100 YEARS AFTER
深い森の中の小さな里の上で、暗い夜空に星が瞬く。
流れる星は、一つ、二つ、数えきれず。
月はなく、とても静か。フクロウの声が時折響く。
森も眠るそんな夜に、人家の外で耳の長い美しい女が一人、空を眺めていた。
何をするわけでもなく、星に願いをかけるわけでもない。
ただ、思い出していた。
――いなくなってしまった、我が子のことを。
「――エリー。ここにいたのか」
家の中から銀の髪の背の高い男が現れる。
エリーと呼ばれた女は、男に柔らかい微笑みを向ける。
「マルクス。リックとマリアは寝たの?」
「ああ。絵本を読んだらすぐに眠ったよ」
「そう、ありがとう」
二人は並んで、星を眺める。
「――あの日も、こんな星の綺麗な夜だったわ」
小さな呟きが夜風に消える。
「――シーラが旅立った日かい?」
「ええ。それに、あの子と出会った日も」
懐かしい日々を愛おしむように、目を細める。
「森で一人泣いていたんだっけ?」
「ええ。あの日は私、何もかもが上手く行かなくて、落ち込んで一人、外に出ていたの。
そしたら、森から子どもの泣き声がして……。猫かなって思ったけど、気になって見に行ったの。そしたら――あの子が一人ぼっちでいたのよ」
思い出すのは、水色のワンピースを着た耳の短い裸足の幼子。足は泥にまみれ、泣きじゃくって、エリーに気付くと懸命にしがみついてきた。
そして、「おかあさん、どこ?」とずっと泣いていた。
「私、それまでの人生の中であんなに人に切実に必要とされたことなんてなかったの。だから――、シーラのことがとてもかわいくて、何でもしてあげたいって思ったの」
見知らぬ子どもを抱きしめて、「大丈夫、私がついているから」と何度も背中をなでたあの日。
拾った子どもをエリーが育てるなんて無理だと言われても、どうしても手放せなかったあの日。
その子どもがエリーのことを「おかあさん」と初めて呼んだあの日。
一人きりで育てていくと意地を張って、なのに気づけば子どもの周りにはたくさんの人たちの笑顔があって。いつの間にかエリーは一人ぼっちなんかではなくて。
救ったはずの子どもに、救われていたのはエリーの方だった。
「君はシーラにとって、最高の母親だったよ」
マルクスの言葉に、エリーは悲し気に目を伏せる。
「そうかしら――? 私はあの子が『人間』だとも気づかずに、耳の長い種族の常識ばかり押し付けていたわ。使えるはずもない魔法の特訓をしたり、細長くするためのごはんを考えたり、日焼けばかりするあの子に一生懸命美白の薬を塗っていたわ。……無意味なことばかり」
自嘲の笑みがこぼれる。
「すべてはシーラのことを想ってこそだろう?」
「ええ。――あれから、138年。あっという間だったわ。――もうあの子が、亡くなっているなんて……信じられない」
震えるエリーの肩をマルクスが抱く。
「今日はやけに感傷的だね」
「何故かしら――。きっと、星がこんなに綺麗だから――」
星がまた一つ、流れた。
けれどその星は消えることなく、緩やかな弧を描いてゆっくりとこちらに近づいてくる。
「なんだ……?」
マルクスはエリーを後ろにかばいながら、銀色の星を険しい顔で見つめる。
星はやがて、ヒトの形をして、二人の前に降り立った。
光が消え、現れたのは黒髪、黒瞳、黒檀の杖を持った壮年の男性。
「――君は!」
マルクスが驚きの声を上げる。
この色合い、そして短い耳には覚えがあった。
けれど――?
「失礼、エリー・スミアラさんでいらっしゃいますか?」
手に持った一葉の写真を一瞥して、男性が問いかける。
「え……ええ……。エリーは私です。でも……今はスミアラではなくて、結婚してトッリネンですけど……」
エリーは答えながらも、とある可能性を感じて鼓動の速まる胸を抑える。
今すぐ問いたい。もしかして、あなたは――
「そうでしたか、失礼しました」
静かに目礼する男性。
「あのっ、あなた、もしかして――」
男性は柔らかく微笑む。それは、夜空の深い闇にも似た優しさで。
「はい。私は――タハト・ベルツ。シーラ・ベルツの来孫です」
「ああ――、やっぱり……!」
エリーは駆け寄って、タハトを抱きしめる。そして、その顔をつぶさに見た。
「短い耳、ぺちゃんこの鼻……黒焦げ……、私の可愛いシーラにそっくりだわ……」
そのすべてが愛おしい。
もう、二度と見れないと思っていたから――
「ええ、高祖母に似ているとよく言われます」
タハトはうれしそうに破顔する。
「それに……ベルツ……、そう……あの子はあの魔術師の方と結婚したのね……」
「ええ。――そして、82歳で亡くなりました。……安らかな死だったと聞いています」
「そう……、そう………………」
エリーが肩を震わせて涙を流す。
マルクスが後ろからそっと肩を抱く。
「それで、私は高祖母より五代様に、お手紙と写真を預かって参りました。受け取っていただけるでしょうか――?」
マントの下から手紙とアルバムを取り出し、気遣い気にタハトが問う。
エリーは涙をぬぐって、可愛い来孫に微笑む。
「ええ、もちろん。――でも、せっかくですから中で一緒に見ましょう? 夜明けまではこちらにいられるのでしょう?」
「はい」
「雉のパイがあるの。お好きだったらいいのだけれど――」
エリーの言葉に、タハトは無邪気に笑う。
「雉は家族みんなの好物です。私も雉狩りには少し自信がありまして――」
楽し気に言葉を交わし、三人は家の中に入っていく。
闇は深く、夜はまだ明けない。
明かりが灯された家で紡がれる言葉はどれも温かく、楽しい。
そこで開かれた手紙には、この世界の文字でこう記されていた。
――わたしはずっと幸せだったよ、お母さん。
それは夜空に浮かぶ星粒のように、いくつもの思い出と共にいつまでも心の中で瞬き続けていく。
(FIN)
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