>> 前編
メロディー・シュシュー男爵令嬢は平民として生まれた。
母はメイドだったらしいがその家の当主に手を付けられてメロディーを身籠った。当主は金で爵位を買えるほどに金を稼いでいた男爵だったので、メロディーの母の為に家を買い与えて生活費をくれた。
メロディーは男爵家に認知はされなかったが平民としては恵まれた暮らしができた。自分が貴族の血を引くと知っていたので周りの子供と自分が違うと物心がついた時から知っていた。
そんなメロディーの母が風邪で亡くなったのはメロディーが12歳の時だった。
一人になったメロディーを哀れに思った男爵がメロディーを自分の娘として正式に男爵家に迎え入れたのはとても自然な流れだった。男爵の妻や長男には意見する権利すらなかった。
メロディーは新しい家と身分に歓喜した。
メロディーは可愛く無邪気で誰にでも好かれる女の子だった。
男爵の長男、メロディーの義兄となった15歳の少年は、すぐにメロディーの可愛さにハマり彼女を妹として受け入れた。
最初は嫌がっていた男爵の妻もメロディーの邪気の無い無垢な愛らしさにやられて彼女を自分の娘として受け入れた。
メロディーは自分が『愛される存在』だとその時確信したのだった。
「可愛い私はみんなに愛される♡
愛される為に私も頑張らなきゃ!」
メロディーは幸せに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
15歳になると貴族の子供は学園に入る事が決まっている。
メロディーも、まだマナーなどに不安はあったが、同年齢の貴族の子供たちに囲まれた方が成長できるだろうと学園へ行く許可が降りた。
父親の男爵当主がメロディーの器量の良さに期待する下心がなかった訳では無い……が、当主は可愛いメロディーに娼婦の様な真似事をさせる気などなかったので「高位貴族の令息に近付け」などとは言わずに、
「しっかり勉強するんだぞ」
と言ってメロディーを学園へと送り出した。
数年前まで平民だった自分が貴族の令嬢として学園へと通う。
その現実にメロディーは優越感増し増しの幸せ絶頂で学園の寮へと入寮した。
どこを見渡しても貴族貴族貴族。でもそんな貴族の中でも浮いていない、むしろ外見では負けていない自分に、メロディーは内心踊り転げた。父のお陰でお金にも困っていない。生まれた時から貴族なのに家が貧乏な所為であまり手入れの行き届いていない下位貴族の令嬢たちの髪や肌を見てメロディーは勝ったと思った。
元平民のメロディーは生粋の貴族の令嬢より可愛くて美しい。
学校が始まれば、令息たちはチラチラとメロディーを盗み見ては頬を赤らめ、それに気付いたメロディーがそちらを見て微笑めば令息はあからさまに動揺した。
それが楽しくてメロディーはみんなに微笑んだ。
そんなメロディーに、遂に運命の出会いが訪れる。
◇ ◇ ◇
メロディーは学園の中で迷子になっていた。
貴族の通う学園は無駄に広い。
メロディーは歩き回って疲れた足を中庭に見つけた芝生の上に投げ出して、靴も靴下も脱いで芝生の上に直に座っていた。
「どうしたんだ?」
そこに声を掛けてきたのはなんとこの国の第一王子であるエイドリック・K・ロッサ殿下だった。
「あっ! いえ!
ちょっと疲れて座っていただけですっ!!」
慌てて座り直してスカートの中に足を隠したメロディーを見てエイドリックが笑う。それに釣られる様にエイドリックの後ろに居た第一王子の側近候補であるセルジュ・ゼード侯爵令息とロンゼン・キトルダ侯爵令息、それにアルドーナ・レフィル騎士爵令息がメロディーに優しげな笑みを向けた。
全員が見目麗しくそれでいて凛々しくて、そんな男性陣に恥ずかしいところを見られてしまいメロディーは羞恥で顔を赤くした。
真っ赤になって顔を下に向けてしまったメロディーにエイドリックは流石に少し申し訳なく思って声を掛ける。
「こんなところで何をしていたんだ? 君も新入生だろう? 1年が使う教室はこの辺りにはなかったはずだが……
あぁ、クラスは違うが私達も同級生だ。そう固くならずに自然にしてくれ」
その言葉にメロディーはおずおずと顔を上げた。座り込んでいるメロディーは自然と皆を見上げる事になり、困惑した顔を赤く染めて上目遣いで自分たちに少し怯えた瞳を向けるメロディーはとてもとても可愛らしく男たちの目に映った。
「……お恥ずかしながら……道に迷ってしまって……
歩いて足が痛くなったのでここで少し休んでいたのです……」
そう言いながら、学園で迷子になったことが恥ずかしかったのか更に顔を赤くして視線を彷徨わせたメロディーにエイドリックは自然と喉を震わせて笑った。
「フフ……君は子犬の様だね」
そう言って自分に向けて笑ったエイドリックの美しくそして優しい笑みに、メロディーは一瞬で恋に落ちた。
◇ ◇ ◇
出会いをきっかけにメロディーはエイドリックたちと知り合いになった。
優秀なエイドリックたちは上級クラスで、学園の成績は平均だったメロディーとは本来ならばほとんど接点は無い筈だったが、運命のいたずらか繋がりか、メロディーは自ら彼らを探しに行かずともエイドリックやセルジュやロンゼンやアルドーナたちと出会い、会話をする機会に恵まれた。
5人はどんどん仲を深めていった。
それを快く思わない者たちが居る。
令嬢たちだ。
その筆頭がエイドリックの婚約者であるミレニア・セルス侯爵令嬢だった。
ある時メロディーは廊下で呼び止められた。
「貴女、何を考えているの?!」
そう言ったのはミレニア・セルス侯爵令嬢の前に出てメロディーを睨む伯爵令嬢だった。
「な、何……とは、なんでしょうか……?」
「そうやってはぐらかす気?!
自分の身分も弁えずに殿方の周りを飛び回る羽虫はこれだから嫌なのよ!!」
一方的に怒りをぶつけられてメロディーは怖かった。無意識に両手を胸の前で握って肩を窄める。怯えた表情になってしまったのは仕方がなかった。
そんなメロディーを見て令嬢は更に眉を上げた。
「まぁ、なんですの!?
これじゃあわたくしが悪いみたいじゃない!?
貴女、そうやってあの方々に取り入ってるのね!!」
「あ、あの……私……」
「何をやっているんだ」
メロディーが口を開いたとほぼ同じタイミングで別のところから男性の声が飛んできた。全員がそちらを向くとエイドリックたちが立ってこちらを見ていた。
「エイドリック様……」
メロディーから自然と漏れてしまった声に令嬢が反応する。
「まぁ貴女!
ミレニア様の前でミレニア様の婚約者であられる第一王子殿下の事を名前で呼ぶなんてっ!!」
「え?! あ、」
「よい。私が許可した。
それよりもそなたたちだ。こんな廊下で大勢で一人を取り囲んで何をやっている。
ミレニア、貴女がこんな事をするなど私の婚約者としての自覚はないのか」
「恐れながらエイドリック様。
わたくしにもわたくしの立場と矜持がありますの。自分の持ち物にまとわりつく虫はやはり目障りでしてよ?」
「私がいつ貴女の持ち物になったのか聞きたいな」
「あら? そんな事もお分かりにならないの?」
「分かりたくもない。
メロディー、こちらにおいで。怖かっただろう?」
「お戯れは程々になさってね」
そう言ってミレニアは令嬢たちを引き連れてその場を去った。
メロディーはミレニアとエイドリックの会話が怖くて心臓がドキドキして鳴り止まない。自然と震えてしまったメロディーの肩をセルジュが優しく撫でて落ち着かせようとしてくれた。
「……わ、私……」
ポロリ、とメロディーの瞳から涙が一つ落ちた。メロディーもそれが何の涙なのか分からなかったがただ怖かったのだけは分かった。
エイドリックたちもそんなメロディーの事を分かっているかの様にメロディーに寄り添い宥めてくれる。
「大丈夫だ」
「安心して」
「あんなのは気にしなくていいよ」
「俺たちが居る」
美形の高位貴族の令息四人に囲まれ慰められて、メロディーは怯えた外見とは裏腹に、心の中ではあの令嬢たちに勝ち誇った笑みを浮かべていた。
◇ ◇ ◇
エイドリックたちとの関係が着実に深まっていく中、メロディーはある日の夕方、廊下で一人で居るミレニアと出会った。
「御機嫌よう、メロディー様」
さもメロディーがここに来ることを知っていたかの様なミレニアの対応にメロディーは身構える。
しかしミレニアはメロディーに近付いてくる事はなく、ただ立って廊下の窓から外を眺めていた。
「……ご、御機嫌よう御座います、セルス侯爵令嬢様」
そんなメロディーにミレニアはフフッと笑う。
そしてゆっくりとメロディーを見て口を開いた。
「メロディー様はエイドリック第一王子殿下がわたくしの婚約者だと知っていて?
ゼード侯爵令息やキトルダ侯爵令息、レフィル騎士爵令息にも婚約者が居る事は知っていらして?」
ミレニアの質問にメロディーの体は強張った。胸の前に置いた手をギュッと握ってメロディーは視線を彷徨わせる。しかし答えなければこの場から離れられなさそうな空気感に遂にメロディーは重い口を開いた。
「…………はい」
「では知っていてあの方々の側にいるのですね?」
「……はい、だって私は……
みんなと居ると楽しいんです。
ただそれだけなんです」
怯えた目でミレニアを見てそう伝える。
「あの方々の側に居る事の意味を貴方は理解していて? 周りからどんな風に見られているのかお分かりかしら?
……それがどんな結果になるかまで想像されていて?」
ただ淡々と聞いてくるミレニアの意図が掴めずに困惑したが、メロディーはここで引いては駄目だと震える自分を鼓舞してグッとミレニアと向き合った。
「な、何を言われたいのか、分かりませんがっ、私がお側に居る事はリック様たちが認めてくれています!
あの方たちに言われたら改めますが、セルス侯爵令嬢にとやかく言われることではないと思います!」
キッと睨んでそう強く言ったメロディーにミレニアは淑女としての顔を少しだけ崩して小さく溜め息を吐いた。
「そう……もう愛称で呼ぶ事も許しているのね……あの人はそこまで……」
少しだけ悲しげな表情をしたミレニアはすぐにそれを淑女の仮面の下に隠してメロディーを見た。
「一つだけ教えてあげるわ。
6歳の時からあの方の婚約者だったわたくしだから言える事……
あの方々が貴女に見せている顔はあくまでも彼らの一面の一つよ。
……覚えておいて」
そう言ってミレニアはメロディーに背を向けて歩いて行った。
メロディーはただその場に立ち尽くす。言われた意味は分らない。
「……そんなの……誰だってあるじゃない……」
私だってそうだもん……
皆が無邪気だと言うメロディーの中身は全然無邪気じゃないとメロディー自身が知っている。でもそんなの誰にだって当てはまる事だ。エイドリックやセルジュたちをメロディーだってただの優しく紳士な令息だとは思ってはいない。誰だって内に秘めた欲望がある。
そんな事は当たり前で、誰だって知っている。
メロディーはミレニアの背中を見送りながらそう思った……
◇ ◇ ◇
「……どうした?」
「…………な、んでもないよ……」
エイドリックに声を掛けられて、メロディーは俯いていた顔を上げずに左右に振った。
落ち込んだその様子にエイドリックやセルジュ、ロンゼンにアルドーナは心配そうにメロディーを見つめる。
5人は最近お気に入りの高級ホテルの一室でいつもの様に寛いでいたところだった。
ホテルと云ってもいかがわしい行為に耽っていた訳ではない。誰にも口を挟まれずに友人と寛げる場所として使っているだけだった。男女二人だけなら駄目だが5人もいるのだ。だからこれは不貞行為ではないとメロディーは思っている。
その日もみんなと一緒の時間を作る為にその場所に来ていたのだが、メロディーはミレニアに言われた言葉を忘れる事ができずに少しだけ落ち込んでいた。
エイドリックにも他のみんなにもちゃんと婚約者がいる。学園を卒業してしまえばメロディーはみんなの側には居られない。それが寂しかった。
「メロディー……?」
セルジュが窺う様にメロディーの顔を覗き込む。メロディーが座っているソファの横に移動してきたエイドリックがメロディーの肩を優しく撫でた。その感触にメロディーは顔を上げてみんなを見る。
眉尻を下げて、少し泣きそうな顔で目元を赤くするメロディーは今にも消えてしまいそうな程に儚い。白くなった指を口元に添えて、メロディーはそのぷっくりとした可愛らしい唇を開いた。
「……みんなと……ずっと一緒に居たいだけなのに……」
小さく、溢れ落ちた様なそのメロディーの声に皆が心配げな視線を向ける。
「私……みんなの事が好きだよ……
でもこれってダメな事なんだよね……」
唇を震わせてそんな事を言うメロディーに寄り添い、エイドリックは優しく声を掛ける。
「何が……駄目なんだ?」
「だって……
みんなには婚約者様がいるし……
私なんか身分だって釣り合ってないし……
それに…………“みんなが好き”、なんて…………おかしぃんだよね?」
そう言って辛そうに顔を歪ませて瞳を潤ませたメロディーに、堪らず横に居たエイドリックがその手を取った。セルジュもロンゼンもアルドーナもメロディーのすぐ側に集まって彼女の肩や背中や膝に慰める様に手を触れた。
「駄目なんかじゃないさ」
エイドリックが言う。
「私もメロディーが好きだよ」
セルジュが伝える。
「メロディーは特別なんだ」
ロンゼンが力強く言った。
「一人を選ぶなんて、寂しいこと言わないでくれよ」
アルドーナが辛そうに眉を寄せてそう言った。
「みんな……」
嬉しくて震えるメロディーの手を握りながらエイドリックがメロディーと目を合わせて優しく微笑む。
「私たちは皆、メロディーが特別なんだ。世間的には間違いかもしれない。でも、自分の心を偽って生きるなんてそんなのは死んでいるのと同じだ……
だから、この5人でいる時くらいは自分の心に正直に生きても許されると思うんだ……
私たちのしている婚約は政略的な物で誰一人として婚約者に対して特別な感情は無い。だから私たちがメロディーを愛おしく思っても誰かに否定される謂れは無い。
私たちの愛は私たちにしか理解できない崇高なものなんだ。
だからメロディー……
怯えずに私たちを受け入れて欲しい……必ず私たちがメロディーを守るから……
愛しているよ……
私の子犬……」
「……リック……」
メロディーを囲んで口々に愛を囁く最高級の男たちの声にメロディーは酔いしれる。
愛されている事を実感してメロディーは歓喜の涙をポロリと流した。
男4人と女1人。
歪かもしれないが、この関係が自分たちにとっての『至高の愛の形』なんだと、メロディーは確信した。