っていた。
――お前の運命は、この俺様が握っている、と。
ああ、母さん。
息子は今、たった一枚のカードによって、社会的生命を絶たれようとしています。
絶望に染まる俺の顔を、冴子さんと、カウンターの向こうの店長が、心底楽しそうに観察している。このカフェには、悪魔しかいないのだろうか。
次回!
潤「マスター…!胃痛薬ください…!」
権田「吐きそうな顔してんな」
冴子「無理もないですわね」