この結婚はご厚意
――たった一つの奇跡から、幾千の幸せは生まれるものだから――――――
「シーラちゃん、結婚生活はどうかしら?」
新緑も眩しい初夏の昼下がり、母が新居に訪ねてきました。
イルディズさんと結婚して3日目、わたしはまだまだ新しい生活には慣れませんが、それなりに楽しく過ごしています。
イルディズさんは今日もお仕事に行って家にはいません。とても忙しいらしく、昨夜も遅く帰ってきました。
お茶の用意をし、母からのお土産の雉サブレをお茶請けに出します。
母には白地にブルーの縁取りのティーカップを、わたしには雉によく似た鳥の絵のマグカップを。
新居はもともとイルディズさんが住んでいた家なので、ただわたしだけが引っ越してきた形で、片付けもとうに済んでいます。
テーブルの脇の本棚にはわたしの勉強道具とイルディズさんの小難しい本が並び、生活の一部となりつつあります。
母の問いかけにわたしはにこやかに答えます。
「ええ、仲良くやってますよ」
「そう、よかった」
母も穏やかな笑顔を浮かべ、紅茶を一口。
わたしはその笑顔に少しの罪悪感を覚えて、そっと左手の薬指の指輪を指でなぞります。
銀色の、結婚の証。
嘘はついていないんです。
確かに「仲良く」はやってはいるんですけど――
――3日前、私とイルディズさんの結婚式が執り行われました。
町の教会で、家族だけの本当にこじんまりとした式でした。わたしとイルディズさんと、わたしの両親と兄の5人だけです。
「あれ? イルディズさんのご家族は?」と問うと、そこで実は彼は孤児だったという重すぎる過去が発覚しました。
けれどとにかくめでたい結婚式、わたしもイルディズさんも白い婚礼衣装に身を包んで、40歳の乙女としては物語のハッピーエンドの中にいるような気分で式に臨んだわけです。
結婚式までの数週間、わたしとイルディズさんはいつも通りの勉強会の合間に少しずつ新居の用意も進めて、心弾む日々を過ごしてきました。
一緒に街でデートして雉によく似た鳥が描かれたマグカップをお揃いで買った時にはニヤケ死ぬかと思いましたし、二人で一緒に川辺に雉狩りにも行きました。イルディズさんは魔法で雉を一撃で昏倒させて最高にカッコよかったですし、わたしは唯一の特技である弓の腕前も披露することができました。
家に帰って仲良く二人で雉の羽をむしる時、わたしは婚約者と過ごす幸せを噛みしめました。
わたしを幸せにしてくれる、との言葉通り、わたしはイルディズさんといると穏やかで幸せな気分になります。
だから、わたしはこれが『恋』だと思っていたんです。
イルディズさんもわたしに『恋』してくれているものだとばかりに思っていたんです。
けれど。
結婚式の誓いのキスの時、
わたしは幸せな気持ちで彼だけを見て、キスが落とされるのを待っていました。
――当然、唇にされると思うじゃないですか。
でも、キスされたのは、頬でした。
頬でも十分に恥ずかしくて、その瞬間は「ひゃーっ」と思ったんですけど、結婚式が終わってから、ふと「なんで口じゃなかったんだろう?」と考えてしまって。
そして、わたしは気づいてしまいました。
ああ、またわたしは勘違いしてしまったのだと。
つまり、わたしはとんだ勘違い女で、マーくんの時と同じ轍を踏んでいたのです。
マーくんの我が子(じゃないですけど)に対する優しさを恋愛感情だと勘違いし、そしてイルディズさんに対しても『幸せにさせてほしい』という甘くて心地よい言葉に酔って、彼がわたしのことを好きだと勘違いしていたのです。
考えても見れば、イルディズさんはわたしのことを好きとか愛してるとかそういうことを言ったことはありませんでしたし、抱きしめてくれたのも婚活パーティーでの一度きり、しかもそれすらわたしが泣いちゃったからあやしてくれたようなものです。わたしが40歳というこの世界ではいい大人なのに子どもみたいだから、憐れんでくれたんですね。
だから、つまり……
この結婚はイルディズさんのアルティメットなご厚意だったんです!
これは恥ずかしい! 恥ずかしすぎる勘違いです。
真実に気づいたわたしはもう自分の自意識過剰さに落ち込みすぎて、早々に自室に退散してふて寝しました。初夜とかで発覚しなくて本当にラッキーでした。ギリギリのセーフです。
でも、だからといって何が変わるわけでもありません。
イルディズさんは変わらずわたしに親切ですし、わたしもイルディズさんと過ごす日々は楽しいんですから、恋愛とか別にいらないですよね。ええ、そうです。
そんなわけで、わたしの結婚生活における目標は、『老夫婦のように穏やかに過ごす』に決定したのでした。
そうだったのですけど。そうもいかない方が一人。
そう、我が母です。
そして話は冒頭の昼下がりに戻るわけですが。
我が母はわたしたちの仲が良好と聞いて、すっかり安心して世間話を始めます。
隣の家の向日葵が今年も背を越したとか、魚屋でマンボウが売られていたとか、新しい花屋が開店したとか、そういったとりとめもない話題。
ひとしきり平和な話題を話し終わると母は言いました。
「そうそう、今日はね、シーラちゃんにいいものを持ってきたの」
何かな?またお菓子かな?と期待しました。
そんな中、母がテーブルに出したのは――
……ちょっと口には出せないものでした。
「お……お母さん……! なにこれ……!」
わたしはテーブルに上げられたわいせつ物に恐怖します。
ご飯食べるテーブルになんてモノあげるんですか!?
お母さんは大真面目に言います。
「これはね、子宝祈願のお守りよ」
「えええっっ!? いやっ! ちょっと待って下さい!」
直接的過ぎますよこの形状! だってこれって男性の……うううっ……口が裂けても言えません!
「いいえシーラちゃん、待てないわ。あなたはもう40なのよ。時間がないの。イルディズさんが結婚してくれたのはラッキーだったわ。あの人は本当に良い人だもの。私たちとは38年の付き合いがありますからね。よーく知ってるわ」
夫と義両親との関係が妻よりも深いのってなんか嫌です!
「繰り返し言うけれど、あなたはもう40なの。時間がないのよ! 最初からターボかけてかないと間に合わないのよ! 私は孫を抱きたいの! お兄ちゃんとこのお嫁さんはわたしに孫を抱かせてくれないの! もうあなたしかいないの! もうお友だちの孫自慢に指をくわえて見ているわけにはいかないのおおおっっ!!」
母がどんどんヒートアップしてきました。
「これだけじゃないわ! はい、コレ!」
バン! 露骨な形状お守り2!
「ひいっ!」
「はい、コレ!」
ドン! 露骨な謎薬男版!
「ふええっ!」
「まだまだっ! コレ!」
ガン! 露骨な謎薬女版!
「わううううっ!」
テーブルの上にどんどん180禁グッズが増えていきます。
古今東西の珍妙なお守りと、言葉にしたくもないヤバめなお薬たちです! 酒瓶の中の蛇と目が合って威嚇されてる気がします!
わたしはもう真っ赤なうえに涙目です!
「さあああああっ! シーラちゃんんんっっ!!!! すべての神と人類の英知があなたの味方よおおおっっ!! 今夜からこれでがんばりなさいいいいっっ!!」
母が……母が……また狂った……!!
髪が上に逆立って、ふおんふおんと金色のオーラが体から溢れています。 スーパーな戦闘民族の方ですか!?
戦闘力低めのわたしは生まれたての小鹿のように震えてしまいます。
「そおおだあああっっ! イルディズさんにもおおおおっっ! 言わなきゃあああああっっ!!」
わたしはハッとします。そうです、これはわたしだけの問題ではないのです!
「やめて! やめてえええっっ! 大丈夫だから! わたし! がんばるから! だからイルディズさんに言うのはやめてえええええっっ!!!!」
大恩人をこんな汚らわしいことに巻き込むわけにはいきません!
そうしてわたしは、母のセクハラからわたしの心優しい夫を守ることを誓ったのです。時間切れってあと何年ですか!?
180禁グッズは居間のわたし用のクローゼットに押し込みました。これはもう封印です。折を見てゴミの日に捨てましょう。母にもイルディズさんにもバレてはいけないミッションインポッシブルです。テーブルは汚れた気がするので3回拭きました。
わたしの母は本当にストレートに願望をぶつけてきます。きっとそのくらいでないと、わたしを38年かけて異世界から連れ戻すこともできなかったのでしょう。
だから責める気にはまったくならないのですが。
でも、こればっかりは、ねえ。
流石のわたしも、親孝行のためにイルディズさんにわたしを抱いてとは言えません。
非結婚主義者だったイルディズさんが溢れる優しさと面倒見の良さを発揮して結婚までしてくれるというアルティメットなご厚情なのですから、それ以上を望むなんて恐れ多い。バチが当たります。
それに、一応わたしもこの前まで自分の事は乙女だと思っていた人間なので、そういうことは好きな人とすべき、ていうか無理やりって男性の生理的にもできないでしょ?と思うのです。
この辛い攻撃は七日間続きました。
毎日、毎日、新居に来ては卑猥……もとい、子宝祈願グッズを押し付けてくる母。
その度にクローゼットの容量がピンチになっていきます。テーブルはピカピカになっていきます。わたしのMPももうないです。
幸いイルディズさんは帰りが夜遅いので、母には会わずに済んでいます。けれど、その幸運もいつまで続くか……。
追いつめられていくわたし……。
「大丈夫か?」
朝ご飯の席でついにテーブルに突っ伏してしまったわたしを、イルディズさんが心配してくれます。優しさが沁みます。
「……大丈夫です。イルディズさんのことはわたしが守りますぅぅぅ」
どんなことがあってもあなただけは守ってみせる。わたしの決意は未だ揺らぎません。
「何を言ってるんだ?」
首をかしげる夫にわたしは力強く頷いて、
「安心してください! 母にはイルディズさんのこと、『もう毎晩すごいの私の夫♡ だから心配しないで!』って言っておきますから!」
「ぶふうっ! な……何を言い出すんだ……!」
意外に初心なわたしの夫が真っ赤になって椅子からひっくり返りそうになっています。珍しい表情の変化にむしろこちらがびっくりしました。イルディズさんも照れるんですね。下ネタの力ってすごい。
でもわたしもだいぶ毒されてきているのかもしれません。品性を取り戻さなければ。
「急にごめんなさい。今母からそういう精神攻撃を受けてる真っ最中でして。でもそうでも言わないと、母がまごまごセクハラみたいなこと直接イルディズさんに言ってきますから」
「あー……そういう話か……。しかし今君が私にそれを言ってるじゃないか」
「ごめんなさい。でも、お母さんに言われるよりはいいでしょう?」
イルディズさんは少し考えて、
「……どっちもどっちだ。気にするな」
そっぽをむいてマグカップを傾けました。耳、まだ赤いです。