狩りから広がる人間関係/奥様は見た
夫の出勤を見送って(城勤めなんですって)、わたしは今日はお出かけすることにしました。
ずっと家にいるのがよくありません。
母にも「絶対に家に勝手にこないで。何も置いて行かないで。したら絶交だから!」と言ってきたので、わいせつ物を置き去りにされる心配もありません。ドアノブとかに引っかけられていたらたまりませんから。
そもそもわたしがイルディズさんと結婚して借金がチャラになったおかげで、両親は仕事を辞めて暇を持て余し過ぎているんです。だから余計にわたしにかまいたくなるんです。
新しい趣味でも見つければいいんです。
わたしも健康的に趣味の狩りにGOです!
イルディズさんとの結婚が決まって、母はわたしの趣味を束縛しなくなりました。
婚期を逃すのが心配だっただけらしく、実は寛大なんです、ウチの母。ホントですよ?
だから、狩り自体は実は週一でしていて、結婚前からイルディズさんちの食卓に毎日何かしらの雉料理を出していました。幸いにもいい狩場が近くにあるんです。
今日は趣向を変えて、雉ではなく鹿や兎でも狙おうかと、山に入ります。
愛用の角弓片手にウキウキで獣道を行くと、同じく獣道を行く先客を見つけました。
600歳……もとい、60歳オーバーの男性が同じく弓を持っています。
「こんにちは」
山では挨拶が基本なので声を掛けます。狩りの基本ですね。お互い射られたくないですし。
「こんにちは。おお、お嬢さん、あなたも狩りに?」
お嬢さん、とか言われたのが久しぶりでちょっと感動です。おばちゃん扱いが多いですからね、最近。いいんですけど。
人のよさそうな笑みを浮かべるおじ様です。
「ええ。そちらも?」
「そうです。兎でも獲れたら、と思いまして。久しぶりなので上手く行くかわかりませんが……」
おじ様の装備を見るとなかなか使い込まれていて、しかし手入れもよく行き届いています。矢の造形も精確です。これは手練れかもしれません。
「わたしも兎か鹿でも獲れればと思いまして。いつもは川のほうで雉を獲ってるんですが、気分転換に違うものもいいかなと」
「雉を! そうですかそうですか。こちらは初めて?」
おじ様と狩りの話が弾みます。なんでも何十年もこの山で狩りをしている方らしく、穴場をよくご存じだそうで、わたしはおじ様についていきました。
昼までにわたしは兎を一羽、おじ様も兎を二羽仕留めることができました。
「しかし女性で狩りをする方に会えるとは思いませんでした。私にもあなたと同じくらいの娘がいるんですが、狩りには全く興味がありませんで」
「そうなんですか。まあ人の趣味はそれぞれですからね」
楽しいのに。
「ウチの娘は花が好きなんです。ちょうどこの前結婚しましてね、あ、新しく開店した花屋なんですけど、ご存じですか?」
「ああ、噂だけは」
「まあ、花が入用なときは行ってみてください。なかなか綺麗なものですよ、花も。ついでに私はパン屋なのでおなかがすいた時にはぜひ」
そんなわけで、たまには花でも買ってみようかと、次の日は花屋さんに来てみました。
オシャレなお店の外には鉢植えが並び、切り花は中にあるようです。
そういえば花なんて買ったことありませんでしたね。花は摘んでくるものというイメージがあります。
異世界にはない花がたくさんあり、わたしは店の外にある花の名前を一つ一つ読んでいきます。
初等教育課程はなんとかクリアしましたから字はもうバッチリなんです。あとは語彙を増やしていくだけ。
「……しゃくやく……ぺちゅにあ……まりーごーるど……じにあ……」
口の中で花の名を一つ一つ転がしていきます。美しい響きです。
「……えっと……」
札の字がブルーの花で隠れてしまっていて、横から覗き込みます。
すると、
「『アジサイ』ですわ」
女性の優しい声が頭上からかかります。
顔を上げると、そこにいたのは――
「……乙女椿さん……!」
婚活パーティーでお隣の席だった乙女椿さんでした。
「私、あの婚活パーティーで警察のお世話になっているときに今の主人に励まされまして、それで結婚することになったんです」
「雉の人! こんなところでまたお会いできるなんて、感激です!」
乙女椿さんのご主人は8番の釣り好きさんでした。
世間は狭いです。
わたしはお二人と握手をして再会を喜びます。
ほんわかした雰囲気の二人はとてもお似合いのご夫婦です。紺色のお揃いのエプロンからもそれは見て取れます。
「わたしもあの時の5番の方と結婚しまして」
一応ご報告。
「まあ! そうでしたの! お似合いでしたものね!」
「そうですか、あの5番さんと…………」
無邪気に喜んでくれる乙女椿さんとは違い、8番さんことご主人が小刻みに震えだしました。
「? どうかされたんですか?」
「いいえ! お幸せそうで何よりです!」
なにか言いたいけど言ってはいけないことを隠しているような雰囲気ですが、気のせいでしょう。
「あのパーティー、最後はインチキでしたけど、婚活としては大成功だったんですね」
乙女椿さんがフフッと可愛らしく笑います。
確かにサクラではなく実際に2組のカップルが結婚しているのだからその通りです。完全に同意です。
それにしても乙女椿さんが本当はこんなに可愛らしい方だったなんて驚きました。本当に花のような方です。
「ご夫婦でお花屋さんをやられるなんて、素敵ですね」
素敵な店内を見回します。色とりどりの花々。花の香りに包まれてご夫婦でお店をするなんて憧れちゃいます。
「ええ、私、昔から花が好きなんです。だから、パーティーの時はつい5番さんにひどいことを言ってしまってごめんなさいね? 少し緊張してしまっていたんです」
「いいえ、大丈夫です。済んだ話ですから」
この世界の方はもしかしたら気が高ぶると発狂するのかもしれません。そういうことなら仕方がありませんよね。母もそうですし。
「本当に心の広い方――。あのっ……もしよろしかったら、お友達になってくださいませんか?」
「ええ、もちろん!」
この世界ではじめてのお友達ができました。
結婚祝いとお詫び、ということでたくさんお花をいただきました。花の香りを嗅いでうっとりしながら家路を行きます。
イルディズさんはお花はお好きでしょうか? そうだったらいいなあ。
花束を胸の前に持ちながら近道の林道を歩いていくと、ふと林の中で言い争う声が聞こえます。
「……から……! …………こいっ……!」
「…いち……で……から……! ………………!」
よく聞こえませんが、痴話げんかでしょうか?
まあ、出歯亀みたいなことするのもよくありませんし、ここはサラッと通過しましょう。
と、思っていたんですが――
「……イルディズ……さん……?」
木の陰から見えたのは、二人の男性。
一方はわたしの夫イルディズさんでした。
そしてもう一人は少しだけイルディズさんよりも少しだけ背の低い金色の髪のキラキラした見目の麗しい男性……。
美形二人はまた言い争いをして、そして――
男性がイルディズさんを抱き寄せて、
二人は何事か話した後、男性がイルディズさんの顔に、じ……自分の顔を……近づけて……?
わたしは、弾かれたようにその場から逃げ出しました。
家に帰るまでの記憶がありません。
気づけば家の中でぼうっとしていました。
辺りは薄暗く、もう日も落ちてしまったようです。
いただいた花を放置していることに気が付いて、のろのろと立ち上がって花瓶に花を差します。
とても綺麗……。
花瓶をテーブルに置いて、それからその傍に花屋のチラシを置いて、ああ、イルディズさんが帰ってきたらお花屋さんにまさかの方々がいたことを教えてあげようと、そう思ったところで、
また、現実に戻って。
……そんなこと、どうでもいいですよね、きっと。イルディズさんにとっては……。
「……あはは……」
乾いた笑いが出て、涙がポタリとテーブルを濡らします。
きっと彼は今、恋人さんと一緒にいるのでしょう。
最近帰りが遅いのもきっとそのせいで。
わたしのこと、きっと面倒だって思っているのかもしれません。
分かっていたことです。
わたしは、彼の恋人じゃないんだから。
特別じゃなくて、ただのお情けの妻だったんですから。
本命がいたって、おかしくないんです。
あんなに素敵な人に、お相手がいない方がおかしいんです。
それにしても。
「……男……かあ……」
妙な納得感があります。
だって、相手が女の方だったら結婚してますものね。道ならぬ恋、男同士ということなら、結婚してなくても仕方ありません。
それに、すごく綺麗な方でした。絵本に出てくる王子様のよう。きらめく金色の髪、輝く蒼い瞳、端正な顔立ち……。それに、なんといっても若い方でした。200歳くらいでしょうか?
それにくらべて、くすんだ亜麻色の髪、はしばみの瞳、耳も短く、黒焦げで、鼻もぺちゃんこの、美しいとは程遠いわたし。40歳。
完敗です。
「ううっ……ふっ………ふえっ……ふえええん……っ……!」
涙が次々とあふれ出ます。
薄暗い部屋の中で、ひとりぼっちで泣きました。
この日わたしは人生二度目の失恋、それも夫に失恋してしまったのです……。