炎竜の鱗
イルディズさんの膝の上はすごく寝心地が良くて、目覚めるともう夕方でした。
彼はわたしが目を閉じる前と変わらない姿勢で本を読んでいて、影だけが深くなっています。
「……すみません。寝てしまいました。体痛かったでしょう?」
慌てて膝の上から頭を避けます。
「いや、大丈夫だ」
時計を見ると、まだお夕飯には早そうです。
お昼寝をしてしまったせいですけど、このままでは新婚旅行が旅館に泊まりましたというだけになってしまいそうです。これはいけない。
立ち上がり黒マントを脱ぎます。
「わたし、そのあたりをお散歩しに行きますけど、イルディズさんも行きませんか?」
断られるかなーと思いつつもお誘い。
「――行く」
おおっ、やる気ですね! イルディズさんのスイッチはどこで入るか分からないので、誘ってみ甲斐があります。
わたしは陰で元の服に着替えて、イルディズさんは足の痺れが取れるのを待っての、お散歩への出発です。
夕暮れの坂道を降りていくと、お土産屋さんが立ち並ぶ商店街につきました。
道沿いにも露店も出ていて、オレンジ色の街灯が灯り、なんだかお祭りみたいな雰囲気です。
ブラブラと二人でお店を見ていきます。
「わっ、炎竜の卵ですって!」
真っ黒の卵がカゴいっぱいにあったり、
「おっ、炎竜饅頭!」
黒いお饅頭が蒸籠に蒸かしてあったり、
「炎竜から揚げまで!」
真っ黒のから揚げがあったりと、どれも食べてみたいものだらけです。
「……夕食前だぞ」
呆れ顔のイルディズさん。
「や……やだなあ。見てるだけですよ、見てるだけ」
と言いつつ、試食もらっちゃいます。
香ばしいゴマの風味のお肉です。サクッとジュワッとジューシー。
「炎竜ってこんな味なんですねー」
そう言うと、店員のお兄さんが大きくズッコケました。
「いやいや、お姉さん。それ、ただの鶏肉だよ。黒ゴマで揚げてるの」
「そうなんですか?」
「そうそう。この辺は炎竜ってつければ売れるからねー」
「へえ」
「名物なんだよ。知らない? 炎竜伝説」
「こちらに引っ越してきたばかりなんです」
異世界から。
「ここは炎竜様が眠る地なんだ。炎の竜だよ。カッコいいだろ。炎竜様の魔力で温泉だって湧いているんだぜ?」
「なんと! そうだったんですか!」
炎竜さまさまでした!
「そうそう。起きるとおっかないけど、寝てればありがたい神様なんだ」
「起きるんですか?」
「うん。たまーにね。って言っても、千年単位だから。でもこの前は確か――」
「行くぞ、シーラ」
話の途中でイルディズさんがわたしの手を引きます。
わたしは慌ててお兄さんにお辞儀をしてイルディズさんについて行きます。
「どうしたんですか? 急に」
前をズンズン歩く背中がなんだか怒っています。
「飴を買ってやるから来い」
「わーい」
イルディズさんはべっこう飴屋さんに連れて行ってくれました。
別に飴がすごく欲しかったわけじゃありません。わたしだってそこまで子どもじゃないです。ただ、イルディズさんがそうして欲しそうだったから乗ってあげただけです。ホントです。でもいろんな色と形の飴があって、これはときめいちゃいますね。
わたしが選んだのは棒に刺さった赤色のべっこう飴です。炎竜の鱗って名前がついていました。
買ってもらった飴を道端でペロペロと舐めます。透明でキラキラしていてとても綺麗。
「もしかして、お義母様はこれが食べたかったんでしょうか? 炎竜の鱗を持って来いだなんて」
「師匠が? いや、あの人は甘いものが苦手だ」
じゃあ違うんですね……。お土産屋さんにはその他、炎竜の鱗せんべいや、炎竜の鱗サブレ、炎竜の鱗漬けなんて赤かぶのお漬物まであります。
でも結構な額のお駄賃がつくんだからきっと本物の話なんでしょうか。それはそれとしてお土産はお土産でほしいなあ。
と、何やら道の向こうに人だかりができていることに気が付きました。
どんどんと人が吸い寄せられていきます。
「本物の炎竜の鱗がみつかったんだってよー」
「えーみたーい」
「行こうぜー」
道行く人たちが口々に『本物の炎竜の鱗』と言っているのが聞こえます。
「本物!? わたしたちも見に行きましょう!」
これは見逃せません。わたしも慌てて駆け出します。
人だかりをかき分けて、なんとか人の間からお目当てのものが見える位置まで来ました。
そこにあったのは、
「さあ! これが今朝採れたての炎竜の鱗ですよ!」
赤くて平べったい”なにか”でした。
おおーっという歓声が上がります。
一抱えほどの大きさの”なにか”は、べっこう飴みたいに透明で中にはキラキラと光るラメが入っています。
店主と思しき白スーツに白ハット、紫シャツのお兄さんが”なにか”を扇子でパーンと叩いて早口の名調子でまくしたてます。
「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ここにありますのは、かくも名高い炎竜の鱗! 炎竜の鱗でございます! これが一枚お家にあれば、家内安全・商売繁盛・無病息災・恋愛成就・金運上昇・長寿繁栄・千客万来・学業成就・交通安全・安産祈願・開運除災、あらとあらゆる幸運が訪れるのです!」
「でも、お高いんでしょう?」
「いいえ! 今ならなんと100万ディガー! 高い? あなたの人生が変わるのにこんなに安いことはありません! それに、今ならなんとこの開運キーホルダーが3個ついてのこのお値段! これは今すぐ買うしかない!」
ジャラッとポッケから”なにか”を小さくしたキーホルダーが登場します。
群衆がざわめきます。
「えーどうしよう?」「買う?」「でもなあ」「本物かなあ?」「そんな大金……」「でもキーホルダーもつくのかあ……」
「お疑いですね? お疑いですね? それはごもっとも! では、今からこれが本物だという証拠をお見せしましょう!」
お兄さんが鱗の上に小瓶を傾けてとろりとした油を垂らします。
「炎竜と申しますからには炎を吐く生き物にございます。されど体が火に溶けたのでは話にならない。この鱗に火をつけて見事燃えなければ本物! 本物にございます!」
シュッとマッチを擦って油に落とすと、”なにか”の上でボウッと勢いよく赤い炎が燃えました。
皆その様子を固唾を飲んで見つめます。
炎はしばらくすると消えて、店主が”なにか”の表面を布でサッと拭うと――
なんと元通り! ピカピカで焦げたところも溶けたところもありません!
おおおっ!とどよめきが起こります。
「さあ! これで分かっていただけたでしょう? これは本物! 本物の炎竜の鱗なのでございます! 幸運の炎竜の鱗! 買えるのは今ここにいる皆さまだけ! さあ! 欲しい方は元気よく手を上げてください!」
「ハイ! 一つください!」
「ハイ! 私にも!」
「ハイ! こっちにも!」
次々とみんな手を上げていきます。
「ハイ! わたくしにも!」
端には買い物袋を下げた赤ドレスツンツンさんも!
わたしもつい自分のお財布を見てしまいます。
でも100万ディガーなんて大金、わたし持っていません。バイトのお給料だってそんなに高いわけじゃないし。でも、お義母様が欲しいって言ってたしな~。
うーん、と悩んでいると、
「お金がない方でも大丈夫! 今なら頭金千ディガー、ローン48回払い、ボーナス払いも可能です!」
あ、それなら。
パッと顔を上げると、ギュッと手を握られました。
横を見るとすごく怖い顔をしたイルディズさん。
もう、見たこともないほど、激怒していました。むすっなんてもんじゃない。ゴゴゴゴと音がしそうなほど。
ひえ……。ゾゾゾッと背筋が寒くなります。
「や……やだなー。買いませんよ」
わたしが引きつりつつそう言ったのにイルディズさんは怖い顔をしたまま手を離して、ハイハイ学校の只中を突っ切ってツカツカと”なにか”のところまで行ってしまいました。
そして、黒い杖をマントから取り出して氷点下の一言。
『燃えろ』
火柱が”なにか”を包みました。
「うわあっちいっ!」
傍にいた店主の白いハットに火が燃え移ります。
店主は慌ててハットについた火を慌ててはたき消し、
「あんたなにすんだ!」
イルディズさんに詰め寄ろうとするもギロッと睨まれて小さくなりました。
みんな、しーんと静まり返っています。
その真ん中でメラメラと燃え盛るキャンプファイヤー、もとい魔法の火柱。
炎の中では見る見るうちに”なにか”が消えていきます。
炎が消えると、後には何も残りませんでした。
「!? いったいどこに……!?」
ざわめきが起こります。
「――馬鹿馬鹿しい。全部溶けて蒸発した。この程度の炎でだ。――おい」
イルディズさんが店主の胸倉を掴みます。目が完全に座ってます。
「馬鹿が馬鹿に付け入るな。目障りだ。消えろ」
「はいいいいっっ! ごめんなすってぇぇぇぇっっ!!」
哀れな店主は一目散に逃げていきました。
お客さん達も皆、「なーんだ偽もんかよー」「オレ分かってたしー」とブツブツ言いながらの解散です。
残されたわたしは――
「……ごめんなさい」
馬鹿のお仲間として、イルディズさんの裾を掴んでしょんぼりと謝りました。
馬鹿でごめんなさい。
頭がくしゃっとなでられます。
「……もう夕飯だ。帰るぞ」
わたしの手を引いて前を歩く背中は、もう怒っていないのに遠くに感じられました。
お部屋で食べるお夕飯は、豪華でとてもおいしいのですが、イルディズさんがむすっと魔人なのでお通夜の様です。
わたしも二度目の詐欺引っかかり未遂で意気消沈のため、場を盛り上げられません。
「……………………」
座卓の向かい合わせで食べてるのに、目も合いません。
チラッと見つめてみてもひたすら箸を動かすだけ。
「……………………」
二人して無言でもぐもぐ食べます。
全然楽しくない。
お通夜状態のままご飯を食べ終え、寝る支度をして布団を並べて横になります。
終始無言。
少し物音を立てるだけで音が響きまくってド緊張です。
もう寝ましょう。今日はダメです。明日があるさ。
目を閉じます。
そういえば、こんなに離れて寝るのは久しぶりです。ずっと一緒のベッドで寝てたから。
ちょっと寂しいけど、今声をかける勇気はありません。
イルディズさんはもう寝てしまったのかとても静かです。
チラッとイルディズさんの布団を見ても、顔も見えなくて寂しさが募ります。
こちらを向かない黒い後頭部を見つめてしまうと余計に寂しくなってしまって、背を向けました。
寝ましょう寝ましょう。明日こそ楽しい日にするんだ。
今度こそ眠るために目を閉じました。
「シーラ」
「はっ……はひぃっ!」
いきなりで驚き過ぎて声が裏返りました。
心臓がびっくりの方向にドキドキします。
イルディズさんはこちらを見ずに話します。
「明日……一緒に行ってほしい場所があるんだ。……君には、楽しくない場所かもしれないが……」
急にされた控えめなおねだりがなんだかかわいくて、ぽっと心に明かりが灯ります。
うれしくって、頬が緩んで、声だって弾みます。
「はい。イルディズさんとならわたし、どこにだって行きますよ」
伝わるかな?
本当に、本当なんですよ。
あなたがわたしを異世界で見つけてくれたように、わたしだってあなたのためならどこだって行きたいんです。
「ありがとう……」
やっとこっちを見てくれて、目が合います。
むすっとしてない、優し気な瞳。少し甘えてくれているようで、わたしまで優しい気持ちになります。
「手を、握ってくれないか?」
月明かりの中見つめ合うと、いつもと違う様子が少しだけ特別な気がして。
「はい」
重ねた手のひらから心まで繋がるような気がして、くすぐったい気持ちのまま、その夜は眠りました。
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