1.プロローグはチュートリアルではない
毎日12時更新
新作コメディ全振り作品です。よろしくお願いします!
全ての始まりは、一本の電話と、俺の底を尽きかけた預金残高だった。
「はい、相田です。……え? 母さん? どうしたの急に。……仕送り? いや、大丈夫だって言ってるだろ。ちゃんとバイトしてるし、学業も……うん、たぶん順調。だから……」
俺、相田 潤。しがない文系学部の大学二年生。親からの心配という名のプレッシャーから逃れるため、俺は半泣きで通話を終えた。
大丈夫なわけがない。預金残高は4桁。月末まであと2週間。このままでは俺の食生活は「水」と「学食のふりかけ(無料)」の二本柱になってしまう。
「クソッ、やるしかねぇのか……バイト……」
重い指でバイトアプリを開く。居酒屋は騒がしいし、コンビニは覚えることが多い。楽して稼げる、そんな都合のいい話……あった。
【ボードゲームカフェ『チェックメイト』スタッフ募集!】
勤務地:駅徒歩5分
時給:1,500円(研修期間も同額!)
仕事内容:ドリンク提供、簡単な接客など♪ 未経験者大歓迎!
待遇:髪色・ネイル自由! 美味しいまかない付き!
「……は?」
思わず声が出た。時給1500円? 深夜でもないのに?
なんだこの破格の条件は。怪しすぎる。詐欺か? 何か裏があるに決まってる。
だが、今の俺にはこの甘い罠に飛びつく以外の選択肢がなかった。俺は震える指で「応募」ボタンをタップした。
これが、地獄の扉をノックする音だったとは知らずに。
◇
後日、指定されたカフェ『チェックメイト』の前に立った俺は、そのオシャレさに度肝を抜かれた。
ガラス張りの壁に、アンティーク調の木製ドア。中からは楽しそうな笑い声が聞こえる。親子連れやカップルが、色とりどりのボードゲームを囲んで和やかに談笑していた。
「……最高じゃん」
俺の警戒心は一瞬で溶けた。ここで働けるなんて最高だ。
ドアを開けると、カウンターの奥から、柔和な笑みを浮かべた細身の男性が顔を出した。白シャツに黒いベスト。絵に描いたようなカフェの店長だ。
「いらっしゃい。君が面接に来てくれた、相田 潤くんかな?」
「は、はい! よろしくお願いします!」
「僕が店長の神楽坂です。どうぞ、こちらへ」
神楽坂さんと名乗った店長は、空いているテーブルに俺を促した。
「早速だけど、潤くんはボードゲームは好きかい?」
「あ、はい! 人生ゲームとかは、まあ……」
我ながら情けない回答だったが、店長はニコニコと頷いた。
「素晴らしい。それで十分だよ。一番大事なのは『楽しむ心』だからね。……ああ、それと、『負けを認められる潔さ』かな?」
最後の一言だけ、なぜか声のトーンが少し低くなった気がした。
「え?」
「ははは、なんでもないよ。採用だ。いつから入れるかな?」
「ええ!? もういいんですか!?」
「うん。君のような『普通』の子が欲しかったんだ」
普通? まあ、普通だが。
あまりのトントン拍子に喜びが勝り、俺はその場で来週からのシフトインを快諾した。
これが、罠だったのだ。
店長の言う「普通」とは、「異常な常連客たちに対する、貴重なツッコミ役兼サンドバッグ」という意味だったのだから。
◇
そして、運命の初バイトの日。
俺は昼間の和やかな雰囲気を想像して、夜7時に店のドアを開けた。
シーン……。
おかしい。昼間とは空気が違う。客はまだ誰もいないが、BGMのジャズがやけに不穏に聞こえる。まるで嵐の前の静けさだ。
「やあ、潤くん。今日からよろしくね」
ニコニコ顔の店長にエプロンを渡され、カウンターに入る。簡単な仕事内容を教わっていると、カラン、とドアベルが鳴った。
「店長! 今宵こそ、我が運命が天啓を得るか否か、『テラフォーミング・マーズ』で神の意志を問う!」
入ってきたのは、俺の2倍はあろうかという筋骨隆々の男だった。首には金色の極太チェーン。タンクトップから覗く上腕二頭筋は、そこらの大学生の太ももより太い。
男はカウンターにドカッと座ると、ギロリと俺を睨んだ。
「あん? 新人か?」
「は、はい! 相田 潤です! よろしくお願いします!」
「おう。俺は権田。この店の常連だ。……おい新人、景気づけにまず腕相撲といくか!」
「お客様! ご注文は!?」
俺が悲鳴のような声を上げると、権田さんは「チッ」と舌打ちし、懐からビロードの小袋を取り出した。中から出てきたのは、禍々しい紫色の多面体ダイスだった。
「俺のマイダイスだ。新人、これを聖水で清めておけ。今日の俺の火星開発は、こいつの機嫌にかかっている」
「は、はあ……」
なんだこの人、怖い。
俺がダイスを拭いていると、カラン、と再びドアベルが鳴った。
「あら、権田さん。また運任せの筋肉ゲーですか? 少しは知性という言葉を学習してはいかがです?」
入ってきたのは、清楚なワンピースに身を包んだ、可憐な雰囲気の女性だった。しかしその口から放たれる言葉は、氷のように冷たい。
「あぁ? なんだと、冴子! テメェこそ、口先だけで人を陥れる陰険ゲームばっかやってんじゃねえか!」
「心理戦と申しますのよ、脳筋ゴリラさん。あなたには一生理解できないでしょうけど」
「んだとコラァ!」
一触即発! 店内でリアルファイトが始まるのか!?
俺が青ざめていると、店長がニコニコしながら二人にメニューを差し出した。
「はいはい、二人ともそこまで。いつもの『絶望ブレンド』と『勝利のハーブティー』でいいかな?」
「「ああ(ええ)」」
何事もなかったかのように席につく二人。なんだこの店は。客層が世紀末すぎる。
やがて、他の常連客も集まり始め、今夜のメインイベントが始まった。選ばれたゲームは『カタンの開拓者たち』。比較的平和なゲームのはずだ。
……はずだった。
「うおおお! 7だ! 盗賊様のお通りじゃあ! 雑魚どもから資源を強奪してくれるわ!」
権田さんが、まるで世界を手に入れたかのように叫びながら、テーブルを拳で叩く。グラスが揺れる。
「ふふ、面白い手ですね(訳:愚か者の極みね、後であなたの道を徹底的に塞いであげるわ)」
冴子さんが、聖母のような笑みで言い放つ。その目は全く笑っていない。
(いや、ただの木材コマですよね!? なんでそんなマフィアのボスみたいな顔してるの!? てかテーブル揺らすな! コーヒーこぼれるだろ!)
俺の内心のツッコミは、誰にも届かない。
カウンターの向こうで、店長がワイングラスを片手に、この世の全てを慈しむかのような笑みを浮かべてこちらを見ている。その唇が、声には出さずにこう動いたように見えた。
『――ようこそ、チェックメイトへ』
(もしかして、俺……とんでもない場所に来ちまったんじゃないか……?)
時給1500円。その理由が、骨身に沁みて理解できた。これは、この地獄を耐え抜くための、精神的ダメージに対する慰謝料なのだと。
俺の地獄のバイト生活は、こうして静かに、しかし確実にチェックインの時間を迎えたのだった。
権田「俺のこの手が真っ赤に燃える!勝利を掴めと轟き叫ぶ!!運命の、ダイs…」
潤「言わせませんよ!初回でお蔵入りとか勘弁してください!」