思いもよらない襲撃
※令和4年4月24日に改稿されました。
夜の帳が落ち切って、さあ眠ろうかと弥生達が寝る準備を整えていた時に襲撃は起こった。
「……釈然としないねぇ」
エキドナはぞんざいに左手で魔狼を殴りつける。
何の構えもない、ただ単に彼らが飛び込んでくるのに合わせて振っただけだが……ごきん、と魔狼の首があらぬ方向に折れ曲がり、明らかな即死である。
「探す手間は省けてるけど……ちょっと多くないかねぇ。君ら」
――ウゥオゥゥゥ!!
――――グルゥゥ
見える限りには15、6匹ほどの魔狼にエキドナは取り囲まれていた。
普段は多くても2、3匹しか出てこないのによりにもよって今日、このタイミングで大所帯に遭遇することになるとは思いもよらなかった。
「弥生たちに向かわなかったのだけは評価するけどねぇ」
念のためにと晩御飯の後に魔物除けの草を焚火に放り込んでいたのが幸いしたのか弥生達の野営地には向かわないでいてくれる。代わりにエキドナは取り囲まれているのだが焦る様子はない。弥生達はと言うとエキドナの指示でおとなしくテントに閉じこもっていた。
万が一の時はエキドナも切り札を切るつもりだったが……今のところ必要なさそうではある。
あまり離れるとカバーが間に合わないことを考慮してエキドナは野営地からほんの数十メートルほどの開けた草場で魔狼を駆逐していた。軍用のアンドロイドである彼女には暗闇も行動を妨げる要因ではなく、暗視、サーモグラフィティ、電波照射によるソナー、これでもかと満載に装備されている探査系の機器は死角がほぼなかった。
魔狼の数や位置、それどころか周囲の小動物の動向までもエキドナは把握している。
なおかつエキドナの身体は人間でいう骨の部分は丸ごと合金製、医療用にも使われるチタン金属をベースに柔軟性、剛性を戦闘用に調整。生身の筋肉部分も人工生体筋肉が多用されていた。
難点は若干見た目よりも重い事だが実に軽やかにエキドナは跳ね回る。
常に魔狼の動きを把握と予測を繰り返して効率良く殴り、蹴り、掴んで一方的な虐殺が行われていた。
魔狼も馬鹿ではない、正面から突っ込む群れと背後から強襲する群れで別れて挟撃するなどの工夫はあれど……相手が圧倒的に悪い。
「人間相手なら良い線行くんだけどねぇ」
スカートを翻しエキドナの右足が空気を抉る。ちょうど正面からとびかかってきた魔狼の鼻先を正確に蹴り砕き、軸足の左足から力を抜いて体を左にひねった。
「観客無しだから手早くいくよっ!」
そのままエキドナは右足を振り上げ、背後に踵を落とす。
――ぎゃうん!?
後ろから迫る魔狼の頭に突き刺さる踵は勢いをそのままに魔狼の頭を地面とサンドイッチにする。その威力はハンマーで殴りつけたかのように脳漿や目玉を散乱させた。
その様子を一瞥しただけで頓着せず、素早く体制を整え右手でもう一匹、左手でさらに一匹掴んだかと思えば躊躇なく骨ごと握り潰す。
徐々に血臭が草木の匂いの代わりに濃密になるにつれて響くのは哀れな魔狼の断末魔と鈍い破砕音。
「最近派手に君らを間引きしたから引けないのは分かるけどねぇ……」
――ぐしゃり
「全滅するまでやるかい?」
とびかかってきた魔狼をひらりと躱してエキドナは背骨の辺りを握り……いや、抉った。
エキドナは手の中に残った背骨の一部を見せつけるように軽々と握力で砕きつつ、言葉が通じないのは承知で問いかける。そのパフォーマンスを受けて残り数匹となった魔狼がひるむ様子をエキドナは見逃さなかった。しかし、同時に疑問も沸く。
……なぜ退かないのかねぇ?
これだけ数を減らされてエキドナ自身へは傷一つ付けられず、同族の血でその身を染める相手に恐怖位は感じているはず。魔狼に生存本能とやらがあるのであればとっくに逃げていてもおかしくはない。
「これは誘われたのかなぁ??」
この魔狼はもしかして囮だったのかとエキドナは疑い半分に知覚を広げる。
本気でやればエキドナ単独でも半径50メートルくらいどうということもない。
「何もいない……いったいどうしたのかねぇ」
念入りに探査したがエキドナが補足できたのは相変わらずテントの中でおとなしくしている弥生達、それから周りには残りの数を6匹にまで減らした魔狼だけだった。
「まあいいや、君等の生態には興味が無いからさぁ。駆除してさっさと水浴びしたいんだよねおねーさんは……生臭くてしょうがないんだよ君らの血や肉って」
さく……と、赤い露に染まる草を踏み。
「しかも毒があって食べれないとか残念肉だし」
エキドナが嗤う、普段は見せない捕食者の眼で魔狼を睥睨し……
「何よりタイミングが悪いよ?……昼間だったら追い返す程度で済ませてもよかったのにさぁ」
足を竦ませ魔狼は後ずさる、本能的な命令からしっぽを巻いて逃げたい。
普段なら狩りに失敗した時などはそんなこともある……だが、理解不能な存在から発せられる殺意に身体がいうことを聞かない。
「弥生達からは見えないだろうから……気を使わなくていい事だけは感謝するよ」
恐怖で微動だにできない魔狼一匹一匹をエキドナは愛おしさすら感じさせる優しい手つきで撫でる。
「僕の信条としてね? 必要以外に苦しませる気は……無いんだよねぇ。おやすみ」
ヒュン
縄跳びで飛んだ時、聞こえてくるような甲高い風切り音が空を舞う。
血の霧を纏い魔狼の頭が宙を彷徨い地に転び、奇麗に並べてそろう首の回廊が出来上がった。
「おしまいっと……しかしどうしたもんかなぁ。後始末しておいた方が良いよね」
けろりと惨劇を演出したエキドナが飄々とした様子でつぶやく。昼間なら後始末も含めて弥生達に教えたい所だけど……これはやめておこうとあきらめる。若干やりすぎて直接表現が躊躇われてしまう光景が広がってしまったから。
「くぅ……殴る蹴るだけで済ませればよかった」
今更ではあるが実力的に方法はいくらでも取れていたはずのエキドナは飛び散った血痕や魔狼だった残骸を持ち前の探査能力ですべて埋めたり焼いたりする作業に数時間ほど従事する事になってしまう。
「……いつの間にか寝ちゃってるか。案外図太いもんだねぇ弥生」
作業の合間に一応テントの中の音も探ったが三人分の寝息だけしか聞こえなかった。
「それにしても食後の運動にも物足りないかな……生き物は脆いねぇ」
エキドナが黙々と動く中、夜行性の小動物が動く音やフクロウのような鳥の囀りが闇夜に響き始める。ようやくひと段落といったところでエキドナはポイポイと汚れた服を脱ぎ捨てて返り血を洗い流しに水場へ向かうのだった。
周辺の魔物が軒並みエキドナを恐れて離れていくのを感知して実に軽い足取りで……