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月夜に猫は愛を鳴く

作者: 九良雲

難しく考えずふわっとした雰囲気でお読みください

9/6追記|誤字報告ありがとうございます!

 




「にゃあお」



 聞き慣れた声がするわ。

 なにせ私の声だもの。



 私は長い尻尾を上に伸ばしながら甘える声で鳴いて、柔らかな黒い毛皮に覆われた身体を彼の足に擦り寄せて気を引くの。


 そうすれば彼は私を見下ろしてからその場にしゃがんで、普段貼り付けている軽薄さを装う笑顔を忘れてふにゃりと破顔しながら大きな手のひらで私の頭や喉を撫でてくれるわ。



『おーよしよし、お前さんは甘えんぼだなぁ。 こんなくたびれたおっさんに自分から寄ってきてくれる女なんてお前だけだ~』



 うふふ、確かにおじさんでくたびれてるっていうのは否定しないわ。 でもそんなところも愛しいのよ。


 すり寄る彼の身体から感じるのはお酒と煙草の匂い、埃臭さにあとは少々の汗臭さ。 人によっては眉をしかめるかもしれないけれど、私は貴方らしいこの匂いが大好きよ。



「にゃあ、にゃあん」


『よぉーしよしよしよし……はぁー、このふわふわに癒されるわ~。 お前がいるから俺はお仕事頑張れるんだぞ~』



 まぁ、嬉しいわ。 私も貴方のためなら猫としての生き方を悪くないと思えるの。












 ───あぁ、私が人間だった頃が懐かしいわ。



 公爵家の娘として生まれ淑女として幼い頃から厳しい教育を受け、努力と成果を認められ王太子殿下の婚約者に選ばれ、かと思えば何処からか現れた子爵家の娘にその座を奪われた。


 といっても私は特に嘆くことはなかったのだけれど。 別に私が望んで成った婚約でもありませんでしたし、国より国母なれと言われるのであればなりますが別に私でなくてよいと言われれば『そうですか』としか思いませんもの。

 

 まるでサロンで小耳に挟んだ庶民の間で流行っているという夢物語を演じるように、私は王家主催の舞踏会という衆目の場で身に覚えのない罪を糾弾されその場で王太子殿下直々に国外追放を命じられました。




 だから私、言われた通りにしたわ。


 えぇ、だって私はこの国の民だもの。

 王家の命令は絶対よ。




『お前の不吉なその黒く長い髪が嫌いだ』

 ならばサラリと流れる腰より長い私の黒髪は、短く柔らかな毛並みに変えましょう。


『その人を見下すような金色の瞳が不快だ』

 ならば伏し目がちで金色をした私の瞳は、満ちた月のように丸い瞳に変えましょう。


『その声も、氷のような冷酷さが滲んでいる』

 ならば家族が愛してくれたこの声は、言葉など発さない獣の声に変えましょう。







『お前のその姿を見るだけで吐き気がする』



 ならば


 父と母より与えられたこの身体は


 人の姿を棄てて

 一匹の小さな獣へと 変えましょう。






 そうして私は私に呪いをかけたのです。

 人から獣へと転じる呪いを。



 混乱と、騒乱。

 ダンスホールを包んだのは悲鳴混じりの絶叫。

 その中に理想の淑女と名高い母の泣き叫ぶ甲高い声、いつも冷静な父が酷く慌てて私を呼ぶ声、ずっと溺愛してくれた優しい兄の怒号も混じっていました。



 人から猫の身になった私は床に落ちた少し前まで着ていたドレスから這い出すと、一度礼をしてからそのまま走り出しました。


 状況を理解しきれずに大混乱となる場から小さな猫一匹逃げることなど容易で、私はそのまま庭園へ出ると猫の声ではありますが風の精霊を呼び出す詠唱をします。


 正直、人の時に使えた魔術が獣になった身でも使えるのかは賭けでしたが、どうやら呪いで姿を変えても魂までは変わらないらしく契約は切れないとのことで少しホッとしました。




 そして私はまるで大鷲のような姿で現れた風の精霊に願ったのです。



『遠く、海を越えた地へ、風と共に私を運んでください』



 精霊は願いを聞き入れ、その背中へと私を乗せて大空へと羽ばたきました。 そして海をはるか越えた先の国[ボラベッロ]にある港町[ラヴェール]に私を運んでくれました。


 こうして私は愛しき祖国の一臣下として、最後のお役目を果たしたのです。






 初めの内は猫としての生き方に戸惑うことは多かったです。 一度吹っ切れてしまえば後はもう慣れたものでしたが。


 港町だけあって漁業が盛んなため漁師の方も多く、こちらの国では猫というのは船乗りにとって幸運の象徴にして航海の安全と豊漁を司る神様の御使いなんだそう。 そんなお話がある理由として猫は海を越えて運ぶ積み荷に悪さをしたり疫病を運ぶ存在である鼠を狩ることから重宝されているためで、港周辺には野良猫がちらほらおりました。


 一応、新参猫である私に元からいた野良猫の一部からは警戒され縄張りから追い出そうとされましたが、火の精霊に頼んで軽く火を出して驚かせたら以降は遠巻きにこちらを見るだけでなにもしてこなくなりました。



 私のすることといえば日がな町を歩いては活気に満ちた街並みや人々を観察し、歩き疲れれば手頃な日向や木陰で休み、お腹が空けば港へ赴いて鼠を仕留める代わりに売り物にならないような小魚を漁師の方よりお裾分けして頂きます。 たまにこっそり火の魔法で焼きますが、生魚も慣れると結構いけました。


 今や野良猫の私に決まった名前はなく、ましてや人々が私の元の名前など知る訳もなく、私の存在を覚えた人は思い思いの呼び名で呼びます。 ちなみにこの毛並みからシンプルに[クロ]と呼ばれることが今のところ多いです。






 でもたった一人、野良猫に過ぎない私にとある女神の名前をつけた人がおりました。



『おお、お前さんツヤツヤした真っ黒な毛並みだなぁ! それに目ん玉もお月さんみたいで、顔立ちも大層な美人さんじゃねーか! ……よし、お前さんは[アーミス]と呼ぼう! 夜の女神様の名前だぞ~光栄に思えよ~』



 夜の町中で出逢ったボサボサの金髪に少しタレ目な碧の瞳をした彼は真っ赤な顔でお酒の香りをプンプンとさせながら、木箱の上でくつろいでいた私を見るなりにやけ顔で近付いていきなり抱き上げ、無精髭を生やしたお顔を私のお腹へと擦り付けてきました。


 ……あの時、驚きのあまり自分の全身の毛が初めてぼわっと膨れ上がりました。 我が毛並みながら驚異のもっふぁもっふぁになりましたね。



 着古したマントの下に軽鎧を着ていましたが町や国の兵士という感じではなく傭兵か冒険者という姿で、大層お酒を飲んでご機嫌なようでしばらく私を存分に撫でたり吸ったりして満足したら離されると思いましたが、彼は酔ったままの勢いで私をご自宅というか拠点にしている宿屋まで連れ帰ってしまいました。



 この町で猫は神様の使いであるという話から大事にされていますが、そのため猫が悪さをしない限りぞんざいに扱ったりしてはなりませんし一度飼うことにしたら何があっても最後まで大事にしなくてはなりません。 それは一種の契約であり、破れば海から嫌われ神罰が下る……と言われております。 あくまで逸話です。


 ……なので野良猫を適当な名前で呼ぶことや猫が勝手に家にやって来て居座ったり寛いだりしてる場合は除かれますが、酔っていようと自分の意志で自宅に連れ帰った上に名付けまでしているという場合はもうその猫を飼うということになってしまうのですよね。


 内心この方のためにも逃げた方がいいのかしらとも思いましたが、これはこれでこの町での猫としての生き方の1つかとそのまま流れに身を任せました。




 ───そして翌日、起きてから二日酔いの頭を押さえながら私を見たあの方の呆然とした顔ときたら! うふふふ、今思い出しても笑いが込み上げてしまいます。


 酔っていてもかなりおぼろ気ながら記憶は残るようで、酔いの勢いとはいえ私を自分で連れ帰ったことは覚えていて『やっちまったぁ……!!』と呟いて頭を抱えておりました。 なので私はその足元にすり寄って慰めますと、苦笑いをしながらしゃがんで私を撫でました。



『ごめんなぁ、お前さん程の美人さんならお貴族サマだってこぞって飼いたがっただろうに……こんな冴えないオッサンに勝手に飼われて迷惑だろ』



 あら、そんなことないわ。 猫一匹にそんなことを思ってくださる人だもの、優しくて素敵な人よあなたは。


 残念ながら猫の私とは言葉は通じないので彼にはにゃーにゃー鳴いているとしか聞こえませんが、そう言ってしゃがむ彼の膝に登って後ろ足立ちになりながら頬にすり寄ります。



『……ふへ、お前さんはこんなオッサンでもいいってか? 変わった奴だなぁ』







 ふにゃりと気が抜けたようなその笑顔を見た瞬間、




 ギュンッッッと


 ええ、それはもうキュンとかではなくギュンッッッと



 私の胸部に凄まじく締め付けるような感覚と息苦しさが起こり、その後に胸の奥が大暴れしているように激しく高鳴りました。




 ……そういえば私、同年代や年下の異性に魅力を感じたことなかったですわね。 どちらかといえば壮年の騎士団長様や、初老の宰相様、庭師のおじ様のほうがより男性として魅力的に思っておりました。


 つまり私は自分より年上、それも一回り以上は年上の方でないと惹かれないのね。 貴族としての婚約や結婚しか知りませんでしたし、16年生きてきて初めて個人的な恋愛嗜好に気付きました。



 気付いてみると目の前にいる明らかに私より一回り以上年上で、気取ったり凛々しさのある容姿ではなくむしろ少々くたびれてだらしのないお姿、それに反して気の抜けた笑顔に残る幼さのギャップ、どれも不思議と保護欲をかきたてられると言いますか……とにかく私にとってこの上なく魅力的に見えます。


 きっと彼に拾われたのは運命なんて浮かれて気持ちがふわふわとして、彼にキスをすれば彼は可愛らしい笑顔のまま私を抱き上げて昨夜のように頬擦りをしてくれました。 そして彼が身に着けていた小さな赤い宝珠が埋め込まれたロザリオを首輪の代わりに私の首へとかけてくれます。



『酔った勢いとはいえ拾ったからにはちゃんと面倒みてやるからな~! これからよろしくな、俺の女神サマ!』


「にゃあん」









 それから彼……ベイナルドとの生活が始まりましたが、当初の私の考え通り彼は傭兵でしたがその仕事がない時は冒険者同様にギルドで仕事を請け負って稼ぐような生き方をしていました。


 今はこの国も特に戦もなく狂暴な魔物が目立って暴れるようなこともなく平和なので傭兵としてのお仕事はあまりないようで、日々冒険者の方と同じように近くの森で獣や魔物を討伐したり薬草や薬効のある木の実の採集などを行い、町から町へ移動する辻馬車や商人の方の護衛などをしていたよう。


 ですが私という存在が出来てしまったために日をまたいで行うような依頼を受けることが難しくなったように思って『傭兵はもう引退かなぁ~。 本格的に冒険者になるかぁ?』などぼやいておりました。



 なので私、着いていきました。 彼が請け負った魔物の討伐にこっそりと後をつけて。



『はぁ!? お前さん、なんでこんな所にっ……さっさと町に帰れ!!』



 狼型の魔物数体を相手取って戦っていた彼の隣に飛び出すと途端に慌てた顔をして私を庇うように前へと立ってくれましたが、その足の間をスルリと通り抜けて魔物の前に出ますと水の魔法で水を呼び出し、そしてそれを鋭く尖った指先ほどの大きさをした小さな氷に変えますと魔物の眉間目掛けて飛ばします。


 チュンッ、と高い音を残してまっすぐ飛んでいった氷のトゲは容赦なく魔物の頭を貫通し死に至らしめます。 そして他の魔物も同様に射抜き絶命を確認してから、野良猫の時に港で魚と交換に鼠を渡していた時のように自分より遥かに大きな魔物をくわえて引きずり彼の前に投げ渡しました。



 ええ、私って貴族令嬢でしたが剣も魔法もすこぶる強いのです。 どの属性魔法だって使えますよ。


 猫の身では武器は扱えませんが魔法は問題ないので、流石にドラゴンのような超大型の魔物は厳しいですがこの程度なら十分に戦えます。


 甘える声で褒めてと言わんばかりに鳴きながら彼にすり寄りつつ、その脛にあった魔物による引っ掻き傷も光魔法で癒してしまいます。



『……は、ははは……俺ぁなにか夢でも見てんのか……?? 猫が魔法を、しかも複数属性を使ったなんて……あぁ、昨日酒を飲みすぎたか……』



 まぁ信じられないというか理解が出来ませんよね、突然猫が魔法を使っても。 じゃあ信じられるようにしましょうかと思い、一度彼から離れて私は魔術を行使します。


 風魔法で周囲から落ち葉や枯れ木を寄せ集め、土魔法で土を盛り起こし集めた薪の周りに風避けを作り、火魔法でそこに火を起こし、最後に水魔法で起こした火を消す。


 光魔法はさっき怪我を治すのに使いましたし、闇魔法は……ちょっと過激なのでこの場で使えるようなものがないですね。



 一連の流れを彼は顎が外れてしまうんじゃないかってくらいポカーンと口を開けながらまばたき一つせずに見つめていました。 私は再びにゃおんにゃおんと鳴きながら彼の足に纏わりつきます。



『……夢じゃないのかぁー……そっかー……えぇー……どうすんのコレ……四大魔法に光の魔法、もしかしたら闇まで扱えるかもしれないって、お前さん本当に猫か……? 魔獣……だったら町の結界が反応するだろうし、もしかして本当に神様の使いだったりするのかぁ……?』



 いいえ私はただのアナタに飼われる猫よ。 元人間なだけの。



 その後彼がボソッと『神様の使いなら教会にでも連れてったほうが……』など言うので、服の布地が薄い所を狙ってその足に思い切り爪をたてて死んでも離れまいとしがみついてやりました。


 彼は最初は痛い痛いと喚いておりましたが『わ、分かったよ!! お前さんを手離したりしないってぇ!!』と言ったので仕方なく離してあげました。 言質は得られましたので。






 彼が私の力を分かってくれたのでそれから私は毎日彼と一緒に行動しています。 最初こそ彼は知り合いや町の人からからかわれたり危ないからと止められたりしましたが私が意地でも彼から離れないのでどうしようも出来ず、半年もすれば皆様慣れたもので彼は[猫連れベイナルド]と呼ばれるようになっていました。


 ちなみに彼は私が魔法を使えることは周囲には明かしませんでした。 そもそも信じてもらえる話でもないですし、信じられたとしても下手したら珍しさから連れ去って売ったりしようとする輩がいるかもしれないから人前で魔法を使うなよと彼から言われております。


 私は彼の仕事をサポートする代わりに基本的にはどこにも着いていき、彼も初めは私を過剰に気遣ったり落ち着かない様子が見られましたが受ける仕事を制限する必要がなくなったことは助かったようでじきに慣れて私が一緒なのが当たり前になりました。



 彼は毎日のように飲むほどお酒が好きなようで、酒場で遅くまで友人や仲間と飲み明かす際は私は先に宿に戻って寝ます。 ただそういう時に何度か香水や化粧品といった女性の香りを強く残して帰ってくることがあったので、私というものがありながら他所の女性を触った手で触れないでという嫉妬をこめてそういう日は丸一日無視して触らせもしません。


 初めての時は『なんだよ今日はつれないなぁ、珍しく機嫌悪いのか?』なんて拗ねた顔を見せましたが、三度目辺りから私が冷たくなる理由に察しがついたのか何やら言い訳をしたので追加で二日ほど冷たくあしらい続けましたら、それからあまり強い移り香は貰ってこなくなりました。 匂いがしても一緒の空間で過ごした程度で触れ合うことはなかったことが分かります。



 ええ、それでいいのよ。

 アナタは私だけのだもの、他の(ひと)に目移りなんて許してあげないわ。





 彼が浮気をしなくなって私だけに愛を注いでくれるようになって数ヶ月、私の身にとある現象が起こりました。


 それはいつものように遅くまで飲み歩いて酔っ払って帰るなり装備や衣類も適当に脱ぎ散らかしてベッドに転がり、そのまま大の字でイビキをかきながら眠った彼の隣で毛繕いをしながら窓から空高くに浮かぶ満月を見上げた時のこと。



「───……あら」



 目の前で視界が奪われるほど月の光が強くなったと思ったら、私の視界は明らかに先ほどまでよりもずっと高い位置にありました。 それに、猫ではない声が喉から零れた。


 もしかしてと思い自らの手を確認すると、それは随分と懐かしいかつての私のものである白く細い人間の腕でした。 顔に触れればそこにあるのもかつての私の顔、見下ろせば体型も最後に見た時と変わることの無い私の体。 ……猫になった時に置いてきたからか下着すらなく一糸纏わぬ姿ですが。



 私は、人間だった頃の姿に戻っていました。



「……呪いが弱まっているのね」



 かつて私が私にかけた人から獣に変わる呪い。

 それは非常に強力で国の魔術師が総動員されても解呪が困難なものですが、古今東西どんな呪いにも必ず[正しい解き方]があります。 解き方というか、解ける条件ですね。


 私に宿るこの呪いが解ける条件は[私が愛した人が人の私も獣の私も知り、二度と離れられないほどにどちらも誰より深く愛すること]。 ふふ、ロマンチックでしょう?


 まだ呪いが完全に解けていないのは彼が獣の私しか知らないから。 でも中途半端ながら解けたのも彼が獣の私を深く愛してくれた……まぁこの場合は不本意ながら親愛という意味かしら。



 満ちた月が一番空高く昇ってから沈むまではどうやら呪いが弱まって人の姿に戻れるようになっているようで、別に私はこのまま解けなくてもいいのだけどと思いながらぼんやりと月を見上げているといきなり腕を掴まれます。


 視線を向ければまだ酔いと眠気を残しつつも呆然と私を熱く見つめる彼の姿がありました。



『……こんな女神サマみたいないい女が一緒のベッドにいるなんざ、なんて贅沢な夢だ……夢の中なら俺の女神サマも浮気だなんて怒らねぇよな……?』



 どうやら彼は私を自らの夢の中の存在と思っているようで、そのまま腕を引き寄せられ身をベッドに倒すと彼が私の上に覆い被さります。


 高価な壊れ物を扱うように丁寧に彼の武骨な指がベッドに広がった私の長い黒髪を漉き、頬を撫で、首に滑り、身体に落ちていく。 私はただ微笑みながら熱に浮かされる彼の瞳を見つめ返し、その首に腕を絡めた。



 

 そうよ、大丈夫。

 これは浮気じゃないから許してあげる。


 ちゃんと私のために他の女性にこんなことしなくなってくれたのだもの、それなら見返りだってあげないと不平等だわ。




 その日、私は愛する人に純潔を捧げた。








 翌朝目が覚めれば私は彼の腕の中で猫の姿に戻っていて、気持ち良さそうにすやすやと寝息をたてる彼の唇にキスをしました。 それから魔法で彼の服を整えたりシーツの汚れを浄化したり、昨夜起きたことの痕跡を一切残さないようにします。


 昨夜のことは彼の見た夢、それでいいの。

 少なくとも今はまだ、ね?



 その日から私は普段は猫のまま、満月の日の真夜中にだけ人の姿になる生活になりました。


 彼は相変わらず人の姿をした私のことは夢だと思っていてその度に身体を繋げ愛し合いましたが、やはり何度も同じタイミングで同じ夢を見ることにだんだんと疑問を抱きつつありました。


 そして満月の夜から明けた朝になるとなんとも言えない表情で私を見ながら『……まさか、なぁ』と頭を振るので、私はただ猫らしく高い声で鳴いて彼の膝に乗って甘えるのです。








 そして今、彼と出会って三年が過ぎたある日。 いつものようにギルドで魔物退治の依頼を受けて必要な物を買おうと歩く彼の肩に乗りながら移動をしていたら──



『エルディナ!!』



 ……随分と懐かしい、声と名前を聞きました。



 近くからした突然の大きな声に彼が訝しげな顔で振り返りますと、そこには数年振りに見ます我が兄ジェイドの姿がありました。


 最後に見た時と特別変わりはありませんが、やはり背丈は少々伸びていますね。 あと少し痩せて目の下にも隈がありますし、どこか血色が悪いです。 随分とお疲れなことが見てとれます。



『エルディナ、エルディナ!! あぁ、やっと見つけた!! 生きていたんだね!!』


『ちょ、ちょいちょいお兄さん、うちの女神サマに何すんの!? この子は俺の飼ってる猫のアーミスよ!? いくらものすごーく可愛いからって勝手におさわりはダメだって!!』



 嬉しそうな顔で駆け寄ってくるなり私を乗せている彼のことなど目に入っていないかのように真っ直ぐ私へ手を伸ばしてきましたが、流石にそれは彼が兄の腕を掴んで私が乗っている左肩を庇うように立ちます。


それに対して兄は苛立ったように彼の胸ぐらを掴もうとしたので、風魔法で突風を吹かせ軽く押し返す……つもりだったのですが予想以上に吹っ飛びましたね。 以前の兄ならこれくらい踏ん張って耐えれたと思うのですが。



『お、おーい大丈夫かぁ? あんな突風で転けるなんざ鍛え方がなってねぇぞぉ?』


『くっ……しかし今の魔力はやはりエルディナの……!! どうしたんだエルディナ! 私だ、ジェイドだ! お前の兄だぞ!!』


『はぁ?? ……お兄さん、服とか見た感じお貴族サマよね? あー、お貴族サマにこんなこと不敬にあたるし言いたくはないんだが……アタマ大丈夫??』



 立ち上がり服についた砂ぼこりを手で払いつつも兄は私をじっと見つめて叫んでおりますが、どうやら騒ぎに他の冒険者の方や町の人々が警戒する様子を見せていることから先ほどのように掴みかかろうとはしてきませんね。


 彼は何といいますか、呆れ半分哀れみ半分みたいな眼差しで兄を見ていますね。 完全に頭がおかしい人を見ている目です。



『その子は猫などではない、呪いにより猫の姿に変えられた私の妹エルディナだ!! お前をそんな姿にした例の愚か者共は、お前に着せた冤罪を晴らされ身分を取り上げられ国から追放された! だからもう大丈夫だ、父上も母上もずっとお前の帰りを待っていた……帰っておいでエルディナ!! お前の呪いを解く魔道具も各地を旅してついに見つけられたんだ!』



 あら、私は自分で呪いをかけたのに王太子殿下とあのご令嬢の仕業になっているの?



『呪い……? きなくせぇなぁ、いきなり現れてそんなこと言われて誰が信じられるかってんだ。 なぁアーミス?』



 ……ふぅ、もう少し猫のままでいたかったのだけれどここが潮時なのね。


 兄の手には白い光が中で渦巻く手のひら大の宝珠があり、鑑定というスキルで見れば確かに[あらゆる呪いを浄化する]と出ていますし本物でしょう。 本来なら王家に献上すれば爵位すら与えられてもおかしくない国宝級の品物です。


 きっと、入手も相当に苦労したことでしょう。今のやつれた兄の姿こそその証明です。 その気持ちを無下にすることなど出来ませんね。



 私は彼の頬に一度すり寄ると肩から飛び降りて兄の前に立ち、彼はそんな私に手を伸ばしますがそれより早く兄が私へと宝珠を差し出しました。





 瞬間、溢れだす光。

 春のような温かさを帯びた風。


 私の体がゆっくりと猫の体を捨てて人に変わっていくことを感じながら彼を振り返ります。


 彼は酷く驚いた顔で『……満月の夜の、女神』と呟いたことが口の動きから分かりました。 貴方は私のこの姿を見たことがあるものね。






『あぁ……あぁ!! どれだけお前に会いたかったか!! エルディナ、エルディナ!! う、うぅ、うぅっ……!!』


「まぁ、泣かないでお兄様。 ご心配をおかけしましたが、私はこの町の皆様のおかげでこうして問題なく生きております」



 人に戻った私に兄は衆目も気にせずに涙を流しながら抱きついてきたので、私は兄の背中と頭をそっと撫でます。 ……私のワガママのために随分と苦労をかけてしまったわ。


 すると今度は彼が近寄ってくると私の身へ自分が羽織っていたマントをかけてくれました。 そういえば全裸でしたわ私。



『……あー、その、本当に……人間、だったんだな。 でもまぁ……あんなに魔法使えるんだから猫より納得だわ』


「はい。 アランデル王国、ジゼード公爵家長女エルディナ・ジゼードと申します。 ずっと貴方を騙すような形になってしまい申し訳ございません」


『……ははっ、そうかぁ……まさか公爵家なんてド偉いとこのお嬢さんだったのかぁ……。 ……でも良かったな! こうして兄貴が迎えにきてくれて、呪いとやらも無くなって国に帰れるんだろ? ……ようやく元の暮らしに戻れるんだ、幸せになれよ』



 ───幸せになれ、なんて言うならそんな辛そうな顔はしないものよ、アナタ。



『……ふむ、どうやら君は妹を保護していてくれたのか。 ならば礼をしなければな。 今は持ち合わせの関係でこれしか渡せないが、後日改めて礼をさせてもらおう』


『あー、どうも。 いやいや、しがない傭兵にはこれで十分ですよ。 ……お嬢さんとの暮らしも悪くはなかったですし』



 兄は彼に何枚かの金貨を手渡しますが、庶民の方からしたらそれは約一年分の稼ぎほどの価値があります。 彼は受け取ったそれを雑にポケットにしまってから私の肩をポンポンと叩きました。



『じゃあな、女神サマ。 アンタといるの、結構楽しかったぜ』



 そう言って背中を向けて立ち去ろうとするのを、その腕を掴んで引き留めます。



「どこへ行くの」


『どこもなにも、帰るだけさ。 アンタも国へ帰りな』


「まぁ酷いわ、私とこの子を捨てるつもりなの?」


『いや、捨てるとか人聞きの悪い言い方───あん? この子??』





 私はニッコリと彼に笑いかけます。





「えぇ、この子。 私のお腹にいる、貴方と私の子です」












『『『はぁあぁぁぁぁぁぁ!!?!?』』』



 私の発言に彼と兄、更に周囲で見ていた人々が同じような大声をあげました。 私はニコニコと笑いながらまだ膨らんでいない自分のお腹を撫でます。


 最近体調が良くないので自らに鑑定を使ったところ妊娠していたことが分かりました。 満月の度に繋がってたことですしもっと早くに授かっても構わなかったのですが、私か彼の生殖能力が弱めだったのかもしれませんね。



『きさっ、貴様、妹に手を……っ!!? いや、そもそも妹は今まで猫で……っ!!??』


『待て待て待て!? 俺は猫にそんなことする趣味はねぇぞ!? えっ何!? もしかして満月の日のアレは夢じゃなかったの!!?』


「えぇ夢じゃありません。 貴方が猫の私を大事にしてくれたので、呪いが弱まって満月の日の真夜中だけは人に戻れたのです。 あ、もちろん、その……行為に関しては喜んで受け入れておりましたから大丈夫ですよ」



 ふふ、さすがに皆様の前で口にだすのは恥ずかしいですね。


 私はお兄様から離れて彼の胸へと飛び込みますと、反射的なのか彼は私の背に腕をまわして受け止めてくれます。 そしてそのまま背伸びをして彼に口付けました。



「逃げられると思わないでくださいね。 私は貴方だけの女神なのでしょう? 女神というのは古来より愛した者に対して嫉妬深く独占欲が強いのですから。




 ────愛しています、ベイナルド」




『……あー、はは……うん……お手柔らかにお願いシマス……。





 ────俺も愛してるよ、俺の女神サマ』








END.

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― 新着の感想 ―
[一言] その後のバタバタも見たかった気もしますが… 想像で補っておきま〜す!(笑) 公爵夫妻は孫にメロメロになるんだろうなぁ… 子供は…満月になったら猫になるとか面白そう(笑)
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