炎の記憶
結婚生活編「告白」と「エピローグ」の間の話です。子どもができる前の新婚旅行の話。
ここから不惑企画対象外です。
*暗い&残酷火事描写&新婚的甘々&下品があります。
すべては炎の中に消えた。
家も、森も、空も、すべてが赤く染まり、人でさえも、赤く、燃えて。
灼熱の空には、炎を吐き散らす巨大な影が羽ばたく。
千年に一度の目覚め。
突然の、逃れようのない災禍。
気づいた時にはもう逃げ場などなく、炎が村を包んでいた。
赤い炎と黒い煙の中で、ぼくだけが燃えないで、体中から溢れ出る銀色の光に守られていた。
背中から母だったもの、父だったものが崩れていく。
燃え盛る炎の中で、小さな体の下に更に小さな弟を抱いて。
守りたかった。
泣き叫ぶ顔が、すがる小さな手が、こんなに近くにあるというのに。
なのに、銀色の光はぼく以外を守ってはくれなくて。
腕の中で、なす術もなく、燃えていった。
どうして……。
涙は零れ落ちるそばから音を立てて消えていく。
どうして……。
すべてが燃えて消えていく音を聞く。
家が崩れる轟音の中、もう二度と動かない黒い焦げを抱きしめて、一人守られていた。
ずっと、その光景を目に焼き付けて。
――残されたのは、黒い焦げ跡とくすぶる煙。
美しい森も、緑の丘も、白い花咲く野も、温かい家も、家族も、友だちも、あらゆる思い出が焼けて消えた。
そうして、何もなくなってしまった頃に、ようやく助けはきた。
――ぼく以外、生きているモノは何もないのに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これ、食べられるお花なんですって」
夕食の並ぶテーブルの、小花が飾られたサラダを前に妻が言った。
ガラスのサラダボウルに入っているのは、桃色・赤・白色の可愛らしい花が散らされた雉肉のサラダ。
私の食事は結婚後、劇的に変わった。
それまではパン、薄いスープ、肉、といった最低限の栄養摂取のためのものだった。
しかし今は、パン、具が多く入ったスープ、雉肉のサラダ、兎肉のソテーと多くのメニューが並ぶ。
異世界育ちの妻シーラの料理は野趣あふれるものが多いが、たまにこうやってこの世界の流行りモノが取り入れられる。
「へえ」
フォークで白い花を刺して口に入れると、甘い香りと青く苦い味がして顔をしかめる。
「…………美味しくは、ない」
シーラはクスクスと笑う。
「そうですよねー、わたしもそう思います。でも、目が少し楽しくなるでしょう? 他の野菜や肉と食べちゃえば味も気になんないんですよ」
シーラは茹でた肉とレタスと花をドレッシングに絡めて食べる。
シーラは最近、パン屋でバイトを始めた。
パン屋の主人が狩り友だとかで、雇ってくれたそうだ。(その主人が愛妻家でシーラと同い年の娘を溺愛していることは既に調査済みだ)
その溺愛されている娘こと花屋とは友人だということで、たまに家を行き来しては楽しそうに雉花サンドや兎花サンドなど独自メニューを作って遊んでいる。この前私が家にいる時に遊びに来たので「初めまして」と挨拶したら驚かれた。婚活パーティーで会ったことがあるらしい。いただろうか? ……全く覚えていない。
ともかく、こちらの世界に戻ってきた当初は、文字も読めず、常識にも疎く、どうなることかと心配したが、少しずつこの世界にも馴染んできたようで安心した。
しかし安心と同時に、不安も増えた。
パン屋、それはつまり接客業だ。
不特定多数の客と彼女は毎日接している。その中には当然男も存在するだろう。
私の知らない間に男どもの目にさらされると思うと、とても不安だ。
十分に気を付けるようにとは言い含めてはいるが、彼女は「イルディズさんって真顔で冗談キツーイ」と取り合ってくれない。
驚くべきことに、彼女は自分に魅力がないと思い込んでいるのだ。
その原因は彼女の育った環境のせいだろう。彼女を育てた耳の長い種族は誰もが儚げな美しさを持ち、それを美の基準としてしまっているのだ。『普通』の基準がまずもって高すぎる。
しかしこの世界においてなら、彼女が健康的な美しさを持つ美人であることに間違いはないのだ。つまり私の妻が世界で一番美しいに決まっているのだ。
できることならずっとパン屋で睨みを利かせていたいところではあるのだが、私も仕事に行かなくてはならないのでそれはできない。妻には言っていないが、捜索の際に借りた借金を第十六王子にまだ返せていない。仕事をしなければ借金を妻にバラすと脅されている。
私に出来たことといえば、せめてもの備えとして彼女の結婚指輪に不埒な男には電撃が襲うように呪いをかけたことぐらいだ。銀の指輪は魔力を通しやすいので、こんな時とても助かる。妻もその指輪をとても気に入ってくれている。
「ごちそうさまでした」
夕食を食べ終わって、二人で食器を片付ける。
シーラが食器を洗い、私がそれを拭いて後ろの棚にしまっていく。
「休んでいていいんですよ?」
気遣い気な彼女の言葉に首を振る。
「いや、やる。――二人でやった方が二人の時間が多くなるから」
二人の時間、何をするのかをもう分かっている彼女の顔が赤くなって口がはわはわと揺れる。
それを、横から見るのが好きだ。
「そ……そうですよね……」
赤くなった耳を今すぐ食べてしまいたい気分になるが、そうもいかないので我慢して片づけを進める。
二人分の食器なんてたかが知れているから、片付けはすぐに終わった。
食器棚の扉を閉めると、手を拭いているシーラをやっと後ろから抱きしめることができる。
赤い耳を食んで、
そのまま、パチンと指を鳴らした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
風呂上がりの髪をタオルで乾かしながらソファでくつろぐ。
私は魔術書を、シーラは横で児童書を読む。片方の肩だけが触れ合って温かい。
文字を追っていると、時折名が呼ばれて、言葉の意味を聞いてくるので答えてやる。
文字すら読めなかった数か月前が懐かしい。
「そういえば、誕生日に何が欲しいか、考えました?」
私を見上げて彼女が尋ねる。
そういえば来月は私の45歳の誕生日だ。
「いや、別に何もいらない」
そう言うと、彼女は口をとがらせた。
上目遣いのはしばみの瞳に私が映る。
「そういうの一番困りますー。雉とケーキは焼くでしょ? ご馳走はこれでいいんですよね。でも、やっぱりプレゼントが必要ですよ。せっかく初めて二人で過ごす誕生日なんですから。もう、なんにも言わないなら勝手に考えちゃいますよ? いらないものになっても知らないんですから」
とがらせた唇が可愛いなと思って、口づけた。
「んっ……! 今、話してるところで……っ」
顔を逸らす彼女のあごを掴んでこちらを向けてもう一度口づける。
「君さえいれば、他に何もいらない」
ささやいて、背中を支えてゆっくりとソファに倒した。
しっとりと濡れた髪が藍色のソファに広がり、零れ落ちそうなほど見開かれた瞳は宝石のようにきらめく。
――綺麗だ。
「わわっ……、あのっ……」
首筋にキスを落としながら、髪の間に指を差し込んで頭を撫でる。
「せっかくっ……お風呂に入ったのに、また汗かいちゃいますよ……」
「構わない」
「もうっ……」
麻のゆったりとした部屋着に顔を擦り付けて、石鹸の香りと温もりに安らぎを覚える。
ふと顔を上げて、彼女の顔をのぞき込む。
「ああ、一つ思いついた」
「何ですか?」
「子どもができると、うれしいな」
彼女の顔が柔らかくほころぶ。
「わたしも」
彼女が私の首に手を回して口づけてきたから、
その背を支えて、パチンと指を鳴らした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――夢を見た。
赤と黒。
久しぶりの悪夢の中ではやはり全てが燃えていた。
またこの夢か。
毎年毎年、飽きもせず見る夢だ。
村が災禍に見舞われたのは、私の誕生日だった。
冬が終わり、春がきて、花が咲き、少しずつ暑くなる。そうすると、炎の夢の季節が始まる。毎晩見続け、誕生日が過ぎるとぱたりと収まる。
けれど、今年はもう見ないと思っていた。
シーラを救い出して、私はもう、幸せなのだから。
失った家族の代わりに新しい家族を得た。それで、つじつまは合うはずなのに。
――それでも、まだダメだと言うのか。
うんざりしながらも胸の中を見る。また絶望するのだと思いつつも小さな弟の顔をまた一目だけでも見れたら、と期待して。
けれど。
その顔は、弟ではなかった。
亜麻色の長い髪、土気色の肌をしたぐったりと目を閉じるシーラ。
「!」
その体に火がついて、燃えていく。眼前で、失われていく。燃え盛る中、全てが赤く染まっていく。
ぼく以外の、すべてのモノが。
「ああああああああああああああああっっっ!!!!」
「イルディズさん……イルディズさん……」
月明かりにシーラの顔が白く私をのぞき込んでいる。はしばみの瞳は光を宿し、心配げに下がる眉。
ドクドクと鼓動が大きく刻まれ、涙か汗か分からないものが顔を濡らしていた。
「大丈夫ですか? うなされてましたけど」
――生きている。
手を伸ばし彼女を抱きしめると、温かく、鼓動も聞こえた。
「大丈夫――大丈夫だ」
ここに、ちゃんと彼女はいる。
実在を確かめるようにきつく抱きしめる。
消えない。
いなくならない。
大丈夫だ。絶対に。
自分に何度も言い聞かせて彼女の呼吸の音に自分の呼吸を合わせていくと、少しずつ気分が落ち着いていく。
なのに一晩中、彼女をずっと離すことができなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「と、いうことがあったんですけど、お義母様、何か知りませんか?」
最近毎晩うなされるイルディズさんが心配で、わたしはお義母様のお宅を訪ねてみました。
お義母様のおうちは、小さな白亜の石造りのお城です。王城の川向かいにあるのに、こちらも城。最初来たときは狐狸の類に化かされたのかと混乱しました。
お義母様によると、たまに間違えて外国の使者が訪ねてきたりもするそうです。迷惑極まりない。
しかもこんなところにわざわざ家を建てたのは、王城に出勤するときに空を飛んでいけば近いからとかいうとんでもない理由。王城には魔法の結界が張っているらしいのですが、それもお義母様製らしく「自分で作ったものに阻まれるわけがないだろう」だそうです。王城無断侵入し放題。
お義母様は今日はいつもの黒ローブではなく、シルクの白シャツにベージュのスラックスという王子様の休日ファッションで、わたしを迎えてくれました。もちろんキラキラはいつも纏っています。夏だからそろそろ眩しいのも目にキツイですね。
通されたリビングのインテリアは全て白で統一され、赤い薔薇が飾られ、壁際の大きな水槽には大きなお魚が泳いでいます。お魚もキラキラ輝いています。一緒に住むとキラキラが移るのかも。……まさか、イルディズさんも一緒に暮らしていた時には……? ちょっと想像がつきません。
「ああ、もうすぐ誕生日だからだよ」
事も無げに答えて白磁のティーカップを傾ける姿はいつもどおり隙がありません。
「誕生日?」
「うん。昔から誕生日が近くなるとうなされるんだ、あの子は」
「うーん? どういうことですか?」
わたしが首をかしげると、お義母様は呆れ顔で肩をすくめます。
「なんだ、まだ話してないのか、アイツは。本当に仕方のない子だ。……だが私から言うっていうのもな……、本人に聞いた方がいいんじゃないか? そういうのは」
そのとおりなんですけど。
「聞いてもはぐらかされちゃうんです」
ため息交じりに伝えます。
そりゃ、本人には聞いてみたんですよ。でも。
その結果、言った口をキスでふさがれましたとも流石に言えないし。
ちょっと最近回数が多すぎてしんどくなってきましたとも言えません。
抱っこして寝てあげると大丈夫なんですけどとも、彼の名誉のためにも言えませんし。
そしてそうした時には3回に2回はそのままあららな展開に陥るとも言えません。
言えないことだらけで心が痛い。
「ふうん……」
お義母様は窓の外を眺めて何やら思案します。遠い目をするのも物憂げでナイスアングルです。何をしても絵になります。
「そうだな……、君たちは結婚旅行はまだだったな?」
「へ? ええ」
結婚旅行? なんですかそれ。素敵な響き。
興味津々で、つい身を乗り出しちゃいます。
そんなわたしをお義母様は爽やかな王子様スマイルを浮かべて頭を撫でまわし、
「じゃあ、私から温泉旅行をプレゼントしよう」
と、言ってくださったのです。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「余計なことをしないでもらいたい」
新婚旅行とかいうくだらない話を妻から聞いた私は、師匠に文句を言いに来た。
「なぜだ?」
執務室の机のうず高く積まれた書類の中で、師匠は目線も上げずにひたすらに書類仕事を続けている。
私はその前で腕を組んで美麗な師の姿を見下ろす。
「私は私で考えている。――過度な介入はやめて欲しい」
ため息が一つこぼれ、ようやく蒼の瞳がこちらを向いた。
ギシリと椅子の背もたれがきしむ。
「可愛い義理の娘が愚息のことで困って相談に来たんだ、放ってはおけないだろう?」
澄ました美しい顔が癇に障る。
「自分でなんとかする。放っておいてくれ」
「ハッ。自分で何とか出来るヤツは41年間悪夢にうなされていない」
図星を突かれて言葉に詰まった。
「……別に年に1カ月だけのことだ。もう慣れた」
「あの娘は慣れないだろうよ。心配していたぞ?」
「……………………」
言い返せずにただ睨むと、師匠は侮蔑の表情を浮かべる。
「おいおい、しっかりしてくれよ。結婚したんだろう? きちんと自分の過去にくらいケリをつけてくれ。不惑も過ぎたのに惑い過ぎだろう、お前は」
呆れたように言われてカチンときた。
師匠は偉大な魔術師で、同時に情に厚い人だ、とは思う。だが、同時にデリカシーが壊滅的にない人でもあった。
自分の事を棚に上げて人のことに口を出し過ぎるきらいがある。
「……年のことをあなたに言われたくない」
「何だと?」
蒼の瞳が鋭く光る。
「……60過ぎて痛々しい」
眉をひそめぼそりとつぶやくと、師匠の顔が引きつった。
「もう一度言ってみろ?」
「ああ、何度でも言ってやる。60過ぎて若作りし過ぎだ。おまけにその少女趣味な王子様風味の趣向も気に入らない。シーラにあなたとの関係を誤解されたのもそのせいだ」
師匠との浮気を疑われて危うく離婚しかけた。私は十分に被害者だ。
「私の趣味をお前にどうこう言われたくないね、この早○野郎」
「なんだと?」
聞き捨てならない。
「疲れた顔をしていたぞ? あの娘。どうせお前が無理させているんだろう? これだから遅れてきた思春期の中年は手に負えない。この性欲魔人が」
「ぐっ……」
「いったい一日何回してるんだ? 回数が多けりゃいいってもんじゃないんだぞ? 問題はその質で――」
慎みの欠片もない発言に頭を振る。
「セクハラはやめろ。……そんなだから嫁の貰い手がないんだ」
「ハハッ! ……やるってのか? 表に出ろ」
額に青筋を立てた師匠が立ち上がり、バチバチと視線が火花を散らす。
「ああ、望むところだ。――もっとも、60過ぎた婆さんに負けるとは思えんがな!」
「フッ、吠えるなヒヨッコが。お前ごとき5分でのしてやるわ」
荒野に転移して、杖を構える。
ヒュォォォと乾いた風が二人の間を吹き抜けた。
「私が勝ったら大人しく温泉旅行に行け。そして過去にケリをつけて来い!」
師匠の頭上に雷雲が集まり、バリバリと音を立てて雷でできた金色の龍が現れる。
「ああ。私が勝ったら金輪際余計な口出しはやめてもらおう!」
私の頭上にも雷雲が生まれ、銀色の龍が現れる。
そして、両龍が轟音を立ててぶつかり合い――
3分で私は地べたに這いつくばった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆