義母様は男装美魔女だったのです
王宮の一角。
日も暮れて人気もなくなった廊下で、私はランプ片手に最奥の扉を叩く。
鈍く光る銀の指輪を見つめて、部屋の主の声を待つ。
「誰だ」
深いアルトの声が来訪者に問いかける。
私は深く息を吸ってその名を告げる。
「――イルディズです」
「入れ」
許されて扉を開けると、広く暗い部屋の奥で、重厚なデスクに向かって書類仕事をこなす美しい青年が一人。
黒衣の上に長い金糸の髪がこぼれる様は極細の刺繍を思わせ、ランプの温かな灯に照らされた顔は、大理石の彫像のように隙が無い。
目線も上げずに、彼は問う。
「こんな時間にどうした? また雉だ兎だとくだらないことを言いに来たのか? そんな私的な理由で魔具は貸さんぞ」
うんざりとした調子で、しかし手はずっと書き物を続けている。
「いえ……」
私は短く答えて、彼のそばにゆっくりと歩み寄る。
「嫁が男と兎を狩ったからなんだって言うんだ。お前の愛は重すぎるんだよ。束縛する亭主は嫌われるのが世の常というもので――」
流れるようなお説教が始まり――
「――イルディズ?」
そこでようやく顔を上げると、蒼い双眼が鋭く私を射抜いた。
「お前、誰だ?」
険のある声で問われて、私は不敵に笑う。
――ここまで騙せれば、十分です。
銀の指輪を右手から外すと、私――黒髪黒瞳の美貌の男は、わたし――亜麻色の髪にはしばみの瞳の普通の女に姿を変えました。
「!」
青年は弾かれたように立ち上がり、すぐに窓から逃げようとして、しかし紫色の光に弾かれます。
「結界――!?」
逃げられないことを悟って、傍らの樫の木の杖を掴んで。
「待って!」
淡い金色の光を集めた魔法を使おうとする杖をわたしが無遠慮に掴むと、生まれはじめの魔法の力に手がジュウッと焼けます。
「……っ……」
「!」
泣きそうな顔をして、青年は杖を取り落としました。
カラン、と固い音が部屋に響きます。
「――だまし討ちみたいになってすみません。はじめまして、イルディズさんのお母様。わたし、シーラ・ベルツと申します」
「……帰ってくれ」
うつむいて、拒絶。
でも、引き下がるわけにはいきません。
「イルディズさんの妻になりました。――お義母様に、ご挨拶を」
「不要だ――。私は、君に会っていい人間じゃ、ないんだ」
震える肩。金色の髪が垂れて、表情が伺い知れません。
かわいそうなほどに、手を強く握りしめています。それじゃ、跡になってしまう。
「イルディズさんから、お義母様の話をお聞きしました。わたしを15年間、探して下さったと。そこで、わたしを探すのをあきらめたと」
わたしの言葉に、ビクッとおびえるように大きく震えて。
「す……すまな……」
「だから、お礼を言いに来たんです」
震える大きな手をわたしは包み込みます。
「お…れい……?」
やっと顔を上げてくれたお義母様は、間近で見てもとても美しくて。
「はい。わたしを探してくださって、それに――両親を心配してくださって、ありがとうございました」
微笑んで言うと、お義母様は目を見開いて、それから迷子のようにくしゃっと泣きそうに顔を歪めます。
「やめてくれ。私は……君のことを、あきらめた人間だ」
「何を仰ってるんですか? 両親を慮った結果だと、聞いています。
それに――15年も見つかるかも分からないわたしを探して下さったのは、本当の事でしょう? それだけでも――たとえ、そのままわたしが見つからなかったとしても、わたしはあなたに感謝しています。わたしのために尽力してくださったことに変わりはありませんから。
それにお義母様がイルディズさんに魔法を教えて、だからイルディズさんがわたしを見つけてくれて……今は結婚までしてくれて。
それは、全部お義母様のおかげじゃないですか。だから、ちゃんとお礼を言わせてください」
わたしは背筋を伸ばして、それから。
今のわたしの全部の気持ちが伝わるように、幸せが伝わるように、微笑んで、
「――本当に、ありがとうございました。あなたのおかげで、わたし、今すごく幸せなんです」
お義母様の蒼い瞳から、涙がポロポロとあふれ出します。
それは、宝石のようにきらめいて、見惚れてしまう程で。
「……抱きしめても……?」
おずおずと自信なさげな言葉。
「はい、もちろんです!」
わたしは、お義母様に抱きつきます。
お義母様もわたしを抱きしめてくれて。
「……ありがとう。ありがとう。君が、こうして生きていてくれて……私も……っ……とてもっ……うれしい……っ」
しゃくりあげるように、伝えてくれて。
「わたしも――お義母様にお会いできて、とてもうれしいです」
固く、抱きしめ合いました。
しばらく抱き合った後で、わたしもお義母様も少し照れながら体を離しました。
「――イルディズをもらってくれたんだってな。――ありがとう」
柔らかい微笑みがまるで王子様のようです。王子様は涙でぐしょぐしょでも美しさが損なわれません。
「いえいえ。こちらがもらっていただきまして」
本当に、わたしがもらってもらった方なんです。
「不器用な男だ。――どうか、息子を頼む」
深々と頭を下げられてしまって恐縮してしまいますが、わたしは安心できるように、「ええ、もちろんです!」と深く頷きました。
そしてお義母様は涙をぬぐうと、すっきりとした神々しい王子様スマイルで、
「それで? 私の孫はいつ生まれそうなんだ?」
と、わたしに尋ねてきたのです……。




